せんくらの楽しみ方

■ 林望(トーク&バリトン)

(1)私の音楽活動 — 2006年08月27日

人間、あきらめずに地道に努力していると、どんな幸いがやってくるか分からぬものです。

私がそれまでずっとやっていた能楽から、かねて学びたかった声楽に転向したのは、もう十五年も以前のことです。それから何度も挫けそうになりながら、でも継続して努力しているあいだに、声楽的発声というものが少しずつわかってきて、だんだんと人前で歌うことが楽しくなってきました。

今はバリトンの田代和久さんに師事して学んでいますが、以前はテノールの勝又晃さんが私の先生でした。

やがて、勝又さんはじめ、何人かの歌い手たちと重唱グループ「ザ・ゴールデン・スランバーズ」を結成して全国各地で演奏会をするようになり、また山下牧子さんなど別のメンバーと共に、英語歌曲のみに特化した「重唱林組」をも結成して、津田ホールをはじめ各地で演奏をしてきました。

最近は、私と非常に声質のマッチングの良い勝又さんと男声二重唱のユニットを組んで活動をしています。このユニットにいつもピアニストとして参加してくれているのが、五味こずえさんで、紅一点というか、花一輪というか、男二人の殺風景なところに彩りを添えて、見事な演奏で音楽的に支えてくれています。

こういう地道な音楽活動もすでに七八年になる今年、「せんくら」の平井プロデューサーから、是非出演してくれないかと有り難い嬉しいお誘いを受けました。それで、今回もまた、勝又・林組(このユニットにはまだ名前がついていません)で、参加することにしたのでした。

また、私たちの音楽活動を、作曲・編曲という側面でいつも支えてくれているのが、日本歌曲作曲界の若き俊英上田真樹君です。今回も上田君編曲の作品を中心にプログラムを組みました。

セッション77の方は、私と勝又さんの、それぞれが独唱曲を歌う形で構成します。そして78の方は、二人で歌う男声二重唱のコンサートとしました。それぞれ、どんな曲を歌うのか、それは明日のこのブログに書く事にしましょう。

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(2)いま評判の・・・ — 2006年08月28日

まずセッション77の方から御案内しましょう。このセッションでは、私と勝又さんと、それぞれが独唱曲を歌います。

私の歌うのは、じつはいまちょっとした評判になっている『あんこまパン』という面白い歌です。これは、今を時めく宮本益光さんや、佐藤しのぶさん、あるいは小栗純一さん、加賀清孝さんなど、著名な歌い手の方々が、全国各地で歌ってくれているせいで、急速にその名前が知られるようになってきたのでした。

『あんこまパン』というのは何であるか、というのは、まあ曲を聞いていただいてのお楽しみということにしておきますが、これは実は私の作詩、伊藤康英さんの作曲という比較的新しいコンサート用歌曲です。

とはいえ、もともと、私がこの曲のテキストを書いたのは決して歌曲用にと思ってのことではなくて、『音の晩餐』(徳間書店)というお料理の本に、ひとつの純然たるレセピとして書いておいた記事を、作曲家の伊藤さんが、おもしろがって全三楽章の堂々たる歌曲にしてしまったというものでした。こういう歌はガーシュインなどにも先例がありますが、伊藤さんの歌曲は、作者の私がこう申してはなんですが、ガーシュインのそれより百倍面白いと思います。

そうして、この曲は加賀清孝さんの歌唱で録音され、数年前に小学館から『あんこまパン』というCDブック(歌詩、総楽譜、エッセイ付き)としてリリースしました。その当初はあまり評判にもなりませんでしたが、声楽家たちの間に次第に浸透し、今ではちょっとした評判の一曲にまで育ってくれました。これを今回、作者である私自身が歌おうという趣向です。

とはいえ、この曲は技術的には非常に難しい作品で、そう簡単に歌える曲ではありません。声域も相当に広く、声量や表現力も要求され、なおかつ音程的に極めて難しいところのある作品、しかも伴奏ピアノがまた、なみなみならぬ難曲というわけなのですが、それに私自身あえて挑んでみたいとおもいます。

しかし、歌えば歌うほど、これほど歌い甲斐のある楽しい曲もまた稀で、伊藤さんの作曲の見事さに、いつも感心しながら歌っています。なにぶん、テキストについては、私が作者なので、私以上によく理解している人は居ないだろうと思いますから、その作者としての思いを、せいぜい歌に表現してみたいと思っています。どうぞお楽しみに。

