せんくらの楽しみ方

せんくら2006プログラム・アドバイザー
浅野尚幸の「せんくらの楽しみ方」

(1)2006年05月26日
「せんくらの楽しみ方」、あるいは「クラシックの壁」。

24日に始まったせんくら優先予約、とても多くのお客様からお電話を頂きました。予想以上の反響で、電話がつながりづらい時間帯もあったと聞きました。あらためてお詫び申し上げますと共に、お電話くださった皆様にお礼申し上げます。

さて、せんくらのホームページ、当「ブログ」の右隣に「せんくらの楽しみ方」というアイコンがあります。クリックして頂くと、「子供の頃に聞いたあの曲と再会」「モーツァルトの「トルコ行進曲」聴き較べ」「珍しい楽器を逃さずに聴く」などといった見出しがあって、それぞれの見出しの下にいくつかの演奏会の番号が並んでいます。

プロデューサーが明言した通り、せんくらは「テーマの無い音楽祭」で、基本的にはどの演奏会でも「誰もが一度は耳にしたことがあるであろう名曲」を盛り込んでいます。それなのに「せんくらの楽しみ方」にはテーマらしきものがたくさん!一見矛盾するようですが、これ、私を含むスタッフの経験に基づいた「余計なお世話」です。

演奏会のチケットを買う時に「クラシックの壁」を経験した人はいませんか?おそらく、ご自分で楽器を演奏したことのある人や、コンサートやCDでクラシック音楽を聴くのになじんでいる人は、出演者や曲目を見ただけで「これ、よさそう」「あれが面白そう」という見当がつくことでしょう。

ところが、私自身を振り返ると、友人から借りたレコードをきっかけに偶然クラシックに興味を惹かれたものの、自分から何かを聴こうとした時に「曲名見ただけじゃなんだかわかんない」というクラシック特有の「壁」が立ちはだかりました。

「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第1番と第32番は、どっちがいいんだろう?第1番を付けたくらいだから、ベートーヴェンが一番気に入ったんだろうな。」と思ったこともありましたが、こうした番号はたいてい作曲/出版された順に付けられたもので、中には当人の預かり知らぬもの(モーツァルトなど)もある、と知ったのは、たまたま私の友人にクラシック音楽の熱心なファンがいて、世話を焼いてくれたからでした。

また、昨年東京で行われた「ラ・フォル・ジュルネ」では、こんなことも経験しました。チケット待ちの列に1時間近く並んで、自分の順番がすぐそこまで来た時のこと。チケット申込書に記入するのに必要なペンを持っていなかったので、私の前にいた初老のご婦人に借りようと声をかけたところ、その方が「どれか聴きたいのですが、どれがいいでしょうか?」と私に尋ねたのです。

その方の期待するイメージを伺って、よかろうと思うコンサートをお薦めしたところ、今度は私の真後ろのカップルが「クラシック、初めてなんです。どれがいいでしょう?」と声をかけて来ました。
(ちなみに、ラ・フォル・ジュルネでは「ソムリエ」なる公式アドバイザーが常駐してお客様の相談に応えていました。でも、私達はその時は気付いていませんでした。)

そのような経験から、「タイムテーブル」を眺めても「壁」を感じてピンと来ないであろう人の気持ちを想定して、「余計なお世話」を試みた次第です。的外れなものもあるかもしれませんが、参加アーティストのブログと合わせて、チケット購入の参考にして頂ければ幸いです。

ただし、「“せんくらの楽しみ方”に載っていない公演は気軽には楽しめない」ということは決してありませんので、ご注意ください。また、「○○○のような音楽が聴きたいんだけど、よくわからなくて」という方はお問い合わせ下れば、極力お応えしたいと思います。

追伸)
私が4月23日のブログで紹介した「アイーダ・トランペット」が聴けるのは、10月9日の仙台フィル公演(公演番号101番)です。前回のワールドカップの日本戦でサッカー・スタジアムを揺るがした「オー・オー、オ・オ・オ・オー・オー・オー」のオリジナルをどうぞ。

浅野尚幸(せんくら2006プログラム・アドバイザー)

〔←〕前のページに戻る


(2)今年だから聴きたい曲。その1—2006年06月03日

プロデューサーから「毎週1回、せんくらの楽しみ方を」と業務命令を受けたものの、出演者の方々の書き込みが始まったとたんに、そのパワフルさに圧倒されて尻込みしていました。気を取り直して始めたいと思います。

まずは、今年だから聴きたいクラシック。今年はモーツァルト(1756年1月27日生まれ)の生誕250年で話題になっていますが、日本で今年一番注目された「あの曲」と言えば、トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」。他ならぬ荒川静香さんのトリノ・オリンピック、フリーでの演技曲。せんくらでは、西江辰郎さんのヴァイオリン(25と66)、高嶋ちさ子さんのヴァイオリン(51と74)、佐藤淳一さんのテノール(67)で聴くことが出来ます。

ところでこの曲のタイトル、なにやら意味深だと思いませんか?インターネットで検索すれば、この曲の背景や歌詞(原曲はプッチーニが作曲した「トゥーランドット」というオペラの中のアリア)が簡単に出てきます。それを承知で私なりの「解説」を。

トゥーランドットは中国のお姫様(もちろんフィクション)ですが、「氷のように冷たい心」を持ち(彼女のお付の女性がそのように歌うアリアがあります)、求婚者に難しいナゾナゾを出して、正解できないと殺してしまいます(何もそこまでしなくても・・・)。おびただしい数の求婚者が挑みましたが、誰も正解できません。

