その昔、東北、北陸、中国、四国、九州などの各地方に一大学、教育学部に特音課程と言うものが設けられた。私の卒業した1つ目の大学、島根大学は中国地方のそれだった。
恥ずかしながら1967年入学で、もう40年も前のことになる。
1学年の定員は30名で、だいたいどの学年も男子10名、女子20名という構成だった。学業成績の芳しくない生徒の集まる私立の男子校(女性は売店と事務のオバサンのみ)で嫌々ながらの3年間を過ごした我が身には、大学での生活そのものが革命的な変化だった。稚拙で訳の分からない練習を繰り返していたと思うが、結果を求められる事もなく楽器にぶらさがっているだけで、多少なりとも「自」を見出せる喜びを感じていた。そしてその上、多くの女性が同じ空間で同棲?する環境でそう出来ることは、恥ずかしながら振り返れば、これまで過ごし来た時間の中でもかなり「パラダイス」に近いものだったのかもしれない。
そんな学生生活の3年になる前の春休みだったと思う。その街に唯一ある「花のキャバレー」(その当時の文化施設?で、若かったり、若くなかったりする女性がアルコール飲料を持って待ちかまえ、クライアントを接待する大人の社交場)でピアノを弾く先輩から、一緒にそのキャバレーでバンドをやってくれないかとのお誘いを受けた。その先輩は一言で言えば、はなはだ潔く生きてこられた人で、今でも親交を結んで頂いている。
多少の躊躇はあったが、「ここで稼いで東京へ行ってコンバスのレッスンを受ける為」と割り切って、学生とバンドの二重生活が始まった。
そんなある日、声楽科の後輩が、どこかに捨ててあった自転車を自分で修理して、私に「どうですか?」と言ってきた。うかつにも購入してしまった。500円で!
2・3日後、花のキャバレーで仕事を終え、閉店まぎわの「おでん屋」でちょいと一杯、飲めないアルコールを飲み自転車のペダルを踏んで帰路につく。橋にさしかかった。どんな橋でもなだらかながら多少登り下りの坂になっている。登り始めて4回、5回と踏み込むペダルにかかる負荷が増してくる。何度目か息を止めて「えいっ」とばかりに右足を踏み込むと同時にポロッ、カラカラ?!ペダルが自転車から勢いよく地面へ。横転はまぬがれたが、坂を押して登り、そこから先は、恥ずかしながら、ネクタイを締めた小意気なバンドマンが左足1つペダルの自転車で夜の街へ消えていった。
仙台フィルのトランペットの森岡正典です。
「せんくら」の3日間、仙台の町のどこかで、生の音楽が流れているというのはいいですね。聴きたいものがたくさんあって、迷っていらっしゃるのではありませんか。私もオーケストラのほか金管五重奏でも出演します。
仙台は外からの交流が多いですし、いつも何かしら新しさを感じる町です。その町にぴったりの企画ですね。
私と音楽との出会いは中学生になって、吹奏楽部に入ってからです。兄がホルンをやっていましたので私もホルンをと思っていたのですが、トランペットを吹くことになりました。
「せんくら」でのトランペットの聴きどころといったら、シベリウスの「フィンランディア」でしょうかね。
トランペットが活躍するオーケストラ曲はたくさんありますが、私は、マーラーの交響曲第1番や第5番や、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」が好きです。マーラーの曲は最近あまり演奏する機会がありませんが、「英雄の生涯」は、「せんくら」のすぐ後の仙台フィルの定期演奏会で山下一史さんの指揮で演奏しますので、楽しみにしております。この演奏会にも多くの人にお出で頂きたいと思っております。
「せんくら」の話題からはそれますが、私の最も好きなトランペット奏者は、ニューヨークフィルのフィリップ・スミスさんです。その人が加わっているアンサンブルがこの7月に名取にきます。ついでにちょっと宣伝させていただきました。
今年4月から小田急線「新百合ヶ丘」駅、徒歩4分の場所に大学まるごと引越した「昭和音楽大学」で講師をしている。
恥ずかしながら、そろそろ暦が還える年近くまで生きてきて、自分の生活の一部とはいえ、このような新居での生活に遭遇出来るとは思いもよらなかった。
人生の成行きで大学を2つ卒業してしまった。1つ目の大学は山陰の古都、松江にある島根大学。この大学を卒業した年、私の卒業を見計らったかのように(まさか!!)この世のものとも思えぬ景観を呈していた学生寮が取り壊され、立て直された。
それから4年後、2つ目の大学、東京芸術大学においても、もと「陸軍練兵場の宿舎」だった、殆ど臭うような香り高き学生寮が、またしても私の卒業と同時に立て直された。
時を経て、自分の住居を購入した時も、恥しながら中古住宅。事程左様に新築の建物に縁のなかった私が、新築なった校舎で学生達と一緒に勉強出来る喜びを満喫している。
大学も学生もそして自分も、何かを変えられるかな?!
