■ 御喜美江(アコーディオン)
(1)2006年07月23日
皆様こんにちは。アコーディオン奏者の御喜美江(みきみえ)です。今日から7回『せんくらブログ』に登場させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
今日は日曜日:子供の頃の日曜日はあまり好きではありませんでした。小さい頃の私は早起きで、朝ごはんを楽しみに早朝から機嫌よく起きだしていました。しかしこれといってすることのなかった当時、日曜日は限りなく長く退屈で、遊園地の鉄棒やブランコで遊び飽きたあとは、寝転んでよく空を眺めていました。その頃から私にとって空や雲は心の友達でした。あの頃は空が大きく、太陽がだんだん沈んでいく風景を見ることも出来ました。夕焼け雲も大好きでした。小さい頃の私は母と一緒に歩いていると、突然立ち止まって空を見上げては「あぁ、地球は丸いな〜」とつぶやくことが多かったそうです。
アコーディオンは、そのレパートリーにおいては鍵盤楽器に属しますが、楽器構造はリード楽器で、蛇腹から送られてくる空気がリードに触れてはじめて音が生まれます。鍵盤を押す、内部の空気弁が開く、そこに少し風を送る、すると音が聞こえてきます。この瞬間を私は『地平線』とよんでいます。音が消えてもまだ音がきこえるような、耳を澄ますとそこに音があるような、ふと気がつくとそこには本当に音がある、アコーディオンを演奏するとき、私はまず『地平線』を想像して、そのあたりに音を見つけようとします。はるか遠くにあるとても小さな音たち、そこが私にとって演奏の出発点です。
ゆっくりと変化する空の雲、分刻みに変わる黄昏の光、地平線の彼方にまで咲き続くたんぽぽ畑、水平線に停止しているような船、そんな風景が私は大好きです。
写真解説:オランダのラントグラーフにある自宅を裏庭から出て坂を上がると、この平原に出ます。広い空と地平線が見たくなると、ここまで散歩にきます。
アコーディオン御喜美江〜オフィシャルブログ〜『道の途中で』
http://mie-miki.asablo.jp/blog/
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(2)月曜日 — 2006年07月24日
週末が終わり今日から月曜日です。
月曜日というと平日だから、この日から一週間の仕事が始まるわけですが、ドイツ・オランダの月曜日は、何となく日曜日の延長のようでもあり、週末のおまけのようでもあり、休日の付録のような雰囲気もあります。
博物館・美術館は休館日、デパートとスーパー以外の店は午前中ほとんどが休み(オランダ)、床屋も休み(ドイツ)、田舎の肉屋は半日営業(ドイツ)。そして最近の日本では代休日こと月曜日=休日の場合がかなり多いように私は感じます。
★週末は終わったけど、もう少し遊んでもいいよ。(やったぜー!)
★なんだかんだあって結局寝不足、月曜日は思う存分寝ましょ。(わ〜い!)
★残ったご馳走をビデオでも見ながら一人でゆっくり食べよう。(これ最高!)
こんな月曜キャラクターに私は密かな魅力を感じます。
コンサート・プログラムでいうと、アンコールみたいなものかな。肩の力が抜けると私ってこんな演奏も出来るのよ。こんな楽しい曲も弾くの。名曲だって大丈夫、任せておいて、うふふ。
しかし現実はというと、先週やり残した雑用に追いまくられ、週末の寝不足、食べ過ぎ、二日酔いに体は重く、しかも頭も鈍い。さらに火曜日の予定を見てうんざりし、冷蔵庫にはもう何もない・・・これも残念ながら典型的な月曜日。ところで今日は?というと、大学が夏休みに入ったので毎日が“やや月曜日”みたいです。
写真解説:『地平線』の見える平原を東へ約20分歩き、真昼でも薄暗い森をぬけると、オランダ/ドイツの国境を流れる明るいヴルム川に出ます。その川辺に咲いていた『野バラ』を撮影しました。
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(3)2006年07月25日
今日は火曜日。大学があるときの火曜日は12時から授業があるので、自宅を午前9時15分に出て、ドイツの隣町Geilenkirchen発9時37分のRE(鈍行)電車に乗り、デュッセルドルフ中央駅からさらにS6(超鈍行)に乗り換え、エッセン・ウェルデン駅から徒歩5分、フォルクワング大学には11時半頃到着します。
それから午後8時頃まで教えて、そのあと自分の練習をするときもあるし、学生達と夕食に行くこともあります。火曜日はこのようなリズムがあります。
一週間の中で最も充実している日は、火曜日かもしれません。
