せんくらの楽しみ方

■ 下山静香(ピアノ)

(1)2006年05月28日


原宿の道
こんにちは!ピアノの下山静香です。今日から1週間、せんくらブログにお邪魔しますので、よろしくおつきあいください♪

私は、幼いころバッハで“自分”という存在の不思議を考え(おぉ〜!)、子供時代にベートーヴェンで音楽の精神性を感じ始め、思春期にはシューマンで感情の機微を知り、大学時代は室内楽に没頭、学生を終えたころにはドビュッシーの深みにハマる・・・という道をたどってきました。そして21世紀を目前におこなったリサイタルで、突然私の中でなにかがはじけ、「スペイン〜スペイン〜」とささやく心の声が。その翌年からスペインに住んでいたという、はたから見るとときどき予測不可能な行動をするらしい双子座B型です(あっ、言っちゃった!)。
あちらでの生活は足掛け4年ほどでとりあえず終わったのですが、日本でも実は、家の中での会話はスペイン語。今では結構いいバランスの「ラテン・ジャパニーズ」と化しているんじゃないかな?とひそかに思っているのですが、そのようなわけで、レパートリーも、必然的にスペイン、ポルトガル、アルゼンチン・・・と広がり、いまもその森をさらに奥へ奥へと探検中です。

そんな私がこの「せんくら」で弾かせていただくのは、なんとあの!W.A.モーツァルト!海老沢敏先生くらいの大スペシャリストになりますと、「モーツァルトさん」と親しくお呼びになり、ときどき電話もかかってくるンですよ、なんて軽くおっしゃいますが、私はまだ「モーツァルト様様」とお呼びする声も震え、お手紙をしたためるのすらドキドキしてしまいそう。でも、この素晴らしい記念の年に、そのモーツァルト様の音楽をたっぷり弾かせていただけるなんて・・・これはきっと、なにかのご縁ではないでしょうか。

演奏予定のソナタ10曲、アダージョ、ロンドという音楽の鏡を通して様々なモーツァルトと向き合い、そして会話をして、仙台では“私のモーツァルト”を皆さまにお伝えしたい、そんな気持ちでとてもハイになっている今日このごろです!

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(2)2006年05月29日

7つの顔を持つといわれる(誰に?)私。4時間半睡眠がほぼ定着し、夜中になってやっとピアノの前に座れる、というようなこともあります。そんな時間には、技巧の激しい曲や舞踏的な音楽は避けて、スペイン音楽でもモンポウの静かな音楽(その静けさが実に豊かな宇宙を持つのだけれど)、そしてモーツァルトの緩徐楽章などに取り組みます。

そして今回のモーツァルト演奏にあたってあらためて感動しているのが、その緩徐楽章の美しさなんです。弾いている途中で、「なんてきれいなんだろう!」とため息まじりに思わず独り言。(曲をシュミレーションしながら部屋をうろうろしたり、練習中のピアニストって結構ヘンです。)映画「アマデウス」でのモーツァルトの、あのお軽いイメージがあまりにも定着してしまったようですが、彼の音楽の流れのなかに垣間みえる透明で深い哀しみ・・・これが見えてしまったとき、どきっ、とします。そしてなぜか私は、ルドンの絵画にある「眼」を思い出したり。

クラシック音楽 ——語弊もありますが、とりあえずクラシックと呼ぶことにして—— のすごいところは、200年以上経っていても、演奏することによってその美しさを再現して、人の心に直接音のメッセージを伝えることができる、ってことなんですよね。
これだけ考えても感動してしまう私、そういえば最近、前にもまして涙もろくなったな〜。「ほんもの」は、時を超え、人類の宝としてちゃんと残っていくんですよね・・・その「ほんもの」とつきあうには、それなりの覚悟がいるぞ。と気を引きしめたところで、今日のおしゃべりはおしまい。

もっと私のおしゃべりを覗いてみたいという方は、下山静香オフィシャルページZARABANDA(サラバンダ)にもお寄りくださいね。http://www.h7.dion.ne.jp/~shizupf
ちなみに今日は、オフのプライベートショットを掲載しました。なぜか弓矢。

