ちょっと古いネタですが、「地下鉄って、いったいどうやって地面の下に入れるの?」というのがありました。
たしか、某漫才のコンビの十八番でしたね。
このネタを聞いたとき、本当にどこからどうやって入れるのかしら?と真剣に悩んだものですが、種も仕掛けもなく、普通に地上から入っていくようです。
その入り口がこちら。
上野駅の入谷改札を出て、駅構内の長い通路を歩いてエスカレーターを降りて外に出ます。そして昭和通りに出て、信号をわたってすぐのあたりに、「地下鉄を入れるところ」があります。おついでのときに、ご覧ください。何の変哲もない、踏切みたいな場所ですが、ここが有名な……。
そういえば、地下鉄はすべて、地下を走っているわけでもありませんものね。
わたくしが子ども時分からよく乗った丸の内線の茗荷谷、後楽園間とか、御茶ノ水付近なんかはお日様の光が拝めます。線路の切り替えをうまいこといろいろやれば、どの線へも、運び込めるのですね。
メトロの技術者さんたち、頭がいいな。すごい!!
萩谷由喜子
今、月刊『音楽の友』には、『指揮者の仕事場探訪』というレポート記事が連載されています。
その6月号は、チェリストでもある指揮者、鈴木秀美さんの巻でした。
鈴木さんの仕事場にお邪魔して貴重な資料類、楽譜類をふむふむと見せていただき、興味深いお話をうかがったわたくしは、そのとき、鈴木さんが「ハイドン」という、モーツァルトやベートーヴェンの大先輩として交響曲と弦楽四重奏曲の基盤を整備した立役者でありながら、今ひとつ、その後輩たちに人気の及ばない、ちょっぴり気の毒な大作曲家の偉業を現代に伝えることに、いかに命がけで取り組んでいらっしゃるか、ひしひしと実感しました。
そんなこともあって、鈴木さんがハイドン作品の演奏を主たる目的として主宰されている「オーケストラ・リベラ・クラシカ」のコンサートを心待ちにしていました。
今回の定期演奏会は6月15日の日曜日、午後3時から、近年の定期演奏会場である、植野学園石橋メモリアルホールで開催されました。
前半は、モーツァルトの交響曲ニ長調K.196+121、モーツァルトと同時代にベルギーで活躍したファン・マルデレの交響曲変ロ長調、作品4-3。なかなか、中身の濃い曲です。
そして後半は、まず、鈴木さんのソロで、ハイドンのチェロ協奏曲第2番ニ長調。
そのあとまた指揮者に早変わりして、交響曲第71番変ロ長調Hob.Ⅰ-71。八面六臂の大活躍です。さらにアンコールとして、現在では非常に珍しい、バリトンという当時の弦楽器にヴァイオリンとチェロが加わった「バリトン・トリオ」まで聴かせてくださいました。
バリトンの演奏は、鈴木さんの長年の親友であるライナーさん。さきほどまで、オーケストラのチェロを弾いていらしたのに、さっと楽器を持ち替え、世にも妙なる音色を披露。
鈴木さんもチェロで参加。まさに八面六臂の大活躍でした。
指揮者として、協奏曲ソリストとして、三重奏曲のメンバーとして存在感抜群の鈴木秀美さんとのツー・ショット。
バリトンを弾いてくださったライナーさんとのツー・ショット。
萩谷由喜子
小岩井のバター、チーズ、アイスクリーム、といえば、その名をきいただけで、ほっぺたが落ちそうですね……。
美味しい酪農製品の代名詞といってよい「小岩井」というのは、盛岡市の北西約12キロ、岩手山の南東山麓に広がる面積3,000ヘクタールの日本最大の民間総合農場、小岩井農場のこと。
そしてこの「小岩井」という農場名は、明治24(1891)年にこの農場ができたとき、3人の創業者、小野さん、岩崎さん、井上さんの苗字から1字ずつとって名づけられた造語?だったのです。
当初は苦労の連続でしたが、大正10(1921)年6月25日、盛岡・雫石間をつなぐ日本国有鉄道橋場線が開通し、農場の南6キロに小岩井駅が開業したことにより、肥料、飼料、農機具等の大量輸送が一気に可能となり、農作物の出荷の便もそれまでとは比べ物にならないほど向上しました。
駅が開設された翌年、大正11(1922)年の5月21日のことです。
まだ駅舎も新しいこの小岩井駅に、ひとりの青年教師が降り立ちました。
稗貫郡立稗貫農学校の教諭として代数、化学、英語、農業、土壌などを講じていた25歳の宮澤賢治です。
彼はすでに何度も小岩井農場を訪れたことがあってここの雄大な自然を愛し、個々で実践されている近代的大農法に大きな関心を寄せていました。
この日、賢治には目的がありました。
それは、小岩井農場を一日がかりで踏破しながら、その折々の実景と心象風景を、画家がスケッチブックに描きとるのと同じように、言葉を紡いでスケッチしていくことでした。賢治は小岩井駅から一路、小岩井農場をめざし、歩行のテンポのままに、実際に目にしたもの、それによって心に映じたものを口語詩の形に整えて、携行の手帳にどんどん書きつけていきました。たとえば、小岩井駅で自分が下車したようすはこんなふうに書かれています。
わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ
賢治の、はずむ気持ち、早く農場へ行きたいと心をせかすようすが伝わってきますね。
このようにしてできあがった口語詩は『小岩井農場』と名づけられて、大正13(1924)4月に自費出版した口語詩集、といっても賢治はそれを「詩集」とは名づけることなく「心象スケッチ」という彼独自のジャンル名をこの作品集に与えていますが、その心象スケッチ『春と修羅』に収載されました。
この心象スケッチ『春と修羅』こそ、賢治の最初にして、生涯2作のみ世に出た作品集のうちの1作で、そこには序と69編の口語詩が収載されています。
『小岩井農場』はそのうちの最長編であるばかりではなく、賢治の全詩作品のなかでも最長作です。なにしろ、全詩句は591行もあるのですから。
591行もある詩って、驚きですね。日本語で書かれた口語詩のなかでも最長作でしょう。
今年5月21日と22日、わたくしは昨年出版した著書『宮澤賢治の聴いたクラシック』の編集長の横山さんと、陰の編集長の辰野さん、装丁画を描いてくださった田原さんとともに小岩井農場をこの足で歩き、賢治の足跡をたどってきました。
賢治の降り立った当時のままの小岩井駅の駅舎、賢治が「本部の気取った建物」と描写した本部棟も往時のままで、よく耕されて黒々として耕地、緑美しい牧草地など、賢治が目にしたに違いない光景を満喫してきました。
歩き疲れたら、小岩井のソフトクリームでほっと一息。
賢治を思いきり偲ぶことのできた、胸躍る小岩井の旅でした。
そうそう、盛岡育ちのピアニスト、小山実稚恵さんもこの農場がお気に入り。
小学生のときの遠足もこの小岩井農場だったそうです。
賢治ファンの方も、小山さんファンの方も、アイスクリーム大好きな方も、自然の中でのーーんびりしたい方も、一度、小岩井農場へいらしてみませんか。
萩谷由喜子