■ 加藤洋之(ピアノ)
(1)2006年06月25日
こんにちは、はじめまして。
ピアニストの加藤洋之(ひろし)と申します。
本日より7日間、どうぞよろしくお願いいたします。
もともと私は演奏の場以外で、自分自身のことをたくさんの人に伝えるというのが不得手な方ですし、気分屋で、怠け者でもあるので、ブログ等といったものは一生縁がないと思っておりました。しかし今回は、リレー方式で期間限定というのが興味深いし、テーマを絞ることができるので、自分でも何かできるかもしれない・・・という気になり、最初で最後であろう経験をしてみようと思います。
さて、何を書こうか・・・・・
・・・・・そうだ! 自分の話が苦手なら、ほかの人の話を書いてしまおう!ということで、今まで一緒に音楽を作った、たくさんの素晴らしい方々の中から、一日につき一人、自分との出会いや思いなどを述べていく事にします。
一日目は、チェリストの原田禎夫さんです。現在はドイツのトロッシンゲン音楽大学の教授であり、サイトウ・キネン・オーケストラや水戸室内管弦楽団等の首席奏者を務めたり、多くの国でマスタークラスを持ったりと、まさに東奔西走、多忙な日々を送ってます。が、、、、なんといっても東京クワルテットをつくり、30年に渡って世界の音楽界で最高レベルの活躍を続けてきた名演奏家です。ちなみにドイツでのコンサートのプログラム等の紹介欄にはいつも”.....ein besten Streichquartetten der Welt. (世界最高のカルテットのひとつである・・・)"と表記されていました。
初めての出会いは1999年の冬、ドイツでした。そして・・・
・・・最悪でした。
ドイツに住んでいたときに、毎週のように訪れては室内楽浸けになって勉強したり、楽しんだり、おいしいものをご馳走になったり、呑んでは音楽や人生のことを何時間も話したりと、本当にお世話になり続けた日本人チェリストの大きな家が、ダルムシュタット郊外の小さな村にありました。岩本さんといって、在独がもう間もなく40年になる方で、2つに分かれる前の日本フィルで首席奏者でしたが、分裂後ドイツに渡り、長年ダルムシュタット歌劇場の首席奏者を務められました。海外のオーケストラの日本人奏者のパイオニアといえる一人でしょう。彼や、そこでの室内楽仲間のことについてはまた別の日ということにして、、、
室内楽を合わせに行っていたある日の晩、突然テキーラやらなにやら酒瓶をたくさん抱えて、すさまじいテンションで乱入してきた人がいました(この家は本当に人の出入りが多く、いつ訪れても必ず誰かいる)。
この方も在独期間の長い、ドイツの音大の日本人教授でしたが、もうすっかりできあがっており、「駆けつけ3杯だ〜っ!」と家の中を駆けまわり、なぜか、まだピアノを弾いていた私が、グラスになみなみと注がれたテキーラを3杯立て続けに呑まされ、あとはそのまま何をどのくらい飲んだか判らないほど呑み続けることになりました。
・・・当然翌朝はまともに起きられたものではありません。
寝室からなんとか這い出したもののそれ以上動けず、2階にある居間のソファでのたうち回っていると・・・
下の食堂から聞きなれぬ声がしてくるので、「あ、また来客だ。誰なんだろう」と、手すりにしがみつきながら、カタツムリのように階段を下りていきました。
そこで岩本さんとご飯を食べていたのが原田さんでした。東京クワルテットのドイツ・ツアー中で、その晩はハイデルベルクでコンサートがあり、長い付き合いの岩本宅が近いので立ち寄ったそうです。
「こんにちは・・・」と声を絞り出して挨拶したのですが、原田さんは明らかに固まってしまい、箸も止まり、瞬きもせず、沈黙の後「・・・あ・・・どうも・・・」と固まったまま声を発しました。岩本さんが「彼は昨日さんざん飲まされて・・・」と言葉をはさんでくれたのですが、相変わらず固まったまま、「あ・・・あっちの部屋にいって休んでれば・・・」と、一刻も早く目の前から消え去ってほしいようでした。後から「だって、急に得体の知れない生き物というか物体が現れて・・・」と言われました・・・
・・・まったくその通りで、あの時の自分は人間としての機能を果たしていなかったと思われます。
それから1,2時間ほど経って回復してきましたが、家の人たちが皆昼寝をしてしまったので、原田さんが「何か音を出して遊んでみようよ」と声をかけてくださり、幸運にも一緒に合わせてみることになりました。
音を出した途端・・・
すごい風圧というか、巨大な壁がこちらへ向かって押し寄せてくるようで、根こそぎ吹き飛ばされそうな感じでした。自分がひょろひょろの草になったみたいで、一小節たりとも音が出せなくなりそうでした。ただ気持ちも指もへにゃへにゃと鍵盤を撫でながら、圧倒されているだけの時間がしばらく続きました。
「このままでは、ただ音をくっつけて"伴奏"しているだけで、何もないまま終わってしまう。こんな機会もう2度とないかもしれないのに・・・」そう考え始めて「合わなくなって、崩れて、破綻してもいいや」と無我夢中で表現を表に出して、ぶつけていきました。すると、こちらが何をしても、その表現を完全に受け止め、ひとつの音楽として融合してさらに大きなものへと変容させていくのです。
初めて一緒に弾いているのにもかかわらず・・・。こちらが驚嘆しているうち、あっという間に時は過ぎ、彼はコンサートへと出かけていきました。
しばらくの間、自宅のあったケルンに戻ってからも
「あんな世界があったなんて・・・」と、それを垣間見れた喜びとともに茫然としていました。