仙台の皆さん初めまして。この4月より仙台フィルの演奏事業部長を務めています松本伸二と申します。よろしくお願いいたします。
誰もが、人生の転機というものを持っていらっしゃると思います。私にとって昨年の「せんくら」が、それでした。
昨年の今頃は、私はある出版社で舞台芸術の入門書を作っていました。その関係で、ふらりと「せんくら」の取材にきたのです。3日間で101回のコンサートがどのように行なわれるのか、また、仙台市民の方々が音楽を楽しんでいる様子を、この目と耳で確かめたかったのです。地下鉄車内でプログラムを抱えた多くの人を見かけたとき、あるいは地下鉄駅構内に流れる生演奏の音楽を聴いたとき、ふと以前、耳にした「楽都・仙台」という言葉を思い出しました。最後の演奏会の終了後、旧知の仙台フィルの楽員の人たちと旧交を温めました。その席で、来年(つまり2007年)の3月で演奏事業部長が辞めることになっており、後任を探しているという話が出ました。「では、私も候補者の中にいれておいて」と、それとなくいいました。その私が、いまは、「せんくら」の主催者の一員でもある仙台フィルに席を置いているのです。人生の転機は、いつ訪れるかわかりませんね。
さて、個人的なことはこの辺にして、本題の「せんくら」に移りましょう。
チラシをご覧になると、3日間に101回の演奏会がぎっしりと詰まっています。今年は、仲間の山形交響楽団が参加するのも、うれしいことです。みなさん、どれを聴こうか迷われるかもしれません。しかし、ご安心下さい。どのコンサートも気軽に楽しめる内容ばかりです。同じ会場にどっしりと腰をすえて、あるいは、弦楽器だけ、ピアノだけを求めて、会場を移り歩くなど、楽しみ方はいろいろあります。あなたなりの楽しみ方が、きっと見つかるはずです。チラシにも「楽しみ方あれこれ」が載っています。この機会に、いろいろな音楽にふれてみてはいかがでしょう。主催者の一員として、「せんくら」が、クラシック音楽をより身近に楽しむきっかけになればと願っています。
仙台フィルが演奏するプログラムについては、明日から登場する楽員が、鑑賞の参考になるコメントを書きますので、そちらのほうをお楽しみ下さい。
それでは「せんくら」で皆さんにお目にかかりますことを楽しみにしております。今年は、最後の演奏会で、会場の皆さんと一緒に「威風堂々」で共演する楽しい企画もあります。なお、仙台フィルの演奏は、すべてイズミティです。ご注意下さい。
また、仙台フィルでは、「せんくら」のプレ企画として8月1日に仙台市青年文化センター・コンサートホールで「気軽にクラッシック」というタイトルの演奏会を、午前11時からと午後2時からの2回行ないます。様々な国の音楽を集めたプログラムとなっており、演奏を聴きながら世界旅行が出来ます。このプレ企画で、「せんくら」の雰囲気をいち早くお楽しみになられてはいかがですか。詳しくは、仙台フィルのホームページをご覧下さい。(http://www.sendaiphil.jp/)
松本伸二(仙台フィル管弦楽団演奏事業部長)
最後に仙台クラシックフェスティバルの初日に共演させていただくスヴェトリン・ルセヴさんのついてお話をさせていただきたいと思います。
私が共演させていただいた中で、彼は間違いなく最高の音楽家の一人と断言できます。