ある日、どこからともなく現れた異国の男が王女に挑戦、見事謎解きを果たします。「逆ギレ」した王女に向かって、今度は彼が謎をかけます。「明朝までに私の名前を当ててみなさい。正解出来たら煮るなり焼くなり、お好きなように」。

王女は「この男の名前がわかるまで、誰も寝てはならぬ!草の根分けても探し出せ」と命じて、夜の都は大騒ぎ。それを横目に男は夜空を見上げて勝利宣言。
「誰も寝てはいけないとは、みなさんお気の毒。でも私の名前が分かるわけない。さあ、もうすぐ夜が明ける。最後に笑うのは、この私」。ところが、夜が明けたとき、王女トゥーランドットは彼に向かって「お前の名前がわかった。」と告げます。「その名は・・・愛」。

ここで、正体不明の男が実は異国の王子だったことがわかり、ハッピーエンド。このオペラは、王子の冒険物語でもあり、王女が愛に目覚める物語でもあります。う〜ん、出来すぎ。

オペラの台本は、冷静に読むと「ありえな〜い」ものが多いのです。でも、そのような「世間の常識」を忘れさせてくれるのが音楽の力。とにかく、この曲は、男性歌手のために書かれたオペラ・アリア(たくさんの人物が舞台に乗るオペラの中で、歌手がソロで歌いあげる曲)の中でも最もかっこいい曲だと思います。私はクラシックを聴き始めてから10年ほどの間、オペラを敬遠していましたが、このアリアを歌うところをテレビで見て、あまりのカッコよさに「くぅ〜っっ」としびれて「目覚めて」しまいました。オペラはチケット代が高いので、今でも敬遠しがちでが・・・。

ご関心のある方は、テノールの佐藤さんが歌って下さる「67」をチェック!。できれば歌詞を予習して、歌手と共にヒーロー気分に浸りましょう。

それから、この曲はヴァイオリンでも映えます、というのは商売根性のこじつけではありません。ヴァイオリンは300年以上前に誕生した楽器で、ヴァイオリンの生地イタリアでは歌が一番、「歌うようにヴァイオリンを鳴らす」ことが最上のヴァイオリン演奏とされていたのです。

フィギュア・スケートでは、エキシビションを除いて歌詞付きの音楽が使えません。いくつものアレンジのある「誰も寝てはならぬ」の中で、ヴァイオリンのアレンジを選んだ荒川さんのセンスは、まさに慧眼(けいがん)ですね。歌詞の無いヴァイオリン版を聴きながら自分なりのイメージを膨らませるのも楽しいし、親子で聴いて、お互いどんなイメージが浮かんだかを語り合えたら素敵ですね。ヴァイオリンでも聴きたい人は、西江辰郎さん(25と66)と高嶋ちさ子さん(51と74)をチェック。

ちなみに、「せんくらの楽しみ方」で、“「誰も寝てはならぬ」(トゥーランドット)を聴きたい人のコース”には51を入れていません。移動時間を考えると、66&67とハシゴするのが無理だからです。もちろん51でも演奏しますので、1回だけでも聴きたいという人は是非ご検討下さい。

ちなみに、4月16日に放送されたNHK教育テレビ「芸術劇場」の中で、荒川さんの演技の映像を分析しながら、
「(ただ技術的に高度なだけでなく)音符の一つ一つといった単位にまで、音楽と演技をシンクロさせている」と紹介していました。脱帽です。

浅野尚幸(せんくら2006プログラム・アドバイザー)

〔←〕前のページに戻る


(3)今年だから聴きたい曲。その2—2006年06月11日

「誰も寝てはならぬ」に次いで今年ブレイクした曲は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。この曲、フィギュア・スケート女子の村主章枝さんと男子の高橋大輔さんが共に
フリーの演技に使いました。もともと、感傷的で美しいメロディに溢れた曲で、映画やテレビコマーシャルにも使われて来た人気曲ですが、私は「希望への道」と名づけた村主さんの演技を見てあらためて感動しました。

この曲の作曲者ラフマニノフは、1873年に生まれたロシア人で、天才ピアニストでした。作曲家としても、彼の「卒業制作」のオペラをチャイコフスキーが絶賛したほど才能があったそうです。ところが、1897年に発表した渾身の作品「交響曲第1番」が、評論家が口を揃えてこき下ろすほどの大不評。ラフマニノフはすっかり自信を無くして落ち込んでしまいました。幸運だったのは、カウンセラーに恵まれたこと。

ラフマニノフを診察した精神科医は、ヴィオラを演奏する音楽家でもありました。彼はラフマニノフに「あなたは眠くなる、眠くなる(と言ったかどうかは分かりませんが)、そうして素晴らしいピアノ協奏曲を書き上げる」と暗示をかけました。

こうして生まれたピアノ協奏曲第2番は1901年10月に初演されて大成功を収め、ラフマニノフは見事復活したのです。今を去ること105年前の話です。カンセラーとしてこの曲の誕生を助けたニコライ・ダーリ氏は、時折、オーケストラのヴィオラ奏者としてこの曲の演奏に参加したそうですが、その時は彼に対する拍手が鳴り止まなかったと伝えられます。

(この話は、この曲のCDの日本語解説書にはほぼ間違いなく出てくるネタですが、あらためて得意気に書かせて頂きました。ご容赦下さい)。

個人的な推測ですが、村主さんがご自分の演技を「希望への道」と名付けたあたり、彼女もこの話を知って、自分を重ねたのではないでしょうか。プレッシャーとの闘い、挫折しそうな経験、新しい希望、そして苦境を支えてくれた人への感謝・・・が感じられて、私はNHK杯の演技をテレビで見ながら目頭が熱くなりました。会場にいたら、絶対に立ち上がって「ブラボー」って叫んでいたでしょう。