不思議なことに“大学の日”は“自分の練習日”でもあります。大学には小さいながらも自分の部屋があり、そこには楽器、楽譜、机、ピアノ、大きな鏡、洗面台、体操用マット、Video&Audio等があります。古い石造りのフォルクワング大学は壁が厚く、天井も高い。猛暑の夏でも比較的しのぎやすい気温が保たれ、レッスンと練習だけに気持ちが集中できるこの空間は、私にとってかけがえのない仕事場かもしれません。
ラントグラーフの自宅にいると、朝の雑用を終えてやっと練習を始めても、すぐまたメールを見たり、ブログを書いたり、人のブログへ遊びに行ったり、CDを聴いたり、オス猫カーター君の相手をしたり、庭に出て草むしりを始めたり、と次から次へとすることは絶えず、気が付くともうお昼。ちょっと本を読んでいるとあっという間に夕方、そして夜。リズムが作れないままにせっかくのフリーデイは終わってしまいます。
私のような人間(手風琴奏者、B型、乙女座、火星人+、かぐや姫)には、汽車時刻、授業の時間割、遊び道具のない小さな部屋、そんなプリミティブな規律や環境が、生活上で何よりも必要な条件のようです。
写真:フォルクワング音楽大学
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(4)使用楽器 — 2006年07月26日
夏は暑く、冬は寒くあるべきだけれども、しかし、毎日毎日ほんとうに暑いです。ドイツもオランダも連日35度を越す気温で、すでにもう何人かのお年寄りが亡くなりました。天気予報によると、この猛暑はまだまだ続くとのこと。山火事や水不足の危険性が日に日に高まっていきます。
庭とバルコニーの花たちには朝晩2回水をたっぷり与えていますが、それでも日中はいかにも辛そう。葉も茎もたら〜と柔らかくなってしまって「太陽さん、もう勘弁して頂戴!」と嘆いています。となりのオス猫・カーター君もついにくたばってしまったのか、姿が見えません。これ、かなり気になる私。
アコーディオンは他の楽器と違って、楽器と体がほとんど一体となって演奏されます。15kgほどの重さを体全体に分散させ、一箇所に何キロもの重さがかからないようにするわけです。「子供を抱くマドンナのよう」なんて言えば聞こえはいいけれど、この猛暑では子供もマドンナも“汗だく物語”。
マドンナはシャワーでOKですが、子供の方は丁寧なケアをしないと故障の原因になります。汗には塩分が多く含まれているため、練習後は湿らせた布で45の鍵盤と185個のボタンを一つ一つ丁寧に拭かねばなりません。また楽器内部には1000枚近いリードがありますが、それらが取り付けられている板版はワックスで固定されているため、気温が高いとワックスが柔らかくなって、これも楽器には悪影響を与えてしまいます。アコーディオンの盛んな国というと寒い国が多いようで、例えばフィンランド、ロシア、ノルウェー、セルヴィア等。寒くてもアコーディオンを弾いているとだんだん体が温まっていく、できることなら夏はパスしたいというのが楽器の本音かもしれません。
仙台における演奏会は10月、アコーディオンにとって一番いい季節かもしれません。
写真解説:御喜美江が使用しているアコーディオン。製作者:ジョヴァンニ・ゴラ(1972年)/ドイツ・ホーナー社
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(5)演奏法 — 2006年07月27日
アコーディオンの音色は、体の動きと呼吸でつくられている。楽器が体に密着しているので、ちょっとした小さな動きや呼吸にも音に影響する。
楽器の真ん中にある『蛇腹』によって空気が送られてくるが、蛇腹の部分だけではなく楽器全体どこに触れても、音は変わる。それがフォルテ、フォルティッシモのような大きな音の場合はそれほど気にしなくていいが、音量をだんだん、それもゆっくりと弱くしていこうとすると、急に操作が難しくなる。体全体でバランスを取りつつ、さらに呼吸を合わせながら、徐々に徐々に音たちが小さくなるようする。
アクセントにもいろいろある。
・腕でグイっと力強く引っ張り、蛇腹を返すとき右肩にドンとぶつけ、左足を上げてすっと下へ落とす。
・柔らかいアクセントとしては左足を上下にゆっくり動かし、呼吸を短く「はーっ!」とはく。
・特にデリケートな弱音アクセントは、お腹を前にちょっと突き出し、腰を使う。
例えば赤ちゃんが泣いてぐずっているときは、抱っこして揺らしているとだんだん大人しくなってそのうち寝てくれる。このときの揺らし方は、腕をガタガタ上下左右に揺らすのではなく、膝や腰や頭で軽い動きをとりながら、体全体を緩やかに振動させる。赤ちゃんを抱いている手や腕は常時静かなポジション。この感じが緩やかアクセント。
音を揺らすヴィブラートに関しては、とにかく体のどこかがちょっとでも揺れていれば、それでヴィブラートになる。というか、なってしまう。緊張して体や呼吸が震えると、音もブルブル震え出す。そういう演奏は、聴いている方まで緊張してしまう。とにかくその日のコンディションが音になって出てくるので、アコーディオンは一種の体調チェック・マシーンでもある。