というよりも、尊敬の念がやまず、むしろ自分みたいなものがこんな素晴らしい人と共演してしまってよいのだろうかと思ってしまうことさえあります。
皆さん知ってのとおり第1回仙台国際音楽コンクール第一位、オーヴェルニュ室内管弦楽団コンサートマスターを経て、現在パリ国立放送フィルハーモニー管弦楽団のソロコンサートマスターです。
優勝した次の年に仙台市のコンクール委員会よりルセヴさんが仙台でコンチェルトを演奏する際、仙台のメンバーと室内楽をしたいというので、依頼されたのが彼と出会うきっかけだったと思います。確か彼の大好きなチャイコフスキーのピアノトリオだったと思いますが、その最初の音を聴いたときからショッキングでした。
それは言葉に言い表せないもので、それからというもの彼のファンとなってしまい、ことあるごとに共演の機会をいろんな方に作っていただいたり、作ったりしました。
彼の凄いところは音楽もさることながら、その人柄です。私の中のマイ格言で「ほどほどに凄い人はすぐ偉ぶったりするが、頂上にいる人は人格も素晴らしい」というのがあるのですが、彼は非常に頭がよいのですが、気さくで常にその切れる頭脳をひけらかさず、また家族を(素敵な娘がいる)非常に大切にし、友人を大切にし、常に好奇心旺盛で、常に日本食にチャレンジし、気分が乗れば内輪(うちわ)のパーティーでも喜んで演奏してくれる。リハーサルは非常に厳しく細かいが、決して人を傷つけない。
こうやって書くとあまりにもできすぎた人のようですが、バランスの取れている人はそれがあまりにも自然で、いわゆるフツーのひとに一見見えるのが不思議です。
あるとき長野に演奏に行って帰りの電車のチケットを私が見たところ、彼が「そのチケットを見たい・・・」というので「?」と思いあまり気にしませんでしたが、何回かいうので見せたら、実は私のだけが出発時間は合っていたのですが、一日ひにちが違っていたということがありました。まず数字以外は日本語、漢字でわかるわけも無く、見たのも一瞬だったのですが、それもさりげなく指摘するところが「ん~~~」とうなってしまいました。
世界のコンサートマスターは普通の観察眼だけではだめで、いつもどの国でもやっていけるエスパーみたいな能力があるような気がします。第一彼はブルガリア人で10代からパリに来て独学でフランス語を学んだそうですが、私の友人のパリジャンは「初めてルセヴに会ったとき外国人とわからなかった」くらいフランス語がぺらぺらだったとのこと。英語は当然ぺらぺらです。
彼は今年から2カ月おきくらいにソウルフィルのコンサートマスターも兼任することになったので超大忙し。でも日本に来やすくなったのでもっと頻繁に来てほしいです。今度はハングルが超うまくなってたりして・・・・
日本でもどこかコンサートマスターで呼んでくれる所はないのでしょうか???
さて、ここまで読んでいただいた方、本当にどうもありがとうございます。少々陰気な話もあり失礼いたしました・・・。まとまって文章を書くことも最近なくなったので、今の時点での思っていることを書かせていただきました。
しかしながら私が一番嬉しく楽しみなのは、皆さんとコンサート会場でお会いして、音を通して会話ができるかもしれないことです。是非皆さんコンサート、それ以外のときでも気軽に声をおかけください!
