ピアニストはソロで演奏するときは普段「暗譜」(譜面を見ないで覚えて)で演奏する。
では、何故暗譜出来るのかはわからない。
むしろ本番で演奏している時もなぜ自分が暗譜で演奏できているのかも不思議に思える瞬間も多々ある。
普段使っている言語は文字になっていてそれを「セリフ」として覚えて話すのは何故か納得いくのだが、暗譜は白黒の鍵盤の上を指がかなり複雑な動きをしていて、それもいちいち鍵盤を打つのに「ド」「レ」とか言語化していたら間に合わない。
おまけに一遍に6個の音を出すことなどざらで、多いときは一遍に12個の音を10本の指で押さえることもある。
その時に「ド」と「ミ」と「ソ」と・・・などと考えていたら演奏などできない。
では、ピアニストは何故暗譜出来るのであろう。
あるピアノ教師の書いた本で、譜面を頭に完全に入れて(覚えて)どのように指が動いてどのようなタッチで演奏するか完璧にイメージできるまでにピアノには触ってはならず、それが出来たときにピアノに触れば完璧な演奏になる・・・
と豪語している教則本があるそうだ。
その噂を聴いて大学生の時に本当にラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を一切ピアノに触らず、うんうんうなりながら譜面を見て、指の動きをイメージしてやっとピアノに触ったことがあった。
その時はたしかに最初に触った時にうまく弾けたと思ったが、それは音が少なくゆっくりした曲という事もあって可能だったと思う。
これがラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の様な複雑な曲であれば不可能であろう。
ただここでの真実は、「暗譜」をするプロセスというのは様々なものが組み合わさっており、まずは何回も曲を弾いているとその曲の指の動きを体が覚えて、その通り動かしてみたらなんとなく譜面を見なくても譜面通りの音が出たというあたりから、外堀を固めて、何か足りない音、頭に残っている音を探ってみてそれを演奏してみたら合っていたという事が加味されてきて、視覚的に楽譜の残像が残っていて、それも頼りに演奏したらそれが合っていて・・・という触覚、聴覚、視覚の様々な集合体が「暗譜」を形成し、それが完璧にイメージできていれば演奏が成り立つ・・・というのは経験論で確かである。
少なくとも私の場合はそうである。
言葉ではない何か霞をつかむような「暗譜」の作業。
これもいつも以上の三つがお互い助け合って成り立っているように思う。
触覚で非常に不安になった時に頭に鳴った音を探ったり、音が頭で鳴らなくなり、視覚的にもどの音か浮かばないときに、一か八かで触覚に頼ったらしっかり演奏するべき音に指が降りているという事があったり、お互い様なのだ・・・
よく地方に演奏に行くときに練習場所が取れないことがある。
(ピアニストはピアノがないと練習できない・・・)
そういう時は目をつぶって曲の最初から最後まで音を思い浮かべ、譜面を視覚的に瞼の裏に描き、どんな指の動きか強くイメージして「練習」することがある。
勿論そこにはピアノはなく、場合によっては横になって寝ながら行う時もある。
ただこれが非常に効くのである。いざという時のために冷静に曲の演奏に関して頭で全てを整理するという事は非常に大事である。
熱くなってピアノを練習しているときは当然ノッテイルので、緊張した時の危機的状況など考えもしないし、いざはたと頭が真っ白になった時のことなど考えない。
しかしこのイメージトレーニングがいざという時のためのトレーニングなのだ。
ピアニストは楽器を持って歩くことがなく、いきなり会場に行って初めてのピアノに触れ数時間後には沢山のお客の前で、ソロの場合正味1時間以上のプログラムを披露しなくてはならないのだ。
そのためにも様々な方法で常日頃から特訓しておかなくてはならない・・・
中川賢一(ピアノ)
私の名前は中川賢一である。読み方は「ナカガワケンイチ」だ。
しかしながら色々なことが起こる。
まず漢字の間違い。
「ケンイチ」なので「中川健一」「中川憲一」などで手紙が来ることはもちろんよくあることだが、どう間違うのかよく来るのが「中川覧一」だ。
「賢」の上左半分は同じだが、どうして右半分が「又」ではなくなってしまうのだろう。
下半分の「貝」が似た感じの「見」になるのも興味深い。
しかしながらかなりの頻度でこれが起こる。
某有名大学からの手紙。
私の名前をしっかり「ナカガワケンイチ」と呼んで頂いている方なのに感じは「覧一」様々な学校の訪問演奏に行っても黒板に先生が書いた私の名前が「覧一」になっていることも多い。
「ランイチ」君という名前はいまだあったことがない。
世の中いるのだろうか???