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(3)ゆけわが — 2006年08月29日

次に、勝又さんの独唱は、これも私の作詩、伊藤康英さん作曲の恋愛歌曲集『ゆけ、わが想い』という長大な作品のなかから、三曲抜粋で歌います。

この『ゆけ、わが想い』は、かねて日本歌曲の世界に恋愛の歌が少な過ぎるということに不満をもっていた私と伊藤さんが、はじめて、真っ正面から恋愛歌曲に挑んだ記念碑的作品で、本来は、テノールとソプラノの二人による二重唱曲です。「くすのき」「夜」「うでのなかで」「おこらないで」「わすれない」「ゆけ、わが想い」という六歌曲と、間奏曲一曲からなる作品で、全曲演奏すると四十分近くかかるという大作です。

このうち「くすのき」「夜」「わすれない」「ゆけ、わが想い」の四曲はテノール独唱(一部ソプラノが加わることもある)の歌で、「うでのなかで」はソプラノ独唱、そして「おこらないで」は、二人の二重唱、という構成になっています。

この曲もまた、CDブック『あんこまパン』のなかに収められていて、そこでは、鈴木准さんのテノール、鵜木絵理さんのソプラノ、そして伊藤康英さんのピアノという演奏で録音されています。

勝又さんは、この『ゆけ、わが想い』を浜離宮朝日ホールで演奏したときに、ソプラノの鵜木絵理さんとともに見事に演奏してくれたテノール歌手で、以来、洪純玉さん、橋本真帆さんなどと共に、なんどもこれを舞台にかけてくれています。

今回は、その円熟した演奏で「くすのき」「わすれない」「ゆけ、わが想い」の三曲を熱唱してくれます。とくにこの三曲は、失恋と痛切な追憶を歌う作品で、深い哀しみを湛えています。これまた、鈴木准さん、布施雅也さん、小林彰英さん、など多くのテノール歌手が演奏してくれています。

音楽業界では、一種の符丁として、曲名を略すということがあり、たとえばモーツァルトのレクイエムを「モツレク」などと言ったりしますが、この『ゆけ、わが想い』は、声楽家たちの間では『ゆけわが』と略称されて親しまれています。
 
しかし、これまた、演奏するのは並大抵ではない難曲で、とくに演技力が大いに要求されるために、オペラ歌手たちによって歌われることが普通です。オペラの方で活躍中の勝又さんの表現力豊かな歌唱をぜひお楽しみください。

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(4)重唱の楽しみ(1) — 2006年08月30日

イギリス音楽に心を潜め、多くの音源に耳を傾けてみると、そこに一つのイギリスらしい特色を見ることができます。それは何かというと、純粋な響きへの志向、ということではないかと思います。

日本の合唱が学校音楽を出発点とするのに対して、イギリスのそれは教会のクワイア(聖歌隊)を出発点とすることがもっとも大きな違いかもしれません。

学校音楽では、純粋で精密なハーモニーの響きというようなことはあまり意識されていないように思います。そもそも学校の教室では音が響かないので、純粋は響きを感じようがないのです。外からは野球部の叫びやら、ちり紙交換の音やらが交錯して乱入し、純粋なハーモニーどころではないというのが、遺憾ながら学校という空間の現実です。

ところが教会、たとえば、ケンブリッジ大学の各コレッジにあるチャペルなど、教会建築というものは、天井がたかく、壁という壁が石と硝子でできています。

そういうところでは、外の音はほぼ完全に遮断され(防音性というのは壁素材の質量に比例するというのは建築学上の常識です。石造りの建物がその意味で圧倒的に有利であることは現実が証明しております)、しかも内部空間では、音は天井高くまで響き、返ってきて、陶然とするようなハーモニーをかたちづくってくれます。この音の挙動が、純粋なハーモニーへと人を導いてくれるのです。

そもそもこの環境が彼我の違いを生む基となっています。この空間に助けられて、彼らは、ほんとうに見事な、精密機械のようなハーモニーを聞かせてくれます。私がいつも羨ましいのはここです。そうして、教会音楽としてのクワイアからは、無数の音楽家が生まれています。

