せんくらの楽しみ方

■ ホァン・モンラ(ヴァイオリン)

(1)2006年07月16日

第1回仙台国際音楽コンクール(2001年)ヴァイオリン部門優勝のホァン・モンラさん。今週は、コンクール期間中からホァン・モンラさんと交流のある仙台国際音楽コンクールボランティアが、ホァン・モンラさんを紹介します。

ホァン・モンラ(黄蒙?)1980年、上海生まれ現在26歳。4歳でヴァイオリンを始め上海音楽院でリナ・ユ女史に師事、2002年7月上海音楽院学士課程を卒業、現在ロンドン在住。メニューイン、スターン、アッカルド、チョーリャン・リン、グラッキー、ザハール・ブロン氏他のレッスンを受講。これまでに仙台フィルハーモニー、ドイツ国立フィルハーモニー、深セン交響楽団、上海交響楽団、アンサンブル金沢と共演。

ヤポンスキー国際ヴァイオリン・コンクール第3位(1999)ヴィニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール第2位(2000)第1回仙台国際音楽コンクール第1位(2001)、第49回パガニーニ・コンクール第1位(2002)などを受賞。

少年っぽさの残るホァンさん、仙台国際音楽コンクール当時はまだ21歳だった。ステージ上の彼の音は弾き始めの音を聴くまでは全く想像できない。

予選ではバッハ「ヴァイオリン協奏曲」パガニーニ「カプリス1番、17番」を弾いた。その超絶技巧的な曲を実に生き生きと難なく弾いてしまった。細部において満足のいく素晴らしい演奏だったのを覚えている。

高音部の美しさ、中音域が豊かで気持ちよかった。ヴァイオリンが感情を持って歌っている・・そう感じた。私がホァンさんの演奏、音について書くより実際に会場で彼の演奏を聴いてください。

「赤丸急上昇のヴァイオリニストに間違いない!」って思います。

仙台国際音楽コンクールボランティア 栗原定子

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(2)2006年07月17日

ここではヴァイオリニスト、ホァン・モンラさんではなく、ホァン君という一人の青年について少し書こうと思います。写真よりずっと若く見えます。そう、普通の青年・・26歳のね。食事を一緒に何回かしました。とても周囲の人に気を使い、心配りができる青年でした。

例えば、食事中。

「ちゃんと食べてる?」「こっちの美味しいよ、取ろうか?」と部屋中の人に声をかけてくれる。大好きな食べ物は勿論「中華」。

ホームステイ先のパパが作るラーメンは特にお気に入りだったようです。
「パパが作るラーメンは美味しいよ。食べた?」「パパ作ってよ。」
パパさんの都合も聞かず皆に声をかける(本当に美味しいラーメンでした)。

食事中ある人がホァン君に質問した。

「作曲家では誰が好きですか?」ホァン君は食事中の手を止めて暫く考えて答えた。
「今はバッハとドビュシー。今はね・・だけど明日になったら変わっているかもしれないな。」
「毎日変わるんだ。でもね、心の中にあるのはヴァイオリンが好き、音楽が大好きって気持ち。皆に僕の音楽を聴いて欲しいって思うよ。」

好きな音楽家を一人決めるというのは難しいと思います。ホァン君は今の正直な気持ちを私達に自分の言葉で話してくれました。

ステージで彼は天から与えられた才能を惜しむことなく聴衆に伝えてくれます。

ヴァイオリニスト、ホァン・モンラ26歳。どんな人生を歩んできたのか、優しい青年です。ステージを下りた彼の魅力も感じてください。

ヴァイオリニスト・音楽家・・近寄りがたいかもしれません。でも、会場で彼を見かけたら是非声をかけてみてください。恥ずかしそうに返事が返ってくるかもしれません。

仙台国際音楽コンクールボランティア 栗原定子

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(3)シューベルト“ファンタジー” — 2006年07月18日

10月7日(土)17:45〜、10月8日(日)15:30〜、仙台市太白区文化センター楽楽楽ホールでホァンさんの演奏会があります。そこで演奏する曲について少しお話したいと思います。

F・シューベルト“ピアノとヴァイオリンのための幻想曲ハ長調 作品159”シューベルトはウイーン市民でした。シューベルトは伝統的な音楽環境の中に育ち、その民族的な心、馴染みのあるウイーン風メロディーは31歳という若さで亡くなるまでの全作品を貫いています。

1827年、1828年最後の14ヶ月に、彼は大きく偉大な作品を信じられないほど残しています。ハ長調の大交響曲、ハ長調の弦楽五重奏曲、ト長調の弦楽四重奏曲、白鳥の歌、最後の大きな3つのピアノソナタ、そしてハ長調“ファンタジー”。

シューベルトはパガニーニとその技術を賞賛し、自分のヴァイオリン作品にもそのとてつもない効果を追求した。がシューベルトは楽器を扱う上でのヴィルティオーゾである前に作曲家であった。よって彼の筆からは素晴らしい音楽が流れてきた。しかし、それが演奏不可能ギリギリの厳しいところまでいく事も少なくなかった。