そうした話を抜きにしても、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は素晴らしい曲です。ピアノだけで鳴らされる重々しい和音で音楽が始まり、それがクレッシェンドして(徐々に大きくなって)オーケストラが加わり、大河のようなメランコリックなメロディが流れてゆきます。「ロシアの憂愁」というイメージを絵に描いたような音楽です。

生家が鉄道のターミナル駅の近くだったせいか、私にとってこの曲の始まりは、夜行列車が重々しく始発駅のホームを離れて行く様を思わせます。それぞれの人が胸中に秘めた別れと希望を乗せて。「ププッ」とか言ってはいけません。前回も書きましたが、クラシック音楽を聞く時は、「世間の常識」みたいなものは捨てちゃった方がお得なんです。

演奏時間は40分近く。クラシック音楽の有名曲の中には、有名なメロディ(いわゆる「サビ」)がなかなか出てこない曲もありますが、この曲は全編「サビ」みたいな傑作中の傑作です。

肝心なことを忘れるところでした。せんくらで聴けるのは1回だけ。公演番号100番、10月9日の14:15からです。演奏は及川浩治さんのピアノと仙台フィル。及川さんは宮城県出身。母校の佐沼高校からは『仮面ライダー』の石ノ森章太郎さんや『AKIRA』の大友克洋さんも出ていますが、それはさておき、ショパン・コンクールで最優秀演奏賞を受賞したこともある及川さんが得意とするのがラフマニノフの作品。

豪快なだけでなく、作品にのめりこんで、作曲家の込めた「初々しさ」や「人生に対する戸惑い」まで伝えてくれる弾き手です。ラフマニノフ自身は、ものすごく大きな手の持ち主だったそうですが、大柄とは言えない及川さんも「ラフマニノフの作品を演奏すると、手の形や指の位置が気持ちよくなる」のだそうです。このあたりは、演奏家ならではの本能でしょう。ご期待下さい!

浅野尚幸(せんくら2006プログラム・アドバイザー)

〔←〕前のページに戻る


(4)モーツァルトのピアノ・ソナタ全集(その1)—2006年06月17日

「テーマの無い音楽祭」せんくらのメニュー中でひときわ異彩を放つ(?)のが、モーツァルトのピアノ・ソナタ全曲演奏会でしょう。

生誕250年を迎えたモーツァルト(1756年1月27日生まれ、1791年12月5日没)の生誕250周年を記念した企画が一つあってもいいと思って提案したものです。

私の記憶の中では、モーツァルト没後200周年の1991年には、交響曲(41曲)や弦楽四重奏曲(23曲)の全曲演奏会が東京でありました。ピアノ協奏曲(27曲)やピアノ・ソナタ(18曲)も全曲か、それに準じる企画があったと記憶しています。

今年は生誕250年を日本でも「ブーム」であるかのように報じられていますが、マスコミなどで「健康にいい」云々といった採り上げかたをされて人気が出ているのが実情で、本格的な演奏会が91年並に数多くあることを期待していた私としては、余りの落差にがっかりしているのが本音です(ピアノ・ソナタに関しては、本年5月に東京で行われた「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン〜熱狂の日」で全曲演奏会がありました)。

健康にいいというのはその道の権威の先生方がおっしゃっていますから間違いないのでしょうが、作曲家モーツァルトとじっくり腰を据えて付き合う機会としてせんくらのピアノ・ソナタ全曲演奏会をご利用頂ければ幸いです。

さて、そのモーツァルトのピアノ・ソナタ。誰でも気軽に楽しめるのですが、演奏家にとっては大変な難物らしいのです。「モーツァルトの音楽は子供には易しすぎて大人には難しすぎる」という言葉があります。アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)という大ピアニストの言葉らしいのですが、他にも諸説があります。逆に言えば、誰が言っても真実味のある言葉なのです。おそらく、こう感じた人はシュナーベル以前にもたくさんいたし、今もたくさんいることでしょう。

モーツァルト自身は素晴らしいピアニストだったそうですが、モーツァルトのピアノ・ソナタの楽譜を広げて、同様に素晴らしいピアニストでもあったショパンやリストやラフマニノフといった人たちの作品と較べると、その簡単さにあっけにとられます。音符が桁違いなほど少ないし、和音も簡単で、確かに「子供にも弾けそうだ」と感じます。

ところがこれがクセモノ。びっしりと書き込まれた譜面では、アマチュアが楽譜通りに弾くことは難しくても、プロが弾けばそれなりにカッコがつくし、作品の凄さが自然と伝わります。

一方、音符が少ないモーツァルトの作品では、聴く人はなかなか「凄いものを聴いた」とは思いません。かと言ってウケ狙いの作為が混じると、モーツァルトの作品が本来持っているシンプルな美が崩れてしまいます。どうしても自己主張の混じりがちな大人よりは、無邪気な子供が楽しみながら弾く方がよほどモーツァルトっぽく聴こえる、ということかもしれません。

モーツァルトは、ある時聴いたヴァイオリニストの演奏について、父親宛の手紙に次のように書いています。
「ぼくはむずかしい技巧がそんなに好きじゃありません。(中略)彼は、むずかしいものをひいているが、人にはそのむずかしさがわからない。自分でもすぐまねできるような気がする。これこそ本当なのです(1777年11月22日付)」。
これぞまさに、モーツァルト自身のピアノ・ソナタに通じることではないでしょうか。

また、モーツァルトは、別の機会に理想的なピアノ演奏について次のように書いています。「速くひくのは、ゆっくりひくのより、ずっと楽です。(中略)ある曲をしかるべき速度で弾き、すべて音符や前打音その他を、しかるべき表情と情趣とで表現して、きく人に、まるでそれを作曲した人が、自分で弾いているという感じを抱かせることなのです(1778年1月17日付)」。

