3日目

2016.09.10| 中川 賢一

ピアノを弾いていると不思議な感覚に陥るときがいろいろあります。

 

ピアノはソロで弾く機会も多い楽器のひとつだと思いますが、「ソロ」という事は、その時間を全て一人で構築するということで、非常に責任が大きく、かつ魅力的な時間ではあります。

私はアンサンブルの中でピアノを弾くとき、特に指揮者がいる場合は、指揮者の音楽を理解し、それについていくべくいわゆるパーツになることもありますが、ピアノソロとなると全てが自分にかかってくるので、本当に不思議なことを考えてしまいます。

ソロのときは「いまここで止まったら、つまり演奏会全てが止まるんだよな?」など当然の事ですが、よく考えると恐ろしい事などしょっちゅうよぎります。

そこで時間についてですが、勿論演奏しているときは演奏しているその瞬間に集中しているのは勿論なのですが、実際自分が弾いているときはその「現在」だけなのか?と思うことがよくあります。

つまり音を出して、その音が思った通り出ているかと認識した瞬間はすでに音を出した時が「過去」になっているような気がします。

大体弾いているときは、その音を出すほんのすこし前の瞬間、出来事、出た音、楽譜に書かれている音楽に上手く繋がるように「現在」音を出そうと弾くので、弾いている「現在」でありながらも弾く前の瞬間になっている音は頭の中に鳴っていて、ないし耳で知覚され記憶されているにも関わらず、その過去の話に対して、未来に関しても、「現在」音を出す瞬間のすこしあとの瞬間に鳴るべく、弾かれるべく音、楽譜に書かれている音楽に繋がるように演奏するので、当然その出されるべき音の音像は頭の中でなっている、見えていなくては音楽が上手く繋がらない、つまりは「現在」弾いているときに同時に「過去」の音、「未来」の音、ないし音だけではなく「過去」にあったこと、「現在」おこること、「未来」こうあってほしいことが、いっぺんに頭渦巻いて、互いに協力しながら演奏をしているのではないかな?と思ったりします。

 

弾きながらワープというかタイムマシンに乗って現在過去未来を常に行き来しているような感じの時があり、人間の脳は不思議だな・・・と思います。

弾いたあとは体力的にも疲れますが、頭もとっても疲れるのは、実は知らないうちに、相当頭を使っているのかもしません。

 

いつか音楽家の脳の仕組みを解明していただける日が来るのでしょうか?ちょっと興味がありますね!」

 

 

中川賢一(ピアノ)

2日目

2016.09.09| 中川 賢一

旅が多く、いつ練習しているのか?と聞かれることがあるのですが、実はある特定の日をしっかり練習の日として開けて、一気に三ヶ月分の曲や、大変な本番の前はその曲の練習のために費やすことがあります。

この日を作らないと本当に自分の演奏が崩壊します。

 

これは何が何でも死守しなくてはならないのですが、こういった日は1日こもっているため、一般から見ると手帳もその日は真っ白なので、「お休みの日」に見えるかもしれませんね。

ピアニストはとにかく読まなくてはならない音符が多く、上手い下手以前に全く音符が読めていないという状況が長く続くので、それが終わってからやっと本当の練習に入ります。

外に出てリハーサルをしたり、本番をしたりしているのは本当に氷山の一角で、実は幼虫、蛹の状態のいわゆる譜読み、練習の時間が実は一番重要な時間かもしれません。

 

いつもリハーサルが終わっても家に帰ると、そこからが一番重要な仕込みの時間、練習が始まります。

よってどうしても1日中練習しなくてはならなくなるのですが、これはこの楽器を選んだからには腹をくくらなくてはいけませんね。

 

さあ練習練習・・・

 

 

中川賢一(ピアノ)

1日目

2016.09.08| 中川 賢一

数年前名前の間違いをされることがあり、郵便物も「中川賢一」が「中川覧一」で来ることがあった話を書いたことがありました。

最近もこんな宛名で届いたことがありました。

 

image4

 

今度は最近あったのが住所です。

私の住所の最後の番地は○丁目12-8なのですが、海外から来た郵便物にはどういう訳か、最後の所が「Dec 08」と表記されて来ました。つまりは住所の最後の12-8は12月8日と読み替えてディッセンバー・エイト!Dec 8ということらしいのです!何と大胆!