幸運なことにその後、現在に至るまで何度も一緒に演奏する機会を持たせていただいてて、特にそのリハーサルは、普段自分が作品や作曲家に対峙するときの心の糧となっています。一音一音、あらゆるフレーズに自らの身を削るかのようにして情熱を注ぎ込んでいき、音楽を自らの血肉と一体化させていくようなリハーサルは最高に幸せな充実した時間です。
「結成当時から東京クワルテットはいったいどんなすさまじいリハーサルをしていたんだろうか」などと思いを馳せると、ちょっと羨ましい気持ちになります。そして常に「なんてすごい曲なんだ、すごい作曲家なんだ」と、音楽が大好きな学生のように、いまだ憧憬と理想と尊敬を持って演奏をしている姿勢に心から憧れ、自分もずっとそうあり続けたいと思います。自分より20歳以上も年が離れてるのに話をしてても年齢による違和感がないどころか、同世代の友人たちよりもはるかに若く感じることがしょっちゅうあるのは、そういったところから来ているんだろうな・・・。
それにしても・・・・・
いくら好きだからって、とんかつ屋で「キャベツ、味噌汁お替り自由」というのを見て「肉食べたいんだよ〜」といってとんかつをお替りするのは如何なものだろか・・・・・
オフィシャルサイト
http://www.bunka.city.sendai.jp/sencla/
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(2)2006年06月26日
こんにちは、加藤です。
二日目は、ヴァイオリニストのライナー・キュッヒルさんです。いわずと知れた、ウィーン・フィルの第1コンサート・マスターです。そしていままで最も多く一緒に演奏し、音楽上の言語を最もたくさん共有している(たぶん・・・)演奏家の一人です。
高校生のときザルツブルクで初めてウィーン・フィルを聴いて虜になってしまい、それ以来数え切れないほどのコンサート、録音を通して、一ファンとしてこの西洋音楽のすべてを体現しているようなオーケストラに接してきた私にとって、彼はまさに雲の上の存在でした。ブダペストにいた頃、シーズン中はほとんど毎週ウィーンに通っていたほどです。列車で3時間ほどだったし、コンサートが無くても、オペラはほとんど毎日上演していたのでウィーンの街の空気と、ウィーン・フィルのオーラを浴び続けることができました。それはもう恋愛感情に近いような感覚でした。(留学した当初はまだハンガリーの体制が変わったばかりで、いろいろと手に入らないものも多かったし、
重苦しい雰囲気がまだまだ支配していたので、買出しと西側の空気を吸うという目的もありましたが。)
その後ケルンに住むようになってからも、しばらくは一月に一度くらい夜行列車に乗ってウィーンに通っていました。ケルンではウィーン・フィル・ケルン・ツィクルスというのがあり、年に2,3回、フィルハーモニーで聴くことができたのは幸せなことでした。
「キュッヒル氏と一緒に来日する予定だったピアニストが急病なので、代わりを探している」と、東京のK音楽事務所から国際電話がかかってきたのは、1999年の10月末のことでした。本番までちょうど3週間、全部新しく読まなければならない曲ばかりだったが、そんなことより何よりも「え、あの・・・キュ、キュッヒル氏って・・・ったって・・・いや・・・自分なんか・・・恐れ多い・・・否、恐ろしい・・・」と動揺し、「その日はですね、友人のコンサートがこちらであり、日本に行くのは難しく・・」などと訳のわからないことを口走り、断ってしまったのです。
電話を切った後も動揺は続き、やがて夜ベッドに入ってからは、いままでに聴いたウィーン・フィルの名演の数々が、そしてその中から聞こえるキュッヒルさんのソロ・パート(特に、クライバーの指揮で聴いた「英雄の生涯」のソロ、シェーンベルクの「浄夜」で聞こえてきた、クリムトの絵にある金と同種の音色等)の眩い音が頭の中に響き続け、一睡もできませんでした。空が白み始める頃、
「一生に一度かもしれない、何か特別な経験を得られるかもしれない機会から、自ら去るなんてバカじゃねーの」
という思いが頭をもたげてきて、そうすると急に「どうしよう〜、もう誰か他のピアニストに決まってしまっていたら・・・あああああ」と、いても立ってもいられなくなり、即座に「やりますっ!やっぱりやりますっ!やらせてくだされぃ!」と連絡を取りたかったのだが、時差があるためどうにもできず、事務所が開く10時・・・ドイツは午後4時・・・まで持って行きようのない気持ちを抱えながら過ごし、そしてずっと起きていたことによる変なテンションで電話をかけ、「まだピアニスト決まっていませんかっ」と勢い込んで話すと、受話器の向こうからは「あ〜、まだですよぉ、全然。」とノンビリした声が聞こえてきた。
最初の本番は岐阜のサロンでした。合っているはずなのに、なぜかしっくりと来ない。一緒に一つの作品を演奏しているのに一体感を感じられない。録音を聴いてみたら、それはより明らかでした。
まるで偏執狂のように、あらゆる音、フレーズ、イントネーション、ヴァイオリンとピアノの音程、ボウイングetc.....思いつく限りの事をチェックしやり直してみました(もちろん音楽的な感興を伴わずにはそんなことをしませんが)。・・・が、ディテイルをいくら詰めていっても精巧なイミテーションにしかならなくて、到達したいところへの距離はまったく変わらないだろうなぁ、結局根本的なところに気づかなければ意味がないよなぁ・・・・・・と思い始めた矢先、
!パッと閃いた!