私としては、料理にたとえて、リストやラフマニノフは複雑なソースやハーブを使ってじっくりと煮込んで仕上げる肉料理、モーツァルトはうどん、という気がします。レシピ通りに作れば、誰からも「立派な」料理に見えてしまうのが前者、子供にも出来そうなくらい簡単だけど、気を抜いても変にいじっても失敗するのが後者。本当に極めるのはどちらも大変だけど、なかなか感動してもらえないのが後者。

さて、モーツァルトのピアノ・ソナタ全曲演奏という企画は提案したものの、題の演奏者の起用はプロデューサー側に一任しておりましたが、当サイトでの下山静香さんのブログを拝見すると、「モーツァルト向き」の雰囲気が強烈に漂ってきますね。期待が募って来ました。(続く)

(注)モーツァルトの手紙は『モーツァルトの手紙』
(吉田秀和編訳、講談社学術文庫)から引用。
モーツァルト・ファンなら必読ですよ!

浅野尚幸(せんくら2006プログラム・アドバイザー)

〔←〕前のページに戻る


(5)モーツァルトのピアノ・ソナタ全集(その2)— 2006年06月24日(前回より続く)

前回は「モーツァルトは子供には易しすぎ大人には難しすぎる」という言葉を引き合いに出しましたが、「子供には易しくて」ではなくて「易しすぎる」というのがポイントだと思います。つまり、無邪気なだけでは足りない部分がモーツァルトの音楽にはあって、ここに「プロのモーツァルト演奏」を聴く醍醐味と期待があるのです。

さて、プロデューサーは私に「コンシェルジュ」をさせるつもりらしいですが、ホテルのコンシェルジュだって勤務シフトや休憩があるのですから、私も堂々と休憩して演奏会を聴きにいくつもりです。でも、全部行くというのは許してもらえそうにありませんから、モーツァルトのピアノ・ソナタ全曲演奏会からは一つか二つ選ぶことにしましょう。

「神童」モーツァルトは、ピアノ曲も文字通り「子供」の頃から書いていましたが、ピアノ・ソナタ第1番は1775年(モーツァルト9歳の年)の作品で、完成度は非常に高く(などと私が書くのも憚られます)、どれをとっても安心です。

全曲の中から私が選ぶなら、まずは第2番。ピアノ協奏曲第23番の第2楽章を先取りしたような悲劇的なアダージョが魅力です(なんと言っても生演奏で聴く機会がほとんどありません!)。それから「子供には易しすぎて大人には難しすぎる」を絵に書いたような第5番と第15番、誰だって陽気になりそうな第1楽章が魅力的な第6番と第9番、「トルコ行進曲」で有名な第11番の影に隠れがちだけれど、名ピアニスト達に愛された第10番や第12番、 長調で書かれているのに哀しいくらいシンプルな「神業」を感じる第16番から第18番。ドラマティックで人気の高い、短調で書かれた2曲(第8番と第14番)もはずせません(個人的には前者ですが、ベートーヴェン好きな人には後者を推薦)。

更に番号付きソナタではないものの、有名な「キラキラ星変奏曲」をプロ演奏家が弾くのも珍しいし、個人的に大好きなのでお願いした短調の小品たち(ドラマティックなニ短調幻想曲、暗さを突き抜けた仄かな明かりの漂うイ短調のロンド、短い人生の終わりを予感させるロ短調のアダージョ)は、もう「マスト」・・・結局、全部行くしかないか。

番号付きソナタ以外にも、演奏時間の関係で小品がプログラムに載っています。一見「埋め草」に見えるこうした小品たちが、実はとっても注目なのです!

「コンシェルジュ」は、モーツァルト:ピアノ・ソナタ全曲演奏会の直前直後に限って開設、というのはダメですかねぇ・・・プロデューサー様?!

浅野尚幸(せんくら2006プログラム・アドバイザー)

〔←〕前のページに戻る


(6)せんくらで聴くモーツァルト — 2006年07月02日

2回続けてモーツァルトのピアノ・ソナタ全曲のご紹介をしましたので、今回もモーツァルトの話を。

モーツァルトの音楽は現代日本で人気ナンバー・ワン。人間が聴いて心地よい「ゆらぎ」があるとか、脳を活性化する高周波成分が出易いといった科学的根拠を挙げる人もいます(和合治久氏の一連の著作)。

それを突き詰めてゆくと、結局モーツァルトは別格の天才、ということになります。でも、バッハもベートーヴェンも、別格の天才には違いありませんし、モーツァルトが飛びぬけて愛される理由はやっぱり謎です。私としては、モーツァルトが自作のピアノ協奏曲について書いた次の手紙が、時代を越えて愛される理由の一つを物語っていると思います。

「協奏曲はむずかしいのとやさしいのとの中間のもので、とても派手で耳に快いが——もちろん空疎に堕してもいないといった具合で——音楽通でなければ満足が得られない個所も二、三ありますが——通でない人々も、なぜかわからないながら、きっと満足できるというふうに書かれています」
(1782年12月28日付。出典:『モーツァルトの手紙』
吉田秀和編訳、講談社学術文庫)

