御喜美江(4)「不幸中の幸い」

2007.08.15| 御喜美江

今日は先週の大雨で水浸しになった車を修理工場においてきました。車の中は今朝もまだ水たまり状態で、発進するとき、カーブを切るとき、ブレーキをかけるとき、ポチャ~ポチャ~と、のどかな水音がします。この響きにもなんだか慣れてきてしまったのですが、しかしこんな車はそう長いこと乗れたものではありません。それに原因が何かも分からないのですから不気味です。この修理はかなり高くつくだろうなぁ、と内心かなり心配でした。

ところが、この修理を申し込んだ日付は何と保障期限が切れる最後の日だったそうで、これは全くの偶然であり、私は知りませんでした。「保障有効期間ですから貴女にコスト負担はかかりません。」と言われたときは本当にびっくり、思わずお口ポカンでした。

これぞまさに「不幸中の幸い」というものですね。あの大雨が一日遅れで降っていたら・・・なんて思ってしまいました。

アコーディオンには今でこそ国立大学、世界コンテスト、フェスティバル(!)なんてメジャーなスペースがありますが、私が4歳で習い始めた当時はマイナーな楽器でした。毎週、母に連れられて伴典哉先生のレッスンに通うとき、上野松坂屋前では傷痍軍人さんが2人コンビでアコーディオンを弾いていました。流しのおじさんが弾くアコーディオンも子供の耳には寂寥感ピュアに聞こえ、その光景は限りなく淋しくうつりました。

ちょうどその頃3歳年上の従姉がピアノを習っていたのですが、彼女の「虎ノ門ホール・ピアノ発表会」は明るく華やかで、私の「豊島公会堂・アコーディオン発表会」はちょっと暗かった記憶もあります。それで8歳頃からはピアノも習わせてもらい、ハノーファー音楽大学は一応ピアノ科を卒業しました。でもアコーディオンは何故かいつも私のすぐそばにあり、常に演奏し続け、心のなかに響く音たちはピアノではなくアコーディオンでした。

もし私がピアニストを目指していたら、仙台クラシックフェスティバルに出演するなんてことは絶対不可能でしたが、アコーディオン奏者になったおかげで、2年も連続で出演させていただけるのです。これもまた「不幸中の幸い」かもしれません。

 

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