仙台に伺えるまであと2週間ちょっとです。
今年の「せんくら」が実現するまで、実際には大きな紆余曲折があったそうですが、裏側の方たちのご苦労はきっと計り知れないことだったろうと思います。
仙台駅の周りなど、震災直後の傷跡が信じられないくらい“復興”しているそうですが、本当の意味での復興は目に見える場所だけの問題ではないでしょう。
今回の「せんくら」では小川典子さんとご一緒ですが、彼女が5月4日の「赤旗」に“心をひとつにする”ということについてエッセイを書かれていました。
(インターネットで可能な方はぜひお読みください。)
3月11日に起きた震災に、その月の30日にはロンドンでチャリティのコンサートを開かれ、なんと1回のリサイタルで300万円近い寄付金が集まったそうです。
彼女は今回もし「せんくら」が実現しなくても、絶対に何とかして、電子ピアノを運び込む以外方法がなくても、被災地で演奏をしたいと燃えていました。
私も同じ思いでいましたので、このチャンスを下さった「せんくら」の方たちに心からお礼を申し上げたく思います。
私の住むウィーンでもどこでも、まだ世界中でフクシマと地震、津波の名前が出ない日はありません。
残念ながらどうしてもマイナスな部分が大きい報道なので、いまだに外国からの公演がキャンセルになることも少なくないようです。
でも、半年が経つとは言え、今回の震災を忘れている人は誰もいません。
どこに行ってもさまざまな人から質問を受けます。
生活の中で“不必要”と思われる「文化や芸術」がどれだけ私たち皆の心を暖め、励まして復興させていってくれるものか、阪神淡路大震災の際に、皇后様が考えられたのはまずそれでした。
そして人と人との結びつき。今回のコンサートの最後には、大好きな、さだまさしさんの「人生の贈り物」を歌いたいと思います。
皆さん、どうぞ一緒にこの「せんくら」をまた作り上げていってください。
鮫島有美子(ソプラノ)
お昼から1時間半“ジム”(ダンスレッスンです・・・)に行った後、今回「せんくら」でもご一緒するピアニスト、小川典子さんとのリハーサル。
初めてお会いしてからいつの間にか3年以上が経ちました。
一番最初は、小川さんが川崎市で主催(?)していらっしゃる「ジェイミーの会」という、自閉症のお子さんを持つ親御さんのためのコンサートにお招きいただいたのがきっかけです。
室内楽はよくされても、歌い手との共演はほとんど初めてという小川さんでしたが、その音の繊細さと音楽の大きさに、ピアノの脇に立っていた私は息を呑みました。
その後少しずつご一緒する機会が増え、この“チャーミングな豪傑”典子さんは、私のリサイタルでもその魅力を振りまいてくださっています。
今回は7月末に「霧島音楽祭」でご一緒して以来ですが、大人になってから出会えた、信頼できる素敵な友となりました。
今日のリハーサル後のお楽しみは、若い女の方が一人でやっている「静流」という本当に小さな和食のお店。
8人のカウンターだけでいっぱいになってしまうこのお店は、やはり大人になってから出会い、今では親友の一人といえる風吹ジュンさんに教えていただきました。
といっても、“いかにも芸能界風好み”の高級店ではなくて、本当に気軽でおいしいところなのです。
(風吹さんはまったく気取りのないさっぱりとした、女性から見てもとても素敵な人ですよ!)
おいしいことに加えて、教えてくれたひとつの理由はおそらく、「自分の家から近い」だと思います!!
明日は施設に入っている叔母を訪ねていこうと思っています。
ちょっと遠いので、ゆったりとした時間を見つけるのが難しいのですが、なにしろ私のオバというだけではなく「ウバ」でもあって、小さい頃からとても可愛がってくれました。
「乳母」の意味は本当に文字通り。母乳があまりよく出なかった母に代わり、叔母は(何ヶ月か後に生まれた従兄弟がいたので)ずいぶんと何回も私に母乳をくれたそうです。
私の妙にのんびりとした性格は、もしかしたらこのウバ叔母からの「遺伝」かもしれません・・・!
鮫島有美子(ソプラノ)
「座右の銘」という言葉がありますが、私には「座右の書」があります。
ダンスとピラーテス(日本ではピラティス)という“スポーツ系”(?? ハハハ・・・)
の趣味など、昔の私には思いもよりませんでしたが、もともと好きだったのが読書。
趣味というにはあまりにも乱読ですが、そんな中でもこの本はいつも持ち歩き、何度も読み返しています。
米原万里さんの「打ちのめされるようなすごい本」。
米原さんについてはご存知の方もいらっしゃるでしょう。日本でロシア語の通訳といえばこの人をおいてなかったそうです。
(妹さんは故井上ひさしさんの奥様。)
2006年に56歳という若さで亡くなられた米原さんがどのような人だったかは、彼女のさまざまな本を読んでいただくとして、これはものすごい読書家としても有名だった彼女が、亡くなる寸前まで書き続けていた「書評」を集めた本です。
ですので、米原さんが書かれたというだけでなく、自分がどんな本を読もうかと思ったときに、その指針とできるものなので大変便利でもあります。
その読書量と分野は半端なものではありません。
認知症のお母様をお世話し、犬猫その他の動物と一緒の生活の中で通訳としての仕事に駆け回り、しかも一日に7冊の本を読みこなす!