さて、せんくらで聴けるモーツァルトを駆け足でご案内しましょう。まずはせんくらトップページから「せんくらの楽しみ方」に入っていただくと、「モーツァルトの「トルコ行進曲」聴き較べ」というコースがあります。以前も書きましたが、様々な演奏家で気に入った曲を聴き比べるというのがクラシック音楽鑑賞の楽しみの一つ。同じ曲なのに人によって意外なほど違って聴こえることもありますが、SMAPの大ヒット曲にちなんで言うと、それぞれの演奏が世界に一つだけの花でオンリーワンなのです。自分の知っている演奏と違っている時こそ、「どうしてこういう風に弾くのかな?」「次はどういう風に弾くのかな?」と考えながら聴くと、自分が知ってるつもりだった曲の中に新しい発見をしたりするものです。有名な曲ですし、ご自身かご家族で演奏する方がいらっしゃれば、聴いた後に感想を言い合うのも楽しいと思います。

モーツァルトのオーケストラ名曲は仙台フィル(公演番号2)でどっぷりお楽しみ頂けます。6月17日付ブログでオーケストラからの解説がありましたのでご覧下さい。

ピアニストの仲道祐子さんは、公演番号15で1コマ丸ごとモーツァルトです。「キラキラ星変奏曲」や「トルコ行進曲」付きソナタ(第11番)といった親しみ易い曲に加えて、通好みのピアノ・ソナタ第12番や、ドラマティックで深い幻想曲ニ短調もあり、聴き応え十分。45分で終わるのかな?とちょっと心配。仲道さんは、第12番のソナタを除いた3曲を公演番号99でも演奏する予定です。

清水和音さんは、モーツァルトのソナタとショパンのノクターン(夜想曲)を組み合わせたプログラム。第11番のソナタは公演番号3、50、90で、第12番のソナタは公演番号5、64、79でお楽しみ下さい。

映画「みじかくも美しく燃え」のテーマとしても有名なピアノ協奏曲第21番のアンダンテ。この天国的でロマンティックな音楽をアレンジして高嶋ちさ子さんが演奏します(公演番号51と74)。

天国的と言えば、モーツァルトが最晩年に書いた「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。演奏時間3分弱のとっても短くシンプルな合唱曲ですが、「これ書いたらもう死ぬしかなかった」と思えるほど美しく心にしみる音楽です。池上英樹さんのマリンバ(公演番号22)と丸山泰雄チェロカルテット(公演番号85)で聴くことが出来ます。

モーツァルトの魅力である、いきいきと心弾ませる音楽の典型が弦楽四重奏曲第17番「狩」。セレーノ弦楽四重奏団の演奏でどうぞ(公演番号26と63)。

フルートの園城三花さんは名作中の名作フルートとハープのための協奏曲の一節を(公演番号12)、ヴァイオリンの前橋汀子さんは初々しさが魅力のヴァイオリン・ソナタ第25番の一節を(公演番号41と89)聞かせてくれます。

ものすごく高い声で歌うものすごく難しいオペラ・アリアが「夜の女王のアリア」。ソプラノ歌手にとって悩みの種のこの曲を、ヴァイオリン二重奏の「デュオ・プリマ」が演奏します(公演番号45)。

歌曲では鮫島有美子さんの歌う“クローエに”と“ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき”は、モーツァルトの「深さ」も伝えてくれます。できれば歌詞を予習して行きましょう(公演番号38と75)。

難しいはずの曲を魔法のように演奏して、アコーディオンのぬくもりのある響で聴かせてしまうのが御喜美江さん。モーツァルトのメヌエットを公演番号44で、モーツァルトが宮廷の舞踏会のために書いたコントルダンス3曲を公演番号80で聴かせてくれます。

出演者のご協力でモーツァルトの珍しい曲を聴けるのもせんくらの魅力となりました。

クァルテット・エクセルシオは、弦楽四重奏曲第6番と第21番の一節を演奏してくれます。特に第6番はめったに演奏されないので貴重な機会。

米良美一さんは、モーツァルト初期のイタリア・オペラ「アルバのアスカーニオ」からのアリア“そのように気高い心の人について”を歌い(公演番号4と49)、長谷川陽子さんは「ファゴットとチェロのソナタ」をェロとピアノで演奏します(公演番号11と46)。この2曲はCDでも珍しいし、生演奏は聴いた記憶がありません。これを逃したらもう聴けないかも?

浅野尚幸(せんくら2006プログラム・アドバイザー)

〔←〕前のページに戻る


(7)「いい席」で聴きたい! — 2006年07月09日

聴くとなれば、「いい席」で聴きたいもの。ここでは、「いい席」について私流の考えを書いてみます。

音の小さな楽器や、楽器が少ない場合は、演奏者の近くがいいと思います。「音の大きさは距離の2乗に反比例する」と理科の教科書に書いてありましたが、距離が2倍離れると音の大きさは4分の1になってしまうのです。

実際のコンサートホールでは反響や残響の効果などで、それほど音量は落ちませんが、それでも遠い席よりは近い席の方が大きな音がしますし、細かな音をはっきり聴き取れます。

私はギターが好きで、福田さんのコンサートを楽しみにしています。ギターは本来、身近な人に聴かせるための楽器で、ギター曲もそのように書かれていると思いますので、演奏者の近くで聞くことがとても大事だと思います。

一方、大きな楽器や、たくさんの演奏者がいる場合(具体的にはピアノやパーカッション、オーケストラや合唱)は、少し離れた席の方がいいと思います。

たとえばピアノは楽器全体が共鳴します。最前列のピアノを見上げるような位置で聴くと、ピアノの蓋から反射した音が降り注ぐ一方、ピアノの下側からも音が聴こえて戸惑うことがあります。

オーケストラでは、指揮者の足元の席では弦楽器はリアルに響きますが、奥まって高い位置にある管楽器の音が頭の上を素通りする傾向があります。ピアノやオーケストラや合唱では、楽器からダイレクトに響いてくる音よりは、ホールの響きとほどよく混じり合った音の方がバランスよく感じられることが多いです。