どうもありがとうございました。
歳とともに一週間が早いと感じるこの頃です。
人生の折り返し地点はとうの昔に過ぎたのですが、気持ちだけは若く、なんだか自分が歳をとっていくのが不思議な気がします。
昔に戻りたいとあまり思わないのです。
もちろん懐かしい、ああいい時代だったと、昔を懐かしむ気持ちは人並みに持っているつもりです。
高校時代に田舎から出てきて桐朋に入って、自己紹介をしたときに、九州弁で出て大笑いされたこと。
今ではテレビで全国区になったからかえってかっこいいといわれるもの、私の時代は笑いの対象でした。
小学生の6年生のときは、大阪まで寝台車に乗ってレッスンに一人で通っていました。
私のうちは両親教員とあって、また弟がいることもあって母親は私についていく事ができません。
中学生になると東京まで寝台特急ブルートレインに乗ってレッスンに行っていたので、「みずほ」 「はやぶさ」 「さくら」にこのようなものは絶対見たくない、乗るなんてとんでもないというほど乗りました。
一人で乗っていると、みんな必ず親切に声をかけてくれます。
とにかくヴァイオリンのレッスンに行くというのがみんなの注目を引くようで、いろんなことをたくさん質問されました。
このときに、知らない大人と会話することを身に着けたのかもしれません。みかんやお菓子をよくいただきました。
今考えると、うちの親は子供を一人で出す勇気が良くあったな、と感心します。
前橋汀子先生のレッスンに行くときも、最初だけついてきてくれて、後は自分ひとりで行くように、一回で行き方を覚えるようにと言われました。
しかし、案の定電車を降りてから歩いていくときに道に迷い、先生に電話をして、駅まで迎えに来てもらったこともあり、それも懐かしい思い出です。
このような思い出には母親の強い意志、忍耐と、私に対する期待を忘れることはできません。
私の両親は二人とも健康で過ごしていることもあり、あまり感謝という気持ちは薄いのかもしれません。
飛行機で2時間で行けるといっても、やはり福岡県の飯塚市あまりにも遠い。
「我が母に教え給いし歌」を演奏するときは、子供のときにいつもいろんな歌を歌っていた、故郷の母親のことを思い出さずにはいられません。
J.S.バッハ作曲
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第二番 ニ短調 BVW1004より シャコンヌ
この曲はおそらくある意味であらゆるクラシック音楽の最高峰のひとつとして数えることを否定する人は少ないのではないでしょうか。はじめのテーマが三十数回様々な形を変えて変幻していく様は、そのテーマのあまりの厳粛性のために、あたかも一人の人間(テーマ)が様々な人生の場面に出会うそのドラマのようだともいえるでしょう。
このヴァイオリン一本のための巨大な建築物に果敢と立ち向かったのが、ヴィルティオーゾ、リストの高弟、フェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)です。
この編曲はおそらくはじめはパイプオルガンが大聖堂に鳴るその響きを意識して書かれたのではないかと私には思われます。そこからピアノ一台で演奏できるように変えたのではないでしょうか?
その荘厳な響きと沢山の色彩はいつも私を魅了いたします。
この曲は自分が何かにぶつかったときにいつも助けてくれた曲です。
また、私事ですが、父が亡くなった直後に練習を始め、母が亡くなったときに毎日追悼で流していた曲です。
さて、音楽について言葉にするのは本当に難しく、すればするほど本来の美しさから遠くなっていく気がします。この辺で曲のお話は終わりにしたいと思います。
今日は仙台市博物館で行われている、早大エジプト発掘40念展を見てきました。
ある会の研修会のひとつで、見る前に学芸委員の方からお話を気というのが目玉であり、そのために前もって予約をし、ある程度の人を集め、部屋を借り、スライドを見ながら説明を聞くという趣旨で行われました。
学芸委員のかたが、それはそれは本当に楽しそうに、うれしそうにお話なさるので、この方はこのお仕事が本当に好きなんだなと、聞いてる私たちまで心がハッピーになってしまいました。
こういう催し物があるときは、学芸委員の方々はそれぞれ自分なりに勉強し、皆さんに話をするときも人それぞれ違うそうです。
もちろん事実を曲げるわけではありませんが、自分は今回の中ではこの展示物が一番好き、ここのところを是非見てほしい、などそれぞれの視点からお話してくださるようです。
私たちと同じだなと思いました。
楽譜というものから何を感じるか。
自分はこの曲のここのところは強調して弾きたい、ここはさらっといきたい、ここのところではこんな音色で弾きたいなど、ひとそれぞれ同じ楽譜を見ても感じ方が違うし、表現も違います。