おまけにその前に「Thu」とついています。「Thu」は「Thursday」で木曜日、何故曜日が???

最後にはトドメの「2016」!!!2016は年か?と調べると、確かに今年2016年12月8日は木曜日でした!

何故か住所の○丁目12-8が2016年12月8日木曜日に変化!!!

しかしこの郵便物が我が家に着いたのは8月でした。

これで届くのが凄い!日本の郵便は優秀ですね!!

そのうち例えば住所が1-2-3もJan-Feb-Marとか11-12-31などはNov-Dec-Mar.Janなどで届く時代が来るのでしょうか???

以下がその写真です。

 

加工済み

 

ちなみに

この郵便物が最初に来た時は私は二回不在だったので、不在票が入っておりました。

勿論きちんとしたところが私の所に送って来たのですが、

 

image2

 

送り主は何と「中国様」、次来た時は

 

image3

 

「China様」・・・相当大雑把・・・凄いです・・・

 

 

中川賢一(ピアノ)

アンサンブル

2015.09.18| 中川賢一

私はクラシックのピアノのソロ、室内楽、現代音楽、ピアノのワークショップなどいろいろなジャンルで活動を行うことが出来て、本当に感謝しております。

 

ところで、アンサンブルを行う時に、どうして縦に音楽があっていくのか?ということを考えてみました。

曲の出だしはいつもある種の緊張感があります。

最初の音がいい音にならないと、そのあともがっかり・・・ということになりかねません。

アンサンブルの一番小さい形は二人なのだと思います。

二人というとたとえばヴァイオリンと二人で、ソプラノの方と二人で、ないしトランペットの方と二人で・・・などという風になるかと思います。

 

大抵ピアニストはヴァイオリニストなどのソリストの真後ろにいます。

そうすると表情も見えないような状態です。

 

ではどうやって最初の音をあわせるのか?

 

私の場合はまずは最初の音を出す前の「息」です。

どんなに小さな音でも、息をしているのがなんとなくわかる、これが長年演奏しているとどんな人と共演していても感じることができてきます。

 

それと関係したことなのですが、同時になんとなく演奏者の背中、特に肩甲骨のあたりを無意識のうちに見ています。

息をするとちょっと体が膨らむような感じがして、それが特に背中、肩甲骨あたりがちょっとだけ膨らむような気がします。

 

これは気のせいなのかもしれませんが、長年沢山の方と共演させていただいて得た知恵です。

「息をあわせる」とよく言いますが、まったくその通りで、この最初の息がうまく合わないとなかなかそのあともうまくいかないことがあります。

 

その息を合わせる感じも、背中を見る感じも、実は横を向いて共演者をみなくとも、入るタイミングがなぜかわかってくるようになります。

最後はもしかしたらお互い視覚を使わずに、なんとなく息というか、気のようなもので、アンサンブルできるようになるのが究極のアンサンブルなのかもしれませんね。

 

せんくらでは、チェリストの長谷川陽子さん、バンドネオンの三浦一馬さん、ヴァイオリンの神谷未穂さんと共演いたします。各々の方とのリサイタルになるので、3公演ですが、もしよろしければそんなところを気にして聴いていただいても面白いかもしれませんね!

 

では、みなさんブログをお読みいただきありがとうございました。是非公演でお待ちしております!

