修行時代に先生に言われた印象的な言葉【7】 

2012.08.09| 青柳晋

「否定する事から文化が生まれる」(クラウス・ヘルヴィッヒ先生)

日常会話の中で、相手の発言を遮って反論する。
すると相手はさらに違う角度から意見を述べて切り返し、議論がだんだんと白熱していく。
こんな光景は、テレビの討論番組では良く見られる光景ですが、普段、仕事の現場や仲間内でいちいち相手の言う事につっかかっていたら、商談は進みませんし、そもそも会話に和やかな雰囲気というものが無くなり、やがては社会的に不利益な立場に陥っていく事でしょう。
しかし、こう考えるのは「いかにも日本人的な感覚だ」とヘルヴィッヒ先生は指摘します。

ベートーヴェンの作品110のソナタのレッスンを受けている時に先生はこうおっしゃいました。
「第1楽章と2楽章のキャラクターをこれほど変えたのは何故だと思う?それは全く違うものをぶつける事によって、新しい力を生み出す為だよ。貴方(先生はいつも敬語です)の2楽章には、1楽章を否定するだけ反抗精神が足りず、私には日本的(つまり過分に社交的)に聴こえます。」

天国的な世界を1楽章で描写した後、2楽章で怒りにも似たエネルギーをもって「前言」を根こそぎ撤回・否定してこそ、絶望的なアリオーゾが生かされ、ひいてはフーガという、より確信に満ちた答えと、爆発的な喜びに満ちたフィナーレが 導き出されるのだと先生は説明して下さいました。
確かに、あの有名な「第九」も、主題の循環形式を取りつつも終楽章において先の3つの楽章のテーマを、ご丁寧に歌詞(“その音ではない!”)まで付けて全否定した結果、歓喜の歌のテーマが生まれるという形を取っています。
つまり第九とは、提示しておいた古い考えを訂正してこそ、喜びのエネルギーがより強力なものになる、という考えに基づいて構成された曲なのです。

長いドイツ生活において、コミュニケーションを否定から生み出す、という気質に私は 100%順応する事はできませんでしたが(完全帰国の理由は、私は自分が典型的な日本人だと悟ったからだと考えています)、ベートーヴェンの音楽やドイツという国を想う時、いつも先生の言葉を思い出します。
音楽的なご指摘ではなく、文化の違いについてまで考えさせて下さった先生に感謝しながら、次回ベートーヴェンを音にする時には、私のDNAに欠落している 「強力な反骨精神」を呼び覚まして取りかかる事にしましょう。

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一週間、硬めな文章にお付き合いいただき有り難うございました!
仙台で皆様にお目にかかれるのを楽しみにしています。
青柳 晋(ピアノ)

修行時代に先生に言われた印象的な言葉【6】 

2012.08.08| 青柳晋

「勇気を持って!」(リリー・クラウス先生)

まだ小学生だった私は、父がアメリカに赴任していたこともあって、畏れ多くもクラウス先生の晩年時にレッスンを数回受けさせて頂く機会に恵まれました。
初めてのレッスンに伺ったのが小学校3年生で、最後は中学2年生でした。
この時には既に一家で日本に帰国していたので、中学生の時のレッスンは日本から受けにいきました。

バッハやモーツァルトのコンチェルトのレッスンがメインでしたが、私が大きくなるにつれて先生のレッスンもだんだんと厳しく、情熱的になっていった事を覚えています。
最後のレッスンではモーツァルトの「戴冠式」を持っていきましたが、その時に最も印象的だったお言葉は、「もっと勇気を持って表現しなさい!」というアドヴァイスでした。
「リスクを恐れていては、良い演奏は出来ない。この場合のリスクとは、ミスの事だけではありません。人にどう思われているのか、自分の表現が受け入れられないのではないか、という恐れです。演奏家は、本番前日までは自己嫌悪の塊でありなさい。でもいざ本番となったら瑣末事から自分を解放し、より深く、手が届かない程に高く、遠い所に音を放つようにすれば自然に人の心に響きますよ。」

先生のお言葉の趣旨もですが、なんとかご意志を私に伝えようとするその情熱的な口調も感動的で、それは子供心にも「先生にアドヴァイスを受けている今、これは自分の人生でとても大事な局面なんだ」というオーラを感じさせずにはいられないものがありました。
そんな圧倒的な存在感を巨匠と、少しでも交流を持たせていただいた事をとても光栄に思います。

ちなみに先生はモーツァルトの弾き手としてご高名ですが、ショパンのバラード1番を見ていただいた時に、お手本として弾いて下さった演奏が忘れられません。
出だしの、テーマへの導入の部分が、一つの大きなため息のように聴こえたのです。
青柳晋(ピアノ)

