■ 清水和音(ピアノ)
(1)「七夕祭り」 — 2006年08月13日
仙台といえば「七夕祭り」 もう10年くらい前になると思いますがこの真夏の祭典に訪れたことがあります。豪華絢爛な笹飾りは圧倒的に印象に残っています。
なぜなら私は‘’豪華絢爛‘’なものが非常に好きなのです。音楽に関しても好きな指揮者はヘルベルト・フォン・カラヤン。彼のサウンドは本当に豪華絢爛で聴いていて非常に気持ちが良いものです。私は彼が指揮しているCDの殆どを所有し、自宅で楽しんでいます。
そしてピアニストで唯一好きなアーティストといえばウラディミール・アシュケナージ。何と言っても私は彼のサウンドが大好きです。色々な要素が混ざり合い豪華絢爛な彼の音色はいつも全身に浴びていたいほどです。
来年6月には東京でアシュケナージ指揮NHK交響楽団との共演でラフマニノフ3番を11月にはオーストラリアでシドニー交響楽団との共演でラフマニノフの1番をアシュケナージと演奏することになっています。彼の演奏を聴いてピアニストになりたいと思った私としては彼との共演は本当に嬉しいことです。
話がそれてしまいましたが仙台の皆さまは「七夕祭り」を大いに楽しまれることと思います。私もこのお祭りに参加することが出来ないことが残念です。
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(2)鮨 — 2006年08月14日
こんにちは清水和音です。昨夜は仲間と鮨を食べました。この一週間はお盆の時期に入るので河岸が休みになってしまい、店が閉まるので食べられません。私の行きつけは川崎市にあるのですが、ここはネタも良く、握りの技術も高い最高の鮨屋です。味もさることながら見た目も芸術品のように美しく、行くたびに楽しい気持ちになり、ついつい通ってしまいます。
昨夜食べた中での出色は子肌の新子でした。この時期の風物詩で二枚つけの新子の鮨は香り高く柔らかく最高です。鮨を定期的に食べていると四季の移り変わりがネタに表れ季節の移り変わりを肌で感じることが出来ます。
最近 食料品店を眺めているとすべての果物や野菜、魚が一年中店先に並んでおり、季節感が本当に薄れてきています。そんな中で鮨を食べるという行為は私にとって季節を感じることなのです。皆さまはどのように季節の移り変わりを感じていらっしゃいますか。
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(3)読売日本交響楽団 三大協奏曲 — 2006年08月16日
今日は8月19、20日に行われる、読響三大協奏曲のリハーサルでした。曲は大好きなチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、指揮は私が同世代で最も尊敬し信頼する指揮者の一人である広上淳一さんでした。やはり素晴らしいオーケストラや指揮者との共演は本当に楽しいものです。演奏会が非常に楽しみです。お昼ご飯時にはは広上さんや団員さんと昔話や音楽の話に花が咲き、こちらも本当に楽しかったです。
仙台にも仙台フィルという素晴らしいオーケストラがありますね。コンマスに若くて優秀な伝田さんが就任したと聞いています。先日彼とは室内楽で一緒になりとても楽しかったことを良く覚えています。仙台フィルにはこれまで何度か出演させていただいていますが、是非また演奏する機会があれば嬉しいです。
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(4)プログラム(1) — 2006年08月16日
こんにちは。今日からはお約束のプログラムについてです。
「せんくら」で演奏させていただくプログラムを全部並べるとモーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番KV331(トルコ行進曲つき)、12番KV332、ショパン:ノクターンOp9-1, 2, 62-1, 2, 「遺作」です。
まず演奏する二人の作曲家、モーツァルトとショパンの共通点は共に「夭折の天才」である点です。モーツァルトは35歳、ショパンは39歳に亡くなっています。この二人の音楽には年齢不詳の要素があります。この要素は夭折の天才作曲家のみがもつ独特な持ち味と言えます。
皆さまもこの二人の作曲家のある一作品を聴きながらCDのリーフレットを眺めた時、その作品の作曲年代をご覧になって驚いたという経験をお持ちの方がいらっしゃると思います。是非 皆さまも私が弾く上の作品の作曲年代を調べてみて下さい。
それからこの二人の音楽には「人間臭さ」が無いですね。これはベートーヴェンの音楽と比べればより明らかで、ベートーヴェンの音楽の特徴が「人間臭さ」「爆発」であるならば、ショパン、モーツァルトの特徴は「洗練」であると言えると思います。
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(5)プログラム(2) — 2006年08月17日
こんにちは。今日はプログラム前半のモーツァルトについてです。
モーツァルトの作品は他の古典派の作曲家と同様に単純なものが多いと思います。ただし同じ時代の二流の作曲家との決定的な違いは作品が光輝いているということです。そしてどの楽曲についてもいえることですが、演奏に音楽家が持つ本来の資質が直接表れます。
ピアノ曲に関して言えば音符の数が決定的に少ないわけですので技術的に難しいことは何もありません。また少ない数の音符から音楽を紡ぎだすわけですから、間が重要になります。絶妙の間はどんなに練習、努力をしても身に付けられるものでは無いと思います。
従って各音楽家が生まれながらに持つ音楽性あるいは資質が全てさらけだされるのです。モーツァルトを弾く事は音楽家にとってある意味怖いことです。ただし聴衆に皆さまは演奏する音楽家の本質を感じることが出来るわけですので、非常に面白いとことでもあると思います。
私が弾くKV331, 332はモーツァルト中期の作品で全19曲のピアノ・ソナタの中でも私が好きなもののうちの2つです。これらの作品は先日レコーディングも行っています。ピアノ・ソナタはピアノ協奏曲のように後期の作品に出来が良い作品が多いということはなく、良い作品が各年代に点在しているということも興味深い事実です。
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(6)プログラム(3) — 2006年08月18日
プログラム後半のショパンについてです。
ショパンの作品について言えることは「完成度が高い」ことです。ショパンは彼が語りたいことを作品の中で端正に洗練した言葉で完璧に語っています。またフォームが綺麗な音楽であるとも言えると思います。
実はショパンはいたるところでベートーヴェンと同じ素材を使っています。しかしほとんどの場合において人々にその事実がばれていない。この辺もショパンの天才性の一つであるといえます。同じモチーフを使いながらまったく違う完成された作品を創りあげているのです。
前期の作品と後期の作品を比べると芸術的には圧倒的に後期の作品が優れています。私のプログラムのうちノクターン1番、2番、遺作などの前期の作品は非常に分かりやすく魅力的ではあります。それに対し17、18番の後期2作品は古今のノクターンの最高傑作であり、最高の芸術レベルをもつ作品です。
ただし生まれて初めてこれらの作品を比べて聴いた人にその感想を求めた場合、多くの人は前期の作品により好感を持つと思います。これはワインを始めて飲む人がボージョレ・ヌーヴォとロマネ・コンティを同時に飲み比べたときに圧倒的多数がヌーヴォを好むということに似ているかもしれません。いずれにせよ先入観をもたず自分のスタンスで音楽を楽しんでいただければと思います。
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(7)読売日本交響楽団 — 2006年08月19日
前にもお伝えしましたが、19、20日と広上さん指揮の読響とチャイコフスキーの協奏曲1番を弾いてきました。10数年前に共演した時とはメンバーががらりと代わり、オーケストラの雰囲気も大分変わっていました。今回のコンチェルトは2日ともお客さんは満員、オーケストラの熱演も相まって、非常に楽しく充実した時間を過ごすことが出来ました。
最後になりましたが是非私のリサイタルを先入観をもたず、自然体で楽しんでいただきたく思います。それでは仙台でお会いできることを楽しみにしております。
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