仙台市民交響楽団が初めてせんくらに出演させていただいてから5年。
自分自身も5つ歳を重ね、いろいろと思うところがありますが…それはひとまず置いておきます。
この5年の間、様々な事がありました。
その中でも一番の出来事は、やはり東日本大震災です。
当時は我々も音楽を出来る状況では無く、予定していた定期演奏会も中止を余儀なくされました。
ようやく楽器に触れる事が出来た時のあの気持ちは、一生忘れる事は無いと思います。
その反面、私達団員の生活が日常に戻りつつあっても、まだまだ不自由な生活をなさっている方々が大勢いらっしゃる中、音楽なんてやっていていいのだろうか?という思いもありました。
それでも、毎日の報道や情報番組で観た、ジャンルを問わない「音」や「声」によってもたらされた被災地のみなさんの笑顔や涙…。
この時ほど音楽の力を感じた事はありません。
アマチュアのオーケストラの私達に出来る事は、やはり音楽であると確信しました。
あれから2年と数ヶ月。
演奏が出来る事に感謝し、もちろん楽しむ事も忘れていません!!
今年のせんくらに出演出来る事は最高の楽しみです。
今回は大曲に挑みますが、初共演となる宮本先生と共に、心を込めて演奏します。
今現在の市民響はと言うと、6月の定期演奏会が終わり、一息つく間も無く練習に励んでいます。
いつもは演奏会の後にある【お疲れ休み】が今回は無し。
個人的には、だら~んとせず良かったと思っていますが、平均年齢が若干上がってきた我ら。
これからやってくる夏に不安が無いと言ったら……相当ありです。
(ヴァイオリン 鈴木)
はじめまして!仙台市民交響楽団でコンサートマスターを務めさせていただいております、ヴァイオリンパートの庭野と申します。
今回指定されたブログのお題はズバリ、チャイコフスキーの『交響曲第6番《悲愴》』。
言わずと知れた超名曲であり、このようなお題を与えられたことがすでに悲愴・・・。
せめて「ついに解明!衝撃のチャイコフスキー陰謀死説の真相とは!?」などとしてくれれば、まだあれこれ思うままに書きようがあったというものです。
ところで、チャイコフスキーと聞いてまず思い浮かぶのが、あの眉間にしわを寄せて下から睨みつけるようなコワモテの老人像でしょう。
もしくは左手で頭を抱えるようなポーズを撮った横顔の写真。
常に「憂い」がまとわりつくような印象は、人々の作品に対するイメージにも影響を及ぼし、特に『交響曲第6番《悲愴》』ともなると、誰もがチャイコフスキーの「暗い情熱」に導かれざるを得ないようです。
試しにCDショップの《悲愴》コーナーを覗いてみてください。
ジャケット写真からすでにただならぬ空気が漂っており、指揮者の苦悶の表情は、作品の行く末をありありと示しているようではありませんか。
(この曲に限っては、副題によるところが多分にありますが。)
そんな中、ふと私の目を引いたのは、ヤニック・ネゼ=セガンの指揮によるCD。
昨今の音楽界をけん引する旗頭として台頭中の若手指揮者ですが、そのジャケットがちょっと「変」なのです。
ブルゾン風の上着に黒いVネックシャツ、そしてジーンズ姿の若者(指揮者本人)が、腕組みをしながら自信たっぷりのドヤ顔でこちらに笑いかける。
ちょっと待って、交響曲第5番なら分かるけど、《悲愴》でそんなグイグイ系はちょっと・・・。
しかし、面喰いつつも、私はこのネゼ=セガンの姿勢が、《悲愴》交響曲の本質を突いていると感じたのです。
クラシック・ファンなら一度は手に取ったことがある、全音楽譜出版社のミニチュア・スコアの解説のなかで、著者は、《悲愴》交響曲を「レクイエム」と評する論調を批判しており、「もっと深く死と生の一般化された体験といったものを描いている」と述べています。
また、件の指揮者、ネゼ=セガンも、CDの解説文のなかでは、この曲を安直に死と結びつけることを良しとはしていません。
もちろん、この曲がチャイコフスキーの死の直前、それもロシア革命につながる激動の19世紀末に書かれたことや、彼の陰のある性格のことを考えると、不穏なドラマ性を作品に求めることは決して間違いではないでしょう。
しかし、これらは単にチャイコフスキー自身の絶望を音にしたものなのでしょうか。
優美な第2楽章、心躍る第3楽章を聴いて、「これが本当に《悲愴》?」と頭を抱えた経験がおありの方も多いはずです。
生きる喜び、人を愛すること、痛み、悲しみ。
チャイコフスキー自身もこの曲の標題を「謎」と表現しているように、演奏者も聴衆も作品の向かう先に答えを見いだすことはできないのです。
しかし、演奏者が頭を抱えていては話になりません。
楽譜を見ながら自問自答を続け、なんとか解釈の着地点を見つける必要があります。
やはり死の痛ましさにむせび泣くことになったとしても、チャイコフスキーの投げかけた「人生とは?」という難問に対し、いかに内容たっぷりで説得力のある解答案を示すことができるか。
私はネゼ=セガンのCDを眺めながら、この捉えどころのない物語に対し、悲哀に安寧することなく、あえて自信に満ちた立ち姿を見せる指揮者に驚嘆しつつも、自分たちの演奏により、お客様にどれだけ豊かで千差万別な感動をお伝えすることができるか、今から不安と期待でいてもたってもいられないのです。
・・・以上、とあるアマチュア音楽家の雑感、ご精読ありがとうございましたm(__)m
世界的な元オーボエ奏者にして、今や東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の音楽監督を務める魂のマエストロ、宮本文昭先生のタクトのもと、いつも以上の力を発揮する(はずの)仙台市民交響楽団。
ぜひお楽しみに☆
(ヴァイオリン 庭野)
初めましての方もお久しぶりな方も、こんにちは、仙台市民交響楽団です。
今日から3日間続くブログのトップバッターは、パーカッションの加藤が務めさせていただきます!!
仙台クラシックフェスティバルには2008年の出演以来、5年ぶり2度目の出演となりました。
初出演の際にもご紹介させて頂きましたが、改めて、仙台市民交響楽団(通称:市民響)について簡単にご説明させて頂きます。
市民響は1969年(昭和44年)、在仙の中学生、高校生を中心に仙台ユース・シンフォニー・オーケストラとして発足しました。1990年(平成2年)に現在の「仙台市民交響楽団」に名称を変更して現在に至ります。
仙台フィルハーモニー管弦楽団の先生方をトレーナーとしてお迎えするほか、各方面から著名な客演指揮者をお迎えして開催する年2回の定期演奏会は、今年の11月でなんと第69回目を数えます。
来年6月には第70回の開催となり、100の大台も見えてきた!?というところ。
年2回、という演奏会の開催ペースはアマチュアのオーケストラとしては多い方なのではないかという印象なのですが、市民響はこのほかにも在仙合唱団との共演や団内発表会などなど、日々精力的に活動しています。
そんな忙しい日々を送る市民響の団員ですが、2013年6月現在でその数は56名。
若さ溢れる学生さんから人生の酸いも甘いも噛み締めた団員歴〇十年の大ベテランまで、多種多様十人十色なメンバーが集まっています。
一見ばらばらに見える団員達ですが、一度ステージに上がればその集中力と団結力は感服モノ……のはず!?
宮本文昭先生指揮のもと、魂の籠った「悲愴」、お届けします!どうぞお楽しみに♪
(パーカッション 加藤)