3回目になる今日は、僕と現代曲との関わりについて書きたいと思います。
一般に”現代曲”と聞いただけで、敬遠してしまうお客さまはたくさんいらっしゃるかと思います。と同時に、曲の魅力を伝えるメッセンジャー、すなわち演奏家の努力によって乗り越えることができることも多いと感じています。
僕が中学生だったころのこと、CDショップでメシアン(2回目のブログに一瞬登場)のトゥーランガリラ交響曲を聴いて、最高に興奮して、最後は目に涙を溜めて聴いていたことを思い出します。
さて、今回はその後の時代の作曲家達の話です・・・
僕が現代曲を弾くきっかけは、高校2年生だったころのこと。大好きなジャン=ジャック・カントロフ先生に習いたいと思い、母と一緒にフランスの南西部にある街、シブールとサン・ジャン・ドゥ・リュズで行われたマスタークラスに行きました。
マスタークラスでは課題曲として、ひとつ現代曲を入れなければなりませんでしたので、いちばん分かりやすそうな、そしてネーミングのかっこいい(笑)ルチアーノ・ベリオが作曲した”セクエンツァⅧ”を課題曲に入れました。
全く知らなかったこの曲の楽譜を学校の図書館で調達してからは、興味と興奮冷めやらぬ思いで練習に励む日々。
最初のレッスンで”素晴らしい!教えることはない”とカントロフ先生がおっしゃってくださったことは、良い思い出で今も励みです。
ですから、僕の現代曲への扉はルチアーノ・ベリオでした。それに続くのはパリ留学時代に受けた2つのコンクール(パガニーニ国際コンクール、ロン=ティボー国際コンクール)で取り組んだ2人の現代作曲家、ファビオ・ヴァッキとクラウス・フーバーです。
ファビオ・ヴァッキの曲を夜に勉強机で見ていると、突然ひらめくことがありました。全てのリズムとメロディが、曲の中間部分を堺に鏡の形になっていることに気付き、どうしたらこれをお客さまに伝えられるか・・・と研究したものです。そしてついに、ヴァッキさんにお会いしお伝えしたとき、氏は大興奮して喜んでくれました。特別なつながりを感じました。
クラウス・フーバーさんの曲はIntarsimileという5分ほどの曲です、タイトルからは曲の内容が想像つきませんが、実際に演奏してみると、間のとり方、語彙の豊かさ、詩情あふれるロマンチックな歌が内包されていることに気がつき、心震えたものです。
ご高齢なので会場でお会いすることは出来ませんでしたが、素晴らしい作曲家という存在感は深く刻まれています。
その後、2012年に受けたエリザベートコンクールでヴァイオリン部門の新曲課題を書いた酒井健治さんに出会って、僕の人生は変わりました。
1週間、その新作を勉強しながら作曲家に会いアドヴァイスを受けることができたのですが、健治さんの楽曲には譜面の美しさと、まるで自然界の現象が表現された音世界があり、感銘を受けました。
コンクール後もピアニストの萩原麻未さんと共同で作品委嘱をするなど、現在の僕の音楽人生に益々の彩りを加えてくれています。素晴らしい作曲家との出会いは、宝ですね。
ちなみに、酒井健治さんはパリの国立音楽院の他にジュネーブ音楽院でも勉強されており、当時の彼の師匠は、僕がロン=ティボー国際コンクールで初演したクラウス・フーバー氏のお弟子さんだそうで、時代を超えて脈々と続く音楽の息吹を感じています。
酒井さんは2015年にローマ大賞も受賞され、今年の10月にはフランスを代表する管楽器奏者達で構成される室内合奏団、レ・ヴァン・フランセが新曲を初演するそうです。
彼のよどみない、新鮮できらめきに満ちた音楽が、幅広く多くの方々に聴いていただけることを願っております。そして仙台でもいつか、近い将来に酒井健治さんの楽曲を演奏出来る機会がありますように!と願っています。
少し長くなってしまいました。
ではこの続きは・・・コンサート会場で!
