岡村喬夫(4)「バラの香り」

2008.06.18| 岡村喬生

年に一度の同期会が一昨日、熱海で開かれた。早大29年卒のグリークラブの仲間が8名、皆妻同伴で都内のホテルに集まった。このホテルの元社長、岡君がメンバーの一人である。今年は彼が幹事だ。僕は商売だから当然だが、彼らは今でも男声合唱を続けている。だからかどうかは知らないが、後期高齢者たちにしては――嫌な言葉だ――かくしゃくたるものである。熱海を知り尽くした岡の案内で、僕は「お宮と寛一」しか知らなかった熱海の名所をつぎつぎと見ることができた。

アカオ・ハーブ&ローズガーデンは、春と秋がシーズンのバラを中心として、ローズマリーやミント、レモングラスなどなどのハーブに覆われ、馥郁たる香りが、東京ドームの15倍とかいう、海を見下ろす山の斜面を利用した花園に満ち満ちていた。ギリシャ扇形劇場風の屋外結婚式場もある。ローズハウスというバラの蜜をお茶やアイスクリームと楽しむ茶屋もある。戸外では咲き乱れる薔薇に蜜を求めて蜂が寄ってくる。 蜂は蜜を感じて花弁に集まるのです、と案内人が教えてくれる。

ではあの美しい花びらは、蜂にとっては必要ではないではないか。蜂は花弁の種を別の期に運んで交配を媒介する役を担っているが、それは意識的にではなく、万物の生命が枯れないように司る、天の配剤の結果として無意識におこなっているのだろう。しかし、美しい薔薇は人間の感性に訴えて我々を喜ばせてくれる。じゃ、蜂にも人間と同じく美を感じる感覚はあるのだろうか?――

知っている方は教えてください!――。

生命の起源はたった一つの細胞だったそうな。だとすると、昆虫だろうと、爬虫類だろうと、哺乳類だろうと、ひとしく、生きとし生きるものは、美しいものに集まる本能をもっているのかも知れない。だとすると、美しいものを鑑賞しない人間は、生き物の生き方に反しているのではないか!

先進国といわれているこの日本で、音楽会にも、展覧会にも、美術館にも、一度も足を運ばないで、―――運べないのではない―――、一生を終わる人がいることを僕は思いだして、案内の人が教えてくれたように、咲き競う幾種類ものバラの花びらに鼻を当てて、微妙な香りの違いを楽しんだのである。

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