「彼といつも一体となることができ、音楽を演奏している存在・・・・・・・・それはまさにウィーン・フィルそのものだ」
「私自身が彼をコンマスに擁くオーケストラになってしまえばいいんだ。」そういえば彼のパート譜には、鉛筆でピアノの対旋律や強弱までもが書かれていました。「彼は本当にピアノと一体となって、一つのシンフォニーを作り上げようとしていたんだ。」(後年、一緒にインタビューのようなものを受けたとき私が「ヴァイオリンとピアノという編成の、一つのオーケストラになるように心がけて云々・・・」という話をしたら、彼が横で大きくうなずいていました。)
そもそもピアノ・パートがどんなに分厚くなろうとも、単に音量だけでなく表現の面でも何の心配もいらない。ウィーン・フィルのブラス・セクションが全開しようと、オーケストラ全体が地鳴りのように轟いていても、その上に虹がかかるような輝かしい音で演奏しているのを思い出した。
数日後、東京のコンサートでは演奏中、至福のときというか、恍惚感の中を漂っていました。その後2001年に共演してからは、ずっと一緒に音楽を作る喜びを与え続けてくれています。彼が初めて会う人に、私のことを「音楽双生児」とか「音楽の上での兄弟」と言っているのを耳にするたび、決して大げさではなく、本当に天にも昇ってしまうような気持ちにさせられます。
しかし彼のハード・スケジュールを知れば知るほど呆れてものが言えなくなるし、心配になってしまう。ウィーン・フィル、国立オペラのコンマス、ツアー、レコーディング、彼自身の弦楽四重奏団、その他にも様々なアンサンブル、ぎっしりと詰まったリハーサル、ウィーン音大の教授として15〜6人の学生を抱え、彼らへのレッスン、ヨーロッパ各地のオーケストラと協奏曲を演奏し、国際コンクールの審査員を務め・・・、書いているだけで吐きが・・・。
移動の列車内ではいつも何冊ものスコアを積み上げて、指揮者以上に曲の隅々まで知ろうとしています。(国立オペラでも、指揮者に問題があったり、十分なリハーサルができなくて本番中にアクシデントが発生した場合、キュッヒルさんが弾いているときなら、彼を見れば次の1小節以内に立て直すことができると言われていて、歌手たちからも絶大な信頼を得ているそうです。)
そんな訳で健康管理には大変気を使っていて、ジョギングをしているのですが、いつも20kmくらいを平気で走っています。2年前に国立オペラの日本公演で来日したときは品川に宿泊していて、夜オペラがある日に「昼間ちょっと走った」と言うので、近所だろうと思っていたら「皇居まで行って一周して戻ってきた」そうです。
いままでできるだけ、プログラムに1曲ずつベートーヴェンのソナタを入れてきていて、「全10曲をやり遂げた後、3回に分けてベートーヴェン全曲ツィクルスを実現しよう」と、これまた天に昇ってしまうようなことを言ってくれているので、心技体が最高のバランスとレベルでそのときを迎えられるように日々過ごしていきたいな、と思っています。
それにしても・・・・・
相撲観戦で、力士への掛け声を、
誰かから「なんでも好きなことを叫べばいい」と云われたからといって、「なっとぉ〜っ(納豆)!!!」と千代大海関に声をかけるのは如何なものだろうか・・・・・
・・・それは自分の好物でしょ。あんまりだ。
オフィシャルサイト
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(3)2006年06月27日
こんにちは、加藤です。昨日のポルトガル vs オランダ戦、すごかった。両チームとも好きな私は、もっと後のほうで当たってほしかったなぁ、と思いました。
さて三日目ですが、今回はヴァイオリニストの加藤知子さんです。
初めて会ったのは、1999年の7月でした。当時、在欧生活が10年になろうしていた私は、ずっとそのままドイツにいるべきか、どこか他のヨーロッパの国に移る可能性を探るべきか、久しぶりに日本に生活の場を移してみるか、悩み始めた時期でした。それぞれのメリットやデメリット、何が困難か等を比較をしては悩んでいました。
時々日本に戻って来るたびに、街を歩くテンポ感がうまくフィットしないような感覚や、ピアノに向かっているときの、どこか仮の場所で音を出しているような、現実感のないような感覚、人とコミュニケートしててもどこか変なんじゃないか、妙に浮いてしまってるんじゃないか、と勝手に自分自身で思ってしまったり、でも以前に日本に住んでいた頃、どんな感覚でピアノを弾いてたのかを考えようとしても、他人事のような感覚でしか思い出せなくなっていた私にとって、ヨーロッパの住所が無くなることを想像するだけでも恐怖でした。
自分の知っている範囲の中でも、長年ヨーロッパにいて素晴らしい感性を持って音楽をしていた人が、日本に戻ったとたんに、何も見ず、何も聞かないで来たかのように、音の感覚も、音楽への思いもまったく変わってしまう例があり、やるせないような、悲しい気持ちになったことがままありました。
でもむしろ日本にずっといて音楽活動をしてきた人が、
