<共演のつのだたかしさん(リュート)と>
「せんくら」の長い一日の最後は、イタリアのバロックの歌です。
オペラ誕生の立役者カッチーニや、「オルフェオ」の初演400年で盛り上がっているモンテヴェルディ、ヴェネツィアで活躍したストロッツィなどを聞いていただきます。
バルバラ・ストロッツィは、教養と美声で知られた女性作曲家でした。
本人では?と言われる肖像画が残っていて、それは胸もあらわな豊満な美女の姿。
イタリアカンタータの世界に大きな足跡を残し、何巻もの作品集を出版した女性です。その驚嘆すべき仕事ぶりは「女性作曲家列伝」(小林緑編著)に詳しい。
彼女の感慨深い生涯を知らなかったとしても、この人の歌には、女性歌手たちを深く惹き付けるものがあります。
なんといってもメロディーが、ぐっとくるものが多い。
歌心をくすぐるというか、どっぷり浸りたいと思わせるフレーズが満載されている。
今回歌う「聞いておくれ 恋人たち」の詩。
楽しみは泣くことだけ 私の食べるものは涙だけ
信じていた人に裏切られた者は、最後に苦しみによって殺され埋葬されてしまう、と嘆く。
この「埋葬」という言葉にのせられた最後のフレーズ、最初に聞いた時にはたまげました。1オクターブをはるかに越える大きな跳躍で歌われるのです。
バルバラが自分の声を大胆に駆使しながら、聴衆を魅了していたんだろうなあ。
かと思えば、「愛の神は眠たがり」のようにコケティッシュな軽い曲もあり。
たくさんの芸術家がひしめくイタリアの、バロック時代の若い頃。
その美味しさをみなさまと味わいつつ、仙台の一日を終えたいと思います。
リアルタイムというのは、スリリングなものだ。
私は日頃、300、400年前の曲を主に歌ってるので、
その曲を作った人や詩を書いた人と直接に会うことはない。
現代の作曲家や詩人の方々のものを演奏する機会(それもご本人を目の前にしながら)、これは本当に緊張します。
現に谷川俊太郎さんの隣で武満を歌った時、まんまとその緊張につかまり、間違えました。
歌詞を。
「3月のうた」(曲:武満徹/詩:谷川俊太郎)は、石川セリさんの歌で知って以来、リュートでよく歌わせていただく曲。
イギリスやドイツでは、いつもアンコールで歌ったが、どこで演奏しても
例外なくお客様に届いていく、強い曲だ。
わたしは花を捨てて行く
ものみな芽吹く三月に
わたしは道を捨てて行く
子等のかけだす三月に
・・・(以下略)
何かから離れることと、“三月”という季節は、日本人の心の中ですんなりと向き合う。
ある友人は、“サンガツ”という発音されただけで涙腺をヤラレてしまう、と言っていた。
季節がはっきりと設定されているにもかかわらず、一年中いつ歌っても
この曲は本当に強い。
静かに、強く、
聴く人を、別れと旅立ちの季節に連れていく。
ダ・ヴィンチの「受胎告知」を見に行きました。ガブリエルの真紅の衣、白い横顔が細胞に染みました。
会場にはデジタルで再現された複製画もありましたが、やはり何かが違うと言って「光」です。
本物には形容しようのない、生き物のような『うごめき』がありました。光がゆらゆらしてるような、絵の中から澄んだ音が響いてくるような。
絵画は、画家が意図して伝えようとしたことがそのままそこにある。もちろん保存の状態にもよりますが、音楽とはそのあたり、かなり違います。
私たちは「楽譜」という不完全なものを案内人にして、作曲家と語り合う。その歌を作った人の「光」の百分の一でも再現できたら、と願いながら。
ある時リハーサルで顔を合わせたテナーの男の子が、同僚のソプラノの子に「今日のあんたの服、いけてなーい」と駄目だしされてました。
「だって、今日雨だから。きめる気がしない」
と彼。普段からとてもおしゃれな人です。
その会話を横で聞いて「人それぞれだなあ」と思いました。
私は雨の日は絶対にきれいな色を着るようにしてます。
晴天の国「九州」で育ったもので
“しとしと” “どんより” というのには本当に弱く、身も心もやられてしまいます。
だから、暗い日には明るい色。
傘やTシャツ、スカーフをヴィヴィッドな色にすれば、雨の日もまた楽し!