修行時代に先生に言われた印象的な言葉【5】

2012.08.07| 青柳晋

「オケはレヴェルが高ければ高いほど、ピアノが埋もれて聴こえなくなる」 (園田高弘先生)

このお言葉は、ラフマニノフのコンチェルトの3番のレッスン中、先生がこの曲にまつわるエピソードの一つとして語られたものです。

ピアノ・ソロのユニゾンによるテーマの後、弦楽器にテーマを受け渡してアルペジオで伴奏する箇所で、先生ご自身がドイツの名門オーケストラと共演された時、弦楽器の響きが重厚過ぎて16分音符がもぐって聴こえなくなってしまい、困られたそうです。
オケの質が高い程、演奏が困難になるという先生のお話が面白くて、笑ってしまいましたが、確かにコンチェルトの演奏の最も重要なポイントとして、ソリストの音色が際立って客席の隅々にまで届かなくてはならない、という事があります。

この時のレッスンでは、メロディーをより遠くに飛ばすためにはただ腕力でガムシャラに弾くのではなく、ペタリングや、バスも含めた左手の鳴らし方で倍音を引き出し、音の輝きを増すように工夫する方法を教えていただきました。
現在も貴重なコンチェルト奏法の一つとして、演奏時に心掛けている事です。
青柳晋(ピアノ)

修行時代に先生に言われた印象的な言葉【4】 

2012.08.06| 青柳晋

「リストは無邪気でかわいい人だと思う」(パスカル・ドヴァイヨン先生)

“B-A-C-Hの主題による幻想曲とフーガ” でレッスンを受けている時、先生はふとそうおっしゃいました。
歴史に残る楽聖・リストがどう「カワイイ」というのでしょうか。
先生の言葉は当時20代だった私にとって、直ぐにピンと来るものではありませんでした。

「ヴィルトゥオーゾ、社交界の名士、教育者、宗教家。リストの音楽を聴いていると、 彼はいくつもの顔を持っており、そのひとつひとつを懸命にこなしている様子が伝わって来る。宗教的な曲では、純真で明快な陶酔感が僕には微笑ましく感じられるんだよ。そんなリストの音楽を、包容力を持って弾きなさい。」

40代になり、モーツァルトやシューベルト、ショパンといった天才たちの生涯よりも自分の音楽人生が(勿論、凡才としてですが)ずっと長いものになりそうだと実感した時、先生が仰った「包容力」という言葉の持つニュアンスが少し理解出来るような気がしたのです。
我々は、若くして夭逝した天才たちの年齢をあっという間に越えてしまいます。
60歳になった時に、31歳で亡くなったシューベルトの音楽にどう接するべきなのか。
かつては憧憬の念を持って仰ぎ見た音楽を、「大人」になってからは包み込むように演奏する。
社交界の寵児だった青年ショパン、若くして死と対峙したシューベルト、様々なアイデンティティをさすらい求めたリストの心の声に、愛で慈しむような気持ちで取り組む事が、演奏家の最終的なひとつの理想形なのではないでしょうか。
青柳晋(ピアノ)

修行時代に先生に言われた印象的な言葉【3】 

2012.08.05| 青柳晋

「明日から音楽をやめますと言ったら、何人の人が悲しみますか?」 (クラウス・ヘルヴィッヒ先生)

そう問いただされた時私は、音楽人生で最大のスランプを迎えていました。
レッスンやコンサートを控えているのにピアノの蓋を開けただけで吐き気がするので、先生に電話をして、正直に「ピアノを弾きたくなくなった」と相談しました。

先生はそんな私をご自宅に招いて下さり、食事の席でこの質問を投げ掛けられたのです。
考えてみると、今までに大金を投じて育ててくれた両親と、子供の頃からかわいがって下さった先生方のほかに「青柳」がピアノをやめて本気で悲しがる人は確かにいません。
つまり先生が言いたかったのは、こういう事です。
「音楽はあなた無しでも悠然と存在する。 あなたは音楽無しで悠然と存在できますか?」
興行的な成功や認知度を差し置いても、本気で音楽を欲してさえすれば満ち足りているのが音楽家の筈なのです。

今でも心に残る貴重な言葉です。
青柳晋(ピアノ)

修行時代に先生に言われた印象的な言葉【2】 

2012.08.04| 青柳晋

「キャリアを築く為には戦わないといけない」(パスカル・ドヴァイヨン先生)

ベルリン留学時代。
スペインのハエンコンクールで賞に入ったことをレッスンで報告するとドヴァイヨン先生は開口一番、「それで、その後どうしたの?」と私に質問しました。

