朝10時からGPなので松江を早朝出発、朝日の中を雲南へドライブ。
聴衆は満員、本番は大成功。
カヴァレリアの間奏曲の美しさ、新しいコンサートマスターの寺田さんはチェコで活動された方で、
「チェコ組曲」のしなやかで骨太なフレージングには感動した。
合同演奏はもう物凄い音量で盛り上がり、汗だくの名演。
ブラームス振るのはツライが、本当に楽しい、と改めて思う。
振りながら、ここはせんくらの企画で・・・とか頭をよぎる。
本番、サイン会を終えて松江に移動、夕暮れの宍道湖が感動的。
アマオケをもうひとつ指導して、翌朝は東京、すぐにN響だ。
夜はせんくらポッドキャストインタビュー、定期本番から深夜移動、名古屋でのだめ音楽会2公演をリハと指揮、またN響定期。その前の2日間の休日で、せんくらの企画を完成する予定。
いまごろになって、あの市民響のうまさなら、諦めていたブラームス「ピアノ協奏曲ニ短調」の冒頭だけでも、比較演奏できる、と欲張りたくなった。この音楽は最初「交響曲第1番」になるはずだったからだ。
思いついたら、すぐにスコアを見て、よし、行ける!となったら、すぐに連絡。
最後に思いつくアイデアが、いつも最高だった。
「運命」の音楽として最も凄い瞬間は、練習を終えてからのベートーヴェンの発想で作られたことがわかっているが、いったん完成を見た作品にわずかな筆を入れることで、絵には生命が突如として、宿るのではないだろうか。企画も、そうありたいものであり、それを可能にするためには、それ以外のところをしっかりと、共演するみなさんが安心して演奏できるよう作っておかなくてはならないだろう。
市民響のみなさん、本番、よろしくお願いします!
みなさま、ブラ1解説、お楽しみに!
(おわり)
朝からホテルでロングトーンをしている同時刻、台風のなか、セントラル愛知交響楽団が島根に到着。
午後から現地リハーサル開始。
本来セントレアから米子に飛べるはずが、飛行機会社のダイヤ変更などで列車移動に。早朝の新幹線で岡山、そこからめちゃくちゃゆれる特急やくもで2時間以上。おなじオケマンとして気の毒でならない。一秒でも練習を短く、合理的にしたい。
しかし、そのリハは最短でも6時間にも及ぶ。(夜が合同演奏のため)
ウイリアム・テル序曲のチェロのアンサンブルは、別に時間をとって練習。
みなさん非常に柔らかな美しい音で、振りながら壊さないように神経を使った。
ラフマニノフの協奏曲(須藤梨菜)は幾度も共演していて大丈夫。再現部の頭だけ、どうしても合わない。研究の余地アリ。
ソプラノの渡邊恵津子さんもいつも通りバッチリ。ハープを指揮者の横に出して「私のお父さん」や「カヴァレリアの間奏曲」を演奏するのは夢心地。
合同のブラームス、指揮者の心も重苦しい第1楽章、春の幻想のような第2楽章、過去を回想するような第3楽章をそれぞれにできる限り要領よくリハーサルして、夜はなるべく早くオケを休ませたい。
合同は7時から。
一度通して、どこのオケでもちょっと混乱する数箇所を直せば、もう完成だった。
レベルが高い。振っていて楽しい合同オーケストラだった。
疲労忍び寄り、ビールを控えて早く眠った。
翌日はホテルでひたすらオーボエ、睡眠。
定期に疲れを取り、つぎの準備。
夜から加茂町で、島根県全域から集まってくるアマチュア演奏家のリハーサル。本番で演奏するセントラル愛知交響楽団と、ブラームス1番のフィナーレを合同演奏する。
つい数日前に仙台で振り始めた4楽章の序奏部から練習開始。
コントラバスがいない、という悲しい状態。この楽器、はだかで聞こえる事はめったにないが、ひとりでオーケストラの音量を2倍以上にする力を持っている。音域、低音、というのはそのくらい重要なもので、上のほうでティンパニ、トランペット、ピッコロなんかがいくら頑張っていたところで、下の支えがないと音は小さくなってしまうものなのだ。
ことにブラームスやベートーヴェンのような、ドイツ的「男らしい」作曲家の作品に低音は重要。
とはいえ、二人混じっている小学生を含め、演奏は上々。木管楽器は数が多く集まっているので、ホルンなども含め、できるだけ全員で重ねてソロを吹いてもらうようにした。そのことによって、「おお!合同演奏!」という合唱団的な豊かなうねりが音に加わる。
想像以上の水準と熱意をもったアマオケを2時間練習し、松江に戻る。
高校の吹奏楽部で後輩であるオーボエの木村君が島根大学で教授になっていて参加してくれているので、松江の寿司屋で美味しいお魚を沢山いただく。
島根入り。台風が近づいているとの事で、「のだめコンサート」のソリスト2名も前倒しに出雲に飛んでもらう事にしたようだが、ぼくは現地アマオケ合同演奏のリハよりもさらに一日早く入る。