クラシックのコンサートは初めて、CDもほとんど聞いたことがない、という方には、演奏者の近くをお薦めします。クラシックのコンサートのように「じっと座ってひらすら他人の演奏を聴く」という状況は、日常生活ではほとんどありません。

自動車の助手席で、おしゃべりも出来ない、飲食も出来ないという状態を思い浮かべてください。カー・ステレオから、きれいなメロディとハーモニーの音楽が流れてきたら、心地よくて眠くなるでしょう。でも、その時に珍しくて新鮮な景色が見えてきたら、目が覚めるのではないでしょうか。

演奏者の近くの席ならば、演奏者の表情や時として息遣いまで伝わって来ますので、一体になって音楽を楽しむことが容易になりますし、眠気覚ましにもなります(どんな素晴らしい演奏であっても、クラシックのコンサートでは眠くなる危険がつきものだと私は思います)。

もっとも、近くの席でなくても、オペラグラス(双眼鏡)を用意すれば、演奏者の動きや表情を「見る」ことが出来ますので、オーケストラやピアノでは、ホールの中央以後の席でほどよくブレンドされた響を味わいつつ、オペラグラスで演奏を見るというのが「通(つう)」かもしれません(さすがに息遣いまでは聞き取れませんが)。

ご自身やお子様が楽器を習っている方にも、演奏者の近くか、オペラグラスをお持ちになることをお薦めします。ヴァイオリンなどの弦楽器の場合は指使い・弓使い、ピアノの場合は指使いやペダルの使い方といった「企業秘密」の部分を見ることが出来るからです。ピアノのコンサートでは、ステージに向かって左寄りの席から売れるそうです。ピアニストの手足の動きを見やすいからでしょう
(あまり左に寄ると背中と肩しか見えません。後姿もそれなりに味わい深いのですが、演奏テクニックの観察には向かないのでしょう)。

全般的に後ろの席は分が悪いような印象があるかもしれません。実際、音は遠いし、姿も遠いのが後ろ寄りの席の宿命ですが、せんくらの公演の多くは中小規模のホールですし、私たちなりにホールを下見して楽器との相性を考えましたので、あまり問題は無いと思います。

それでも、ホールは生き物とも魔物とも言われまして、理屈やイメージ通りには響かないものです。上野の東京文化会館は座席数2,300余りの大きなホールですが、私はチケット代が最も高額な1階中央の席よりも、最も低額な5階席の音の方が好きです。演奏者からの距離は5階席の方が圧倒的に遠いはずなのですが、響きのマジックなのか、「リアルな」音に感じるのです。ちなみに、今までに最も感激したオーケストラ体験は、同じく東京文化会館の(響きのバランスが目茶苦茶であるはずの)「1階席最前列中央(指揮者の足元!)」でした。

決して責任逃れではありませんが、「いい席」はケース・バイ・ケースでかつ人それぞれ。一回千円(前売り)のせんくらですから、自分なりの「いい席」を試す機会にも宜しいかと思います。

浅野尚幸(せんくら2006プログラム・アドバイザー)

〔←〕前のページに戻る


(8)シエナ・ウインド・オーケストラのこと。 — 2006年07月15日

私が小学生の頃にはブラスバンドを「鼓笛隊(こてきたい)」と呼んでいました。日本は世界屈指の吹奏楽王国で、経験者と現役奏者の合計は5百万人に上るそうです。

吹奏楽の世界で人気のあるシエナ・ウインド・オーケストラもせんくらに出演します。シエナについては忘れ難い思い出がありますので、せんくらのプログラムとは直接関係ありませんが書いてみます。

今からちょうど7年前、佐渡裕さんが指揮するシエナ・ウインド・オーケストラの録音の初日を見学する機会がありました。メンバーが揃ってチューニングが終わった時、誰かの発案で、その少し前に亡くなった団員をしのんで、録音に先立ってバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を演奏し、黙祷を捧げました。

それから練習をしながらマイクロフォンのバランスを整え、やがて録音が始まりました。最初の曲はバッハではなく、アルメニアン・ダンスだったと記憶しています。

3日続いた録音は「ブラスの祭典」というCDとして11月に発売されました。吹奏楽の分野で権威のある賞を受け、またとてもよく売れたようです。バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」も収録されていました。

私はCDが発売された時に、オーディオ評論家のFさんに1枚お送りました。年末になってFさんから電話がかかってきました。なんでも急病で倒れてしまい、一ヶ月ほど入院していたとか。私が送ったCDは、奥様が病院に届けて下さり、入院中に聴いたそうです。

「お礼が遅くなってごめんなさい。ところで」とFさんは言いました。「あのCD、録音の時に何かあったのですか?」
私にはFさんが何を言っているのか全くわかりませんでした。「ずいぶん元気のよい音だなぁと思って聴いていたんですけど、バッハのところだけ、音が違うでしょう?音が真っ白、純白なんです。あんな音は特別なことでもないと出ませんよ。大切な人をなくして悲しんでいるような、私にはそんな風に聴こえました。」

当時の私は、Fさんがクラシック音楽のコンサートやオペラにも時々足を運んでいたことは知らず、洋楽ポップスの女性ヴォーカルが大好きなオーディオ評論家というイメージしかありませんでした。ポップスでは「大切な人をなくして悲しい」みたいな曲はよくありますから、いかにもFさんらしい発想だなぁという程度にしか考えなかったのです。

Fさん、それって考え過ぎですよ、体が弱ってたせいじゃないですか、と私は笑い飛ばして、話はFさんの病気の経過や入院中のエピソードなどに移り、少し早い年の瀬の挨拶と共に電話を切りました。そして受話器を置いた瞬間、私の脳裏に録音初日の「追悼演奏」のことが蘇りました。

