センクラの平井Producer様、ブログいっぱい書かさしてもらってありがとうございます!
一回目書いた後また書きたいとお願いしたら快く0Kしてくれました。またチャンスがあればお願いします。
最後のブログ、なんか面白い事ないかと脳の隅々まで探しても暑くて暑くて脳細胞もバテてるので私の一番苦手な事書きます。
アツイノ、キライ。
今週NY、毎日毎日35℃以上が続くみたいでその事考えるだけでゲソっとします。先月仙台が36℃になった時もちゃんといました。私は寒いの大好きで、真冬のマイナス10℃になっても窓を開けて寝るたちです。出来る事なら冬眠じゃなく夏眠したい。冷凍マグロになりたい。
で思い出したのが色々な夏の暑さの思いで。
日本にいた頃、両親がどっかに出かけていって兄キと私で少しの間お留守番。彼らが出かけていったその直後、兄キ、なにを思ったのかエアコン消しました。彼、私以外の事にはすごく正義感が強く、なんでエアコン消したんだって文句言ったら‘うるさい!ちょっとは地球環境の事考えろ!’って言われました。地球もきっと冷房欲しいと思ってるよ。お昼、汗だくでカレーを二人で作って、さあ食べようってゆう時に空気の匂いを気にする彼、家の中の空気の循環をよくしようって勝手に決めて窓をガラガラっと開けました。
...
唖然として文句も言えない私。いままでせっかくかすかに冷えてた部屋の空気が一発で外に。カレー食べる気一気になくしました。
ドイツのSchleswig-Holsteinも暑かった。オケのリハで汗だくになって休憩時間部屋に走って戻って冷水シャワーを。カラスシャワー浴びてる時、コンマスの私がいなかったらリハも始まらないだろうって冗談で思って、リハに戻ったら遅刻。...めっちゃ申し訳ない、オケのみんなリハ始めるのを待っててくれました。友達+オケ全員に冷やかされてこっちは冷や汗ダラダラ。ゴメンナサイ。
夏の冷え方法、多少は控えてます。一番好んでるのはやっぱり冷水シャワーの後冷凍庫の前に仁王立ち。昔は親やアニキに怒られて出来なかったので、今は冷凍庫解放とガンガン冷房でめっちゃ幸せ。
でも今月の電気代の請求が恐ろしい...
とゆうことで涼しくなった10月の仙台、楽しみにしてます!
松山冴花(ヴァイオリン)
マッサージ、大好きです。
この前行ったのは真冬の時。自分でバキバキ背中の骨をいくらならしてもしっくりしなかったのでマッサージへ。
インターネットでスパのマッサージ師さんを選択して、予約一週間前からワクワク。余談ですが私を知ってる人は、私が大の酒好きだってことみんな承知してます。飲みにいこうって誘われたら誘われる前に0Kするぐらいいつも飲み友達を募集してます。マッサージ当日、前働いてたオフィスのボスから飲みに誘われましたがそれもぶっちぎってマッサージの所に走っていったら彼、私の心外行動にびっくりしてました。
待ち遠しかったスパ。マッサージ師は大きい男の人。マッサージ台の上に飛び乗って待ちにまったマッサージ、スタート。
...
イタイ。
ちょっと待って、マジ、痛い。兄ちゃん、冗談じゃないよ、その力。
息するのも忘れるぐらいの力。冗談抜きに鼻血が出てきそうなぐらいの力。そしたらマッサージ兄ちゃん、
“プレッシャーどうですか?強すぎませんか?”って。
...めっちゃ強すぎよ。
でもここで実感したのは私、やっぱり関西人の血が流れてるってこと。その時瞬間的に思ったのはどうせ同じ値段なら強くしてもらったほうが得するだろう。マヌケに‘完璧です’って言ったその後80分、彼の怪力に耐え続けました。
お酒もほとんど同じ事。スピリッツ系が大好きでビール系は嫌いです。ビールの味が好きじゃないのと、どうせ飲むんならアルコール度数が高い方がお安くつくんじゃないかって思ってます。
ってゆう訳で仙台行った時は一緒に遊んで下さい。
松山冴花(ヴァイオリン)
私、この半年ほど彼氏さんいません。
そう堂々と宣伝してもしょうがないんですが、私の母は早よ一緒に遊んでくれるBF作ったら?っていいます。で、私、男友達は女友達より遥かに多く、母もその中から選べばいいじゃないって言いますが、付き合うのがイヤだから友達にする。25歳越したら次は50よ、適当でいいじゃないってゆう彼女に、
“結構、結構、コケコッコー”
って言ったら脱力してました。
母、そして友達にも、なぜ私に彼氏さんが出来ないのか聞いてみました。
これが、彼らが私に対するコメント:
−構わないでってゆう顔してる。(母)
−極端で白黒はっきりしすぎる。(いいじゃん、解りやすくて)
−えり好みしすぎ。(何が悪い?)
