こんにちは。今日は「物語る音楽たち」とあわせて、「物語」について。
物語ってなんだろう、と考え始めるとややこしい。物語性というのは本や映画やゲームやその他、何にでも現れる。どこから現れるんだろうか?
言葉の中から、という答えを思いつくけれど、実はそうでもなさそうです。なにしろ音楽にだって現れる。
小学生だった頃に道端で見たポスターのことがなぜだか妙に記憶に残っています。
確かピアノの先生のところに向かう道すがら、赤信号で自転車のブレーキをかけたときでした。停止位置のすぐ横に貼ってあったのポスターに、私は何気なく目を留めました。それは交通安全運動のポスターでした。横倒しになったママチャリと、その籠から飛び出た野菜や牛乳なんかがアスファルトに散乱する様が写った写真に、「悲しみを増やさないために」みたいな標語が書かれているというもの。
転がっていた野菜は、カレーの材料だったような気がします。それを見た瞬間、やたら泣けてきたんですね。いろいろと想像してしまって。「今日の晩ごはん何がいい?」「カレー!!」みたいな会話から、喜ぶ顔を思い描きつつ野菜を選ぶ姿、鼻歌まじりに自転車をこぐ帰り道、――そして事故のしらせを受けた家族の衝撃まで、ありありと浮かんできました。
な、なんて悲しいんだ! その当時の私が、そんな自分のちょろさを自覚できていたかどうか……ともあれ自分にとっての物語がいかに自動的なものかを思い知る機会になったのでした。
瞬間を切り取ったにすぎない写真一枚をもとにして頭の中に物語が立ち上がってしまうというのは、人間の脳を優秀というべきかポンコツというべきか、業のようなものを感じさせる出来事です。何かと何かのあいだについつい関係性を見出してしまう人間の性質から、勝手に生まれてくるものが物語なんでしょうね。何かと何かが似ているとか、何かのせいで何かが起こったとか、そんなふうに周りの環境を分析して理解し、生き延びるために発達した人間の能力の産物だか副産物。
だとすると、もう人として生きていること自体があらゆるものに物語を見出す行為なので、そこからは逃れられないのかもしれません。
音楽の場合、こっちに出ていたひとつの主題があっちにも顔を出した、とか、帰ってきたときはこう変化してた、とか、音楽をまとめている構造そのものが、簡単に物語として見出されてしまうんですね。
音楽を物語的に扱うのは音楽としては不純では、とか思ってみたりはするんですが、どちらにせよ逃れられないなら物語性も音楽の持つ姿のひとつと捉えて楽しんでしまおう、というのが自分のスタンスです。
すべての源泉は人間の想像力。想像力バンザイ!
そうそう、いま映画『シン・ゴジラ』が話題ですが(めちゃくちゃ面白いよ)、こちらの総監督である庵野秀明さんの監督としての初期のマスターピースが『トップをねらえ!(GUNBUSTER)』というアニメです。芸大の大先輩でもある田中公平さんの音楽も最高で、プログラムにある『ガンバスター幻想曲』はこの劇伴をもとに再構成し、クラシック的な強度を持った作品を目指したものです。
ガンバスターは星々の世界のお話
『トップをねらえ!』、バリバリのSFなので万人向けではないのかもしれませんが、みなぎる想像力と熱は『シン・ゴジラ』に勝るとも劣らないものなので、気になった方はぜひご覧になって、涙と叫び声を迸らせながらせんくらの拙公演に足を運んでいただけたら嬉しいなあと思います。
ではではまた、公演でお目にかかりましょう!