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(3)2006年05月30日

最近、トークコンサートがとても多くなってきました。まだ経験も浅かったうちは、演奏とお話との頭の切り替えに苦労したり、お話のあと弾こうとしたらマイクを持っていた手が固まってしまっていたり、といったこともありましたが、最近は、演奏とトークの両方を楽しめるようになりました。特に、この5月まで1年間おこなったスペイン音楽のサロンコンサートシリーズでは、即興トークが弾んでしまい(?)、毎回長いコンサートになってちょっぴり反省・・・。(写真は、一番最近のトークつきコンサート。)

大体ピアニストは、袖から出てくるときだけではなく演奏中も、身体の右側のみが視線にさらされていて、お辞儀をするときだけがまっすぐ客席を向くことのできる機会だったりするわけです。(おかげで私、左側に誰かがいるとなんだか落ち着かないような気がしますが・・関係ないかな。)
トークコンサートでは、まずお客様のほうを見ることができるので、身体感覚のバランスもとれるし、目を見て言葉を投げかけることでコミュニケーションの下地ができるような気がして、私は好きです。今回の「せんくら」のステージもトークをまじえてということなので、楽しみにしているのですが、我を忘れてあまりお話しすぎないように気をつけなくては!

トークつながりで、このへんでちょっとスペイン話。スペイン人の話し好きは有名ですが、それを象徴しているんじゃないかなぁと感じるものが「チステ」です。ご存知ですか?いわゆる「笑い話」なのですが、夏の夜など、みんなで集まってテラス席で飲みながら、このチステ披露が始まったら最後・・・延々、明け方まで終わらないことを覚悟しなければなりません。よくもこんなに〜と思うほど、次々と臆せずチステを披露していきます。そして話し上手な人がなんと多いこと!ちなみに私なんぞ、手持ちのチステもなく聞き役に徹底していましたが、みんながどっと笑うオチの部分だけすぐには腑に落ちず、いつも笑いに乗り遅れて悔しい思いをしていたものです。

スペイン人との会話が実に心地よく感じるのは、彼らに基本的に身についている表現能力のせいかな、と思ったりします。それも飾るためとか見せかけるための表現ではなくて、自然に、ストレートに“そのひと”が出ている。スペイン人というと“ラテンモードばりばり!”なイメージがあるかもしれませんが、結構、素朴な人が多いんですよ。

スペイン人たちと暮らしているうち、じたばたするより自然がいちばん、と肩の力を抜けるようになったら、毎日がもっと楽しくなりました。
・・・つい長いおしゃべりとなってしまいました、ではまた明日!

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(4)2006年05月31日

雨の多かった5月も、今日で終わりですね。すっきりした青い空、まぶしい陽をうけてきらきら光る新緑・・・という日々を期待していたのに、ちょっぴり残念。なんだか肌寒い日が多くて、春らしい薄着の出番はほとんどなく、クローゼットのなかでじっと待機してもらっていました。

というのも、私は子供のころから冷え性で、毎年10月終わりころからもう手袋をしているような有様なのです。夏は夏で、冷房で身体が冷えてしまうのでいつも長袖をはおっているし、本番には、常にカイロを持っていくんです。夏にカイロなんてもう売っていないから、なくならないうちに買っておくのを忘れると大変!・・・そんな体質を改善しようと、漢方もいろいろ試してきましたが、根本的にはあまり変わらなかったようです。

で、2年ほど前、太極拳を始めました。徐々にですが、なんだか身体がちょっとかわってきているみたい。1回とおすだけで、こんな私でもなんとびっくり、身体が内からポカポカに。うっすら汗もかくことができるんです。(なんでも、1回きちんとやると身体中のチャクラが開くそうです。)眠くてまだ重い身体をひきずるように練習に出て行っても、気功の八段錦、(ときに練功も)、簡化24式、42式、太極扇と2時間たてば、身体の隅までエネルギーがまわって、なんだかわけもなく嬉しくなり・・・スキップしながら飛ぶように家に帰ったりします。

