「どうしてフランスへ留学したのですか」とか、「フランスに留学したのに、どうして経営するレストランはイタリア料理なのですか」とよくきかれるが、僕は、そういうこだわりがまったくなくて、そのときの出会いや直感やひらめきのようなものを信じている。
フランスに留学して、どこがフランス的なのかと言われると・・・、そうだなぁ、ワイン好きなことと、あまり他の人に左右されない性格かな。
渋谷にあるレストランは「G」というのだが、どうして「G」という名前なのですか?と先日のインタビューできかれた。ずっと前から考えていたわけでもなく、イタリア語の辞書をめくっていたら、GIOIA(喜び)や、GRAZIE(ありがとう)などの、Gからはじまる単語に心ひかれたのだ。何かのひとつの単語にしようかとも思ったが、どれもよくて、じゃぁ、頭文字の「G」にしよう!ということになった。
京都の店は「キメラ」というが、これは、ギリシャ神話にでてくる伝説の生物で、店のシェフやスタッフみんなからの意見だった。僕自身もいいなと感じたし、何より自宅が東京で、京都は時々立ち寄ることしかできないこともあり、京都の店の名前は、みんなの意向を尊重したいと思った。どうしてイタリア料理になったかというと、いいシェフがイタリア料理の料理人だった。と、こういう感じなのだ。
僕は、音楽と一緒にできる何か面白そうなことが大好きである。
最近は何もかもがあわただしくなり、「音楽が生まれるゆったりとした時間」がなくなってきているように思う。だからこそ、音楽が必要で大事だと感じる。僕は、この渋谷と京都のレストランで定期的にサロン・コンサートをやっているが、こうした場所に人が集い、美味しいものを食べて、心も身体もゆったりとして、音楽に耳を傾けてもらう時間を、とても愛しく思っている。
横山幸雄(ピアノ)
「ショパン弾き」といわれることに、僕はまったく抵抗がない。
ショパン・コンクールはいわば、ショパンのお墨付きなのだから、ショパンを弾いてほしいといわれることは、僕にとっては、いつでも、とても嬉しいことなのだ。
来年は、ショパンの生誕200年にあたる記念の年だが、僕が19歳でショパン国際コンクールに入賞してから、ちょうど20年目にあたる年でもある。そして、コンクールの翌年の91年春にデビュー・リサイタルをしたので、2011年が、デビュー20周年になる。勿論、20周年記念リサイタルにも面白い企画を考えてはいるが、まずは、ショパンだ。
ショパンの全曲演奏会に取り組むのは、実は2回目である。最初は、20代後半に、7年かけて、ショパンの誕生日と命日の、1年に2回のペースでピアノ曲の全部を演奏した。どの演奏家もというわけではなく、ショパンはすべての作品を演奏してみたかった。全ての作品を演奏することで、見えてくるものがあるのだ。ショパンは、子供の頃からずっと好きだったし、僕の人生の節目に深くかかわりのある作曲家であり、とても身近に感じている。だからいつでもピアノにむかった瞬間に、自然と音楽が流れ出すのだ。
200年の記念の年を目の前に、僕はもう一度、集中してショパンの作品に取り組んでみたいと思った。そして、この壮大な計画を終えるとき、僕はショパンの晩年と同じ年代にいることになる。今度は、どんな発見があるだろうか。
横山幸雄(ピアノ)
今度の日曜日に、東京オペラシティでリサイタルがある。
オペラシティでのこの時期のリサイタルは毎年恒例になってきている。嬉しいことだ。これもまた嬉しいことに、チケットは今年も完売だそうだ。オペラシティでは、これまでもベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲演奏や、5大ソナタ連続演奏など、面白いと思ってもらえるようなコンサートを企画してきた。昨年からは、2010年がショパンイヤーだから、それにむけてショパン・シリーズをしている。初期・中期・後期と3年にわたって主要な作品を演奏する計画だ。日曜は中期の作品で「ジョルジュ・サンドとともに」という副題がつけられているが、ショパンがサンドと充実のときを過ごす中で作られた作品をそろえた。充実といっても短命だったショパンには、この時期にも、光のあたる向こう側に伸びる影・・・のように、不安が遠くから押し寄せてくる感じがある。ドラマティックで感情的な初期の作品に比べると、シンプルさが強調されていて、美しすぎて悲しいのだ。今回のメインは、第2番のソナタと24の前奏曲だ。そして、それにむかってゆく小品を組み入れたことで、更に、ショパンの当時を感じてもらえればと思っている。