この曲では、始めに序奏があるが、それは序奏つきシンフォニーとの形式的な強い関連を持っている。次にドラマティックな冒頭の楽章、ヴァリエーションのテーマは“挨拶を贈ろう”という彼自身の最も美しい歌曲からとっている。

ホァンさんのシューベルト“ファンタジー”とても楽しみにしています。

仙台国際音楽コンクールボランティア 栗原定子

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(4)2006年07月19日

どんな難曲でも涼しい顔で飄々と、それでいて聴く人に訴えかけてくるような美しい音を聴かせてくれるホァン君。この「せんくら」でも大いに我々を楽しませてくれそうです。さて、今回も彼の演奏する曲について。

シューベルトの幻想曲はあまり有名曲とはいえないかもしれないけれど、天にも昇るような美しさというお決まりのセリフがピッタリくるような曲です。もしモーツァルトのピアノソナタ「トルコ行進曲付き」全曲を先に聴く方は、その後にこの曲を聴くと面白いと思いますよ。何がそうなのかは聴いてのお楽しみですが。

サン=サーンスという作曲家はどうもあまり人気が無いようですが、なじみの無い方もこのヴァイオリン・ソナタをぜひ聴いてみてください。心地良い緊張感、ところどころに現れる甘く美しいメロディー、興奮のクライマックス。ヴァイオリンだけでなくピアノも大活躍ですので、ピアノの佐々木さんにも期待!

ブラームスのF.A.E.ソナタって不思議な名前ですね。この曲は第1楽章がディートリヒ作曲、第2楽章と第4楽章がシューマン作曲、そして第3楽章をブラームスが作曲という合作なんだそうです。F.A.E.というのは、この曲を受け取ったヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムのモットー「自由だが孤独に(Frei aber einsam)」の頭文字だそうです。

プロコフィエフの曲は「ハイフェッツ編」、グルックの曲は「クライスラー編」、サン=サーンスのカプリスは「イザイ編」となっていますが、これらはもともと他の楽器やオーケストラなんかで弾かれる曲をヴァイオリンとピアノだけで弾けるように、ハイフェッツ、クライスラー、イザイという19世紀後半から20世紀前半に大活躍した伝説的なヴァイオリニストたちが、編曲したものです。ちなみに編曲モノっていい曲ばかりです。なぜって、これはイイっ!とみんなが思うような曲じゃなきゃわざわざ編曲してまで弾きませんからね。

仙台国際音楽コンクールボランティア 千葉周平

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(5)2006年07月20日

ホァン君のオレンジへの恋

第1回仙台国際音楽コンクール優勝の後、あこがれのパガニーニ国際コンクールでも覇者となり、若手ヴァイオリン奏者として注目されているホァン・モンラ君。“せんくら”にようこそ。

あなたのプログラムには、プロコフィエフ作曲「3つのオレンジへの恋」がありますね。もとはといえば、これはオペラの曲。イタリアのカルロ・ゴッツィが書いた童話を基に作曲されたそうですね。魔女に呪いをかけられた王子が3つのオレンジを求めて砂漠に行く。そして、オレンジの1つからあらわれた王女と結婚する。めでたし。めでたし。というお話らしい。オレンジが恋という言葉につながると、その恋は、おしゃれでさわやか。南国の情熱が打ちに秘められている…。そんなイメージが浮かんできます。

仙台のコンクールに参加した時は、Tシャツ姿に、あどけなさの残る面立ちだったホァン君も今年26歳。ホァン君の心の中にあるオレンジ…。その中には、そんなお姫様が込められているのでしょうか。また、プロコフィエフは、どんな思いでこの曲を作ったのでしょうか。ホァン君とプロコフィエフ。二人の間で交わされたオレンジの君への思い。それを耳にする会場の一人一人の胸の中にある思いが砂漠での旅物語と重なるとどのような世界になるのでしょうね。ホァン君のヴァイオリンの調べに乗せた、オレンジの君と冒険談に出会えることを今から楽しみにしていますね。

仙台国際音楽コンクールボランティア 大塚幸子

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(6)2006年07月21日

ヴァイオリンのなせる業 ホァンに寄せて

普段のホァン君は、笑顔のさわやかなごく普通の青年です。ボーリングもすれば、ドライブにも行くし、年頃の仲間同士で世間話にも興じる事もしばしば。けれどもヴァイオリンを持って舞台に立つと、ヴァイオリニストとしてのホァン君が出現します。

言葉を持たないヴァイオリンが音によって語り始め、ホァン君もヴァイオリンを演奏することによって日頃気付く事もなかったような知られざる自己の世界を垣間見る…。という事もあるのかもしれません。ヴァイオリンとホァン君の目に見えないやり取りによって第3の世界が開けて行くような…。ホァン君のテンションが上昇するに連れて会場の空気も変化し始め、演奏しているホァン君と聴き手の意識が見えない糸でつながれて行く。それは、音と意識の綴れ織りのようなその時限りの芸術作品のように思えます。このような場に立ち会えた時の感激というのは忘れがたいものです。

