昨日の私のブログ、ヤバイですね。閉鎖とか廃止とか暗すぎる!!。大体このブログはせんくらに来てくださいとみなさまにお願いをするためのお手紙であるはずなのに、昨日の文章の最後は乗鞍にお越しくださいになってしまった。「せんくらにお越しください」でしょうがあああ!。私がせんくらの担当者だったら、ボツですね。スタッフの方々、暖かく見守っていただきありがとうございます。てなわけで今日はどうして私がヨーデルなどという迷える道に踏み込んでしまったかのお話です。
私が最初にヨーデルを聞いたのは、歳がバレてしまうからあまり詳しくは言いたくないのだけれど、東京オリンピックの頃だったと思います。NHKみんなのうたで「美しのエメンタール」という曲を聞いたのが始まりです。体中に電撃が走りました。当時のみんなのうたは子どもが歌える外国の有名な曲を訳して紹介していました。もちろんヨーデルの部分は歌えませんでしたが、声がころころ変わるところにエクスタシー(古いか?)を感じてしまいました。当時はラジオを付けてもテレビをつけてもヨーデルが流れ、レジャーという言葉に浮かれるように山歩きが人気となり、大学ではワンダーフォーゲル部で山のうた、ヨーデルを歌っていましたよ。今の若い人は(これ自体がすでに老人)ヨーデルというと焼肉ヨーデルとかパチンコヨーデルとかいう人が多くなってしまったけれど、故郷を愛し、自然を愛し、人を愛するヨーデルを若い人にも広めたいのです。ハイ。オクトーバーフェストなどでヨーデルを歌っていると、若者が夢中になって聞いてくれるのですから。
迷える道をまだ完全説明してないうちに話が“近代”に飛ぶんだけれど、今から10年前、父の50回忌をやったんですが、その際、普段会わない父の妹、つまり叔母が「あなたのお父さんはヨーデルが大好きでよく沼の水もに向かって歌ってた」と語ってくれました。夭逝したために父の趣味はそれまで知らなかったのですが、私がヨーデルの道に踏み込んでいるのはつまるところ血なのでしょう。単に親が好きだったことを子どもがやってるってことでしょうねえ。
でも実のところ、ヨーデルはとても楽しい音楽なのです。裏声を自由に駆使するため音域がさらに上に1オクターブ以上広がります。曲調は底抜けに明るい長調ばかり、短調はありません。故に演歌に代表されるような恨みつらみとは無縁の音楽です。人生、かくありたいものです。そして、あなたも一緒にヨーデルを歌いませんか。
ヨーデルチロリアン 佐藤憲男