それというのも、この仕事の日程で、どうしても行っておきたい場所があったからだ。
それは、映画「白い船」(錦織良成監督:2002)のロケ地。
島根県の雲南(加茂町コンサートホール:ラメール)でのコンサートはずっと以前から決定していたのだが、今年のある休日に、タイトルに魅かれて(ぼくは無類の船好き)CATVから録画しておいた「白い船」を見てものすごく感動してしまい、「え?島根?近い?行く行くいくいく!!」とその場で決定して、日程を死守してあったのだ。
この映画は、日本海海岸ぞいのがけの上にある、全校生徒10名ほどの小さな小学校が舞台。辺りは森と海、空と雲があるだけの、本当に小さな漁村だ。沖合をのんびりと進む白い船を子供が発見し、その船が同じ曜日の同じ授業時間にいつも通るところから、その時間になると双眼鏡で(先生も一緒に!)その船を待ちわびるようになってゆき、ついには船長さんとのfaxのやりとりなどをきっかけに全校生徒はその船に招かれて、沖合から自分たちの学校を見ることができる、という物語。
いかなるムリヤリな盛り上げ方もなく、過剰な演出もなく、ひたすらに自然と人と子供たちを愛情あふれる映像で追いながら進む素晴らしい映画。
今回公演する雲南が、また宿泊する松江が、舞台になった平田町へクルマならば数時間の行程で往復できることを知り、その漁村、学校、海岸を歩き、空気を吸い込みたい、という夢がふくらんだ。
出雲空港に到着してレンタカーを借り、カーナビにその小学校を入力して出発。
映画で見慣れたままのトンネル、カーブを曲がると、想像をはるかにこえた広がりと美しさで海が見えてくる。
道路が非常に高いところを通っている事、そして切り立った岬を回り込むようになっていることで、眼下の視界全体が海になる。飛行機の着陸を自分で行っているような感覚。
学校は、行って見たら校庭で授業中だったのでお邪魔しないように立ち去り、漁港を見て回る。海も風も山も(本当に、漁港の背後は舞台の書き割りのように切り立った山になっている。)美しく、遠く見晴らす多くの岬、赤い灯台、静かに揺れる漁船の数々が初秋の陽光にきらきらと目を楽しませる。
授業の終る頃、もう一度学校に行くと、校舎のほうから「こんにちは!」と呼び止められて、教頭先生に学校内を全部案内してもらった。
校長室で優しい校長先生とコーヒーをいただくというお客様待遇となり、奥様が声楽家だったり、音楽の先生はのだめコンサートのチケットを買っておられたり、ということが判明し、こっちの身分もバレて(?)きて、校長先生たちをコンサートにお招きする約束をして、夕方の海を見ながら松江に向かった。
帰り道、車でも苦しい坂道を、11人しかいない子供のうちの兄弟が、ゆっくりゆっくり歩いて上っていた。こんな自然の中を毎日、長い時間を歩いて学校に通う生活。この子たちが映画ではお神楽を演じている体育館で、あるいは校庭で、ベートーヴェンの交響曲を聴かせてあげたい、と、舞台の配置図までが頭を巡った。
仙台から戻ってたった一日の譜読み日+オーボエ日。
明日から島根入りして「のだめコンサート」を指揮する。
ちょうど同じブラームス1を振るので、譜読みしながらも、企画のことがうずまく。
話したい事、面白い事は実に大量にあり、本の半分くらいこの原稿で行けそうなくらいである。
しかし、45分のふたコマ、朝やってくる聴衆の皆さんに、何を語り、その、語ったことを知ったうえであらためて「聞いて」いただくのがベストなのか。
4つある楽章のそれぞれ、全体の構成やそれらを緊密に結びつけているいくつかの旋律、その由来、そもそもこの交響曲が音楽史の中で占めているあまりにも特殊な位置、ブラームスという人が続けた長い逡巡の時間の意味。
企画とは、「何を捨てるか」の苦しみである。全曲を貫くクララ主題(第4楽章で全貌を現す)から開始するのか、それとも順当に第1楽章の序奏部から始めるか、だけでも堂々巡りが続く。
この日にオーボエをしっかり吹いておかないと島根から戻って翌朝からまたN響定期。
せんくら企画を堂々巡りしながらメトロノームをかちかちとかけてロングトーンをする。
翌朝早起きし、新幹線で仙台へ。
いよいよ「せんくら」で共演する仙台市民交響楽団との練習日。
熱心に、「解説演奏の箇所を早く!」教えて下さい、という催促が来ているのだったが、なにしろ、アマチュアオーケストラで解説演奏会をするのは初めて。そして、そのオケの演奏を全然知らない。
モーツアルトは、「歌手の声に合わせて洋服をあつらえるようにアリアを書く」と言ったが、もぎぎはオケに合わせて解説企画を作ろう(らねばならない)と思っているので、この練習でお互いに「お手並み拝見」をしなくては、ハナシが進まない。
