エコロジーという文字を目にしない日はない近頃です。皆さんは何を自分に課しておられますか?人間、何も食べないでは生きていけないので、避けては通れない日々の食料のことから振り返ってみると、こんな具合です。
・台所の生ゴミは良く水気をしぼり、なるべく乾燥させる
・無駄な買い物、食べ残しはしないよう努力する
・分別ゴミはこまめに分ける・マイ・バッグは常に持参・・など。
私はマイお箸をバッグに入れて使うようにしていますが、間伐された木などから作られるのがおもだという割り箸は実際にどの程度の分量がそうなのでしょうか?スーパーのレジ袋も、石油から物を作る過程ででてくる不要物に近いものを利用しているので、袋にしないで不要物を処理するとなると余計に環境汚染になりかねないとか。ラジオの「夏休み子供相談」の子供達のように、「何々はどうなっているのですか?」と尋ねたくなります。粛々と続ける作業に、時に果てしなさを感じます。
[写真:富良野の「富田ファーム」、早咲きのラベンダー、7月9日に訪れたときのもの。]
ホールが響かない時はどうするか。どういう傾向の響き不足かを可能なかぎり把握したら、あとは開き直りでしかありませんが、いくつかの注意点はあります。特に弦楽器は響かない場所では音の持続が大変で、無意識のうちにテンポが速くなりがちです。これを注意すると同時に、過度にゆっくりしたテンポも取らないようにします。音が豊かでないのに遅いと、意味なく弾いているように聞こえるためです。そして、基本が響かないのですから、よけいにピアニッシモの弱音に気を配り、すこしでも変化がつくように気を配ります。
響きが豊富な場合は、出した音の全部が響いてしまうので、ひとつひとつの音の粒が客席まで明解に聞こえるようにテンパを速くしすぎないように、弱い音をさらに弱くしてフォルテとの差を作ります。そしてピアノと一緒の作品では、ピアノのペダルの量を減らして、ワンワンと残響が残りすぎるのを軽減しなくてはなりません。
みなさんも自分好みのものを色々お持ちでしょう。たとえば一杯のコーヒーを飲むにしてもどこそこというように、それぞれのものや場所へのこだわりなどです。演奏家としては、やはり、演奏する場所にこだわりたくなります。
ホールも楽器の一部といわれるように、その場所の特質からは逃れられません。適度な響き具合で、出している音が推進力を持って客席にとどき、それが演奏していて体感できる弾きやすいところ。あるいは、自分が出している音の返りが少なくて「のれんに手押し」状態で「労多くして実らず」とか、逆にワンワンと残響があって音が混ざりすぎるとか言うこともあります。当日のリハーサルで、舞台上のより良い演奏の位置探しをしますが、問題が全て解決することはありません。今日の現時点で、ここらあたりが最善であろうというという場所に定めたら、あとは、まな板の鯉です。音を出して、それを持続させることだけにエネルギーを使ってしまわないように気をつけて、演奏するだけです。
演奏会が済むと、チェロを弾くという偏った使い方をした筋肉のバランスを取り戻すために、運動をしたり、ハリやマッサージを受けます。右側だけが異常に固いとか、いつもと違う筋の張りがある、などなど、自分自身の体感でもわかりますが、治療師の先生からも同じ指摘を受けます。超がつく正直さです。
[写真:かもい岳温泉のハンモック。昼寝と読書に最適]
古典の神様のようにいわれているバッハは、1720年代の当時でもまだ独奏楽器としてもてはやされるはるか以前であったチェロのために、無伴奏で組曲を書きました。画期的なことでありすぎたのか、作曲されてから100年ほどは作品自体あまり知られずに、どこかに埋もれていたようでもあります。実際は際限がない奥深さをもち、多くの可能性を秘めた曲です。スペインのチェリスト、パブロ・カザルスによって再発見され、チェリストにとっては無視できない、聖書のような存在になっています。
2番の前奏曲はロマンティックですが、4番の組曲は明るい調性で書かれているのに、弦楽器で演奏する身としては、気分は重い。調性のせいかどうか、楽器の発音の際に雑音が出やすいというのが最大理由です。そう思うのは私だけでしょうか。ここ10年ほどかけて、かなり改善はしましたが、解決した訳ではない。それこそ、いつかバッハのお墓に詣でてお礼参りがしたいと思うほどに文句も言いたい。でも、そう思う私にとっても、無数に近くある彼の作品のそこここには、心にしみいる和音と旋律があることも事実です。偉大なんですね。