 

中川賢一

ツアーでの持ち物

2015.09.17| 中川賢一

かなりの演奏家は移動、旅を避けて通ることができないと思います。

私も東京に住んではいますが、東京以外でのお仕事をいただくことも多く、かなりの時間が移動、旅になります。

人によって必要なものが違ってくると思いますがどうしても私の持ち物は多くかさばっております。

旅前に必ずチェックするものは

●スペアのめがね
●着替え
●ラップトップコンピューター(場合によっては二台)
●iPad
●iPodtouch
●手帳
●これから一か月くらいまでの演奏会の楽譜
●無線lanルーター
●演奏会衣装

 

となります。

まずは、めがねはすぐに替えがききません。いつどのような理由で壊れるかわからないのですが、これがないとまったく演奏できません。

着替えは理由はいらないと思います。

私は普通のソロの演奏だけではなく、様々なワークショップやアウトリーチを行っているので、ラップトップのコンピューターは、アウトリーチなどで何かグループで演奏するのに、突然編曲が必要になった時の為に、急遽の事態に備えていつも持っております。
このブログを書いているのも、とある音楽祭で10日間あるところに逗留していますが、そこでフルート、クラリネット、サクソフォン、ピアノという普通ありえない組み合わせのアウトリーチをすることになり、全員で演奏する曲がないので、電車の中で編曲作業をしておりました。
また、アンコールなど、突然以前演奏した楽譜が必要になるときもあり、それをコンピューターお中に入れていて、いざというときに取り出して演奏に間に合わせることも沢山あります。
特に現場に行っての作り物、例えばダンス、読み聞かせなどもともと沢山楽譜を持って行ってその場で決めるようなものは、楽譜を持参せずに、コンピューター一つで済むので助かります。

なぜ場合によってもう一台持っていくのかというと、音楽編集などする時のためで、音楽編集にはコンピュターのハードディスクににかなりの容量がなくてはならず、下手をすると固まってしまうので、別のラップトップを持っていくようにしております。ここに沢山の録音との共演のための資料が入っており、それをその場その場に合わせて取り出したりします。

iPadは、ここにやはり沢山の楽譜をため込んでおり、重い楽譜を沢山持ち歩くのではなくこれ一枚で済みます。また、楽譜を何らかの理由で紛失した時もこれですぐ確認できます。

iPodtouchは同じく新曲で楽譜だけではわからないものもその音源を聴くことでわかることが多いので、特に空き時間の多い旅の途中で勉強できるので、必須です。

手帳は毎日しっかり予定の確認をしてないとダブルブッキングの可能性もあり、常に確認できるように携帯しております。

そしてなんとも重いのが、これからある演奏会の楽譜なのですが、私はあらゆる方法で旅先で練習場を確保するように努力して、そこで毎日ちょっとずつ新しい曲を譜読みしております。この「毎日ちょっとずつ」がとても重要で、きちんと弾けていなくとも、なんとなく曲の全体位がわかるのが重要で、そうすると本番の日まではなぜか弾けている状態になり、体にストレスが来ません。
これが、時間があっても一日で新曲を何とかしなくてはならないとなるとすごいストレスになります。いま10日間逗留の音楽祭に参加中もせんくら4公演分の楽譜、ほかに指揮するスコアなど含めると、11月最初の週までで9つ分の公演の楽譜を持って歩いています。
滑稽かもしれませんが、突然時間があくとその時に練習したい気分の曲をさっと開くことができるので必要です。私は新曲を演奏することも多いので、なかなかそれはiPadに入れたりできないものがあったり、本番の大きさの楽譜で練習したいので、こればかりはその楽譜そのものを持っていきたいというものがあります。

これを支えてくれるのがリモワのスーツケース。

キャスターが本当になめらかで、平面であればどんなに重くとも、軽く押すとスーッと勝手に前に進んでくれるくらいです。これなしでは私の旅は成立しません!

 

さて、今日もチェックチェック・・・・

 

中川賢一

「オラ!」

2015.09.16| 中川賢一

「オラ!」というのはスペインで「やあ!」「元気?」みたいな感じで挨拶の時に使う言葉です。

私がヨーロッパに留学していた時に、私の先生が指揮をしていたオーケストラのスペインのツアーがあって、バレンシアに行ったときです。

そこには何日間か滞在したので、コンサートをするホールにの地下に練習室があるので、毎日練習のために通っていました。

その部屋の鍵を借りるために、まずは守衛さんから鍵を受け取らなくてはならないのですが、受け取るときに、挨拶代りに「オラ!」と言っていました。

毎日同じ守衛さんなので、なんとなく仲良くなり、でも守衛さんは英語が話せないので、私たちはとりあえず毎日笑顔で「オラ!」と言っていました。

 