その後?と聞かれても咄嗟に答えが出ません。
ミラノに寄って、美味しいものを食べてベルリンに戻っただけだったので、「何もしません、ミラノで遊んで帰ってきました。」と答えたら先生は「ススムは子供だねぇ。」とため息まじりに呆れられました。

受賞した事を、少なくともスペインのすべてのオーケストラと思いつく限りのエージェントに、なぜ売り込んで帰って来ないんだ、(笑いながらですが)とこの時先生に怒られたのです。
「ピアニストなんていくらでもいるんだから、少しでも自分を売り込まないと。練習は自分のすべてのエネルギーの3分の2、あとの3分の1は電話をしたり、今後の事を考える時間に当てないといけないよ。これは戦いなんだからね。」
先生が、普段音楽の事ばかりをレッスンで注意し、本来はもっとキャリア作りのアドヴァイスをしなければならない・・と、自分に言い聞かせるようにおっしゃっていたのが印象的でした。

プレトニョフが優勝した年にチャイコフスキーコンクールで2位に入賞したり、数々の名録音を残した輝かしいキャリアの持ち主である先生からくると、この言葉はとても重いものに感じられました。
良い演奏を心掛けながら常に自分の立ち位置をアピールし続けて行く事が、音楽家として生き残っていく大事なファクターの一つなのでしょう。

帰宅後、録音、経歴、新聞の批評記事のコピーをスペイン10数カ所のオーケストラと事務所に郵送しましたが「親切な事務所は書類を送り返してくれた」だけで、受賞コンサート以外は何も起こりませんでした。

私のstruggling daysは決して短いものではありませんでしたが、この経験は今の私の弟や妹たちに面白い話をして聞かせる「養分」には充分なったと考えています。
青柳 晋(ピアノ)

修行時代に先生に言われた印象的な言葉【1】 

2012.08.03| 青柳晋

初めまして。
8月3日から9日までこちらのブログに初めてお邪魔する、ピアノの青柳晋です。

リレー形式での一週間ブログを認めるにあたり、何について書こうかと相当迷いましたが、この期間を使って、以下のようなテーマで書き進めることにしました。
それは、「修行時代に先生に言われた印象的な言葉」。
先生から受けるご指導の言葉は、その場で完全に理解出来るものでは到底なく、何年も経ってから、様々な体験を通して心の中に浸透してくるものだと思います。
私が今まで師事した先生方からいただいたアドヴァイスの中で、特に印象に残っているものを毎日ひとつずつ、当時のエピソードを交えながらこのブログに載せていきます。

【修行時代に先生に言われた印象的な言葉・1】
「ルービンシュタインは楽曲の為に存在しようとし、ホロヴィッツは楽曲を自己表現の手段とした」(クラウス・ヘルヴィッヒ先生)

 

ルービンシュタインが弾くショパンのマズルカに耳を傾けていると、恰も音が演奏の瞬間に新しく紡ぎだされているのかと思うほど自然に音楽が流れていくのを感じます。一切の無駄な緊張や余計な表現を省いて、曲に溶け込もうとする意思の現れではないでしょうか。
ルービンシュタインは曲を通じて大仰な自己主張を試みたのではなく、音楽といかに無理なく、自然に一体になるか、ということを突き詰めていった偉大な音楽家だと思います。
一方、ホロヴィッツの弾くスクリアビンの小品や、バッハ=ブゾーニのコラールを、それぞれの曲を創った3人の作曲家たちが聞いたらどう思うでしょうか?
残念ながらその「実験」を試みる事は不可能ですが、きっと彼らはホロヴィッツが自分たちの想像を超えた、楽曲に眠っている新しい魅力を引き出した事に感嘆するのではないかと思います。

ホロヴィッツの音色には「この世のものとは思えない」魔力があって、それは時には深いため息であったり、厭世感であったり、儚い夢であったりして、人の心をとろけさせてしまいます。
曲を取り込んで自分にしか出せない魅力を解き放つ、デモーニッシュな音楽家ですね。

ヘルヴィッヒ先生は、どちらがどうかという事ではなく、「私は前者が好きだが、あなたはどちらを志すのか?」という事を私に問いただしたかったのだと思います。
音楽と作曲家の意図に誠実な先生は、ルービンシュタインとリヒテル、ケンプを崇拝していらっしゃいました。
私は、恐れ多い事ですが、ホロヴィッツの出す音の一つに、少しでも近づけたら本望です。

(リヒテルの平均率とケンプのシューマンも大好きですよ!)
青柳晋(ピアノ)

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