写真説明:ドイツとオランダの国境を流れるヴルム川。私は水の音が大好きなので、よくここまで散歩にくるが、ある日この石橋から水面をながめていたら、ふと新しい演奏法を発見した。
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(6)13歳の春 — 2006年07月28日
私が初めてドイツを訪れたのは13歳の春だった。南ドイツのトロッシンゲンという町で国際イースター・アコーディオン週間が開催されるという情報を母が知り、それを聞いた私は何が何でもそこへ行きたいと思った。クラシック・アコーディオンの本場ドイツでは、どんな楽器で、どんな人が、どんな曲を、どんなふうに弾いているのか一日も早く知りたかった。日本語以外の言葉は何もわからないのに、また一人旅なんて一度もしたことないのに。というか一人ではデパートにすら行ったことないのに、突然一人でドイツの田舎町トロッシンゲンまで行くことになってしまった。
あの頃は両親も私も若く、意欲的で、勇気があったと思う。高校で英語を教えていた母が、表が英語&裏が日本語というカードを何枚も作ってくれて、それを首から紐でさげて羽田空港を発った。「・・・駅で乗り換えて・・・まで行きます。乗り換えホームまで連れて行ってください」「・・・学校はどこですか?」「レストランはどこですか?」「電話をかけさせてください。」「トイレはどこですか?」「これを下さい。おいくらですか?」など。私はまさに動く小包。必要に応じてカードを選びながら、ほとんど困ることもなく、親切なドイツの人々にお世話になりながら、夢のような楽しい2週間を過ごした。
ドイツは風景も町並みも美しく、静かで落ち着いて暮らしやすい。食べ物はいまいちパッとしないが、でも清潔。そして、何よりもフリーベース・アコーディオン(左手にも5オクターブ半の音域を持つ単音ボタンがあるアコーディオンのこと)を生まれて初めて見て、バッハやスカルラッティのポリフォニー音楽をオリジナルの音域で聴いて、さらにこの楽器のために超絶技巧の素晴らしいオリジナル作品があることを知って、この驚きと感動は13歳の私の道をその場で決めてしまった。
「もう日本に帰る必要は全くなし。このままここに住みたい。」との強い希望を出したのだが、音楽学校の校長先生は「ドイツ語を勉強してから来ないと入学は出来ません。」なんて言うし、両親は「日本における義務教育は終えないと・・・」と、そんなこんなで結局日本に戻ってきた私。
でもそれからの3年間はドイツ語習得しか念頭になく、放課後は週3回大森のドイツ学園へ会話を、週2回上智大学へ文法を、夏休み中は毎日学習院大学のドイツ語講座に通っていた。大変とか、つらいとか、疲れたという意識は、当時の自分にはなかったと思う。
あの頃の自分と、今の自分が同じ人間とは思えない。あのエネルギーは一体どこからきたのだろうか。旅は夢、未知は希望であったあの時代にもう一度戻りたいとは思わないけれど、肉体が健康なうちにそんな冒険的な時期が2〜3年もう一回あってもいいかなと、時々思う。
写真解説:真夏の自宅のバルコニー
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(7)よい夏を! — 2006年07月29日
あっという間に一週間が経ってしまいました。これからはコメント欄で参加させていただこうと楽しみにしています。
アコーディオンという楽器は“誰でも知っている”ようで“誰も詳しくは知らない”ということが多く、このブログを通して少しでも紹介が出来ればと思っておりました。でも楽器はやはり実際にその演奏を見て聴いて、初めて知ることが出来ると思います。今回は仙台クラシックフェスティバル3日間中、5回コンサートをさせていただきます。皆様に聴いていただけたら本当に嬉しく幸せです。
さて、今日から一週間フィンランドのオウルへまいります。館野泉さんが音楽監督をなさっているオウルンサロ音楽祭で、ソロ・リサイタル一回、ヴィオラとのカフェー・コンサートを一回、そして館野さん70歳バースデー・ガラ・コンサートで弾かせていただきます。フィンランドはクラシック・アコーディオンのレベルが世界で最も高い国ですが、それだけではなく、人間と風景が限りなく魅力的なので、私の大好きな国です。11時50分発のFinnairにこれから乗りますが、猛暑が何週間も続いたドイツからやっと脱出できるのも本当にうれしい。澄んだ空気、涼しい風、青い水、静寂、そして白く明るい夜に期待が膨らみます。
最後に:一週間も私の拙い文章を読んでくださった方々に心から感謝いたします!