それも“ただなんとなく読む”のではなく、見事な書評をかけるくらいに読みこなす。
“タダモノ”ではないこの米原さんにして、自分が癌になったときのやりきれなさや不安感に押し潰されそうになっている感じが哀しいです。
読書家で、そしてあまりにも知性あるがゆえに、何人もの医者の提言を受け入れられず、本を読み漁って自分で“ベストの治療法”を探し出そうとするその姿が、“こちら側”にいる私たち読者の胸に迫ります。
声なくして「なぜ、なぜ、なぜ?」と問うてしまいます。
もし2003年の再発時に、お医者様の(それも3人以上!)言葉を受け入れて手術に踏み切っていたら、彼女はまだ存在して、いまだにすばらしい書評や本を書き続けていたかもしれません。
私がどうしてもお会いしてみたい人のお一人でした。
鮫島有美子(ソプラノ)
大学生時代から本当にお世話になり、初めてのオペラから何本も、そして多くの回を重ねた「夕鶴」の演出も手がけてくださった鈴木敬介先生が、ついこの間肝硬変で亡くなられてしまいました・・・。
ご葬儀に伺えなかったので、どうしても今回の日本滞在中に「お別れ」を申し上げたく、手帳とにらめっこをしています。
昨年11月には、レッスンに行っている学校で偶然奥様にお目にかかり、先生のお元気なご様子を伺って一安心していたのですが・・・。
お正月に遊びに伺うつもりが、ちょうど母が体調を崩してそれどころではなくなり、 先生のところにはそのままになってしまいました。
その昔から教えていただいたりシゴカレタこともたくさん、お酒が本当にお好きな方でした。
今日伺いたくお電話させていただいたのですが、あいにくどなたもご不在でしたので、次の機会を願っています。
今ヴィデオで出ているオペラ「夕鶴」、“つう”は紙吹雪の雪の中でよく走りました。
團先生は10年前に鬼籍の人となられ、今度は鈴木先生も・・・。
夫や外国の友人たちも口をそろえて絶賛した、幻想的で美しい舞台の「夕鶴」でした。
原作者の木下順二先生から唯一映像化のOKをいただいたのが、このヴィデオなのです。 1994年の製作ですが、いまだにDVD化されていないのが本当にとても残念です。
今日は夕方から旧千代田区立九段中学校の「還暦同期の集まり」で、昨夜の焼き鳥屋さんに20人ほどが集まりました。
(メチャクチャぎゅうぎゅう・・・。)
といってもお店は日曜日で閉店、仲間がそれぞれさまざま持ち寄って、空間だけ借り、昔のままにおしゃべりに興ずるという趣向です。
九段中創立40周年の折「記念コンサート」をしたのをきっかけに、なにかにより集まる仲間の数々ですが、ちょうど子供でもなく、大人にもなっていなかった時期の懐かしい友人たち、いくつになってもすぐに昔のままに戻るのが面白いですね!
彼らはまた、よく一緒に東京のコンサートやオペラにも来てくれます。
(実は私のダンスも、この仲間の一人が連れて行ってくれたのが始まりです。)
鮫島有美子(ソプラノ)
ものすごく予定いっぱいの一日でした。
2回の本番を終え、夕方に東京へ戻り、それから本番の荷物を部屋に置くと、リフォームしていただいたドレスを受け取りに。
佐藤文子さんという、最近もっぱらお世話になっているこの方は、一昨年のニューイヤーコンサートで(私のダンスの先生と)ウィンナワルツを踊った際に衣装を作っていただいたのですが、実はダンス衣装の専門。
コンサートの衣装とどこが違うの、と思われるかもしれませんが、簡単に言うと、歌い手のコンサートドレスは基本的に立っている前姿を主に考えられますが、ダンスの衣装はまず、動いたときに(後ろも)美しく見えるように作られています。(もちろん動きやすさも大切です!)
そして彼女の元には本当にたくさんの「衣装用マテリアル」があり、さまざまなアイディアも出してくれます。
その”私のダンス”ももう6年以上が経ちました。
いまだにハマッテいますが、本来ナマケモノの私にとっては、ジム代わりでもあります。
私がお世話になりだしたころは19歳だった私の先生も、いつの間にか25歳!