どのような意味で?様々な人の心を見る、観覧する能力を持ってほしいからそういう名前を付けるのだろうか???
しかし、「ランイチ」はまだ序の口で凄いのが。
「腎一」
「ジンイチ」???
「賢」のした半分の「貝」がどういうわけか変化して「月」に・・・
どうしたら親が子供に「腎一」とつけるのだろうか?
「腎臓の強い子供に育って欲しい」とか???
さぞ健康を気にする親だろうか?
しかし、事件は小学校の時に起きた。
私はピアノが弾けたので中学生の時に、とある合唱コンクールでとある地方放送局のスタジオで自分の出番を待っていた。
とうとう自分の出番がやってきた。
会場に合唱団は並び、私はピアノ椅子に座って指揮者が構えるばかりになった。
アナウンサー:「次の演奏は○○中学校、指揮は○○先生、
ピアノは中川ジンイチさんです!!」
次の瞬間指揮者がタクトをおろし私は演奏を始めた・・・
真面目に演奏しようとするのだが頭の中では「ジンイチ、ジンイチ、ジンイチ・・・」と雑念の聞こえてはいけない声ばかりが廻っていた。
有名アナウンサーでも読み間違えるのだ・・・
「賢一」を「ジンイチ」と・・・
まさか振り仮名が「ジンイチ」とはなっているはずもないだろう。
海外では私の綴りが「KENICHI」なので、よく「ケニチ」と言われる。
私をよく知っている人のみが「ケンイチ」と発音してくれる。
これはあまり気にならない。
ベルギーに住んでいた時は様々な手紙が来ましたが、日本人が少ないので、多少のスペルミスでも日本人らしいからと、私の所へしっかり手紙が届く。
「KENICHI」を多少間違えて「KENICHE」はよくあった。
「ケニチェ」・・・かわいいです。
「NAKAGAWA」の「K」が「D」になって「NAKADAWA 」
「ナカダワ」さん。これもよくあり平気です。
漢字にした時どうなるのだろう?「中田和」「仲田波」???
「N」が「M」になり「MAKAGAWA」「マカガワ」。
K.NAKAGAWAなのでNがぬけて「KAKAGAWA」「カカガワ」。
良くあった。
変化球で上記の混合型で「MAKADAWA」「マカダワ」もあった。
でも、一回あったのが「K.NAKAGAWA」の「N」が抜けて、「W」と「A」の間になぜか「S」が入ってしまい、何故か「K.KAKAGAWSA」
で手紙が着いたときは凄かった。
「K.カカガウサ」???
どこの人だろう。
謎のポーランド人かアフリカ人あたりだろうか???
でもよく届いた・・・
ベルギーの郵便屋さんはえらいです・・・
届けてくれてありがとうございました・・・
中川賢一(ピアノ)
みなさんこんにちは。ピアニストの中川賢一です。
本日から3日間せんくらブログを担当させて頂きます。
よろしくお願い致します。
さて今日は、共演者でいつも凄いと思うコンサートマスター、その中でも私が凄いな・・・と思うお二人の話をしたいと思います。
まず最初は仙台フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターの神谷未穂さんです。
彼女もご主人のエマニュエル・ジラールさんも非常に大切な友人であり、何よりもお二人は私が尊敬する素晴らしい音楽家です。
こう書くと本人に怒られるかもしれませんが、神谷さんはスーパー美人にも関わらず「旦那はエマニュエル、だから私は
エマニュエル夫人、ガッハッハー!」と笑い飛ばす、とんでもなく凄い方です。
さて、2011年3月11日私は東日本大震災を仙台の実家で遭遇しました。
その日は実家にいるのは危険と判断し、避難所で過ごした私は次の日に神谷夫婦に連絡。
中「まさか仙台にいないよね?」
神「いまエマ(旦那)と県庁でニュース見てる。家に食べ物もあるよ、来ない?」
というなかなかポジティヴな返事。
なんと震災二日目なのにバスが動いていた・・・
飛び乗って県庁へ。
しっかりと私の分の菓子パンもゲットしてくれた神谷夫婦とハグ。
生きててよかったね・・・と。
何と青年文化センターで仙台フィルのリハーサル中だったそうな。
シャンデリアが落ちてきたら確かに命はなかったかもしれない。
あまり時間を置かずして、県庁のあるところで大人同士が喧嘩を始めた。
どうやら携帯電話の充電に関してらしい。
A「なんでお前は一人でこんなに長く充電してるんだ!」
B「だって俺が先に始めたんだからかまわないだろう!」
A「なんで一人ばっかりそんな長いんだ?」
B「フル充電したいんだから1時間半かかるんだ!文句言うな!」
A「みんな待っているぞ! 一人だけ長くするな!」
(以下同様な会話エンドレス)
この会話に、火中の栗を拾いに行くように何故か神谷さんが
「あっ、すみません。もしよろしければ私が時間を書いて皆さんで充電するようにしましょうかぁ??」
唐突に猛進。
しかしながら、争っていた二人の男どもは、おとなしく服従。
凄い。凄い!凄い!!