コンサート当日、ゲネプロでどんなピアノなのか?と思って大きなホールに入っていたら、カンカンと調律の音がするので、調律中の調律師に挨拶をしようと思ったら

 

「オラ!」

 

とあの守衛さんが調律していました・・・

 

確かにホールの調律は毎日必要で、狂ったり弦が切れたりしたら、すぐに直さなくてはならないので、調律師がいつもホールにいる練習室の鍵を渡す守衛さんを兼ねるというのも実際的ではありますね。

 

ヨーロッパでは色々なことが起こります。

楽しい思い出でした!

 

中川賢一

せんくらブログ(3)

2014.08.24| 中川賢一

私は3月に結婚をしました。
今まで結婚ということは考えていなかったのですが、今年になって突然結婚したくなりました。
家内は私のことを本当によく理解してくれる素敵な方です。
家に帰ると待っていてくれる人がいるというのはやはりよいですね。
妻の名前は「歩」
今まで一人で突っ走ってきたように思えますが、これからは一つ一つ丁寧にしっかりと地に足をつけて人生を「歩んで」いきたと思います。
今までと違った、今までよりもさらにいい演奏ができたらいいな・・・と思います。

これからも皆様夫婦ともどもどうぞよろしくお願いいたします!
これで今年の「せんくらブログ」は終了です。
生まれ育った仙台で演奏できることが本当に嬉しいです。

皆様会場でお会いできることを楽しみにしております!
中川賢一

せんくらブログ(2)

2014.08.23| 中川賢一

留学していたときにスペインにピアノ協奏曲のソリストとしてツアーに行ったことがあった。学生の時なのでもう20年前になると思う。
私のピアノの先生は10代の優秀な生徒を集めたユースオーケストラの指揮者でもあった。ある時にスペインに行かないか?ピアノのソリストとして一緒にいこう・・・といわれて喜んでついていった。

さて、ツアーも順調に進み、ツアーの終盤にせまって、スペインの片田舎の教会に到着した。すると・・・
ピアノがない・・・・

コンサートまではあと3時間だ。取り急ぎ私がピアノコンチェルトのソリストでピアノという楽器が必要だということを伝えようとした。
私は、スペイン語は話すことはできなかったので、英語で伝えた。

「I need Piano!」

「アイ・ニード・ピアノ!」
と叫んだ。

彼らにとっても英語は外国語なので、多少話せても、綴りをみて本当の発音が何かは非常に不安だったのだろう
「パイアノ???」
と聞き返された。

「パイアノ」
私の英語の拙い知識の中に「パイアノ」という単語はない。
相手は西洋人だ。私はやはり語彙不足で会話が成立しないのか?
私は「パイアノ」という楽器にいまだかつて巡り合ったことがない。グランドピアノの代用品なのだろうか?

そのあとも不思議な問答が。
中川「ピアノ、プリーズ!」
主催者「オーケー!アイ ブリング パイアノ」
中川「ノー!ノー! ピアノ プリーズ」
主催者「オーケー!アイ ブリング パイアノ」
~エンドレスに繰り返し~
何回も相手が「パイアノ」といって会話が成立せず焦った。

心の中で繰り返した。
「パイアノ、パイアノ、パイアノ・・・」

 

あ!「ピアノ!」

そうだ「Piano」という綴りの「i」は「イ」ともよむが、「アイ」とも読むことができる。
つまり、あいての方は、同じく英語が得意ではないので、一生懸命スペイン語でも「Piano」は「ピアノ」と読むのにも関わらず、英語っぽく読もうとして「パイアノ!」と気を利かせて読んでくれたのだった!!!