学校音楽としての合唱は、それなりに見事なハーモニーを聞かせてはくれるのですが、そこから多くの歌い手や重唱団や作曲家や演奏家などが育ってくるわけではありません。あくまでもその学校の中に留まっているということころが、哀しいかな現実であります。

私は、イギリスに行くたびに、CDを探し、多くの楽譜を買い集めてきます。もっとも気に入りの場所は、ケンブリッジの真ん中にあるブライアン・ジョーダンという楽譜舗で、ここには、無数の中古楽譜が、まるでただのような値段で売られています。その楽譜の山を、日がなひっくり返してあれこれと探していると、思いがけず珍しいものを発掘したり、かねてから捜しあぐねていた曲のオリジナルなどに遭遇したりして、その楽しさはまた比類がありません。

そんな風にして、毎年ケンブリッジに行っては、夥しく楽譜を買って戻ってくるのが例になっていますが、その殆どは声楽曲、さらにその多くは重唱譜です。クワイアの天国イギリスには、あらゆる曲の重唱譜がそろっているといっても過言ではありません。それらの楽譜は、重唱林組のレパートリーとして舞台に掛けたりもしましたが、なおやってみたい曲はまだ無尽蔵に残っています。

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(5)重唱の楽しみ(2) — 2006年08月31日

今回の「せんくら」セッション78は、男声二重唱のレパートリーを以て構成します。

もともと勝又さんとは、ザ・ゴールデン・スランバーズ以来、もう何年にもわたって混声重唱をご一緒してきた仲間なのですが、最近では、もっぱら男声二重唱で舞台にかけることが多くなっています。

重唱は、三重唱、四重唱、六重唱、八重唱と、だんだんと声部がおおくなるほど、ポリフォニーとしての複雑な音楽性が込められるので、それはもちろん楽しいのですが、といって、二重唱にはまた格別の面白さもあります。いってみれば、それは親しみ深さでしょうか。

私たちのユニット、勝又・林組にはまだ名前がないと、このブログに書いたところ、さっそくその名前を募集してはどうかというコメントを頂きました。もし、みなさんがたのなかで、こんな名前はどうかというアイディアのある方はぜひお知らせください。

それはともかく、私たちは、前衛的で難解な作品を取り上げようというつもりは全くありません。音楽というものは、一つは不可避的に前衛的・現代的な「新しさ」を希求する方向に進んでいくわけですが、それはどんどん難解になっていって、一般聴衆の楽しさからはかけ離れていってしまう傾向があることは否めません。

そこでもう一方では、どこまでも親しみ深い、懐かしい歌どもを、できるだけ音楽的にきちんとした丈高い編曲で、純粋にハーモニーを響かせるという方向に努力するということがあってもいいと思っています。そして私たちの使命は、この親しみ易い音楽を真面目に演奏するということではないかと思っています。

そこで、私たちが取り上げる、重唱曲のレパートリーは、ほとんどは上田真樹君の新編曲による「懐かしい歌たち」というコンセプトで構成しています。イギリス人にとっての、賛美歌とかマドリガルというようなものが「心の故郷」であるとすれば、私たちにとってのそれは「唱歌」というようなものであるに違いありません。それを、新しく美しい編曲で、ごくごく真面目に歌っていく、それが私たちの目指しているところです。

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(6)重唱の楽しみ(3) — 2006年09月01日

私は基本的には国文学者なので、歌の「詩」をとても大切にしたいと思っています。歌には詩がある、そこがもっとも基本のところで、その「詩」を、文学的にきちんと味わいながら「歌」にしていく、そのことがもっとも大切だと思っているわけです。また、そういうことになれば、国文学の、とくに古典文学の研究をずっとしてきた私は、詩の解釈について、一段深いところまで分け入っていくことができます。

唱歌といっても、ほんとうに子供向けの、単純で深みのない詩のものも多く、すべてが文学的な内容を持っているわけではありません。

しかし、たとえば『朧月夜』(高野辰之作詩)などは、もっとも見事な詩を持った作品のひとつで、これは純然たる歌曲として見てもいいくらい、美しい詩を歌にしています。
 
菜の花畑に入日薄れ、見わたす山の端霞深し・・・

あの詩の歌っている景色のなかには、私たちのもっとも懐かしい原風景が息づき、今や失われつつ日本の田園の風景美や季節感が、かなしいほど見事に表現されています。それに応じてまた、岡野貞一の作曲も間然するところなき名曲というべきもので、こういう歌を歌うときに、私たちの心に湧き上がってくる郷愁の切なさは、なんとも言えないものがあります。