一度海外に出て戻ってきた人よりずっと音楽への純粋さと真摯さをキープしたままでいるケースにたくさん接すると、うーん、何なんだろうか・・・、どうしよう・・・。気をつけていても、自分の気づかないうちに感覚は麻痺することがあるので、以前と正反対のことをしているのに、同じことを継続してやれているとか、もっとレベルが上がったなどと勘違いさせられてしまうケースが起こる、いつも自分の美意識や価値観にきちんと向き合い、それと行動に矛盾が無いか検証し続けるという作業をしていかなければ、とても脆くて危ういし、しかしそれは大変なエネルギーを要するものだろうから、ちゃんとやっていけるのかな、と。
そんな中で出会ったのが加藤知子さんでした。初めてお会いしたとき、緊張している私を本当に優しく気遣ってくれ、しかも、ごくたまに出会う演奏家の、仕事ずれした感覚というのが全然無くて、音楽に心から愛情を抱いていて、初対面の自分に、同等の一人の音楽家として接してくれているのも感じ取ることができ、とてもうれしい出会いでした。
リハーサルでは、感覚的な言葉やジェスチャー等で「こ〜んな感じなのよ。」とイメージを表現して伝えてくれます。「ごめんね〜、私、具体的な言葉でうまく言えないから、何がいいたいのか分らないってよく言われるのよぉ。」・・・だからこそ言葉でなく音楽で表現する意味があるのだ。結局音楽は、気持ちや感覚が音を通して聴き手に伝わる、あるいは個々の音そのものが持つ不思議な力が、聴き手の何らかの感覚を喚起するという、目に見えない抽象的なもので、そのイメージを表現するために、あーでもない、こーでもないと弾き手が方法を探し求めていく作業も練習といえるのだから、手段をすべて言葉で具体的に示せない方が、結果として出来上がるものは、
音楽にしかできない内容をより表しているものになるんじゃないかなぁ、という気がします。
インスタントで音楽を出来上がらせるようなことを嫌い、また喜怒哀楽も押し殺さず、表情がとても豊かで、色々な心配りも自然に(無意識に?)してしまっている加藤さんは本当に魅力的で、日本で会えたときにすごく嬉しかったのをよく覚えています。
自分が海外にいるうちに勝手に誇大化していってた、日本で音楽家として生きていくのに辛いであろうと考えていたある種の危惧は、かなりの部分が吹き飛ばされました。大分で初めてのコンサートが終わった後、「今日は最初に一緒に演奏した日だから乾杯しましょう。」と、
ホテルの最上階のラウンジに誘ってくださいました。ビールで乾杯した後「加藤さんを見てたら、なんか日本でやっていけそうな気がしてきました。」と言ったら、「え・・・、何、どおゆう意味?」と困惑したような、怪訝な顔をしていました。
チェコの民主化の象徴であった、ハベル元大統領が、
「現在自分がいるその場で自己実現できないのであれば、どんな素晴らしい所に行っても決して満足することはないだろう」(うろ覚え)と言っていましたが、勇気と理想と良心を持ち続けることができれば、音楽家として、内面において揺らいだり惑わされることがなく成長していけるはずだ、と信じています。
それにしても・・・・・
時々発する「ブヒブヒ・・・」って、
一体なんだろう・・・・・
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(4)2006年06月28日
こんにちは、加藤です。この7日間、私と何年も一緒に演奏を続けてきてくださっている方たちについてお話ししようと思っていました。しかし、この間の4、5月に一月以上に亘って断続的に、初めて共演をした、クラリネットの巨匠、カール・ライスター氏の印象が強烈だったので、今日は彼について少しだけお話しさせていただきます。
最初のリハーサルはまったく、何一つといっていいほどうまくいきませんでした。私は、初対面の音楽家と初めてリハーサルをするとき、それがいいのか、悪いのか判らないのですが無意識のうちに、ひとつひとつの作品において、その人が、どんな音楽をやろうとしているのかを、またその人特有の音楽言語ともいうようなものを探るべく、全身がアンテナのような感じになって、それまでの準備の間に醸成されてきた、自分の主張のようなものをあまり前面に出すことなく1回目は弾く、というのが習慣になってしまっていたようです。
1回でも音を出してしまい、また相手の音も聴いてしまえば、その数分後にはかなり図々しい演奏に豹変するのですが・・・。ところが彼も同じスタンスで臨んでいたようで(あとで解ったのですが)、「何でそんな風に弾くのか分らない」とか、「そんな神経質に弾かれたら、こちらもナーヴァスになって演奏できなくなる」、・・・そりゃそうです。向うもこちらを探って吹いてるし、それを聞きながら弾いているこちらもさらに探ってしまう・・・挙句の果てには「ピアニストというのはどうして皆、云々・・・」「この日程は、云々・・・」などと、半ば他で作ったストレスの八つ当たりじゃないか、と思わされるような事態になっていきました。