なんたって奥が深いので、まだまだ初心者の域ですが、いくつになってもやれる太極拳、ずっと続けていきたいと思っています。中国公園デビューはいつの日か?って、そういう話じゃないですね〜。人に見せるものではなく、“自分を見つめる”ことが大事なんですね。
ちなみに、ときどき舞台の袖で馬歩[マーブー]というすごいポーズをとっていることがありますが・・・決してひとりでは見ないでください(いや、ひとりでも見ないで・・・)。

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(5)2006年06月01日

昨日“冷え性話”をしましたが、そんなわけで私の生活にお風呂は必須。どんなことがあっても、入浴して温まらない限りは就寝に至りません。 ヨーロッパにいても、日本のものは特にな〜んにも思い出したりしないのだけど(薄情ですか?)、唯一恋しくなるのが、そのお風呂。これはほんとに、「日本に生まれてよかった!」と思えますね。スペインやフランスの人に“お湯につかる”ことの心身への効能を説明してみたことがあるけど、あまりピンとこないみたいでした。しかも、温泉で、知らない人たちと水着もなしで同じ湯舟に入るなんて考えられないという人も。う〜ん、実際に体験すればきっと、気に入ってもらえるんだけどなぁ。

さてお友達の中には、全国津々浦々、名湯秘湯を訪ねている温泉マニアもいるんですが、私はもっとテキトーな温泉好き。そんなにたくさん行けるわけでもなくて、今年これまでに行ったのは、長崎の島原と雲仙、群馬の伊香保くらいです。

「温泉」といってもいろいろ、泉質と、体質や肌質との相性もあるからおもしろいですね。雲仙が硫黄質で、ちょっと強いかなという感じがしたもののそのときは気持ちよく楽しんだのですが、東京に帰ってきたら、足の肌がすごく赤くなって荒れてしまいました。「お肌に効く温泉に入ってきたのに何故?」と思ったら、弱っていた肌が硫黄でかぶれてしまったらしいです。ともあれ、自分の症状に合ったお湯に入っているだけで療養ができるなんて、すばらしい自然の恵みですよね。

実は今日、仙台に行くんですが、ついでに作並温泉に寄ってきます!温泉のある土地でコンサートがあるときは、必ず本番前に温泉に入るのですが(芯から温まって冷めないし、リラックスもできて最高!)、「せんくら」開催中は、きっとそんな時間はないので、今回先に味わってきます。仙台には作並のほか、秋保温泉もありますよね。仙台市民でない皆さんも、温泉つきで「せんくら」を楽しみにいらっしゃいませんか?

では、行ってまいりま〜す!

*写真は、28日まで大宮で開催されていた写真展「ボックリ博士の音楽仲間」にて。私の演奏写真もたくさん展示されていたんですよ*

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(6)2006年06月02日

先週このブログに登場したギターの福田進一さんが、“ステージ衣装”について書かれていましたが、確かに衣装って悩みの種。持っていくのも大変だし、保管するにも場所をとる・・・。もちろん、「どれにしようかな」と選んだりするのは楽しい悩みなのですけれど。ちなみに、我が家の6畳和室の3畳分はステージ衣装で占領されています(この和室、お客様が泊まりにいらしたときのゲストルームにしているのですが・・・だんだん申し訳なくなってきました)。
女性の演奏家同士ではよく、「男性はとりあえずタキシードがあればいいんだから、楽でいいわよね〜ぇ」という話をしていたのですが、福田さん「タキシードってとっても演奏しづらい」と書かれていたので、なるほど〜、私ったら知りもしないで暴言をしてしまったのね、と反省しました。それに、長袖シャツの上に長袖上着という装いでスポットライトを浴び、しかも演奏するのだから、きっととっても暑くなってしまうのだろうなぁ。

私が初めてステージ衣装で新鮮な印象を受けた男性演奏家は、チェロのミーシャ・マイスキーさんでした(もちろん衣装だけではありませんが)。前半と後半で衣装替えもあって、今では特に珍しくなくなりましたけど、あの当時「おぉぉ〜!」という感じでしたよね。