いかに自分の考えを強調し、しかしやりすぎず、皆さんに訴えられるかにかかっているのです。
中途半端な迷いがあるとすぐ音に出てしまいますし、自分が本当に良いと思ってすれば通じるものと、今日学芸委員の方から学びました。
また吉村作治さんは10歳のころから、将来エジプトに行きたいとずっと思い続けていたそうです。
みんなに将来エジプトに行きたいと話すと、何を夢みたいなことを言っているんだ」と笑われたときに、「おっ、これいただき、チャンス」と思ったそうです。
その夢のために中学、高校、大学はあったようなもの、とうとう大学生のときにその夢を実現させたのです。
ひとつの物を発見するにも数年、10数年の歳月をかけ、それでもあきらめない。
ちょっと弾けないとすぐ落ち込んであきらめてしまう私とは、なんと違うこと。
いかん、いかんと,自分にはっぱをかけるのですが、すぐにあきらめてしまう根性なしです。
仙台クラシックフェスティバルの中で私のソロを行う日は、当然といえば当然ですが、私の大好きな曲を演奏させていただきます。
フランスものはブログでも書きましたが、私の憧れです。
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ・・・は私の今までを通して演奏してきた曲で、大学に入って最初に覚えた曲です。そのときライマー=ギーゼキングのピアノの教本にはまっていて、確か、「譜面を読んだら、どのようなタッチで、どのような表現で弾くか完全に意識できて、暗譜するまで実際のピアノに触ってはいけない」といったものだったと記憶しております。それを真に受けて本当に数日うなりながらピアノに触らず、覚えた曲です。
今ではもちろんさすがに、そのような覚え方は不可能ですが、何も知らないというのはある意味で怖いと思いました。自分の生活で、なにか壁にぶちあたったり、またはとてもいいことがあったときなど様々な節目に、いつも自分のために演奏してきた曲です。
母親のお通夜にも私の演奏の録音を流し、法要でも母の遺影の前で演奏した曲です。他にも様々な意味合いを持った曲です。
ちなみに、この曲のタイトルが思わせぶりですが、実は特にラヴェルの中で実際誰か「亡き王女」が存在していたわけではなく、フランス語で実際音声にした時にとても素敵な響きだったからその題名にしたといわれております。なかなかしゃれた名前の付け方ですね。これが「パヴァーヌ第一番」だったらここまで有名ではなかったかもしれませんね・・・この曲はとてもゆったりした曲なのですが、実際のパヴァーヌはもっと速いというのももともとの意味と違って、なかなか興味深いです。「パヴァーヌ」とは「孔雀の踊り」とも言われていて、そういった意味ではむしろラヴェルが作曲したようなゆったりとした音楽は題名にあっていると思われるのですが・・・昨年ブレイクした「のだめカンタービレ」でもオーケストラバージョンで流れていたそうですね。でだしのメロディーはホルン・・・実は私は中学校の時にホルンを吹いていました・・・何かと奇遇です。
ちなみにこの曲、彼がパリ音楽院在学中の作曲ですが、すでに彼のトレードマークにもなる曲を書いていたとはなかなかですね・・・
ドビュッシーのアラベスク第一番は「アラベスク」というのがそのままの訳だと「アラビア風」とでもなるのでしょうが、アラブから沢山輸入された絨毯が唐草模様で、素敵に線が絡んでいる様子を現しているともいわれておりますが、非常に素敵な曲ですね。「月の光」は説明の必要がないほど有名な曲ですが、何回演奏してもピアノの和音のポジションの配置の仕方に惚れ惚れします。
以上の曲はとても気持ちのいい曲です。時々思うのですが演奏会中に気持ちがよくなったら寝てもよいのではないかと思うことがあります。周りに迷惑さえかけなければ、お金を払って来ていただいているのですから・・・私のこの曲でもし気持ちよくなったら是非目をつぶり、「寝て」みてください・・・いびきだけはかかないように・・・・・
今日も朝から雨が降り、時折たたきつけるような激しい雨が、街を行きかう人々を容赦なく襲っています。
このような時は外出も控えるようになるので、スーパー、デパートは売り上げが落ちるそうです。街は夏のセールに入ったというのに。
このようなお天気のときは、静かに音楽を聴きながら過ごすのがいいのかもしれません。
私は古い録音のクライスラーのセピア色した音色と、グレーの雲が空を覆った光景とがマッチして、自分勝手に20世紀前のウィーンを想像しています。
ウィーンの洒落た街並み、この街の往時へのノスタルジーをかきたてられます。
ひょうたん型のヴァイオリンケースを小脇に抱え、トレンチコートの襟をたて、帽子をかぶり、少し前かがみで小雨の中を急いでいる姿を想像すると、このいやなお天気もなんだかロマンティックになってきます。
「愛の悲しみ」にこのような雰囲気を冒頭の部分に感じるのですが、、。