ヨーデルとアルプホルン、これはどちらもアルプス音楽には必要不可欠です。1回目のブログでもちょっと触れましたけど、両方とも牧童たちが山のアルムにこもって生活している間、家畜を誘導したり、麓の家との伝達手段として発達しました。森林限界を超えるような高さの山々は岩石でできており、音が跳ね返り遠くまでよく響きます。今でいえば携帯電話のようなものですよね。アルプス音楽の演奏会には今もこの二つははずせません。そんなわけで私どもも各地のアルプホルン倶楽部との交流をとても大事にしています。そのなかから日本のアルプホルン倶楽部の老舗、大桑アルプホルン倶楽部を紹介しましょう。
長野県木曽郡大桑村、木曽ヒノキの産地で有名な人口4000人ほどの小さな村ですが、年配の方々がヒノキを使ってアルプホルンを制作し、練習に励んでいます。木曽谷・中山道にあるこの村は、東京電力の水力発電所や石川島播磨重工業のターボ工場などがあるため財政的にも裕福で、近隣自治体との合併の道は選ばず今に至っています。驚くのはそのこだわり、役場から流れるお昼の時報はサウンドオブミュージックのエーデルワイスなのですよ。私がお邪魔したときの日曜の朝、制作マイスターの家からアルプホルンを吹いたのですが、音は国道19号、JR中央本線と木曽川を隔てた反対側斜面にある役場側に伝わり、倶楽部の事務局長が、「朝からどうした?」と谷を越えてやってきたのです。ええーっ!、ここはスイスアルプス??直線距離で2キロ近くはありますかね。ちなみに事務局長は村の収入役なのでえーす。
ホルン作りをやっているのが高齢者なのがすごい。みんな元気なのです。その方々を頼って今では全国から手作りアルプホルンを欲しい方々が制作に集まるようになりました。夜一緒に一杯飲むと「コヨーテの鳴き声もヨーデルの練習だよね」とばかりにみんなでワオーン、わおーんと吠えます。ただひたすら20分ぐらい。おかしいと思われるかもしれませんが、その一途さ、連帯感がたまらなく好きなのです。仲間だなって感じで。大桑のみなさんはヨーデルが盛んな韓国から、モンゴル、ついにはスイスまで行って演奏してきましたよ。スイスのホルン工房、大桑のホルン見て焦ってましたっけ。
大桑の人たち、そして自分を見ても思うんです。アルプス音楽をやってなかったらただの寂しいおやじだなって。それがヨーデルを通して各地につながりができ、海外にも友人ができました。ありがたいことです。アルト高山さんとのデュオは声が交差する珠玉のハーモニーだと勝手に思ってるし、バイオリン長谷川君の加入でウィーンのシュランメル音楽のような厚みが加わった。三人で言ってるんです。ノーブルでエレガントなヨーデルチロリアンを目指そうと。
NHK文化センターでヨーデル講座を持たせていただいてからかれこれ10年になります。若い人の民族音楽離れはスイスを除くドイツ・オーストリアでも顕著で、今大きな課題となっています。日本でも何とか若い人にヨーデルに興味を持って欲しい。そう思っていたところ、高校生、さらには小学生まで扉を叩いてくれましたよ。あなたもせんくらにお越しいただき、ヨーデルを聞いてみてくださいな。では10月にお会いしましょう。
昨日の私のブログ、ヤバイですね。閉鎖とか廃止とか暗すぎる!!。大体このブログはせんくらに来てくださいとみなさまにお願いをするためのお手紙であるはずなのに、昨日の文章の最後は乗鞍にお越しくださいになってしまった。「せんくらにお越しください」でしょうがあああ!。私がせんくらの担当者だったら、ボツですね。スタッフの方々、暖かく見守っていただきありがとうございます。てなわけで今日はどうして私がヨーデルなどという迷える道に踏み込んでしまったかのお話です。
