第1回にも書きましたが、私が子供の頃から持っている最大にして唯一の趣味は魚釣り、フィッシング、アンゲルンです。他にも読書や絵画鑑賞や民俗学や文化人類学に関する考察、コンサートで訪れる各地の美味しいものめぐり等もありますが、釣りへの情熱やキャリアに比べれば、全然たいしたことありません。チェロ歴26年ですが、釣り歴は35年以上ですし!
アメリカにいた頃は、父や兄の釣ったブルーギルやカットスロート(ニジマスの一種)に土をまぶしたり、バケツの中でもう1回針を魚の口に刺して釣るマネをしていた私は、当然のように小学校1年から広瀬川で釣りを覚え、毛バリでオイカワやウグイを、追い廻しや今は埋め立てられてもうない放れ山の池では、ミミズで釣ったザリガニやカエルをエサにライギョを、青葉山の奥にあった蛇沼(こちらはもう埋め立てられてしまいました)では、ネリエでキンブナ、ギンブナを、大倉ダムではルアーでニジマス、サクラマスを、また折立の貯水池では当時東北では希少だったヘラブナと1m超のノゴイをと、まさしく釣りキチ三平クンのように、しかも学業には全く勤しまず、日夜狙い続けてきたわけです。
東京芸大在学中だけは、チェロの技術向上のため大学院時代も含め7年間も“禁釣り”していましたが、プロになってからは、今度は芦ノ湖に通いつめ、念願のスーパーレインボー(60cm以上のニジマスのことを釣り師たちは畏敬の念をこめてこう呼んでいるのです)を釣り上げたのを区切りに、最近は磯釣りにハマッテおります。
5年前は週に2回(もちろん毎週!)ぐらい、磯や堤防にクロダイやメジナを求めて通っていましたが、最近は忙しくなってしまい、年に1、2回しか竿を出せません。
自分のやりたい仕事だけを自分のペースで選べる反面、そのオファーがいつ来るかは選べないのがフリーランスのツラサ…じゃなかった、楽しいところで。ひどい場合は「明日3ヶ月ぶりのオフだから釣りに行こ!」とワクワクしながら竿やリールの準備をしているある水曜日の深夜23時47分、無情にも「明日13時〜20時でサウンド・イン(スタジオの名前)お願いしまぁ〜す。」と明るくオファーの電話がくると、「ハイ、喜んで!!」とつい答えてしまいます。しかも翌日スタジオに行ってみると映画「釣りバカ日誌」の録音だったり…。
こうやってチェリストの休日はどんどん先送りになっていくのですが、今年はまだ1回も釣りに行けていないので、11月には何としても3、4泊ぐらい佐渡に釣行しようと思っています。今年はたぶん釣行はその1回だけでしょう。
先日、八丈島でコンサートがあり、演奏会翌日と翌々日も釣り用に空けていたのですが、何と朝起きてみると台風の襲来で2日間何もしないで、飛行機も欠航している中、次のコンサートのために何としても戻らなければならず、波高6mの海を船で11時間揺られて帰ってきました。グスン…。次こそ八丈島で1m級のヒラマサやカンパチを釣るべく、主催者と来年のコンサートのプログラムを打ち合わせている最終中です!
さて、長々と釣りの事等書いてしまいましたが、1週間これを読んで下さった皆様、私丸山泰雄という者がご理解いただけたでしょうか?
少しでも興味を持たれた方はぜひ、10月9日の12:30か14:45に「せんだいメディアテークオープンスクエア」にいらして下さい。そこで楽しそうにチェロを弾いているのが私ですので!
丸山泰雄
今年はモーツァルト生誕250年ということで、世界中でモーツァルトが演奏されています。私も5月のラ・フォルジュルネ・オ・ジャポンをはじめ、各地でモーツァルトを演奏していますが、残念ながら天才モーツァルトはチェロ独奏のための曲を1曲も作っていません。
まぁ、もし彼がチェロ協奏曲を書いていたら、弾くのがメチャクチャ難しい曲になったでしょうけども…。モーツァルトはチェロが嫌いで書かなかった様ですが、他にもチェロ・コンチェルトを書かなかった、もしくは書けなかった作曲家はけっこういます。ベートーヴェンも、自作のチェロ協奏曲を捧げようとした当時の名チェリスト・ロンベルクに「ピアニストの書いたチェロ曲なんかいらない!チェロ・コンチェルトは私が書いて弾くから。」と冷淡にあしらわれ断念。
またチェロ協奏曲の最高の傑作でもあるドヴォルジャークの作品を見たブラームスが「こういう風にチェロの曲を書けるとどうして私は知らなかったのだろう!知っていればずっと前に私が書いただろうに!」と絶句した話などはあまりにも有名です。
作曲家の友人に言わせると、たしかにチェロ曲は書くのが難しいらしく、何でもできる楽器だけど音がマイルドなため、他の楽器の音に埋もれやすく、オーケストレーションに苦労するということでした。
それに比べれば無伴奏作品は他の楽器に配慮する事なく、純粋にチェロの表現力や技術を追求できるためか、1915年のコダーイ作品以降、画期的な曲が目白押しです。私も来年には20世紀の無伴奏チェロの作品6,7曲を一晩で演奏するコンサートを、東京、仙台他で計画中です。
ぜひそちらも足を運んで聴いてみて下さい。チェロの表現力の多彩さにビックリすると思いますよ!