実際その日彼はとても疲れていたし、色々なことが思った通りにいっていなかったらしいのです(これも後に分ったのですが)。そしてまったく響きのない、天井の低い、吸音されまくりのスタジオで、小さいピアノのふたの真横にいたので、素っ気ない、無味乾燥な、まったく非音楽的なハンマーの衝突音しか聞こえないわけですし・・・。しかしあとで彼はその条件に気がつき、納得していました。
彼はベルリン・フィル時代からもう本当に完全主義者で、
あらゆる歌い方や音色、テンポ感を試みた上で、もうそれしかないというような、考えに考え抜いた究極の姿になったものを、さらにそれとは気づかせずに完璧なテクニックで自然に聞かせる、といった感があるので、そことかけ離れたものが同時に鳴っていると思った瞬間、何をどうしたらいいか深く悩み始めてしまうようです。そんなわけで一回も通すことなく、1小節単位で止まってしまうので、こちらも訳が分らず、本番ではただもう音を並べているだけの、音楽的感興の溢れた演奏など程遠いものになるんじゃないかという気になりました。
でも、次のリハーサルを違う場所に移した頃から様子が変わり始め、最初のコンサートの前日に、大変素晴らしい音響のホールでリハーサルをした後、とてもよい雰囲気になりました。彼も私も、初対面の相手に対して顔見知りする、というか緊張するタイプなので、それが打ち解けてきたというのも大きかったと思います。そして何よりも最初、自分が決めたどんな細かい部分もまったく動かさずに、ひたすらそれを実現させる作業として演奏してるんだろうか、とさえ思わされたのが、実はその反対で、共演者の音楽や、聴衆の雰囲気、ホールの響きに敏感に反応して湧き上がるインスピレーションを、最も大切にする演奏家だと分りました。
本番でその状態を作り出すために、どんな下ごしらえをしておくか、ということに専念しているリハーサルと分り、
また彼も私がそれを理解したと気づいたようで、その時からもう一月、ずっとお互い信頼しながら楽しく”音楽”ができるようになりました。結局私もリハーサルというものの意味づけが似ていたようで、初めに相手の音楽に注意深く耳を傾けるのは、どのように自分の感興を共存させられるか(もし相手と方向が違うようなものだった場合は特に)を探るプロセスだし、それがないと、一体化した一つの作品をいつまでも作り上げられないのです。ただ単に同時に音を出してるだけで・・・。その状態が出来上がってしまえば、もう安心していくらでも演奏中のテンペラメントに身をまかせて弾けるし、ハプニングさえも楽しむことができ、そこから思いもよらなかったインスピレーションが湧いてくるので、その場でしかありえないような、1回きりの生きた演奏を生み出すことができるようになると思っています。
最初のコンサートで取り上げた作品の中に、現在出版されているものと、第1稿との間に、多くの相違があるものが含まれていました。いまの譜面では、最後に音楽を完結させるためのピアノ・パートに和音が2つあるのですが、出版されていない最初の譜面では、それが無くて中途で終わるようになっているのです。彼は「そっちでいこう」と言うので、本番ではそのように演奏しました。なぜ、その方がよかったのか・・・・・
「しばしば人生において、解決しないとか、結論にたどり着かないほうが素晴らしいことがある。なぜなら、夢や希望、あるいは不安を持ち続けていられるということだから。それはとても美しいことだ。」・・・などと言うのです。
これってまさにドイツ文学のようで、彼の論理的な、計算しつくされた音楽の根底には、このようなドイツ・ロマン的感覚が脈々と流れていたのです。
松山でのコンサートでも印象的なことがありました。ちょうど40年前の春に、カラヤンとともに初めて来日した彼は、いたるところで桜が舞い、当時の温かく献身的に親切な日本人たちに出会ったこの国を、本気で「夢の国だ」と思ったそうです。今回の松山の会場は、彼が40年前にベルリン・フィルで演奏したのと同じ建物内の中ホールだったのですが、「どうしても、あの時の大ホールにちょっとだけ入ってみたい。」ということで、スタッフの方々のご好意により、ステージを空けてもらいました。
彼はスタッフから離れてステージの真ん中に無言で歩いていき、しばらく物思いに耽った後、楽器を取り出しました。そしてベートーヴェンの7番のシンフォニーの、2楽章のクラリネット・ソロを無人の客席に向かって吹き始めました。それは40年前、その同じステージでカラヤンと演奏した曲目です。その姿を見ていた私の心には不思議な感動が広がっていきました。
彼は来年70歳になり、またプロの演奏家としてステージに立ってから50年目という節目の年を迎えます。
各地でそれを記念したコンサートが企画されているそうです。きっと彼がこれまで歩んできた道のりのすべてが凝縮された、感動的な演奏を聞かせてくれるに違いないと、個人的にもいまからとても楽しみにしています。特別なときには特別な思いがこもってしまうタイプの演奏家だということをもう私は知っています。何といっても彼は「歩くドイツ・ロマン」なのですから。