その昔、私が小学校の頃に「雨」という歌謡曲が流行りました。
雨に濡れながら たたずむ人がいる
傘の花が咲く 土曜の昼下がり
この「傘の花が咲く」という詩、好きだったなあ。
歌手のこぶしが独特で、最初の「あめ」が「あんめー」になっていたのが
思い出されます。
そうそう、「ポンポーサ」はスペイン語で「華やかな」「派手な」という意味。
楽しくなる語感ですね。
太陽のない日はポンポーサでいきましょ!
季節が6月ともなると、巷のうぐいす達のテクニックも上級になるようです。
春先には「けきょ けきょ け」と、聞いてるこちらの気が抜けそうなビギナーヴォイスだったものが、
最近では「ほぅ~~~~~ ほけきょぅ~」
軽やかなフレーズに変化。
思わず「うまいっっ!」と間の手を入れたくなります。
うぐいすの人知れぬ精進の日々に、頭をたれる私です。
かと思えば、山鳩(か?)の
「ふんがーっがっがっ ふー」
という耳につく妙なリズムの声も聞かれます。
こちらは練習も何もなさそうですが、テンポ、リズムキープの正確さに、頭が下がります。
鳥は一体どのような意識で自分の歌を鍛えるのか?
すごく彼らに聞いてみたい。
「やっぱり!」と思うのか
「かなわん。。。」とがっくりくるのか。
どうも後者のような気がしてしまう。
とにかく四六時中「声」というものについて考えているので、今回のせんくらの朝一のプログラムも、何も考えなくても、考えている「発声」のことにした訳です。
これは決して
「こういうのがきれいな声です。さ!やってみて!」
というワークショップではなく、
むしろ自分の知らない、自身の声の美しさに気づいてもらう、そんな時間にしたいと思ってます。
みなさんのご参加、楽しみにしています!
イギリス民謡が日本人の心にフィットするのはなぜでしょう。
そのメロディーだけで十分に魅力がありますが、今日は詩のうまみを味わってみませんか。
例えばサリーガーデン。「柳の庭」という意味です。
「僕とあのひとは柳の庭で出会った
彼女は雪のように白い 小さな足で歩きながら言った
愛を 気楽に考えましょう 木に葉が繁るように
でもその時 僕は若くて馬鹿だったから その言葉に頷かなかった」
気楽にいきましょう、とリラックスした彼女と、より真剣な若い男。
サリーガーデンの詩は、たった2連しかない。
1番の歌詞を見ただけで、彼のその後の運命が見え隠れするでしょう?
この数行の言葉には、千行の詩でも言い尽くすことのできない恋の苦みがあふれています。
サイモンとガーファンクルによって世界中で知られることになった「スカボロフェアー」は、不思議な詩。
スカボロの市に行くのですか?
あそこにいる人に 僕のことを伝えてくれる?
昔 恋人だった人なんだ
彼女に1エーカーの土地を見つけてくれるよう言って
海の水と砂浜の間に
そうすれば 彼女はもう一度僕の恋人
何番もの詩が残っていますが、ほとんどが「不可能なこと」を投げかけています。
一体何が言いたいのか??
彼女に戻ってほしいのか、ほしくないのか?
そして印象的な、パセリ・セージ・ローズマリー・タイム というリフレイン。
これを繰り返し歌っていると、決して抜けられない迷宮にいるような気がしてきます。
仙台のみなさま、こんにちは。
この秋、美しい杜の都で一日中歌いまくることを、心より楽しみにしています!
さて今回用意しましたプログラムのいくつかは、400年前のシェイクスピアの時代にイギリスやイタリアで盛んだった音楽。私たちデュオが日頃から最も愛奏しているジャンルです。
クラシック音楽の中でも、その「地味さ」において右に出るものはない(意:知られていない)ジャンルですが、みなさまに耳なじみがないかというと、これがそうではありません。日本全国このメロディが一日に何回流れるか、想像もつかないほどポピュラーな「グリーンスリーヴス」は、この時代の流行歌です。
電話の「おまたせメロディー」に使われるのは言うに及ばず、うちの近所では「卵売り」の車がこのメロディーと共にやって来ます。合間にニワトリの「コケーッ」という鳴き声付き。これは原曲にはありません。
この歌、実はこんな内容です。
「グリーンスリーヴスよ、僕は君に 人生も土地もすべて捧げたペチコートも買ってあげた あれも これも買ってあげた。。。」
綺麗なレディ、グリーンスリーヴスにほれぬいて、捨てられ、なおあきらめのつかない哀しい奴。しかし彼の思いは美しいメロディーにのって、400年後の極東の国にまで届いたのでした。あきらめが肝心、とは限りませんね。