震災−2  

2011.08.20| 高橋正典

僕でさえ愕然としましたが、僕以上に愕然としたのは義父でした。
家は三階建てで、一階に義父が営んでいた接骨院があり、二−三階は二世帯住宅になっています。
家は義父が生涯をかけて建てた家でした。

そこには思い出も、気持ちも蓄積されていました。
ですからそのショックと言えば想像を超えるものでした。

最近聞いた話なのですが、自宅の斜め向かいに内科があり、内科の上から先生が津波の時に様子をみていたそうです。
自宅は道が重なる角にあり、津波は道を通って流れてきたそうです。
そして斜め向かいのかまぼこ屋さんの後ろの建物が津波で流されて、自宅にある看板を直撃したそうです。
もし、看板がなければもしかしたら家の被害はもっと大きかったと思います。不幸中の幸いです。

3月12日、自宅の津波の被害をみて、初めて自分は被災者なんだと感じました。

自宅は暫く使えなかったので、親戚の家に泊まらせて頂いたり、車の中に泊まったりして、最終的には接骨院の別館が下馬にあったので、そちらの方で自宅に戻れるまで3週間近く避難しました。
髙橋正典(バリトン)

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