アマオケというのは本当に演奏水準が千差万別で、演奏環境も甚だしくピンキリである。極端にいえば、「シベリウスの交響曲をやる、というので練習に行ってみたが、管楽器全員が揃っており、コントラバスが6人いるのに、ヴァイオリン2,ヴィオラ、なし、チェロ:ゼロ、であった」とか、「3ヶ月間、じっくり練習を積み重ね、意思を疎通し、ようやくなかなかよい演奏が出来る、と思っていたら、本番直前の最後の練習だけ弦楽器が2倍の人数になった」(本番だけに雇われるエキストラが入るせいである。この人たちは練習の内容を知らないが、自分たちの務めであるからと、とても大きな音で弾いてくれる)とか、「練習で20分かけて管楽器のソロにニュアンスを説明し、ようやく形になったら、私本番は吹かないんです、と言われた。」(アマチュアだけに存在する制度である「台拭き」じゃなかった「代吹き:練習だけ代わって吹くこと」)などということがよくある。
弦楽器の半数が楽器を持って3ヶ月、という状態でドボルジャークの交響曲を演奏したこともある。
そうかと思うと、このオケ、マジでプロでは?という、とてつもなくウマイ団体も数多く、やる気のないプロを振っているよりも熱意があって楽しかったりする。
まあ、行ってみるまで、本当にわからないのがアマオケというものなのだ。
で、行ってみた。
やるのは第4楽章から。
ぼくはそもそも最悪の事態を想定してからことにかかるという、A型特有の石橋を叩いて体質であるので、最初に棒を下ろすときには内心、幼稚園合奏級のサウンドを覚悟している。
しかし。
最初の恐ろしいC音の出だしをクリアー、クレッシエンドの迫力、合奏の合い方など、非常に気持ちよい。余裕があって、よく指揮も見ているし、最初の練習で必ず起きる様々な小さなズレの対応もオトナな感じである。(ズレた事に気付かない、ズレたまま行く、とか、ズレを直すためにもっとズレる、などがよくある。あわてず、ちょっとほっておいて、つぎの継ぎ目でさりげなく乗り移る、のがコツ。プラモデルでセメダインがはみだしたとき、乾かしてから紙やすりをかけるほうがキレイなのと同じ。)
ホルンも、トロンボーンも、ティンパニも、音に言葉があって、確かな技術があって、合奏全体から「大人な味わい」が漂っている。なにか注文をしたときの反応の速さ確実さも頼れる。編成も揃っており、よそではいつも気掛かりなチェロやヴィオラはプロより元気かもしれない勢いだ。
全員が譜面台に名前を書いてぶら下げている(弦楽器は名札が2枚)ので、お名前で話しかける事ができるのが幼稚園ごっこみたいでカワイイ。(初めて見た。)
こりゃ、大丈夫。
30秒で大体判断し、あとは全体を軽く練習(といっても、4時間以上かかるわけですが)して、見事なソロを弾いていたコンマス君@京都在住と一緒にタクシーに乗り、駅で息子に牛タンを買って帰京。
解説演奏の具体的なイメージがぐっと近づく。通し演奏はどこをやっても、仙台市民の休日の朝の時間を心地よく過ごしていただけるという確信を持つ。心配は消えてこの仕事が楽しみになった。あとは企画だ。
・・・・・・・・
注)名札の件はせんくら制作スタッフがいらぬ気を利かせて(?)、市民響の事務局スタッフに頼んでご準備いただいたものです。
ドイツの巨匠ドレヴァンツ、
地味で実直、優しく温かな人柄の老人が、淡々と描いてゆくマーラーの5番本番。
テンポがのろい、キレが悪い、とリハーサルのときには感じていた楽員も多かったと思うのだが、ストレスがほとんどなく、時間が過ぎてゆくだけなのに、聴衆は物凄い受け方。マーラーの描いたあらゆる夢と興奮、瞑想と躍動は、きちんと聴衆に届いている証拠だ。
こういうふうに音楽を運べる指揮者に、遠い将来にはなっていたいというのが夢だ。
しかし、淡々と、と簡単に言うが、こないだ東京音大の指揮科飲み会で十束さんから聞いたドイツ・オーストリアの歌劇場指揮者教育の話(あらゆるオペラをすらすらとピアノで伴奏し、演出し、5カ国語をすらすら話し、指揮台に上がる頃には全部暗譜してしまっているというような・・)を思うと、そうしたカペルマイスターになるだけでもとんでもない勉強と能力が求められるのに、それから御歳70を過ぎるまで、じっくりと腰を据えて中部ドイツの劇場を動かず、数え切れないほどのオペラと交響音楽に取り組んできた老巨匠が、指揮者として到達している境地には、もはやぼくなどには想像もつかない高みがあるに違いない。
孫たちを見渡すような優しい視線でゆっくり振り続けるマーラーは、キャンバスの奥にたくさんの色合いを隠していた。
7月にマーラー5の冒頭40小節くらいだけを(トランペットを紹介する音楽会で)指揮したが、それだけでもどばっと汗をかいた自分を思い出し、カーテンコールでにっこりと立たされながら別の冷や汗をまたかいた。