私が最初にヨーデルを聞いたのは、歳がバレてしまうからあまり詳しくは言いたくないのだけれど、東京オリンピックの頃だったと思います。NHKみんなのうたで「美しのエメンタール」という曲を聞いたのが始まりです。体中に電撃が走りました。当時のみんなのうたは子どもが歌える外国の有名な曲を訳して紹介していました。もちろんヨーデルの部分は歌えませんでしたが、声がころころ変わるところにエクスタシー(古いか?)を感じてしまいました。当時はラジオを付けてもテレビをつけてもヨーデルが流れ、レジャーという言葉に浮かれるように山歩きが人気となり、大学ではワンダーフォーゲル部で山のうた、ヨーデルを歌っていましたよ。今の若い人は(これ自体がすでに老人)ヨーデルというと焼肉ヨーデルとかパチンコヨーデルとかいう人が多くなってしまったけれど、故郷を愛し、自然を愛し、人を愛するヨーデルを若い人にも広めたいのです。ハイ。オクトーバーフェストなどでヨーデルを歌っていると、若者が夢中になって聞いてくれるのですから。
迷える道をまだ完全説明してないうちに話が“近代”に飛ぶんだけれど、今から10年前、父の50回忌をやったんですが、その際、普段会わない父の妹、つまり叔母が「あなたのお父さんはヨーデルが大好きでよく沼の水もに向かって歌ってた」と語ってくれました。夭逝したために父の趣味はそれまで知らなかったのですが、私がヨーデルの道に踏み込んでいるのはつまるところ血なのでしょう。単に親が好きだったことを子どもがやってるってことでしょうねえ。
でも実のところ、ヨーデルはとても楽しい音楽なのです。裏声を自由に駆使するため音域がさらに上に1オクターブ以上広がります。曲調は底抜けに明るい長調ばかり、短調はありません。故に演歌に代表されるような恨みつらみとは無縁の音楽です。人生、かくありたいものです。そして、あなたも一緒にヨーデルを歌いませんか。
ヨーデルチロリアン 佐藤憲男
10年目の記念すべきせんくらに出演できること、嬉しく思います。この機会に、ヨーロッパのアルプス地方を中心に歌われているクラシック本場の地の民族音楽・ヨーデルを一人でも多くのみなさまに楽しんでいただきたいと願っております。
さて、何からお話しましょうか?アルプス地方では、雪解けとともに牧童たちがチーズを作るために牛を引き連れて山のアルム(牧草地)に登る頃からヨーデルの季節の始まりですが、私どもヨーデルチロリアンも、冬はほとんど屋内での演奏会のみで、屋外は5月ごろからの開始となります。てなわけで、今年も5月末行ってきました乗鞍高原&上高地演奏。長野県は日本アルプスと言うだけあってよく演奏依頼を受けるのですが、この時期が一番好きですね。山にはまだ雪があって、新緑はそんなに濃くなく、日本ってホントにきれいだな、と思います。
乗鞍高原演奏は開山祭で、別名すもも祭りというんだそうです。かつての牧場あとで、食べた李(すもも)の種から李の木がたくさん生えて来たんだとか。そこから見える乗鞍岳は実に美しい。この地は松本市に合併する前は安曇村と言って、40年以上前にスイス・グリンデルワルト村と姉妹都市を結んだ関係で、いわば日本のアルプス音楽のメッカでもあり、当時はかなりの登山客やアルプス音楽フリークで付近のペンションは賑わったそうです。冬はかの猪谷千春氏が監修した「いがやスキー場」も稼働しており、少し前はキムタク主演のラブジェネレーションの撮影地でもありました。
ところが日本一の高地を走る乗鞍のスカイラインが、環境を守ろうという住民たちの希望で岐阜県側に抜けられなくなった12年ほど前から客足が徐々に落ち、スキー場も閉鎖、今は住民の皆様も厳しい環境の中で観光客誘致に頑張っておられます。ここにある小中学校では授業でグリンデルワルトから贈られたアルプホルンを練習・演奏しているのですよ。
一方、山ひとつ越えた上高地は言わずと知れた日本有数の観光地。本場のアルプスに負けない風景が広がります。ここは乗鞍高原と違い定住住民はいないのですね。冬になると閉鎖となります。中国からも大勢の観光客が押し寄せており、今年は開山祭の前に外国人のツアー客ばかりを受け入れざるをえなかったようですよ。
近くにありながら状況が異なる両地域。アルプス音楽のメッカというプライドを持って頑張る乗鞍高原ペンションに拍手を送りたい。みなさまも上高地に行かれたら、乗鞍のペンションにも是非宿泊してみてください。アルプス音楽を愛し、かの地域をサポートする者からのあなたへのお願いです。
ヨーデルチロリアン 佐藤憲男