せんくら四季、リサイタル

2006.07.12| 松山冴花

せんくら、すごく楽しみにしてるんです!

ギターやマリンバの公演も興味津々。私の公演は四季と小リサイタル。四季は仙台フィルの方達と、リサイタルはピアノの津田裕也さんと。

四季を弾くのは久しぶりで、勉強しなおし、天候いっぱいのおもしろい一年にしたいとおもいます。仙台フィルの奏者の中に入って弾くのは初めてなので、彼達と一緒に魅力いっぱいの音楽を作りたいと思います。リサイタルでは、割とテンポの速い曲が多く飽きる暇なし。指は有り難く速く回るので得意分野。リハでは裕也さんとバッジーニの曲でテンポ競争したいぐらい(そんなこと裕也さんに言ったら彼にも呆れられる可能性有り)。

仙台に行くの、いつも楽しみにしてます。仙台コンクールの時に本当にお世話になった事務局の人たちは、会う度によくしてもらって、無理矢理遊んでもらったり、コンサートに来てくれる方々と話すのを毎回楽しみにしています。10月、その時ちょうど小学校訪問も予約に入っていて、ちょっとビクつきながらもワクワクしています。

私、きっとコンサート会場の辺、うろついてると思うので、もしよかったら話しかけてください。

とんちんかんな答えが返ってきたら、きっと私です。

松山冴花(ヴァイオリン)

祖父、母、+私生活

2006.07.11| 松山冴花

私の祖父は昔、料理人でした。

もう20年以上前に他界したものの母はいつも彼のことを絶賛しています。なんせ彼、なだ万の料理長、そして辻調理師学校の学長だったから。別に理由ないです。ただ単に自慢したかっただけ。で肝心の私はネギを切ったら切れてない。でも悪友が褒めてくれるカクテル作る腕はあります。

で、話変わって。

私の母は強い人。高校時代には数百人の生徒のなかで期末テストは決まって1番。神戸大学時代には女子生徒の人数、指で数えられるぐらいの中の一人。仕事はなんでもこなし、言った事は全部テキパキ終わらせていきます。今でも彼女、毎日GYMにいってがんばってます。面倒いっぱい見てもらって尊敬めちゃしてます。

祖父も母もしっかり者。だから私こんな天然になったのかも。

そう見えても私、夏以外は割とまじめに暮らしてます。練習以外、生徒は今の所3人いて、ほとんど毎日のように教えてます。私自身も3人の先生にお世話になって、教わった事を彼女らに教え、そして彼女達が上達していくのを聴くと本当に嬉しいです。その他には私の四重奏、みんなで集まっての練習。テクニックの見せ合いしてつまらない事しておもしろがっています。いい友達でもあるヴィオラ弾きとは時々意見が合わず、頑固に自分の意思を通すのもおもしろさの一つ。でも他のメンバーが見てる中で、たまにすごい言い合いになります。でもその後は彼のガールフレンドに愚痴って気分晴らし。

でも、今は夏。初めてsummer festival に行かない夏。朝の4時頃までボーっと起きててお昼ごろ起きます。母と一緒に住んでたら絶対に出来ない事。このことバレたらまた彼女、呆れるでしょう。

松山冴花(ヴァイオリン)

NY独り暮らし

2006.07.10| 松山冴花

今、NYで独り暮らしをしています。

私が9歳の時、可哀想な父を日本に置いてきぼりにし、母と兄とでNYに引っ越ししました。それからずっと一緒に母と住んでいて、今年から独り立ちしようと思って母に言ったらもう、彼女大賛成。そこまで嬉しがらなくても、というぐらい喜んでいました。

アメリカでは親から離れて住むのが全くの普通で、私の友達のほとんどが、大学に入る10代後半から親元を離れ、自立してます。それに私も憧れやってみたいと思い、マンハッタンのてっぺんの辺、学生が多く住んでいる所にstudioを見つけました。

現実は厳しい。何の為に銀行に稼いだお金を入れてるのっていうぐらいキャッシュが飛んで行く。別に無駄使いしてるわけでもなく、いつも疑問に思います(お酒?)。それにホコリはすぐたまるし、ゴキブリは出てくる・・・。毎日ご飯を作るのも面倒く、大量に作っては1週間毎日同じ物食べてます。

エレベーターの隣に住んでいるため、エレベーターが通るたんびにアパートが揺れたりとか。隣に住んでいる女性は毎朝6時頃鳩にエサをあげているから、毎朝鳩の合唱で無理矢理一旦起こされます。電気代が惜しく真っ暗の部屋で暮らしてるのを母に発見され、またもや彼女に呆れはてられました。

一人暮らし、こうゆうもんかと。

松山冴花(ヴァイオリン)

私と兄のこと

2006.07.09| 松山冴花

ヴァイオリニストの松山冴花です。今日から7回ブログを書かせてもらいます。

まず最初の一つ目は、私と兄のことです。一番楽なトピックから。

私は2歳の頃からヴァイオリンとピアノのレッスンを受け始めました。理由は3歳上の兄貴がその2つの楽器を弾いていたため。でも私が始めるとすぐにヴァイオリンをやめちゃいました。その他に私は、水泳、バレエ、習字、お絵描きのコースに行ってたものの、バレエの発表会の時にしなくてはならない化粧が大嫌いでやめてしまい、習字、絵は一応習ったけど全然上達しなくて、母には迷惑のかけっぱなし。

私がちびで私の兄貴が7歳ぐらいの時、2人でピアノのコンサートに出て4手の為の曲を弾いたのを覚えてます。確か曲の真ん中ぐらいまでいった頃の事。私がミスったようで、気がつくと兄に頭1発、お客様、先生達、母の見てるステージの上でポカンとやられたのが私の一番始めの音楽に対する思い出です。

5歳ぐらいの時からピアノは私、ド下手と実感していて練習もイヤイヤ、私の兄もその後チェロ、フルートをやったものの、自分は楽器の天才と自画自賛した後、音楽はやめてしまいました。これは、はっきり覚えてます。彼のフルートの練習方法をみて、私と母が呆れかえったこと。彼奴、椅子にどっぷり座って、両足を机にあげて、テレビでNY?KNICKSのバスケの試合を見ながらフルートを弾き、15分後に自分の部屋から出てきて何を言うかと思うと、‘俺、フルート、完璧’。その時、‘はあ?’っと思ったものの案外その言葉に感心した私、自分自身にも呆れました。

今、彼はNY Stock Exchange のSenior Computer Analyst として働いてます。

それはどんな仕事なのか私、さっぱりです。

松山冴花(ヴァイオリン)

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