これが、コンサートマスターという者か!!!
有無を言わせない。
結局彼女を中心として数人お手伝いも含め、11時から18時半まで県庁でタコ足に様々な充電器を付け、にわか充電屋さんに。
(そんなのあるのかわかりませんが)ゴザ代わりの段ボール紙に時間を細かく書いては
「Aさん充電終了です!いらっしゃいますか??」
「B社の充電器使用者が帰られるので、他の方B社の充電器お持ちの方しばらく貸していただける方いらっしゃいませんか?」
などどいう事を叫んでいました。
到底彼女のことを、かの仙台フィルのコンサートマスターと思った人はいないだろうと思います。
実際「県庁の方ですか?」と声かけられたりしたので、県庁職員と間違えられたのかもしれません。
あまりの傑作美談なのでアップさせて頂きました。
神谷さんと旦那様のエマとは、地震直後も一緒に他の演奏家の仲間たちと助け合い、最初の慰問演奏もしました。
これからも宜しく!
この時にやはり自分で思ったことは、非常事態でも人のために何かすることをする温かい心を持ちたい、また、逆にコンサートマスターというのは有無を言わせず人がついてくるようなカリスマの様な凄い力を持っている人がなるのだな・・・
と改めて納得しました。
さて、宣伝ですが5月31日19時より第一回仙台国際音楽コンクールヴァイオリン部門第一位であり、フランス国立放送
フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターのスヴェトリン・ルセフさんを交えての室内楽のコンサートがイズミティ21小ホールであります。
http://www.simc.jp/news/activity/concert/130531/index.html
神谷未穂さん、旦那のエマニュエル・ジラールさんも出演いたします。もしよろしければ皆さんお出でくださいませ!
次はそのルセフさんの話。
もう10年以上前になりますが、スヴェトリンさんが第一位になったコンクールの次の年、彼が「仙台の方と一緒に室内楽のコンサートをしたい」という言葉がきっかけとなり、それからほぼ毎年彼と何か共演させて頂いております。
彼と長野のとあるところに演奏に行った時の事。
その日は長野のある駅について(確か下諏訪だったような気がする)帰りの時間を確認するために、彼のマネジャーと一緒に切符を出してざっと確認した。
仮に次の日の11時発だと仮定しよう(記憶が定かではないので)。
それをなんとなく横目で見ていたスヴェトリン、突然
「切符見せて」
というではないか。
彼はもちろん日本語を読むことはできない。
なんとなく不思議な気持ちになっている我々がしぶしぶ切符を彼に見せて、また仕舞おうとすると再度
「切符見せて」
という。
?????
あまりの不思議さに再度切符を確認すると、その切符は次の日ではなくその次の日、つまり二日後の同じ時間11時の切符であった!!!
つまり彼は一瞬にして日本語はわからなくとも、算用数字の連続をちらっと見ただけで、一日間違った電車のチケットだという事に気づいて、それも我々を傷つけないように、我々で間違いを確認させるということをしてくれていたのだ!
我々は、すぐにチケットを駅で変更し(もしホテルや演奏会場に行っていたら駅まで戻る手間、時間がかかる)次の日に、日付違いのチケットを買ってしまったという事に対して恥もかかせず、マネジャーのメンツも保てた、めでたしめでたし・・・
というわけである。
このような超人的なものすごい能力を持っている方だからこそ、あれだけの人数を纏めることが出来るコンサートマスターになれるのですね!
さて、取り留めのないブログになりましたが、これからも仙台と素晴らしい仲間を愛し、一人でも幸せに出来るような音楽をしていきたいと思います。
せんくらのコンサートは皆さんがほっこり出来るようなほんわかした楽しい音楽会にしたいと思います・・・
では、皆さん演奏会でお待ちしております!
中川賢一(ピアノ)