さて、いよいよ最終回の次回は音楽やチェロから離れて、私の趣味について少々書きたいと思います。
ではまた明日!
丸山泰雄(チェロ)
よく「クラシックの人は毎回同じ曲を弾いてばっかりで飽きないの?」と私の仙台二中時代の友人達から聞かれます。そんな時はいつもこう答えることにしています。
J−ポップや演歌等の歌謡曲も映画も毎年何十、何百とリリースされるけど、10年後にその中の何%が人々に覚えられているか考えてみてくれと。今皆が知っているクラシックの曲は50年も200年も前からそれぞれの時代の人々に愛され、聴かれ続けてきた曲ばかり。当時その10倍以上作曲され、聞かれていただろう駄作たちはとっくに厭きられ、忘れ去られているのだから、今生き残っている作品が、いかに時代や国、流行と関係なく普遍的な魅力と内容を持った曲たちか解るでしょう?と。
同じように、「ヴァイオリンやヴィオラ、チェロといった弦楽器は古くないとダメ」と言われていますが、面白いものでこれも同様の理由で、有名なストラディヴァリウスやグワァルネリウス等は(どちらも軽く億を超えます、私が見た1番高いストラドのチェロはなんと15億円!!)、新品できたてのホヤホヤの頃から音も美しさも超一流だったので、大切にされ300年間も使われている訳で、当時の三流の楽器は現在ほとんど残っていません。雑に取り扱われ、壊れても修理される事なく、使い捨てられたのでしょう。
そう考えれば曲の場合も楽器の場合も、その素晴らしい作品を何度弾いても飽きるなんて事は全く無く、曲の場合はかえって毎回新しい発見を曲の中にできますし、様々な可能性を作品自体が内包しているので、「作品の忠実なる再現者」であるべき我々演奏家は、自分の表現力の可能性の拡大、深化を集中力の維持のため表現を変えなければいけません。それによって毎回作品に新たな生命力が生まれて、演奏する事がまた楽しくなるわけです。1度完成した、もしくは会得した表現法に安住した途端、その行為はあっという間に陳腐なものになるというのは演奏にかぎらず、すべての表現芸術に共通する事だと思います。
20世紀最大のチェリスト、パブロ・カザルスの偉大さを語る時、彼が少年期から毎朝、「自分のために」弾いていたバッハの無伴奏チェロ組曲を、90歳になっても今覚えたての曲のように新鮮に演奏していた話が取り上げられますが、私もチェリストの端くれとして、その話をいつも忘れないようにしています。
ではまた明日!
丸山泰雄(チェロ)
現在、私はフリーのチェリストとして活動しています。内容はというと、ソロ、室内楽がメインで、その他に年間それぞれ5回定期公演を持つ、ソリスト集団とも言える精鋭揃いの室内オーケストラ「紀尾井シンフォニエッタ東京」と「トウキョウモーツァルトプレイヤーズ」のメンバーとしての活動や、国内主要オーケストラの客演首席等が中心になります。
前回書いたように、チェロは非常に多才な楽器ですので、どの様な編成でもやりがいのある声部が与えられますし、フリーでいれば、ソロばっかりとかオーケストラばっかりというように1つの活動の場に縛られて煮詰まったり、飽きる事がなく(笑)、自分には向いていると思います。
他にも自分でプロデュースするコンサートが年数回あります。演奏家の仕事のほとんどはクライアントからの依頼によるもので、なかなか自分が弾きたい曲を一緒に弾きたいプレイヤーと演奏できるわけではありません。じゃあそういう演奏会は自分で創ってしまえと始めたのですが、自分でプロデュースしてはじめて感じる裏方の努力やお客様のニーズもあって、とても良い勉強になっています。
また、クラシックだけが好きという訳でもないので商業音楽の録音もしていますが(テレビや映画、CM、舞台等でチェロの音を聞いたら、その半分ぐらいは私の音だと思って下さいね。音にはサインを残せないのが残念ですが)、いわゆるスタジオと呼ばれるこちらの業界も奥が深く、キビシイ世界で、1回楽譜を見たら2回目はもう本番レコーディング、場合によっては初見で録音、しかもそれを3時間で40曲!なんてことが普通で、それができない人は二度と呼ばれません。
そこで活躍しているプレイヤーの顔つきは、クラシックの「夢見る音楽家のそれ」よりどこか凄みがあり、賞金稼ぎ、黒澤映画の椿三十郎みたいな人ばっかりです(半分ウソ)。また、マイクで音を拾ってミキシングすることを念頭に置いた弾き方をしないと音がうまく乗らず、ホールで800人や2000人の聴衆に音を伝えるクラシックのコンサートとは弓のスピード、圧力や左手のヴィブラートの種類も完全に変えなければなりません。