それにしても・・・・・
健康に気を使っている彼は、
「日本食が一番ヘルシーなのだから、日本にいるときはできるだけ他のものを食べないよう心がけている」と言うのですが、すし屋でウニばかり10巻も注文し、大トロも一緒に食べるというのは如何なものだろうか・・・・・
追記 :コメントをくださった佐藤寿子さま、私も同意見ですよ。
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(5)2006年06月29日
こんにちは、加藤です。唐突ですが、昨日までのテーマから離れてしまいます(明日から戻ります)。フランスvsスペインの試合に感動したので・・・。
ここ何年もの間、フランスサッカーの凋落がいたるところで語られていました。そして実際に今回の予選リーグでもかろうじて勝ち上がったものの、私は魅力を感じ取ることができませんでした。私の大好きなアンリも空回りを続け、どこら辺に強さがあるのかもまったく見えず、なんとなく漠然としたプレーに終始しているようにしか感じなかったのです。
ところが昨日の試合では、あの流れるようなフランスチームのスタイルが、何年もの時を越えて戻ってきたかのようでした。攻撃的、闘争的なものとは別の価値観でプレーしてるんじゃないか、と思ってしまうほど美しいのです。
ボールがレガートのかかった旋律のようにピッチを曲線的に、澱むことなく廻り続け、とにかく音楽的でした。
その中心にいたのは、もちろんジダンで、この大会でチームが破れたそのとき、この史上最高のプレイヤーの歴史に終止符が打たれます。
昨日の試合、ここ数年の衰えがうその様に、最初から最後までピッチ上に大きな軌跡を描き続けました。走っているというより、まるで氷の上を縦横無尽に滑っているようで、ボールや両チームの選手たちがそれぞれ連動して動いているさまは、極上のオーケストラの奏でる音楽を目の当たりにしているようでした。
太陽が地平線に沈もうとしているそのとき、一瞬、さらに巨大になったかのように見え、何倍もの輝きを放射するのを思い出しました。もう二度と帰ってくることのない瞬間、瞬間が美しく流れていく・・・。夕映えの中にいるかのような惜別の念が重なり合い、試合後にもずっとノスタルジーにも似た余韻が残りました。
本当に美しかった・・・・・
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(6)2006年06月30日
こんにちは、加藤です。
自分がいままで一緒に音楽を作り、そして大きな影響を受け続けている素晴らしい音楽家たちについての話、
今日はヴァイオリニストの川村奈菜さんです。
ブリュッセル在住で、ベルギー王立モネ歌劇場管弦楽団のアシスタント・コンサートマスター(女性だからミストレスですね)を務めていて、音楽監督である大野和士さんとの昨年の日本公演にも同行していました。これまでは自分より上の年代の巨匠たちばかり登場しましたが、彼女は私よりもずっと若い世代に属する音楽家です。しかし、誰よりも長い期間に亘っての大切な音楽仲間です。
1994年からブリュッセル音楽院に留学し、イゴール・オイストラフ氏の薫陶を何年間も受けながら、途中パリ音楽院の室内楽科の学生も掛け持ちし、卒業と同時に、その自分の学んだ音楽院で堀込ゆず子さんの助手として、たくさんの学生を教え、その後、モネ管に入団し、前述したポジションに就任しました。アシスタント・コンマスといっても、実際は多くのオペラやコンサートでコンマスを務めるようです。
今に至るまで一体どれだけの、ピアノとヴァイオリンのために書かれた作品を一緒に勉強し、演奏しただろうか・・・。
譜面はたいていヴァイオリン・パート1段+ピアノ・パート2段(増えるときもあるが)の計3段で書かれている。
ソナタと名付けられているものは、それぞれの音が緻密に関連しあい、反応しあって、3段のスコアで書かれた、隙間のない一つの作品として出来上がっている。ヴァイオリン・ソロとピアノ伴奏という発想、あるいは2人の奏者がそれぞれの個性を違った方向にぶつけて、お互い好き勝手に演奏するようなものを2重奏の醍醐味だなどとする感覚は、そのいずれもが実は、曲の書かれている姿を歪曲しているだけで、面白いときもあるが、作曲家がなぜ、どんなイメージで、何を伝えたくてその編成でその音楽を書いたのかというのが後ろに追いやられ、演奏家の姿ばかりが、その音楽自体がもっているエネルギーとは別の次元で、大きく前面に出てきてしまう。偉大な音楽を利用して、何かをしているだけだ。
もちろんヴァイオリン用のショーピースやヴィルトゥオーゾピースの場合は違っていて、オペラの舞台で華やかに演じているプリマドンナと、それを絶妙に支え、導くピット内のオーケストラとの関係のように”伴奏”をするのが、やはり最も譜面の求めているものを実現することになる。