若いときは特に血気盛んで決闘をして牢屋にぶち込まれたり、子供が大勢いて生活が大変だからお給金を上げてほしいと切々と領主宛に手紙をしたためたり、自分の作品の複雑な音型にオルガニストが指をもつれさせるのを見聞きしてげらげら笑ったり、という逸話を知ると、彼も同じ人間なんだと納得させられました。
[写真:アメリカ・マンモス・マウンテンに行く道中の風景のひとこま]
ラフマニノフと聞いて、皆さんは何を真っ先に思い浮かべられますか?名前を知らなくても、甘美で親しみやすいメロディーはどこかで耳にされた方も多いのでは、と思います。崩壊しかけているロシア帝国からソヴィエト連邦へ移行する激動の時期にラフマニノフは生きました。音楽的な特徴を一言でいえば、チャイコフスキーの流れを引き継ぎ、調性と色彩感覚を重要視した人でもあります。今回仙台で演奏するチェロ・ソナタは、4つの楽章がそれぞれ際立った特徴を持ちながら、ロマンチシズムにあふれています。肩の力を抜いてお聞きいただくのが一番でしょう。
私事ですが、将来のいつか、彼の第二の故郷といわれる南ロシアにあるイワーノフカを訪れてみたいと考えています。
[写真:アメリカのヨセミテ国立公園、巨大セコイアの木]
何もしないことが旅の目的であったリノの9日間は、友人の下宿「やまだ荘」到着の初日夜に、すでに怪しくなった。数年前にアメリカ西海岸のスキー旅をした折に同行してくれた在リノの知人が、やまだ荘にフラーと遊びに来て、「あのホテルの食堂のお魚料理は抜群だったねー!」といったのがきっかけだった。失礼ながら、アメリカの食事は、いつどこでも最高というわけにはいかない。お腹が空いていれば、ソコソコのものでも「おいしい、うん、おいしい!」と食べて満足しているが、「これは何?」というほどの吹っ飛んだおいしさは滅多にない。私達のスキー・グループのうち一人だけはお肉を選んだが、あとはランチの分厚いハンバーガーの反動もあってお魚料理を選んだ。2,3種類ある魚のどれもが、唸るばかりの美味、滋味あふれた作品だった。
私は元来、いつ、どこそこで、何を演奏したという事柄はほとんど覚えていないが、味については別だ。絶妙なおいしさを思い出して、友人ともどもしばし無言になった。何といっても夏休みで時間はある。車で5,6時間だし、ブラーッと晩御飯を食べに行ってみようかという友人の言葉につられた。3日後の週末の朝にのんびりと必要道具を車に積み込んだ・私はデッキチェアで寝転んでいたが・。友人は、使うかどうかも分からないバーベキュー道具一式から、もしかしたらまだ残雪で滑ることが出来るかもしれないと、スキー道具一式なども積み込み、私は残雪スキーときいて目が輝いた。運転手伝いとして、何事にも興味津々の留学生の一人も参加、合計3人で出発した。ちなみに、6月下旬でもリノは乾き、暑さは格別、30度は簡単に突破する。クーラーがない車での移動だが、義務が何もないので、何がどうなっても楽しい。道中は、せっかくだからと観光スポットで休憩しつつ、めでたく夜20時にはホテルの食堂に座っていた。場所はマンモス・マウンテンという、スキー場にある宿で、マンモス・マウンテン・インといいます。えっ、味はどうだったって?これ見よがしではない絶妙なおいしさは変わっていなくて、最高のひとときでした。シェフはシェフ・ココスといいます。近くまでお出かけの際は、是非お勧めです。
このブログが掲載される頃は、みなさんは夏休みの休暇中か、あるいは時差的に休暇を組まれて8月後半か9月を楽しみになさっておられるか、どちらでしょうか。
私自身は今年の夏休みは早めに計画していて、6月の19日から9泊で、ネバダ州のリノに出かけました。スキー友達が経営している下宿荘で「何もしない日々」が目標でした。時計を見るのも最低限だけで、たいてい腹時計にしたがう日々。現地の気候は乾きの夏、ほぼ30度近くあり、日中には30度を超えるのが常で、朝晩は落ち着きます。筋肉の蓄積疲労を取るには、乾いた暑さの場所が最適です。筋肉が自然に緩んできて、疲れが出て、そのままのんびりと好きにしていると、回復してくるのです。庭の一角にあるデッキチェアを猫と取り合いながら、本を読んだり、眠くなればウトウトしたりの過ごし方です。たまにチラッと後半の仕事予定に関することも頭に浮かびますが、判断のつきにくい事柄は追求しないでそのままにして、直感と決断力が自然に戻るのを待ちます。