皆様、ギターの福田進一です。
さて、昨日に引き続き本日は自己紹介をいたします。
私は大阪の中心部、船場という商売の町に生まれ育ちました。
もとより音楽は大好きでした。9歳の頃、小学校への通学路の途中にある小さなピアノ教室に通い始めたのですが、始めるのには少し遅過ぎたようでした。
レッスンの最中、後ろの椅子で順番を待っている自分より年下の女の子たちが笑うのです。私がミスをするたびに…。これは自我が芽生えはじめた男の子には大変屈辱的でした。
趣味では、ピアノ以外に父が買ってくれたウクレレも弾いて遊んでいたのですが4本弦というのは実に和音が頼りなく、友人の弾くフォーク・ギターの豊かな音量に比べて情けなく思っていました。
しかしある日、なんとピアノ教室の2階にギター教室が出来たのです。私は11才の夏にそこに引っ越したのでした。それがその後9年間師事した斎藤達也先生との最初の出会いでした。
最初はクラシック・ギターというジャンルがあることも知らず、言われるがままピアノのバイエルにあたるカルカッシの教則本を持って通ったのですが、齋藤先生の教育は実にユニークでした。ハーモニーがわからなければ当時流行のフォークやビートルズ、シンコペーションなどのリズムがわからない時はボサノバやサンバを題材に面白く楽しくレッスンして下さるのです。
アンサンブルにも積極的に参加しました。最初の発表会では、ギターではなくリコーダーを吹きました。かなり難しいフレーズでしたが、元来吹く楽器は大好きなので得意になって演奏したのを覚えています。ギターの腕前も順調に伸びていきました。
14才の時、パリ国際ギターコンクールで優勝した渡辺範彦さん(当時22才/故人)の演奏会を聴き、自分の進む道はこれだと確信しました。残念ながら当時は音楽大学にギター科がありません。仕方なく腰掛けのつもりで関西大学商学部に進みましたが、在学中に大阪のコンクールで二度入選し周囲も可能性を認めてくれるようになり大学を中退し、1977年6月にパリに留学しました。ギターの留学に何故パリを選んだのかというのはよく訊かれる質問ですが、14才の時の衝撃と感動、そして確信がずっと続いていたからに他なりません。
福田進一(ギター)