先週の5日には石巻市のお寺、法音寺でカルテットの演奏会でした。曲はオリヴィエ・メシアンの『時の終わりのための四重奏曲』です。
メンバーはピアノの萩原麻未さん クラリネットの吉田誠さん、チェロの横坂源さん、そして僕です。
実はこのメンバーでは去年、福島県のアーク・ノヴァという移動式バルーンの会場で演奏したことがあり、今年の再演を楽しみにし、わくわくしていました。
この曲は全部で8楽章。ヨハネの黙示録のある一節から、メシアンが着想を得て作曲したそうです。
当時ドイツ軍の捕虜で収容所に入れられていたメシアン。音楽だけが頼りだったのでしょうか―。
音楽には、聴き手に解釈を委ねられるという良さがあると思います。物が壊されたり、傷つけられたり、強制されたり、しない。
しかも演奏というものはその時生まれてから一生心に残すことも出来るし、次に弾くときには全く形を変えて演奏できる。
そんな素晴らしい芸術にいつも囲まれて、僕たちは幸せだと思います。
さて、話を戻すと、この曲は敬虔なカトリック信者のメシアンが書いたことよりも、当時の絶望的な状況から、来る恒久的な平和を熱望して書かれた、ということに意義があり、より精神性とドラマ性を高めていると思います。
だからこそ、皆さんを突き動かしてくれるのですね!
それはもちろん、個人個人の感受性によるものなので、常に変わりゆくものですが、それをも受け入れてくれる懐の深さが音楽にはあると思います。
そういえば、演奏中に作曲家の霊を見たことがあります。メシアンにもそのうちお会いできるといいなぁ、なんて思っています。
仙台にやってきたのは、これで何度目になるのだろうか。2013年から仙台国際音楽コンクール、学校訪問演奏会、仙台フィルとの演奏会など、多くの出会いをいただいてきた私にとって、仙台は東北の故郷に近いくらいに、親近感を持って居る都市だ。
仙台・・・仙人の住む都・・・そういえば、コンクールで仙台に着いた時、ホテルのロビーで摩訶不思議な出会いをした。
「チェックインは15時からです。」
参ったな、パリからの飛行機で疲れて一休みしたいのに、これじゃ万事休すだな、と思っていた矢先、フロントの横にあるソファに腰掛けていた一人のおばさんが話しかけてきた。
「あなた、疲れてるみたいね。よい人知っているから、ちょっと待って。」
彼女はおもむろに携帯電話を取り出し、ある男性にかけた。これからすぐその男性が僕らを迎えにくるという。でも、不安な気がしなかった、なぜだろう。空気があたたかいのだ。
10分ほどすると、ロビーの下で、グレーの4人乗りの車が待っていた。男性は軽く会釈し、僕も頭を下げると、みんなで車に乗り込んだ。
移動中は特に何も話さず、しーんとしていた、しかし居心地がよい。
―連れ去られるのかな、拉致かな、危ないのかな― 全くそういう感じではない。
仙台市が見渡せるくらいの丘の上に着くと、そこは仏舎利といって、仏様が塔のような建物にいっぱいいた。僕は風が気持ちよいので、丘の端っこの、岩がせり出している斜面の手前にあぐらをかいて、深呼吸した。
30分ほどたった。自分がどこにいるのか、なぜいるのか、などはどうでもよいことだった、とても爽快な気分だった。
その後、車でおりていくときに男性が
「おなかがすいたでしょう、仙台で一番おいしいそばが食べられるところがあってね、寄って行こうか?」
と誘ってくれた。
「はい。」
と僕は答えていた。
そばが来ると、夢中で頬張った。なぜか涙が出てきた。その後、車でこう尋ねられた。
「そういえば 君の名前は?」
「成田達輝です。」
「なるほどね。」
・・・とても新鮮な感覚だった。名前なんて人同士を区別するためのもの、あって、ないようなものなのかもしれない。
そして、
「君のオーラの色は紫とオレンジだね。何か芸術関係でもやっているの?」
「はい、ヴァイオリンをやっていて、仙台国際音楽コンクールっていうのがあって、この後出場するんです。」
「ほう、じゃあ頑張ってね。そうだ、僕の名刺、これあげるよ。もう1枚しかないんだけど。」
その名刺は虹色の暖かい光に包まれていて、触ると熱かった。
「これを持っておけば、大丈夫。気を送ってあげるから。」
そう言って、ホテルのロビーで、何事もなかったのように、お別れをして、帰った。
夕食を食べた後、ドラッグストアに寄って、疲れが取れるからと思いバスソルトを買った。
そのラベンダーのバスソルトが、オレンジ色だったことは、もはや言うまでもないだろう。。。