−いつも笑ってるから何考えてるのか解らない。(別に何も)
−笑ってない時は殺気立ってる。(はあ?)
らしいです。
日本の友達はいつも髪の毛もお化粧も念入りきれい。この前友達と一緒に遊んで彼女のバッグの中身を見せてもらったらヘアカーラーがでてきました。休日は化粧に2時間かかるとか。それに比べて私、学校いかなきゃいけない日はベッドから起き上がって、ショワー、朝ご飯、用意いれて20分で家を出れます。顔はいつもスッピンピン。ステージの上に立つ意外は髪の毛ボサボサにノーメイク。家にいる時は母も呆れるようなボロボロ服で気楽にすごしてます。母は、ちょっとはきれいにしたらって嘆いてますが、誰にその‘きれい’をみせたらいいんだ?と思い始めるからやる気全くなし。
別話ですが、私の友達ほとんどが色々な血が流れてて男女共々顔がいい。一つの血が流れているのは私含めて少数人。なんでミックスにして生んでくれなかったんだって母に文句言ったら彼女、こう言い返してきました。
“一つの血でちょっとはマシに作ったんだから感謝しなさい!”
母には全然勝てません。
松山冴花(ヴァイオリン)
私の四重奏のヴィオラ弾きとチェロ弾きを紹介します。彼らの許可なしに書かしてもらいます。
ヴィオラのエリックは、彼がインターロッケン学校(全生徒寄宿制)にいた頃は手につけられない奴だったそうで何度か退学なりそうになった、って彼から聞きました。ビールを自分の部屋の押入れで作ったのがバレたり、ゲストハウスに友達と無断侵入してこれもバレたりとか。
でも今は美人のしっかりした彼女さんもでき、まともに暮らしてます。ついでに彼女は日本で昔モデルさんをしてて、今はコロンビア大学でPh.d.を目指しています。
チェリストのマイケルはいい競争相手。メキシコで唐辛子を食べるのを、辛いの大好き私に挑戦してきたのも彼。メキシコ人の友達もあまり進めない屋台食を食べようって、私に言ってきたのも彼。
そんなマイクもちょっと変。
Quartetでマイアミに行った時、泊まらしてもらった家の練習部屋のお手洗いのドアは西部劇の飲み屋さんにでてくるようなドア。だから全くプライバシーがなくて、みんなで珍しがってみてると、マイク、いきなり尿をしたくなったと。私、慌てて彼に私が部屋の外に行くまで待てっと言っても聞かず、そのまま普通に用をすませました。彼の言い訳は“いいじゃん、だってどうせ体の水じゃん”って。
そりゃそうだけど...
次はメキシコに行った時。一人一人各自部屋をもらって私は大満足。リハの後、皆自分の部屋に戻ってくつろいでました。少しするとドアにノック。マイクが立っていて、どうしたの?って聞くと暇でつまらないと。私、彼に‘私、今から昼寝するとこだったんだけど’って告げると彼は‘ふうーん’って。そしたら彼、
“じゃ、トイレ使わせて”
...別に使うのは全然かまわない。けど彼の部屋はマジ5メーター先にあるから自分の使ったらいいじゃん、って後からマイクに言ったら
“だってそこにトイレあるんなら、わざわざ自分の部屋まで戻る方が理屈に合わない”と。
...マジ?犬じゃあるまいし縄張り争いしなくても。
そうゆうマイクはカナダ人。カナダ人ってゆうだけでアメリカ人は割といっぱい見逃してくれます。
見逃してくれるなら私もカナダ人になりたい。
松山冴花(ヴァイオリン)
お向かいのアパートの窓に鳩が巣を作りました。たまごがあるみたいでいつも巣に座ってます。
NYは鳩と雀がウジャウジャいて、特に鳩は‘羽根がついたネズミ’って呼ばれてます。でも誰も鳩のヒナは見た事がない。この事はNY Timesにも数年前書かれてました。
ついでにNYはシングル*マザーが多くて、自分だけで子を育て、仕事しながら大学に通ってがんばってる人がいっぱいいます。
その二つが目の前の窓にあるってゆうだけで、一人で興奮してました。母に電話して、“一匹の鳩が一生懸命たまご温めてるよ”。彼女も、“さすがNYね。鳩も一羽で子育て大変ね。”ってゆった直後、別の鳩が巣に来てバトンタッチ。ちょっと裏切られた気持ちで母にその事を告げると彼女、爆笑。そして、
“なに? あんた、ハトにも負けてるわけ!?”