猛暑の夏、どうぞくれぐれもお体お大切になさって、お元気でお過ごし下さい。
仙台の美しい秋を今から夢見ています。
写真解説:ラントグラーフの自宅にて。
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(8)ロシア民謡について(1) — 2006年09月02日
『ロシア民謡』が大好きだった父の希望で、私は4歳からアコーディオンを習い始めた。その頃からすでに『ロシア民謡』に縁があったわけだが、父親の趣味嗜好かならずしも子供には遺伝せず、娘はそれから数十年間『ロシア民謡』とは無縁で過ごしてきた。
ところがある日キングインターナショナルの宮山幸久さんから次のような問い合わせがきた。「この度キングでは“岸本力・ロシア民謡”リリースを計画しています。岸本さんは音楽がロシア民謡ですからその伴奏をピアノではなく、アコーディオンとギターで希望されています。弾いていただけますか?」
私はその時のことを今でも鮮明におぼえている。何故かと言うと、このようなレパートリーは今まで弾いたことがなかったし、弾きたいとも思っていなかったし、多分自分からは思いつきもしなかったアイデアなので、「えっ?」と戸惑うはずのところが、何故かどうしてか、宮山さんの問いに対して私は一瞬の迷いもせず「ありがとうございます。是非とも弾かせていただきます!」と答えていたからである。
そしてもっと驚いたことは、私自身がこのニュースを本当に喜んでいたことである。「ロシア民謡・・、どんな曲があったっけなぁ、カチューシャ、ともしび、モスクワ郊外の夕べ、ボルガの舟歌、あぁいいな〜、懐かしいな〜、弾いてみたいな〜」と夢はどんどん膨らんでいった。(明日に続く)
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(9)ロシア民謡について(2) — 2006年09月03日
岸本力さんが『ロシア民謡』をオーケストラ・バックでうたうと、東京芸術劇場の大ホールが完売になるそうだ。リリースされたロシア民謡のCD『つかれた太陽』も、コンサート会場で販売すると飛ぶように売れるそう。
すごいなぁ。一度でもそんな経験を私もしてみたい。岸本さんには【御喜美江アコーディオン・ワークス2004】にゲスト出演していただいた。ステージ上での岸本さんはまたとくべつで、そのときの印象も忘れられない。
プログラムはショスタコヴィチとグバイドゥーリナのソロ作品で始まり、そのあと休憩までがロシア民謡となった。岸本さんは背が高く足が長くハンサム。そして赤がアクセントされた黒の背広も抜群にかっこういい。こういう人と登場すると何となく気分がいいなぁ。
一曲目は“トロイカ”。歌い終わった瞬間に「ブラビー!」「ブラボー!」とあちらこちらからかけ声がかかる。なんかすごくいい感じ。次は“ナスターシャ”岸本さんの額には汗が滲み出ている。しかしそれとは別に何かが飛んでくる。なんだろう・・・
私は左うしろ斜めに座っているから、逆行ライトの中を見上げると、なんとそこには唾がまるでシャワーのように飛び散っている。前3列目くらいまでは、この唾シャワーをもろに浴びているはず。
2曲目がおわるとさらに「ブラボー!ブラビー!」の連呼。でも私は唾のことが気になって前列のお客様のほうを見ると、そこはみんな岸本さんのファンらしく、どの人も喜びに溢れ、恍惚の面差しで岸本さんを見ている。「あっそうか、この人たちは“岸本シャワー”を頂きたく、このこんな前に座っているんだ。」と納得。(さらに続く)
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(10)ロシア民謡について(3) — 2006年09月04日
それにしても唾が斜め後ろにまで飛んでくるだけあって、岸本さんの声はデカイ。そしてロシアを原語で歌えるだけあってその音色のなんと豊かなこと。
哀愁をおびたメロディー、語りかけるような甘い響き、そして100人は一度にめった打ちできそうな迫力のリズムとアクセント、私はアコーディオン伴奏をしながら、レコーディングよりコンサートのほうがもっともっと感動した。
そしてこのとき『ロシア民謡』を愛する遺伝子が実は私にもあったことを、岸本力さんの歌唱芸術で知ることができた。
いまは亡き父に、「パパ、美江もロシア民謡って、ほんとうは好きだったみたいよ。もっとはやくに気づいていればよかったね。これからはもっともっとロシア民謡を弾くから、その時は必ず音楽会場に来てね。」と心の中でつぶやいている。
今回は2年半ぶりに再び岸本さんの『ロシア民謡』を伴奏できる。仙台は父も大好きだったから、きっと聴きにきてくれるだろう。 (このシリーズ完)
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