38 | 10/6(土) 11:00-11:45 イズミティ21/I.大ホール |
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〜プロの作曲家がオーケストラをわかりやすく語る!〜
吉松隆編曲ファンファーレ
吉松隆編曲子供たちのための管弦楽入門
吉松隆編曲コンガラガリアン狂詩曲
=登場曲目=
39 | 10/6(土) 13:15-14:00 イズミティ21/I.大ホール |
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〜昨年のラフマニノフに続き、ピアコン定番チャイコフスキーを
及川浩治と仙台フィルがあなたに贈ります〜
100 | 10/8(月) 14:45-15:30 イズミティ21/I.大ホール |
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〜女王、皇帝を弾く?!必聴!〜
101 | 10/8(月) 17:00-17:45 イズミティ21/I.大ホール |
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〜せんくらのフィナーレ!恒例、第九のあとで威風堂々を皆で歌おう〜
1973年、市民オーケストラ「宮城フィルハーモニー管弦楽団」が誕生し、翌年には初の定期演奏会を実施した。
1978年6月の「宮城フィルハーモニー協会」の社団法人化に伴い、本格的なプロのオーケストラとして活動を開始し、1983年4月には音楽総監督に故芥川也寸志を迎えて飛躍的発展を遂げ注目された。
1989年4月に、本拠地の名を冠した「仙台フィルハーモニー管弦楽団」と改称、音楽監督に外山雄三が就任した。1992年4月、「財団法人 仙台フィルハーモニー管弦楽団」として再スタート、行政・民間の支援を受けながら一層の発展を遂げた。
定期演奏会は、1990年5月の第68回より、新設された仙台市青年文化センター・コンサートホールで2日公演となり、1993年からは、年間9回18公演開催しており、2005年3月には記念すべき第200回を迎えた。演奏会としてはこの他、特別演奏会、依頼演奏会、音楽鑑賞教室などを含めて年間120公演以上に及び、東日本エリアを中心に活動を展開している。また、協奏曲を課題曲の中心に据えるというユニークな仙台国際音楽コンクールでは、2001年の第1回からホストオーケストラを務め、2004年5月、6月の第2回においても、その成功に貢献した。
2006年4月、常任指揮者にパスカル・ヴェロ、首席客演指揮者に小泉和裕、指揮者に山下一史が就任した。
1977年桐朋学園高校音楽科に入学。チェロを井上頼豊氏に,指揮を尾高忠明,小澤征爾,秋山和慶,故森正の各氏に師事。
1982年民音指揮コンクールで奨励賞を受賞。
1984年桐朋学園大学を卒業後,ベルリン芸術大学に留学,1986年デンマークで開かれたニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝する。
1985年12月からヘルベルト・フォン・カラヤンの亡くなるまで彼のアシスタントを務め,1986年,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で,急病のカラヤンの代役として,ジーンズ姿のまま「第九」を指揮し,話題となった。その成功以来,ザルツブルク・フィングステン音楽祭でカラヤンのスタンバイ指揮者として契約,以後,デンマーク放送交響楽団,ライナス交響楽団,ソンダーイルランド交響楽団などを指揮,着実にヨーロッパでの実績を重ね,1993年から1998年までヘルシンボリ交響楽団(スウェーデン)の首席客演指揮者を務めた。1998,99年と連続して,スウェーデンの名門,マルメ交響楽団の定期公演,1999年3月にはオークランド交響楽団(ニュージーランド)の定期公演に出演した。
日本国内では1988年「若い芽のコンサート」でNHK交響楽団を指揮してデビューを飾り,以後,国内の主要オーケストラに定期的に出演し,好評を得ている。NHK交響楽団副指揮者(1988年〜95年),オーケストラ・アンサンブル金沢プリンシパル・ゲスト・コンダクター(1991年〜93年),九州交響楽団常任指揮者(1996年〜99年)を務めた。現代作品の演奏にも定評があり,1996年日本音楽コンクール作曲部門の指揮において審査員特別賞を受賞した。大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスでは2001年夏のモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」公演に続き,2002年夏のモーツァルト「魔笛」公演,2003年春のレオンカヴァルロ「道化師」,夏のモーツァルト「フィガロの結婚」,秋の松村禎三「沈黙」,2004年夏の「ドン・ジョヴァンニ」,同年秋の「ヴォツェック」はそれぞれ高い評価を得ており,本格的なオペラ・プロジェクトへの意欲に満ちた取り組みに,ますます大きな注目を集めている。
2002年4月よりザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団常任指揮者を務めている。
2006年4月,仙台フィルハーモニ管弦楽団指揮者に就任した。