って言われました。
...ほっといてくれ。
気を取り直して数週間みてて、あともうすぐでヒナ生まれるんじゃないかってゆうとこで日本に一週間。NYに帰って窓から探しても巣があるだけでヒナどころか鳩も面影なし。
思い切って友達に聞きました。鳩のヒナは雀?
彼、私にマジ?って言う表情で‘はあ?’って。その一言でこのサブジェクト、ドロップされました。
松山冴花(ヴァイオリン)
耳に穴両方あわせて9ツあります。
なんで9ツ?って聞かれる事がよくあります。理由は偶数好きじゃないから。
最初のピアスは10歳ぐらいの頃。母も羨ましがって彼女もピアスしちゃいました。日本に行って父が飛行場に迎えにきてくれて、その時満足げにピアスを見せたら1発、頭はたかれました。理屈は私がキズ物になったと。
その時状況を見てた新しくピアスした母は知らんぷり。ママ、ありがとう。
18歳になったら親のサインなしでピアスの穴をあける事ができるのでこの数年で7つ付け足しました。この前開けたのは1年前。お店の人にいっぺんに5つ開けてくれと頼んだら呆れてました。でも、お安くしてくれたのは嬉しかった。
母がどうゆう風にこの沢山ピアス状況をとるのかを恐れて、数日間は髪の毛で隠してました。でも1ヶ月後には髪がうっとうしくなってくくりはじめても彼女、全然気づかず。半年後、やっと気づいたらこういいました。“なにその耳?あんた、ロケットみたいよ”と。
その時調子に乗っておへソにもピアスの穴あけました。
...ピアスをなめた私がバカでした。
耳の穴はガンで、一発であけるのであまり痛みもない。おヘソは違うんです。台に寝たところで、ピアス/タットウー師が釘と彼の力使って身に穴あけるんです。
...めっちゃ痛かった。冗談じゃない。
彼からの話だと失神する子の方が多いとか。そりゃそうだろう。
その後、家でおヘソピアスをインターネットで選んでたら、母が後ろからぬうーっと。“ヘソに穴開けたら承知しないからね”と一言ゆって去っていきました。しらばっくれてコンピューター消し、数ヶ月たった後でも傷が治らなく、泣き泣きおヘソピアスを取り出して穴がなくなるのを承知で傷を治しました。
あの痛みにたえた私をちょっとでもえらいと思って下さい。で、母には内緒に。
松山冴花(ヴァイオリン)
チビの時からペットを飼ってます。
最初は兄の怠け者シーズ犬と私の猫。NYに移ってから間もなく父からどっちも家出したと。
NYでも猫を。家を出たので私の猫は母の家に。真っ黒のメス猫のクロ(16歳)とタキシード柄のオス猫チビ(9歳)。数年前までは鳥好きの母がカナリア4匹も飼ってました。
で、7、8年ぐらいの夏の事。
日本に母と一緒に行って、兄キに鳥と猫の世話を。彼から電話がかかってきて用を聞くと、鳥がタマゴを2つ生んだ。すごく嬉しかったのを覚えてます。カップルのカナリーが一組いて、いつベビーちゃんが生まれるのかみんな待ち通しかったです。兄キ、どうしよう、どうしようと言った後、“手に取って見てみる”と。その直後“ウゲッ”って彼が悲鳴あげました。数秒の沈黙の後、彼が言った言葉は
“...割れちゃった...”