実は私も、これまでいろいろ試してきました。ミニで弾いてみたり(座るとさらに上がってしまうので、ちょっと恥ずかしかった)、着物で弾いたり(驚くなかれ、なかなか弾きやすいのですよ)、それこそタキシードを着たこともあるんです(このときは、宝塚の方が作られたものをゲットしました。上の写真は、その本番後)!着物とタキシードというのは、主催側のご希望だったのですが、「“女性ピアニストといえばドレス!”に慣れたお客様は、どんな反応をなさるかしら・・・」と、ちょっぴり気になりながらの冒険でした。

普段の洋服でもステージドレスでも、私がとても大事にとらえているのは、「色」です。自分の気分と、その日の陽気と、そしてステージ衣装なら演奏するプログラム曲目や作曲家に、一番しっくりくる色。でもあまりにピッタリとはまりすぎると、面白みがなくなってダメなわけで、そのへんはもう、自分だけの微妙な直感の世界なのですが。
例えば10年ほど前だと、黒いドレスは選べなかったりしました。なぜかというと、その黒の世界に引き込まれて気分が下がってしまうような気がしたから。今は、多少なりとも成長した分、黒を着ても負けなくなっていると思いますが、それでも、心身が少々弱っているようなときには避けるほうがよさそう。赤を着ると、血が躍るというか、攻めのモードに入れる(闘牛みたい!?)ので、気分を高揚させたいときに登場するのはやはり赤ですね。黄色系は、ナチュラルな自分になれるような気がしています。

でもこれからも、「この色はこう」と決めすぎずに、いろいろ試していきたいと思っています。ちなみに今私が好きなのは、モーヴ色やキウィ色です?・・・キウィ色のドレスって、着るとどうなるのかな?

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(7)2006年06月03日

先日、ある天才即興ピアニストのライヴに行ってきました。場所は、ギャラリー&ライヴカフェといったらよいのでしょうか。地下にでもあるのかな?と想像していたら、ごく普通の道路に面して、飛び込みでもふらっと気軽に入れそうな雰囲気。ちょっと遅れて入ったのですが、ライヴはまだ始まっておらず、お客様はすでにお酒を飲みながらリラックス。出演アーティスト本人も、そのなかに自然に混じって談笑しています。しばらくすると彼は、これまたごく自然にピアノの前に座り、弾き始めは音を探すように、それから気持ちのままに、音楽の糸を紡ぎだしました。

そのインプロヴィゼーションは素晴らしく、自分のなかから音楽を発しているようでいて、その場に流れる「気」とも常に交信している感じ、その交信によってまた音楽が触発され、満ちたり、ひいたり、またうねったり。そのグルーヴが、なんとも気持ちよいナチュラル・ハイを誘うのでした。
実は、クラシック音楽の舞台でも似たようなことがいえるんです。普段の何十倍も神経が敏感になっている状態のステージ上の奏者には、お客様からの「気」はびんびん届きます。自分が奏でている音楽に集中している状態にあっても、お客様と自分とのあいだに流れている「気」というのは、身体で(第六感で)感じられるものです。そしてこの“気のキャッチボール”がうまくいったとき、自分が意識して仕掛けたというのではない、なにかがのりうつったような演奏になることがあります。そんなことが起きるから、ステージはやめられないのですね。

彼の場合、なにしろ即興で音楽を誕生させて命を吹き込んでいくのだから、ものすごいエネルギーが放出されるわけです。そして生(なま)の音楽というのは、生まれたそばから消えていってしまうもの。そのとき居合わせた人間だけしか味わえない、まさに一期一会の音体験・・・刹那的かと思いきや、そんなたった一度きりの音が、一生、心のなかに刻まれたりする。不思議ですね。

この日のライヴは、私のモーツァルトにも何かのヒントを与えてくれそうです。思えばモーツァルトその人だって、よくこんな風に、即興で音楽していたに違いないのだもの!
楽器の状態、その日の天気、自分の心境、お客様の層などの様々な要素で、同じ曲でも二度と“同じ演奏”にはなり得ない、それがライヴの醍醐味。皆さんと「せんくら」で、ライヴの楽しさをともに感じることができたら、とても嬉しいです。

それではまた、仙台でお会いしましょう!一週間おつきあいくださり、どうもありがとうございました。〔今日の写真は、林喜代種さん撮影。〕

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(C)仙台クラシックフェスティバル2006実行委員会