2006年06月26日 

2006.06.26| 加藤洋之

こんにちは、加藤です。

二日目は、ヴァイオリニストのライナー・キュッヒルさんです。いわずと知れた、ウィーン・フィルの第1コンサート・マスターです。そしていままで最も多く一緒に演奏し、音楽上の言語を最もたくさん共有している(たぶん・・・)演奏家の一人です。

高校生のときザルツブルクで初めてウィーン・フィルを聴いて虜になってしまい、それ以来数え切れないほどのコンサート、録音を通して、一ファンとしてこの西洋音楽のすべてを体現しているようなオーケストラに接してきた私にとって、彼はまさに雲の上の存在でした。ブダペストにいた頃、シーズン中はほとんど毎週ウィーンに通っていたほどです。列車で3時間ほどだったし、コンサートが無くても、オペラはほとんど毎日上演していたのでウィーンの街の空気と、ウィーン・フィルのオーラを浴び続けることができました。それはもう恋愛感情に近いような感覚でした。(留学した当初はまだハンガリーの体制が変わったばかりで、いろいろと手に入らないものも多かったし、重苦しい雰囲気がまだまだ支配していたので、買出しと西側の空気を吸うという目的もありましたが。)

その後ケルンに住むようになってからも、しばらくは一月に一度くらい夜行列車に乗ってウィーンに通っていました。ケルンではウィーン・フィル・ケルン・ツィクルスというのがあり、年に2,3回、フィルハーモニーで聴くことができたのは幸せなことでした。

「キュッヒル氏と一緒に来日する予定だったピアニストが急病なので、代わりを探している」と、東京のK音楽事務所から国際電話がかかってきたのは、1999年の10月末のことでした。本番までちょうど3週間、全部新しく読まなければならない曲ばかりだったが、そんなことより何よりも「え、あの・・・キュ、キュッヒル氏って・・・ったって・・・いや・・・自分なんか・・・恐れ多い・・・否、恐ろしい・・・」と動揺し、「その日はですね、友人のコンサートがこちらであり、日本に行くのは難しく・・」などと訳のわからないことを口走り、断ってしまったのです。

電話を切った後も動揺は続き、やがて夜ベッドに入ってからは、いままでに聴いたウィーン・フィルの名演の数々が、そしてその中から聞こえるキュッヒルさんのソロ・パート(特に、クライバーの指揮で聴いた「英雄の生涯」のソロ、シェーンベルクの「浄夜」で聞こえてきた、クリムトの絵にある金と同種の音色等)の眩い音が頭の中に響き続け、一睡もできませんでした。空が白み始める頃、「一生に一度かもしれない、何か特別な経験を得られるかもしれない機会から、自ら去るなんてバカじゃねーの」という思いが頭をもたげてきて、そうすると急に「どうしよう〜、もう誰か他のピアニストに決まってしまっていたら・・・あああああ」と、いても立ってもいられなくなり、即座に「やりますっ!やっぱりやりますっ!やらせてくだされぃ!」と連絡を取りたかったのだが、時差があるためどうにもできず、事務所が開く10時・・・ドイツは午後4時・・・まで持って行きようのない気持ちを抱えながら過ごし、そしてずっと起きていたことによる変なテンションで電話をかけ、「まだピアニスト決まっていませんかっ」と勢い込んで話すと、受話器の向こうからは「あ〜、まだですよぉ、全然。」とノンビリした声が聞こえてきた。

最初の本番は岐阜のサロンでした。合っているはずなのに、なぜかしっくりと来ない。一緒に一つの作品を演奏しているのに一体感を感じられない。録音を聴いてみたら、それはより明らかでした。

まるで偏執狂のように、あらゆる音、フレーズ、イントネーション、ヴァイオリンとピアノの音程、ボウイングetc.....思いつく限りの事をチェックしやり直してみました(もちろん音楽的な感興を伴わずにはそんなことをしませんが)。・・・が、ディテイルをいくら詰めていっても精巧なイミテーションにしかならなくて、到達したいところへの距離はまったく変わらないだろうなぁ、結局根本的なところに気づかなければ意味がないよなぁ・・・・・・と思い始めた矢先、

!パッと閃いた!

「彼といつも一体となることができ、音楽を演奏している存在・・・・・・・・それはまさにウィーン・フィルそのものだ」
「私自身が彼をコンマスに擁くオーケストラになってしまえばいいんだ。」そういえば彼のパート譜には、鉛筆でピアノの対旋律や強弱までもが書かれていました。「彼は本当にピアノと一体となって、一つのシンフォニーを作り上げようとしていたんだ。」(後年、一緒にインタビューのようなものを受けたとき、私が「ヴァイオリンとピアノという編成の、一つのオーケストラになるように心がけて云々・・・」という話をしたら、彼が横で大きくうなずいていました。)

そもそもピアノ・パートがどんなに分厚くなろうとも、単に音量だけでなく表現の面でも何の心配もいらない。ウィーン・フィルのブラス・セクションが全開しようと、オーケストラ全体が地鳴りのように轟いていても、その上に虹がかかるような輝かしい音で演奏しているのを思い出した。

数日後、東京のコンサートでは演奏中、至福のときというか、恍惚感の中を漂っていました。その後2001年に共演してからは、ずっと一緒に音楽を作る喜びを与え続けてくれています。彼が初めて会う人に、私のことを「音楽双生児」とか「音楽の上での兄弟」と言っているのを耳にするたび、決して大げさではなく、本当に天にも昇ってしまうような気持ちにさせられます。

しかし彼のハード・スケジュールを知れば知るほど呆れてものが言えなくなるし、心配になってしまう。ウィーン・フィル、国立オペラのコンマス、ツアー、レコーディング、彼自身の弦楽四重奏団、その他にも様々なアンサンブル、ぎっしりと詰まったリハーサル、ウィーン音大の教授として15〜6人の学生を抱え、彼らへのレッスン、ヨーロッパ各地のオーケストラと協奏曲を演奏し、国際コンクールの審査員を務め・・・、書いているだけで吐き気が・・・。

移動の列車内ではいつも何冊ものスコアを積み上げて、指揮者以上に曲の隅々まで知ろうとしています。(国立オペラでも、指揮者に問題があったり、十分なリハーサルができなくて本番中にアクシデントが発生した場合、キュッヒルさんが弾いているときなら、彼を見れば次の1小節以内に立て直すことができると言われていて、歌手たちからも絶大な信頼を得ているそうです。)

そんな訳で健康管理には大変気を使っていて、ジョギングをしているのですが、いつも20kmくらいを平気で走っています。2年前に国立オペラの日本公演で来日したときは品川に宿泊していて、夜オペラがある日に「昼間ちょっと走った」と言うので、近所だろうと思っていたら「皇居まで行って一周して戻ってきた」そうです。

いままでできるだけ、プログラムに1曲ずつベートーヴェンのソナタを入れてきていて、「全10曲をやり遂げた後、3回に分けてベートーヴェン全曲ツィクルスを実現しよう」と、これまた天に昇ってしまうようなことを言ってくれているので、心技体が最高のバランスとレベルでそのときを迎えられるように日々過ごしていきたいな、と思っています。

それにしても・・・・・

相撲観戦で、力士への掛け声を、
誰かから「なんでも好きなことを叫べばいい」と云われたからといって、「なっとぉ〜っ(納豆)!!!」と千代大海関に声をかけるのは如何なものだろうか・・・・・
・・・それは自分の好物でしょ。あんまりだ。

オフィシャルサイト
http://www.bunka.city.sendai.jp/sencla/

加藤洋之(ピアノ)

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