バカ。
夏のFestivalでItalyに一ヶ月に行く事なって母、兄キ、私3人で行きました。ビルの管理人さんにアパートにきてもらって猫と鳥の世話を頼みました。先に母と兄がNYにもどって管理人さんに会ったら、悪夢みたいな状態を語ってくれました。話によるといつも通りに猫、鳥にエサをやりに行ったら、鳥の羽根が布団の中身みたくアパート中に。
満足猫2匹:全滅鳥4匹。
カメのカメ太郎も飼ったけど1ヶ月後には干涸びました。
今度はヘビ飼いたい。
松山冴花(ヴァイオリン)
最後のブロッグです。変なことばかり書くので仙台オフィスの人達もハラハラしてたかも。
最後は音楽とジュリアード音楽院のこと。
かれこれジュリアード音楽院にはもう17年近く通ってます。プレカレッジ9年、バッチェラー4年、マスター2年、で今のArtist Diploma 2年目突入中。それを言う度に友達から冗談のネタにされます。
でも音楽のおかげでここまでいろんな体験をさせてもらって、そして成長させてもらって本当に有り難く思います。
音楽が専門じゃなくて、でも音楽が好きな人に会って音楽の事、日常の事を話すと安心できる。音楽のおかげで色々な所に出かけ色々な人に出会って、何処かに行く度に必ず新しい経験ができる、その上自分が好きな音楽を人前で弾ける、自分が普通なかなかだせない思いを心底からその時弾いている曲にぶち込める。その気持ちが聴いている人、一緒に弾いている人、先生、教え子に伝わった時がヴァイオリンを弾いていて一番幸せな時。
ステージの上に立つのは怖くない?と時々聞かれますが、音楽に自分が乗ったら、全く。ずっとその時間がつづいてほしい。
これからもがんばります。120%ではなく、自分にあった弾き方、解釈、そして絶対何もかも一人では出来ないので、周りの人達からのサポートにも頼って、一歩一歩限りない道を歩んで行こうと思います。
いつも温かい応援、有り難うございます。
See you all in October!
松山冴花(ヴァイオリン)
私、あまり怪我はしないものの何年かに一度、大きなケガをします。
私の一番最初のケガは幼稚園の時。
水泳のクラスから帰る途中。自転車の後ろの荷物置きに足をブラブラさせて快適に乗っていたら“あれよあれよ”いう前に、左足が後ろタイヤに巻きこまれてました。ビックリ。
次は小学校の時。体育のクラスでドッジボールをしてた時。逃げたボールを全速力で追いかけてたら、くぐったはずの鉄棒をまともに顔面に頂戴しました。
その時からです。学校科目につぎこむエネルギーはホドホドにしようと。
14歳の頃、オハイオ州にあるエンコール音楽祭に行きました。その時はホームステイ。家の主の息子さんが昔使ってた自転車で、一人でどっかに遊びに行った帰り道のこと。家の近くに下り坂があって下るのを自転車に任せてたら交差点が見えたのでブレーキを。のはずが、気づいたら自転車のブレーキがお陀仏だった。もう接近してくる車と交差点に恐怖を抱き、取った行動とは?
決心して電柱に正面衝突。車に跳ねられるよりましかと。
最後のは、去年の感謝祭の時。なれない包丁で物を切っていたらついでに左手の指も。血がピューピュー飛び出してくる指を、母の前におもしろがって突き出すと嫌がられました。ま、無理もない。
また、いつかどこかでけがしたら報告します。それまでお楽しみを。
松山冴花(ヴァイオリン)
初めて仙台にいったのは、1995年の若いチャイココンクールの時。何もわからず母と行きました。
その時の仙台の思い出はフルーツがおいしかったこと。夏の最後で桃とか母にねだって買ってもらったのを覚えてます。2004年仙台コンペに仙台に戻った時も95年の私の事を覚えていてくれた人が多く、嬉しく思いました。
で、気がついたらもうあれから11年。時がたつのがはやすぎてびっくりします。でも顔は変わってないみたいです。チビの頃の写真どおり顔はぬいぐるみみたいで全然変わりなく。高校以来会ってない友達にこの前偶然地下鉄で会ったら彼、一発で私が誰だか分かりました。私は案の定、向こうが大人になって誰だかさっぱり。頭の細胞は昔のまんま。ホントに全く。昔の知り合いに会ったら私、母そっくりになってきたと。ついでなら脳の方も母に似てほしい。
また話がそれた。
仙台コンクールの時はいい思い出ばっかり。ま、確かに勝ったからいい思い出に繋がるんですが、それ以外にもいっぱい。私のホストのなお子さん家族としょう子さん家族は本当によくしてくれました。ご飯を届けてくれたり、私のお守りをいっぱいしてくれて。仙台に行く度に時間を作ってくれて遊んでくれるので感謝いっぱいです。
来年、2007年の2月には仙台フィルとチャイコの協奏曲を弾きます。チャイコ、仙フィルと弾くのは95年の若いチャイココンクール以来。12年目です!あの時よりもっと深く弾きます。
そして、あの時より美人になってること願います。
松山冴花(ヴァイオリン)