ブログ③

2015.09.21| 舘野泉
ハメーンリンナで 2015年8月

ハメーンリンナで 2015年8月

 

8月も末となればフィンランドはすっかり秋です。

白樺の葉は黄葉を始め、白夜の季節も終わりに近づいてきました。

24日にデュッセルドルフへの一週間の演奏旅行から中部フィンランドの別荘に戻り、過ぎ行く夏の日を惜しみながら一日一日と大事に過ごしています。

時々オーロラが見えるようにもなりました。

一日の終わりにサウナを暖めるのが大事な儀式です。
白樺の薪で二時間ほどかけて80度ぐらいにするのが妻のマリアには最適らしいのですが、私は90度ぐらいあったほうが、よく汗もかくし快適です。マリアはせいぜい20分ほど、私は間に何度も湖に飛び込みながら1時間ほど入っています。

八月のはじめには星野仙一監督がヘルシンキの我家を訪ねてくれるというサプライズもありました。

星野仙一監督と! サロンみどりにて。

星野仙一監督と! サロンみどりにて。

今回の仙クラでは10月2日に音楽劇「生月島の伝説」を初演するのが楽しみです。

既に名曲としての評価を得た<サムライ>の作曲者、光永浩一郎さんの作品です。

10月3日にはバッハーブラームスのシャコンヌ、スクリャービンの前奏曲と夜想曲、ブリッジの<3つのインプロヴィゼーション>など、左手作品名曲中の名曲を弾けるのですから嬉しいです。
加えて光永さんの<サムライ>と吉松隆さんの大河ドラマ<平清盛>を弾かせて貰えるのです。

おおいに楽しんで弾きたいと思います。

今年は5月にパスカル・ヴェロ指揮の仙台フィルとラヴェルの<左手のための協奏曲>を4回協演させていただくという幸運に浴しました。

来年11月に私は80歳になります。

その記念公演として、名誉館長を務める南相馬市民文化会館<夢はっと>でラヴェルほか4曲のピアノ協奏曲を演奏する計画があります。是非聴きにいらしてください!

(2015年8月27日 中部フィンランドの別荘にて)

 

舘野泉

ブログ②

2015.09.20| 舘野泉

今日はこれからデュッセルドルフに行く。ヘルシンキからは空路で2時間半。

東京—沖縄がだいたいこの位の距離ではないだろうか。

24日までの滞在でコンサートは2回。22日と23日に行なう。

アルゼンチンのパブロ・エスカンデのピアノ協奏曲、それに吉松隆のピアノ五重奏曲「優しき玩具たち」、cobaのチェロとピアノのための「TOKYO CABARET」、エストニアの作曲家シサスクのピアノ・ソロ作品、それにバッハーブラームスのシャコンヌというプログラムだ。

オーケストラと恊演するピアノ協奏曲、それに室内楽曲、ピアノ・ソロと盛りだくさんで、ピアノは全部私が受け持つ。
こういうコンサートも楽しいではないか。素敵なプログラムだと思う。

今年の仙クラでは私は二回演奏させていただくが、そのうち一回は朗読とピアノの音楽劇「生月島の伝説」だ。
作曲は熊本の人、光永浩一郎。

この人のピアノ曲「サムライ」をこの二年ほど日本の各地ではもとより、ベルリン、南フランス各地、それに北欧の国々で弾かせていただき、CDにも入れた。12月13日にはパリでのリサイタルでも演奏する。素晴らしい作品だ。

その「サムライ」に続く今回の作品「生月島の伝説」には大きな期待を寄せている。

1550年に長崎県平戸島にフランシスコ・ザビエルが渡来し、生月島にはガスパル・ヴィレラ神父によりキリスト教の布教が始まる。
領主はじめ島民の多くが信者となり、その勢いは島原・天草にも及んで、とどまるところを知らぬほどだったが、後に禁令が出され、信者たちは棄教を迫られることになり、その中のひとりであるダンジク様にも悲劇が襲いかかる。
その悲劇と浄化を朗読とピアノにより描いた「生月島の伝説」は10月2日の仙クラが初めての上演となる。

ご期待を頂きたい。

(2015年8月17日 ヘルシンキで)

 

舘野泉

ブログ①

2015.09.19| 舘野泉

8月も半ばを過ぎるとフィンランドでは秋風が吹く。

空は高く遠くなり、樹々の葉は色づきはじめる。

森の中で集めてきた夏の茸やブルーベリー、野苺なども終わりを告げ、湖水は日を追うごとに冷たくなっていく。

今日、白鳥が一羽、目の前の湖で翼を休めていた。シベリアへでも渡る途中だろうか。

子供の頃、仙台の五十人町で夜の闇を走り抜けていく蒸気機関車の汽笛に耳を澄ませていた。

まだ子供だった小父や小母達も同じ寝室で、泣くようなその音を聴いていた。その音が私たちを近くも孤独にもした。

昼間は小父たちと火鉢を囲んだり炬燵に入ったりして侍の本を読んだ。

荒木又右衛門のことをアラキ・マタウエモンと読んで、まだ小学校にもあがらない私は小父たちに笑われた。

青年になり成年になり、外国に飛び出して行き、青い目の娘と結婚し、ピアノを弾いて世界中を廻り、年をとり半身不随になり、お爺さんになったいまでも一年に何回かは仙台を訪れる。

いつまで経っても、新幹線の時代になっても、私には蒸気機関車の汽笛が聴こえている。

(2015年8月15日 ヘルシンキで)

 

舘野泉

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