確かなのは、初日の追悼演奏は録音されていなかったから、CDにも使われなかったという事実です。「主よ、人の望みの喜びよ」が録音された理由も、当時シエナの定期演奏会のアンコール定番曲だったからで、亡くなったメンバーへの追悼ではないと聞きました。

では、Fさんの感想はまったくの思い込みだったのでしょうか。私にはそうとは思えません。でも、演奏者の「気持ち」まで、CDに刻まれることがあるのでしょうか。演奏者が無意識のうちに抱いた追悼の気持ちが(どういう仕組みか、わからないけれど)「録音」されて、いつもと違った精神状態にあった入院中のFさんが敏感に感じ取ったのかもしれません。

それがこの録音の「正しい」聴き方だとか、メッセージだとか言うつもりはまったくありませんが、「そんなことまで感じ取る人がいるんだ・・・」と思うと、日頃音楽を聴く時の自分の態度がニブくて傲慢だったように思われて、大いに反省する機会となりました。同時に、シエナの演奏がいかに「気持ちの込もった」ものであったか、あらためて感銘を受けました。

さて、少々重い話になってしまいましたが、実際のシエナの演奏は楽しくて軽やかで輝かしいものです。プロならではのテクニックもありますし、一方で「演奏」というよりは「パフォーマンス」という方がぴったりの、楽しいものもあります。

シエナの定期演奏会では、最後に「星条旗よ永遠なれ」を演奏します。この時だけは、楽器を持って来た人は誰でも参加できます。今では大変な人気で、毎回ステージに乗り切れないほどの人が参加するようになりました。せんくらでも「星条旗よ永遠なれ」の合同演奏、そのためのオーディションが企画されています。テレビや映画などで流行した曲を吹奏楽への編曲で楽しんで頂く企画もあります。

せんくらに参加するシエナは、定期演奏会に較べるとコンパクトな編成になりますが、会場も小さくてお客さんとの距離も近いですから、個々のプレイヤーとお客さんとの間の交流が親密なものになればいいなぁと思っています。

「ボディ・パーカッション」やってくれないかな・・・

浅野尚幸(せんくら2006プログラム・アドバイザー)

〔←〕前のページに戻る


(9)生の歌声の魅力と迫力 — 2006年08月12日

私の場合、クラシック音楽を聴き始めてしばらくの間は、音楽と言えばまずはオーケストラ、次いでピアノ、それからヴァイオリン・・・といったところでした。生演奏でも録音でも、歌にはなじめませんでした。

転機は1990年にイタリアで行われた「3大テノール」コンサートのビデオ。ルチアーノ・パヴァロッティが歌った「誰も寝てはならぬ」を見て、びっくりしました。どうしてあんなに高い声が出るんだろう!どうしてあんなに息が続くんだろう?

メロディもきれいでしたが、音楽云々以前に、ある種のスポーツ競技に似て、人間のフィジカルな限界に挑む迫力に魅了されてしまったのです。調べると、アリアは、同時の最高の歌手が個性と力量を発揮するために書かれることが多かったそうで、イタリア語やドイツ語の歌詞がわからなくて苦手、という人は、まず音楽だけに注目して楽しむのもよいかと思います。(歌手にとってはちょっと意地悪な聴き手ということになるのでしょうが)

一方で、ストラディヴァリウスのような歴史に残る名工が活躍した17世紀のイタリアで、ヴァイオリン演奏の理想は「人の声のように歌うこと」でした。今でも、リハーサルや録音を見ていると、「そこのフレーズをもっと歌わせて」 などという会話をよく耳にします。

また、ソット・ヴォーチェ(柔らかく抑えて。文字通り「そうっと話すように」。)やメッサ・ディ・ヴォーチェなどの言葉は、声(ヴォーチェ)のデリケートな表現をお手本とした考え方の名残です。

歌は、自分の体そのものを直接響かせて表現しますから、どんなによくなじんだ楽器でも難しい、繊細なコントロールが可能でした。歌手がフィジカルの限界に挑む時の迫力はわかりやすいし興奮しますが、楽器では難しいようなデリケートなコントロールから生まれる表現の世界の奥深さもただ事ではなく、その典型はシューベルトやシューマンの「リート」と呼ばれる歌曲の世界です。

せんくらでは歌の公演もご用意しています。米良さんと鮫島さんの公演は完売していますが、公演番号67では、「クラシックの歌」の多彩な魅力を目いっぱい凝縮したプログラムをお楽しみ頂けます。20年ほど前にウィスキーのTV-CMで一世を風靡した「ヘンデルのラルゴ」ことオンブラ・マイ・フは、誰でもご存知でしょう。「赤とんぼ」あり、「オー・ソレ・ミオ」あり、そして何と言っても「誰も寝てはならぬ」。佐藤さん、オーレ(がんばって)!