すっきりとした青年になり、大人のダンスを見せてくれています。
“自慢してしまう”と、一昨年からどんどんとキャリアを重ね、今ではスタンダード、ラテンともに昨年末にA級へ同時昇級。
この同時昇級は日本では40年ぶりとかで、これからが本当に楽しみです。
(エッ、私のダンス? まぁ、舞台上の私にルンバでもサンバでも、チャチャチャでも想像してみてください・・・!)
そうそう、衣装を受け取った後は、この先生たちと焼き鳥屋さんでお食事。
ここは私の中学時代の同期生がやっている、小さな、でもとてもおいしいお店で、仲良しの友人たちの溜まり場でもあります。実は明日もここへ来ることになっている・・・!
鮫島有美子(ソプラノ)
その昔の若いころはいざ知らず、最近では今回のようなスケジュールは組まないことにしていたのですが、どうしても昨日日本到着しか無理な日程。
今日は午後から長野県の上田に行って、早い夜に現地でピアニストとリハーサル。
(“その昔の若いころ”には、着いた翌日からオペラの稽古に参加していましたが。)
というのも、明日の午前中とお昼過ぎに、短めではありますが本番が2回続くので、リハーサルの可能性がここしかだめだったのです・・・。
ピアニストは、一昨年の「せんくら」でもおなじみの(?!) 丸山滋さん。
もう何度か一緒にやっているプログラムではあるのですが、やはり本番前には少なくとも1度は 「通し稽古」をしないと、お互いになんとなく不安なのです。
彼曰く、「その日の調子によっても歌い手はテンポ感ややりたいことが変わってくる」とか。
それに年齢によっても・・・?!
コンサートの近くになって、私の昔のCDを聴きながらさらうと、「ロクなことにならない」のだそうです。
「有美子さん、昔はこうやってましたよ~・・・」と言われたって、そんなに記憶もよくないし、自分のCDはちょっとアラサガシにも似て、恥ずかしくて聴けない、いや聴かない・・・。
それにもちろん逆も可能です、自分の“昔のよさ”にガクゼンとしたり・・・。
いえ、それでも舞台上でそのときにしか起こり得ない詩的な美しさを求めて、どんな本番でもベストを尽くしたいと、私たち演奏者は常に自分を磨き続けています!
ほんとです!
鮫島有美子(ソプラノ)
今日から一週間ブログを受け持つ、歌の鮫島有美子です。
私の“ブログ初挑戦”は一昨年の「せんくら」、そして実は今回が2度目です。
最近は本当に多くの方がブログを書いていらっしゃいますが、私は会員になっている「クラブ・ウィルビー」の創立者、そしていい友人でもある残間里江子さん(仙台出身!)のブログを読む度に、ため息!
こんなに時間とエネルギーと才能を必要とされるものに、私は絶対取り組めません・・・この「せんくらブログ」だけが例外です!
東北の皆様、いかがお過ごしでしょうか・・・。
本当に本当に言葉に尽くせない気持ちでいっぱいです。
3月の震災以来、いろいろなプロジェクトに参加させていただきたいと思っていましたが、ピアノの有無とかスケジュール、他さまざまな問題もたくさんあって、なかなか実現までに至りませんでした。
やっと今回、また「せんくら」に参加できてとてもうれしく楽しみにしています。
ウィーンから日本に到着。
台風を心配しながら、でも何とか大型の二つが通過した後、羽田に着きました。
以前は成田空港も便利で気にならず、というのも実家が千葉県の市川だったせいかもしれません。
午後に成田着で夕方から夜を両親とともに過ごし、時差をうまく追いやっていました。早朝に着く便など考えも出来ない、どうやって1日を過ごしたらいいの、と言うのが私の“定説”だったのです。
ところがところが! ほかに可能性がなくてシカタナク「羽田便」を利用せざるを得なかった昨年の11月以来、俄然羽田ファンに・・・!
朝6時に着くのですが、話に聞いていたより空港のなんと小さいこと!!
(これは否定的な意味ではありませんので誤解なきよう!)
飛行機のタラップを降りてから、(と昔はこう言っていました・・・)荷物を受け取るまでが20分、そこを出るとすぐ目の前にタクシー。
そして東京の居住地までが(早朝なので)また20分!
7時にはもう完璧に部屋にいて、それからシャワーを浴び、買い物をして少し休んでもまだ昼前。
この快適さに慣れてしまってから、出来るだけ羽田に着くことが出来るようにしています。
時差?! もともと鈍いらしい私は、何時に着いてもこの単語とはオシリアイでないみたい・・・。
鮫島有美子(ソプラノ)