しかし、この編成のソナタというのは室内楽であるにもかかわらず、なぜ、2つの楽器がそれぞれの持つキャラクターを演じながら、1つのものに融合していく作品なんだと理解されないことがままあるのだろうか。
たとえば、弦楽四重奏で同じように演奏して、聴けるものなどあるのだろうか。あるいは、一つのオーケストラで「この楽器はソロ、あとは伴奏」などということもありえない。
伴奏形というようなモティーフをある部分演奏している楽器があったとしても、それはいずれかの楽器に従属しているわけではなく、オーケストラ全体とのバランスを取りながら、その一つの作品を構成するパートに最適な表現を与えているだけだ。あえていえば、その曲に対して従属しているだけである。
二重奏は最も小さな編成にまで凝縮されたオーケストラのようなものと考えています。ただ、そこには指揮者はいません。だからこそ、お互いが音楽的によく理解しあい、遠慮せず同格に譜面全体を読み、融合して演奏し、初めて一つの音楽作品が姿を現してくる。
またあまり気心の知れていないもの同士が、単にテンポや、ダイナミクスのバランスを短時間のリハーサルでさっと整えるだけで本番を迎えたとき、その結果として、もしお互いが舞台上で音による会話をしていないのであれば、それは単に同時に始まって、同時に演奏し、同時に終わったというだけである。
私は2人以上で演奏するとき、「合わせる」とか「つける」とかいう言葉を使うのが好きではありません。リハーサルのことを「合わせ」と呼んではいますが・・・。演奏中にやっていること、それは「反応し合ってる」というのに尽きます。そして、まるでヴァイオリニストが弾いているかのようにピアノが聞こえ、ピアニストが弾いているようにヴァイオリンが聞こえるというのが最高の状態かな、と思います。
ここまで述べてきたことはみな、川村さんと一緒に講習会に行ってレッスンを受けたり、コンサートで一緒に演奏をしてきて、自分の中に強く埋め込まれてきた感覚です。
こうした意識の積み重ねに、その後出会った(今回取り上げているような)偉大な演奏家たちとの共演の際、どれだけ助けられたことでしょうか・・・。
最初に会ったときから、ピアノ・パートを蔑ろにせず、スコア全体に目を配ることができた人で、さらに後に彼女がパリで室内楽を習ったのは、イヴァルディ氏というピアノの名教師&演奏家でもあったせいで、なおさらそれは強固なものとなっていきました。どんなときもピアノのあらゆる音に反応しながら、そこにヴァイオリンという楽器ならではの表現方法、魅力を、彼女のパートに与えられた使命のようにして増幅させていくのです。
勝手に、自己を剥き出しにしているかのように演奏をすると、一見(一聴?)すごいテクニックとテンペラメントを備えた演奏家として大向こうを沸かせやすいのですが、演奏中に反応し合いながら、生まれてくるインスピレーションをそこに共存させ、美しい調和を保ちながら、自由な音楽を奏でていく方がはるかに難しく、高いレベルの音楽性とテクニックが要求されることです。こういったことを彼女の技術面から支えているのは(もちろん、音楽的欲求と結びついていない技術などはないのですが)、ボウイングで、まるで弓が弦に吸い付くようで、そしてスピード、重さ等を自在にコントロールし、どの瞬間の音も生き物のように息づいています。
ヴァイオリンを始めてある程度までは必要なことですが「弓は均等に使って弾くもの、均等に音を持続して出し、決して弦に当たる角度を変えてはいけないもの、浮かせるなんてとんでもない」・・・などという奏法が、いまだにどこかでまかり通っているというのを聞いたことがありますが、それではまったく変化のない、素材としての「音」しか出せない。
でも、彼女のボウイングは、それがたった一つの音でも和音が聞こえてくるし、それが次にどんな和音に変化しようとしているのかさえも分るように音を出します。
だから一緒に演奏しているときは、音さえ聴いていればタイミングから、次にどんな音色がふさわしいかまで全部わかるので、合わせるために「見る」ということが少なくてすみます。その上、彼女のヴァイオリンに反応しながら音楽の中に入って演奏しているだけなのに、出来上がる曲全体の姿というのは、最初にスコアを読みながら、一人で練習していてイメージしたものに非常に近いのです。
これは音楽の志向が重なっているからそうなるのでしょうが。
室内楽には本当に素晴らしい音楽作品がたくさんあって、あれも弾きたい、これも弾きたいという欲求があっても、同じような音楽性とスタンスを持った人に出会わないと、その作品に懐いたイメージをより多く実現できず、
お互い、それぞれのパートだけに満足を求めることになってしまいます。そんなわけで、彼女のようなヴァイオリニストにヨーロッパで出会うことができ、自分がソロを弾くときの意識となんら変わることなく、たくさんのヴァイオリンとピアノのための作品に演奏の面から接することができたことは大きな宝です。