公演番号31の高山圭子さん。「アルト」は「ソプラノ」より音域が低く、その分、繊細で陰影の豊かな曲に恵まれています。高山さんの選んだシューマンとシューベルトを中心にした本格的なドイツ・リートにぴったり。個人的にものすごく聴きたいのですが、「コンシェルジュ」を拝命したため楽楽楽ホールまで行けません(泣)。最後から2番目、カッチーニのアヴェ・マリアは、シューベルトやバッハ(グノー編曲)のものと並ぶ「3大アヴェ・マリア」としても知られますが、その中でも一番「泣ける」曲ではないでしょうか。最後の「ヴォカリーズ」とは歌詞の無い曲のこと。「あ〜」だけなんですが、ラフマニノフの作品だけに耽美的なノスタルジーどっぷりの名曲です。最終日のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のチケットを買った人にもお薦めしたいです。(45分で全部歌えるのかな? )

公演番号77と78、リンボウ先生こと林望さん。お話はもちろん、歌も「玄人はだし」というのが失礼なほど素晴らしいそうで、大いに興味を惹かれます。「あんこまパン」ってタイトルの曲、なんだか楽しそうで想像が膨らみます。

公演番号28と29はロシア民謡。この分野で真っ先に名前が上がる岸本力さんの登場です。なんでも、私が子供の頃(もう少し前かな)、日本では歌声喫茶というのが流行し、そこの定番がロシア民謡だったとか。70歳前後の方には経験者もいらっしゃるのではないでしょうか。日本語の詩がついて流行したり、メロディだけ定着した曲も多いそうで、今でもロシア民謡のCDはよく売れます。

ところでインターネットで調べていたら、仙台はロシア人の方がたくさんいらっしゃるそうで、宮城県にはロシア正教会も多いそうですね。これぞ「本場」に響くロシア民謡?

公演番号98の菅さんもヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」を歌います。ほかに「小さい秋みつけた」やシューベルトの「野ばら」、アリアでも「私のお父さんなど親しみやすいプログラム。残席僅少のようです。

尚、歌もののチケットを買われる方は、演奏される曲の歌詞と訳詞を予習して行かれることをお薦めします。「敷居をなくして」「気楽に楽しむ」のがせんくらの趣旨ではありますが、料理とワインのマッチングのように、僅かの予備知識でより多くの楽しみが得られることもありますから。

浅野尚幸(せんくら2006プログラム・アドバイザー)

〔←〕前のページに戻る


(10)千円を、もっと楽しむ。 — 2006年09月13日

いよいよせんくらまで一ヶ月を切りました。これからはチケットを買った人向けに、その公演をより楽しんで頂くアイディアを私の個人的な経験に基づいてご紹介しようと思います。

私は二十歳過ぎまでクラシック音楽に関心が無くて、それから急に目覚めて聴き始めました。その経験からのアドバイスですから、すでにクラシック音楽に十分なじんだ方には滑稽かもしれません。「その件、私はこうした方がいいと思う」とお感じの方がいらしたら、是非コメントをお寄せ下さい。

今回提案したいのは、コンサートの「予習」です。自分が行く予定のコンサートに知らない曲が多い場合は、その曲をCDで聴いて、なんとなく覚えておくことをお薦めします。

多くの人にとって「音楽」といえばポップスなどの「歌」ではないでしょうか。せんくらで演奏される曲の多くには歌詞がありません。その代わり、歌詞に匹敵するような、あるいは言葉では描けないようなドラマが込められていますし、多くの曲には、自然な呼吸のような展開、起承転結があります。しかし、慣れないことには集中力がもたないのが人間というもの。初対面の、歌詞の無い曲に何曲も何十分も付き合うのは意外に緊張しますし、疲れると気が散ったり眠くなったりします。自分が聴くその曲がどのくらいの時間がかかるのか、音楽としての起伏がどうなっているのか、ある程度の予備知識があった方が眠くならずにリラックスして楽しめると思います。

「私は初対面の曲を新鮮な気持ちで聴くのが楽しみだ。事前にCDを聴いたら感動が薄くなる!」とおっしゃる方には無理にはお薦めしませんが、私の経験では、CDを聴いたためにコンサートで興味が無くなってしまうことはなく、むしろ逆でした。

音楽をCDで聴くのと目の前で弾いてもらうのとは大きな違いがあります。クラシックの名曲には、演奏家の腕を試すかのように難しく書かれているものも多くありますが、CDでは、どんなに難しい曲でもスラスラと演奏されているように聞こえます。生演奏ならば、かっこいいメロディが、実は超人的なテクニックから生まれていることに気付くこともあるでしょうし、演奏者の身振りや表情からそこに込められた気持ちを感じ取ることもあるでしょう。ですからCDで予習しても、同じ曲を生演奏で聴いて退屈することはないのです。

ただ自分で演奏するわけではありませんから、曲を覚えてしまうほど聴く必要はありません。一つのコンサートにたくさんの曲が演奏される場合は、その半分くらい聴いておけば、気持ちの余裕が違うと思います。

いくつもの曲を組み合わせたプログラムを予習するとなると、CD1枚ですべてをカバーするのは無理ですが、幸い、最近は6枚セットや10枚セットに100曲、あるいは101曲入って3,000円というセットものが出ています。せんくらのように「どこかで聴いた」と銘打ったCDもありますし、こうしたセットものを買えば、全部は無理でも、プログラムの中の何曲かはカバーできると思います。

せっかく千円でチケットを買ったのに、予習のCDに三千円も使ったら「元が取れない」?ものは考えよう。初めて買うコンサートのチケットが一万円だったら、「元を取ろう」と思って勉強するのではないでしょうか?今回は特別な理由があって超特価・一律千円でチケットを売っていますが、演奏家の皆さんのコンサートは入場料に合わせて演奏を手加減するわけではありません。聴く方も、心構えによっては千円のチケットで何倍も楽しめるチャンスがあると思います。

「予習用」にCDを買った場合は、コンサートが終わってからもう一度CDを聴いてみて下さい。きっと、演奏者の表情やしぐさ、あるいは指使いなどを想像し、目に浮かぶようになると思います。CDで曲を知り、コンサートで演奏を知る、というのが私のクラシック入門パターンでした。

浅野尚幸  せんくら2006プログラムアドバイザー

〔←〕前のページに戻る

〔↑〕 ページトップへ

(C)仙台クラシックフェスティバル2006実行委員会