ところが、こんな名曲が今は学校の教科書からも消え、ほとんど知らないという若い人が増えてきたという、この現実は、残念を通り越して、憤りを感じざるを得ません。せめて私たちは、こういう曲を、なんとかして新しい編曲で甦らせ、今の若い人たちにも、ああ、素晴らしいなあ日本は、とそう思ってもらいたいと念願しています。

あるいはまた、『夏は来ぬ』という唱歌も、素晴らしい作品です。これは和歌界の大御所佐々木信綱が作詩し、東京音楽学校(後の東京芸大)の作曲の中心人物であった小山作之助が作曲をしたという、唱歌の世界の金字塔ですが、ここには、古今集以来の、日本的な風物詩と、その倫理観宗教観のようなものが、あえかに息づいています。こんな歌を歌うことは、やがて日本文学の精髄に触れていくための階梯として格好のことであって、ぜひとも子供たちに歌わせたいものと思っています。そのために、私はいつも演奏に先立って簡単な解説を試み、よく解っていただいてから歌として演奏する、ということにしています。

今は忘れられてしまっている名歌『野菊』(石森延男作詩、下総皖一作曲)も、昭和十七年に作られた比較的新しい歌ですが、これまた、なんという優しい情調を持った美しい歌でしょうか。私はこの歌もまた、ぜひ復活して多くの人に歌われてしかるべきものと信じています。

そんなわけで、この機会に、ご存じの方は、ああ懐かしいと昔を思い出しつつお聞きいただき、知らなかった人には、ああ、こんな美しい歌があったのか、と改めて認識をしていただきたい、とそんな思いで歌って参りたいと思っています。

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(7)重唱の楽しみ(4) — 2006年09月02日

私たちのレパートリーのもう一つの方向は、英語の歌です。今回は、『アルヒダノス』というウェールズの民謡を取り上げます。

これは子守歌なのですが、原詩はもちろんウェールズ語で書かれているので、私たちには理解できません。しかし、幸いなことに、イギリスでは何種類かの英語詩版が出ており、そのなかの一つに準拠して編曲をすることにしました。ただし、リフレインの「Ar hyd y nos」(これで、アルヒダノスと発音します)のところだけは、英訳詩によらず、原語にしたがって歌うという、ちょっと私たちだけの独特の構成でお届けします。意味は「夜もすがら」ということであります。

その他に、私は詩人として、多くの作詩歌曲作品を世に出しておりますが(ご存じないかたも多いと思いますが・・・)、そのなかのいくつかはすでに音楽の教科書にも出ていいます。シューベルトの『鱒』、メンデルスゾーンの『歌の翼に』、インドネシア民謡の『ラササヤンゲ』など、外国曲の日本語詩を私が書いたものです。

それらのなかで、私が自分でもっとも気に入っているものが、ハワイ民謡の『アロハ・オエ』で、これはリリウオカラニ王女の作詩作曲の原譜に忠実に詩を書いたものです。この曲は二重唱(二部合唱)に編曲されていますので(編曲は伊藤康英さん)、いつも勝又さんと歌って好評をいただいている、言ってみれば「定番曲」となっております。

今回は、たった四十五分しか時間がないので、演奏できる曲目には限りがありますが、以上のように、日本の懐かしい歌や、イギリスの子守歌、そして外国曲の日本語訳詩版(林望作詩)というような、いくつもの違った相貌をもった重唱曲を御披露したいと思います。

さてさて、実際にどのような曲を演奏するか、それは厳密には当日のお楽しみといたします。いずれも演奏に先立って私が簡単な解説をして、それから歌うということにしますので、一種のレクチャーコンサートとしてもお楽しみいただけるかと思います。

どうぞみなさま、ふるって、万障お繰り合わせのうえ、私どもの「男声二重唱」の世界に御来臨を賜りますよう、重ねがさね、お願いを申し上げておく次第でございます。

ああ、面白かった、と思っていただけるように最大限の努力を傾けたいと思っております。

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(C)仙台クラシックフェスティバル2006実行委員会