この頃のショパンと同じ年頃の僕、つまり、20代後半というと、全力でがむしゃらで無我夢中だった。でも、コンクール入賞者というだけでなく、僕のピアノを聴いてくれる人がいることに、気がつきはじめた時期でもある。
横山幸雄(ピアノ)
音楽家はサバイバルといっても、僕の旅用具は、いたってシンプルである。
どんなに旅が長くても大体は衣装ケースと、いつも持っている楽譜のバッグで済んでしまう。とにかく移動が多いので、楽譜だけは決して身体の傍から離さない。海外では、預けた荷物が出てこない、ということは余り驚く事ではないので、楽譜だけは必ず身につけているのだ。
昨日の話の続きにはいろうか。
演奏家はサバイバルだからこそ、タフでなければならない。いつどこでどんなハプニングにであうかわからないからだ。荷物の鍵が壊れて開かなくなったそのときは、旅はまだ前半の出来事だった。楽譜は手元にあるとしても、内心困ったなと思った。そこで僕は覚悟を決め、スーツケースに踵落としを2回、キックを2回やり、スーツケースに裂け目を作り、そこから手で力いっぱいスーツケースを引き裂いた! 演奏が無事に終わり帰りがけに「ちょっとゴミが出ちゃったから捨てて下さい」と言って会場を後にしたのだが、あのスーツケースの残骸を見たフランス人はきっとの呆れたに違いない。
横山幸雄(ピアノ)
音楽家というのはご存知のように旅が多い。旅から旅が普通で、そのあいだも時間を作り練習もかかさない。自分でもかなりタフな仕事かもしれないと思う。強行スケジュールもざらだ。
先日、ヴァン・クライバーン国際コンクールで優勝した、弟子の辻井君のファイナルのレッスンも、演奏会の合間をぬって、朝アメリカに立ち、早朝着いて一日中レッスンをしてそのまま帰りの飛行機に乗り込む、という強行スケジュールをやった。さすがに、帰国後腰痛に苦しむことになったが・・。
全く、音楽家はサバイバル生活なのだ!
正に、サバイバルというエピソードをひとつご披露しよう。
ヨーロッパを旅してまわっている時、あるとき、飛行機からピックアップした荷物の鍵が壊れて開かなくなってしまったことがある。楽譜は手元にあるとしても、旅はまだ前半の出来事だった。しかも既に会場に入っていた僕は、さてどんな行動をとったか!
ここで、今日もつづきにしよう。
僕のとった行動を想像してみてね。
横山幸雄(ピアノ)
僕は、「出来ない理由」を探り出す作業が得意だし、好きなんだと思う。「できない」や「わからない」、それぞれの理由をみつける事で、人は劇的に進歩するし、僕もまたそれで勉強になるのだ。
さて、昨日の親子の話をしよう。
お母さんは男の子に折り紙を渡すと、ジュースを買いに席をたった。
その子は、相変わらず問題集の図形をみつめて、今度は折り紙でそのありえない図形を一生懸命作ってみるのだが、先の(昨日のメールに書いた)理由で厳密にその形を作る事は出来ない。
どんどんぐちゃぐちゃになっていく折り紙を、僕はちょっとその子に頼んで貸してもらい、問題の図形を作った。そして、問題には描かれているが、実際には有り得ない理由をわかりやすく話してみた。すると、「あぁ~!」と大きな声がかえってきた。
僕は、まるで水戸黄門のような気持ちで、その子と別れ搭乗口へと向かったのだった。
よかったね!
またあした。
横山幸雄(ピアノ)
人にピアノを教えるようになって、かれこれ20年になる。この教える、という作業は毎回新たな発見があり、僕にとっても、とても勉強になるのだ。
先日、空港で一生懸命勉強を教えているお母さんと幼稚園児らしき息子と隣り合わせになった。夏休みの宿題か、受験勉強なのか、その様子はとても必死なのだ。「なんでこんな問題がわからないの?」とお母さんは息子を叱っていた。
男の子は一点を見つめたまま。
しばらく話しているのを、きくともなく聞いていると、その子の解らない理由がわかってきた。
図形の問題らしかったのだが、問題集をみてみると、そこに書かれた図は、四次元の立体を無理矢理二次元に、たいらにかかれている。そして、答えを導き出すヒントを描くために、図形としては少々おかしな形になっていた。
大人の都合で描かれている、実際立体でみることのできないその図形をみて、子供は理解できないのだ、と思ったのだ。
「何故出来ないのか!」これは、よく先生等教える側が叱るときに使う言葉だが、これは決して言ってはいけない言葉だと思っている。「出来ない」には、人それぞれに理由があるからだ。ときにそれは、教える側からすると、とんでもない初歩のレベルに理由がある場合もある。だから教える側は、どうしてできないのかという自分の目線ではなく、相手の目線になれなければ、そのわからない理由はいつまでも発見できない。
さて、この男の子は問題がとけたでしょうか!
続きは、明日のお楽しみ。
横山幸雄(ピアノ)