このように、同じチェロの演奏でも、100回も200回も練習して聴衆に披露するクラシック、たった1回の譜読みで本番のスタジオと、その両方をやっている事で、私の場合はバランスがとれていると思っています。
ではまた明日。
丸山泰雄(チェロ)
皆さんこんにちは、今日は昨日の続きとなりますが、チェロの面白さについてもう少し書きたいと思います。
チェロの魅力は音色の豊富な点にあると前回書きましたが、もう1つの特性はその音域の広さにあります。ピアノ、ハープを除けば、すべての楽器の中で最も音域が広く、しかもそのどこの音域でも良く響く音の出せるチェロは「楽器の王」とも呼ばれています。
今回の“せんくら”で私が弾くソロ曲もヴィニャフスキのスケルツォ・タランテラやクライスラーの中国の太鼓等、ヴァイオリン曲ばっかりですし、4人でのアンサンブルをチェロというたった1種類の楽器でできるのも、この楽器の持つ音域の広さが大きな強みになっているのですね。
従ってソロと室内楽、オーケストラでは、チェリストが弾くポジションや要求される音の性質は全く違う訳で、優れたチェリストはその時々に応じてソプラノ、アルト、テナー、バスの4役を使いこなしているという事になります。12人のチェロ・アンサンブルともなれば、1曲ごとに打楽器の役、金管、木管の係、1stVn(ヴァイオリン)の担当、リズムを刻む2ndVn、和音に表情をつけるVa(ヴィオラ)、全体を支えるティンパニーやCb(コントラバス)のパートもチェロだけを使って弾きわけなければいけません。
そういった多様性を持つ楽器であるチェロだからこそ、私も様々な形態で演奏活動を展開できているのですが、その話は次回にしましょう。
丸山泰雄(チェロ)
私がチェロを初めて触ったのは15歳、高校1年の時です。プロのヴァイオリニストになるには3〜5歳から、チェロでも5歳ぐらいから始めるのが普通で、遅くても小学校高学年から練習しないと間に合わないといわれるこの世界では異色な存在なわけですが、子供の頃は、サッカーや釣りに夢中で、クラシックには全く興味がありませんでした。
ただ、音楽が嫌いという訳ではなく、中学の頃からロック、特に最初はビートルズが大好きで、他にもディープパープルやジミ・ヘンドリクス、ジェフ・ベックやボストン等を毎日聴いていたのです。また、聴くだけではなく、サッカーのコーチの飼っている2匹の「犬の散歩」というアルバイト(毎日30〜1時間、1回250円)で貯めたお金で中古のエレキベースを買って弾いたり、兄が弾いていたクラシックギターを借りていじったりしていたのですが、高1の春に、たまたまテレビでチェロの演奏を見て(今にしてみれば、私の人生を大きく変えたそのチェリストはオーストリアの名手、ハインリッヒ・シフ氏です。今年12月に共演するので、その時彼にそのことを伝えようと思っています)、趣味のつもりで習ってみたところ、その面白さの虜となり、現在に至ります。
チェロの面白さは、その構造が極めて原始的でシンプルなため、自分の体のちょっとした使い方の工夫やタイミングの違いで音色が無限に変化する点にあると思います。チェロを弾き続けて今年で26年ですが、幸せなことにちっとも飽きず、どうしたら今までより上手に弾けるだろうかと毎日取り組んでいます。
ではまた明日!
丸山泰雄(チェロ)
はじめまして、仙台クラシックフェスティバルせんくら2006に出演する仙台市出身のチェリスト、丸山泰雄です。
仙台で生まれ、父の仕事の都合で3年ほどアメリカ合衆国に滞在した時期を除けば、立町小、仙台二中、仙台二高と、私の青少年期を過ごした仙台は、まさに私のふるさとです。
当時は川内に住んでいたので、家の裏にある公園を通れば3分で広瀬川、真冬以外は毎日のように魚釣りをしていました。また、小学校5年の時からサッカーにのめり込んでいたので、いつも真っ黒でケガだらけでした。
さて、今回の“せんくら”には10月9日にチェロ・ソロとチェロ・クワァルテットで2回出演するのですが、秋の仙台といえばまず思い出すには芋煮会。(皆さん知ってますか?芋煮会は東北独自の文化で、東京や関西の人達は全然知らないんですよ!)
東京に住みはじめてもう23年、毎年秋には、芋煮会を懐かしく思い出し、音楽家仲間に開催を呼びかけるのですが、秋は忙しいからと誰も積極的に話に乗ってきません。せっかくの機会なので、今回はコンサート終了後に伴奏のピアニスト中川賢一君とチェロ・クワァルテットのメンバーを強引に誘って、広瀬川で芋煮会しようかとマジで考えています。
澱橋付近の河原で私を見かけたら、ぜひコンサートの感想を聞かせてください。それではまた明日!
丸山泰雄(チェロ)