音の生命ははかなく、一瞬のきらめきを残して消え行きます。けれども、心の中に放たれたその輝きは深く刻まれ、決して忘れることはないと思います。同じ曲でも、人によって、同じ人の演奏でさえ、その時々により二度と同じ音にめぐり会うことはできません。こうして考えると、演奏会というのは、それぞれのお国柄や時代、演奏者や聴衆ひとりひとりの心を映す鏡のように思えます。さて、“せんくら”ではどんなことが見えるのでしょうか。

仙台国際音楽コンクールボランティア 大塚幸子

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(7)2006年07月22日

ホァン・モンラさんを思う

2001年の5月、第1回の仙台国際音楽コンクールコンテスタントのウエルカムパーティーにボランティアとして参加させてもらいました。偶然にも中国から参加の女性2名と男性1名、そして付き添いの母親と指導者5名のテーブルに付くことになりました。中国語は「ニーハオ」と「シェーシェー」しか知らない私はどきどきしながら通訳者に助けてもらってお料理の説明をしたり体調は如何かなどと会話を進めて、本番に向けての激励をと必死でした。

女性陣はにぎやかにおしゃべりをしながら飲んだり食べたりで外見は楽しそうに見えました。只一人の男性は静かに話もせずかすかな笑顔でたばこを吸っていました。なかなかきっかけがつかめず、どうしたものかと食事を勧めてみたものの、お刺身をつついてうなずきながら一口、二口。そこで「お名前を教えて下さい」と尋ねてみました。すると箸袋に「黄蒙拉」と楷書でていねいに書いてくれました。とても読めないので「発音も教えて下さい」というと「Fan・Monra」とローマ字ルビをふってくれました。これが最初の出会いでした。もの静かで少年ぽささえ残るあまり主張のない青年に思えたものです。

そこへホストファミリーを予定しているNさん一家が「熱烈歓迎」と大書した紙を持って大声で挨拶、握手に来られました。彼がたばこを吸っているのを見て「おお、私と同じたばこだ」といって“hi-lite” を出され「交換しよう」と言ったら、「これは日本のものです」と言いながら、それでも交換していました。その場もなごんで、私もつい、「あまりたばこは吸わない方がいいですよ」などと老婆心を発揮してしまいました。彼はニコッとしながら「私もそう思っています」と答えてくれました。それにしても最近のたばこの本数はどのくらいになったかな?と思いを馳せています。

本番に臨んだ彼の演奏ぶりは皆さんの心に焼き付いて私の稚拙な表現では不可能です。結果はご存じのようにスヴェトゥリン・ルセヴとの同位で第一位でした。あのシベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調(作品47)の入賞者記念アルバムはその後の私の愛聴版として今もバックに聴きながらこれを書いています。

もの静かな風貌からは想像も出来ないほど、情熱的でありながら洗練された演奏はこれからも世界中の観客を魅了し続けていくことでしょう。

〜上海で再会〜

2003年12月5日、6日の上海オーディションに何かお手伝いできないかと出かけました。ホァン・モンラさんの出身校が会場でした。オーディションも無事終了し、ホッとした所へ彼から連絡が入り、事務局のMさんと二人、待ち合わせ場所へ向かいました。上海の12月は晴れてはいても極寒でした。仙台人の二人は分厚いコートでいそいそと、いくらか緊張気味で急ぎました。そこは地元の人が集うレストラン、ホァン・モンラさんは白のコートとセーターで颯爽と、そしてとても清楚で細身の愛らしいガールフレンドといっしょに待っていてくれました。すぐに片言の英語で再会を喜び、その後の入賞者コンサートでの来仙の思い出など話ははずみました。私が感じていた印象とは少し違いとても力強くリーダーシップを発揮して、メニューの一つひとつの説明をして日本では食べられないものをと気を遣って選んでくれました。美味しい魚料理、野菜料理(料理名を覚えられなくてごめんなさい!)と老酒、進む程にジョークも飛び交い、彼女とも仲良く話がはずみました。

彼女には同じくコンクール参加を勧めましたが、今は上海オーケストラの一員としてとても忙しく活躍しているので無理とのことでした。ちょっと席を立った彼女が可愛い缶入りの中国茶をお土産にと手にして戻ってきました。そのさりげなさがとても嬉しく残りました。

食後は私のわがままなリクエストを優先してくれて、Jazzの大きなライブハウスに連れていってもらいました。彼もJazzは大好きとのこと、でもちょっと無理してくれたのかもしれないと思えたりしたのですが、演奏者が次々と彼に寄ってきて挨拶、話あっているではありませんか。みな上海音楽学院の卒業生だったのです。プロになっている人、アルバイトでやっている人、ホァン・モンラさんとその友達へと特別演奏をプレゼントしてくれました。その中でもガーシュインの「パリのアメリカ人」は私のリクエストに応えてということで永遠に残る音色となりました。

上海の夜はまたたく間にふけて、日本での再会を約束し健康で演奏活動を続けられますようにと祈ってお別れしました。

仙台国際音楽コンクールボランティア 三田雅子
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(C)仙台クラシックフェスティバル2006実行委員会