よく、「ソロと室内楽、伴奏でどのような違いがあるか?」と訊かれることがありますが、その楽譜の求めている最適だと思える表現をしようと努力しているだけなので、どんな演奏形態であってもまったく変わることはなく、重要なのは、それがどんな音楽かだけであり、私にとっては編成などより、モーツァルトとベートーヴェンの違いのほうがはるかに大きいです。
彼女の旦那さんは、ブリュッセルで一緒に学んでいたスペイン人のチェリストで、やはり音楽的感性に溢れた人で、音楽への敬愛と献身的な姿勢に共感することが多く、時々3人で一緒にトリオを演奏することもあります。
もうすぐもう一人家族が増えるようで、そのせいかどうかわかりませんが、3月の末にブリュッセルに行って久しぶりに一緒に演奏をしてみたら、以前よりもさらに暖かくゆったりとした、母性の滲み出てくるような音楽を奏でていて、とても幸せな気持ちにさせられました。
日本で彼女のことを知っている音楽ファンは決してたくさんはいないと思います。「知名度と実力が必ずしも一致するものではないという傾向は、昨今ますます強まっているのではないか」と感じている人が多いと耳にしますが、彼女のような、本物の音楽を持ったヴァイオリニストの演奏を、一人でも多くの方に聴いてもらう機会があることを願っています。
それにしても・・・・・
火曜サスペンスや土曜ワイドの好きな彼女は、日本から送られたビデオをよく見ているが・・・・・
同じ回のをあんなに繰り返し見てて、何故飽きないのだろうか・・・・・
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(7)2006年07月01日
こんにちは、加藤です。最終日は、今週ブログが同時進行していた、ヴァイオリンの前橋汀子さんです。人気、そしてその音楽の素晴らしさともに、まさに我が国音楽界の女王です。
おそらく今までに何百回(何千回?)と本番で演奏してきたであろう小品のような作品に対しても、いつでも同じようにリハーサルに取り組み、さらに新しい発見や、新しい可能性を見出そうとして、ちょっとしたバランスや間、テンポの取り方といったことを、普通に聴いていたら分らないほど微妙に変化させたりして、少しでも音楽を高みへ導こうとしている姿勢に本当に頭が下がるし、心底尊敬しています。
そして、たとえばブラームスのソナタのようなものを合わせているときでも、3時間ぐらい全然休みを取らずに弾き続けるという、すごい集中力とヴァイタリティを持っていて、これはひたすら音楽の確信へ向かっていこうとする、執念にも似た探究心から来ているのでしょう。こうした意識とエネルギーを持ち続けているからこそ、何十年にも亘って第一線で活躍してこられたのであり、またこれから先も、前へ進み続けることができるのだと思います。
華やかな、そして一見エンターテイメント性の強いような小品であっても、全身全霊をその数分に注ぎ込み、媚びるような演奏や、表面的な効果を狙ったりするといったところとは正反対の位置に立ち、感覚よりも心の底に直接訴えかけてきて、そこから真の感動を呼び起こすような音楽をする芸術家であると私は捉えています。ステージで一緒に演奏しながら、本番中にもかかわらず幾度となく心を震わせられてきました。
さらに素晴らしいのは、音楽そのものの持つ原初的な喜び、楽しさのようなもの、あるいはヴァイオリンという楽器が持っている根源的な魅力を振り撒きながら、精神の高みに向かっていくような厳しく深い音楽を同時に感じさせてくれる、もしかしたら、矛盾しているんじゃないか、と思わせるようなことを共存させているということです。
ご自分の本番がないときは、コンサートやオペラ、バレエ、さらには日本の伝統芸能などに、ご自分でチケットを取られて足しげく通われる方でもあります。そこからまた刺激を受けたり、新しいアイデアを得て、演奏に反映させていかれてもいますが、でも直接的には、そのためにというよりも本当に好きで通っていて、楽しんだり感動されてて、時々「この間聴いたあのコンサートは、こんな感じで素晴らしかったのよ。」とか、「バレエを観に行ったのだけど、あの人の動きにはびっくりしたわ。」とか嬉しそうに話してくれるのです。一度、「これ行けなくなっちゃったから。すごく行きたくてやっと手に入れたんだけど・・・」と、国立劇場の文楽のチケットをいただいたこともありました。感受性がずっと新鮮なままで、そして何に対しても好奇心に満ち溢れてて、とにかく若いのです。
いつどんなコンサートのときにも、そのステージの一瞬一瞬に存在の全てをかけて燃焼しつくそうとする前橋さん、
仙台での本番が少し違ったスタイルのコンサートなだけに、一体どのようなものになるのか、共演者としてどのような体験ができるのか、いまからとても楽しみです。
本日で私の最初で最後のブログは終わりです。つたない私の話にコメントをくださった方々、そしてお付き合いくださったすべての方々に深く感謝いたします。どうもありがとうございました。コンサートの場でお会いできることがあればとても幸せに思います。
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