結局パイアノは無事到着し演奏会も無事終了した。
その方も必死に発音なさったのだろう。
我々もこのような間違いを普段起こしているかもしれない。

知り合いがニューヨークに行ってタオルを買おうと思ったら、タオルは和製英語の発案なので「トワォエル プリーズ」「タゥォエル プリーズ」とかいろいろ試しても通じず、店員さんをその場に連れて行ったら

「オー タオル!」
といった・・・・

ということもありました。

中川賢一

せんくらブログ(1)

2014.08.22| 中川賢一

留学して帰国したての時の最初の仕事の話である。
それはピアノの弦の間にボルトやスクリューを挟んで音を変調させる「準備されたピアノ」=「プリペアードピアノ」の演奏の依頼であった。
会場は5000人位入るホールで、2人の歌手のコンサートであったが、ほかのメンバーは確か弦楽器5人、ピアニスト一人、あと「プリペアードピアノ」を演奏する私であった。

ジョン・ケージというアメリカの作曲家がいるが、彼はある時にダンスの伴奏で、打楽器アンサンブルのための曲を依頼されたが、打楽器を調達するお金がないということで困り果てていたその時に、ピアノの弦の間にボルトやスクリューを挟んでみたら、ガムランの音のような打楽器のような音がして、おまけに一つ一つ音程や音色が違うために、沢山の種類の、複数の打楽器を一度に持ったような感じになったそうです。おまけに演奏者はピアニスト一人、アンサンブルも完璧・・・ということでこれはいい!となり、それに作曲をして、ダンスの公演でも使用したというところから始まったらしいです。

さて、私も帰国後最初の仕事なので意気揚々と5000人の大会場へ向かって、楽屋口から入場しました。楽屋にはもちろん各々の楽器の名前の書かれた張り紙があって、「ヴァイオリン○○○様」、「チェロ○○○様」、などとあり、その次には「ピアノ○○○様」とあったのでとうとう私の楽屋だ・・・と思ってみると

「プリペイドピアノ 中川様」と書いてあった。
んんんんん?プリペイド?前払いピアノ?先に謝礼をいただけるのかな?・・・ともしかして先に謝礼をいただいたら帰ってもいいのかな?

こうやって帰国後最初の私の職種は「プリペイドピアニスト」=「前払いピアニスト」中川賢一となったのであった・・・

なかなか知られていない楽器の場合よくこういうことはあります。
もちろん主催者を責めることはいたしませんでした。

そういえば以前ニュースでチェロ奏者のことを「チェロリスト!」といったのをみたことがあったっけ・・・シューベルトのピアノ五重奏「鱒」もアナウンサーが 『シューベルト作曲、ピアノ五重奏、「シャケ!」』 といったのを聞いたことがありました。

クラシック音楽というのはなかなか一般に流布されていない用語が沢山あるのですね・・・
これからも普及に努めなければ・・・

プリペイドピアニスト中川賢一

暗譜

2013.05.28| 中川賢一

ピアニストはソロで演奏するときは普段「暗譜」(譜面を見ないで覚えて)で演奏する。

では、何故暗譜出来るのかはわからない。
むしろ本番で演奏している時もなぜ自分が暗譜で演奏できているのかも不思議に思える瞬間も多々ある。
普段使っている言語は文字になっていてそれを「セリフ」として覚えて話すのは何故か納得いくのだが、暗譜は白黒の鍵盤の上を指がかなり複雑な動きをしていて、それもいちいち鍵盤を打つのに「ド」「レ」とか言語化していたら間に合わない。

おまけに一遍に6個の音を出すことなどざらで、多いときは一遍に12個の音を10本の指で押さえることもある。
その時に「ド」と「ミ」と「ソ」と・・・などと考えていたら演奏などできない。

では、ピアニストは何故暗譜出来るのであろう。

あるピアノ教師の書いた本で、譜面を頭に完全に入れて(覚えて)どのように指が動いてどのようなタッチで演奏するか完璧にイメージできるまでにピアノには触ってはならず、それが出来たときにピアノに触れば完璧な演奏になる・・・
と豪語している教則本があるそうだ。
その噂を聴いて大学生の時に本当にラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を一切ピアノに触らず、うんうんうなりながら譜面を見て、指の動きをイメージしてやっとピアノに触ったことがあった。
その時はたしかに最初に触った時にうまく弾けたと思ったが、それは音が少なくゆっくりした曲という事もあって可能だったと思う。

これがラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の様な複雑な曲であれば不可能であろう。

ただここでの真実は、「暗譜」をするプロセスというのは様々なものが組み合わさっており、まずは何回も曲を弾いているとその曲の指の動きを体が覚えて、その通り動かしてみたらなんとなく譜面を見なくても譜面通りの音が出たというあたりから、外堀を固めて、何か足りない音、頭に残っている音を探ってみてそれを演奏してみたら合っていたという事が加味されてきて、視覚的に楽譜の残像が残っていて、それも頼りに演奏したらそれが合っていて・・・という触覚、聴覚、視覚の様々な集合体が「暗譜」を形成し、それが完璧にイメージできていれば演奏が成り立つ・・・というのは経験論で確かである。

少なくとも私の場合はそうである。

言葉ではない何か霞をつかむような「暗譜」の作業。
これもいつも以上の三つがお互い助け合って成り立っているように思う。

触覚で非常に不安になった時に頭に鳴った音を探ったり、音が頭で鳴らなくなり、視覚的にもどの音か浮かばないときに、一か八かで触覚に頼ったらしっかり演奏するべき音に指が降りているという事があったり、お互い様なのだ・・・

よく地方に演奏に行くときに練習場所が取れないことがある。
(ピアニストはピアノがないと練習できない・・・)
そういう時は目をつぶって曲の最初から最後まで音を思い浮かべ、譜面を視覚的に瞼の裏に描き、どんな指の動きか強くイメージして「練習」することがある。
勿論そこにはピアノはなく、場合によっては横になって寝ながら行う時もある。
ただこれが非常に効くのである。いざという時のために冷静に曲の演奏に関して頭で全てを整理するという事は非常に大事である。

熱くなってピアノを練習しているときは当然ノッテイルので、緊張した時の危機的状況など考えもしないし、いざはたと頭が真っ白になった時のことなど考えない。
しかしこのイメージトレーニングがいざという時のためのトレーニングなのだ。

ピアニストは楽器を持って歩くことがなく、いきなり会場に行って初めてのピアノに触れ数時間後には沢山のお客の前で、ソロの場合正味1時間以上のプログラムを披露しなくてはならないのだ。

そのためにも様々な方法で常日頃から特訓しておかなくてはならない・・・

中川賢一(ピアノ)

中川○一

2013.05.27| 中川賢一

私の名前は中川賢一である。読み方は「ナカガワケンイチ」だ。
しかしながら色々なことが起こる。

まず漢字の間違い。
「ケンイチ」なので「中川健一」「中川憲一」などで手紙が来ることはもちろんよくあることだが、どう間違うのかよく来るのが「中川覧一」だ。

「賢」の上左半分は同じだが、どうして右半分が「又」ではなくなってしまうのだろう。
下半分の「貝」が似た感じの「見」になるのも興味深い。

しかしながらかなりの頻度でこれが起こる。
某有名大学からの手紙。

私の名前をしっかり「ナカガワケンイチ」と呼んで頂いている方なのに感じは「覧一」様々な学校の訪問演奏に行っても黒板に先生が書いた私の名前が「覧一」になっていることも多い。

「ランイチ」君という名前はいまだあったことがない。
世の中いるのだろうか???
どのような意味で?様々な人の心を見る、観覧する能力を持ってほしいからそういう名前を付けるのだろうか???

しかし、「ランイチ」はまだ序の口で凄いのが。
「腎一」
「ジンイチ」???

「賢」のした半分の「貝」がどういうわけか変化して「月」に・・・
どうしたら親が子供に「腎一」とつけるのだろうか?
「腎臓の強い子供に育って欲しい」とか???
さぞ健康を気にする親だろうか?

しかし、事件は小学校の時に起きた。
私はピアノが弾けたので中学生の時に、とある合唱コンクールでとある地方放送局のスタジオで自分の出番を待っていた。
とうとう自分の出番がやってきた。

会場に合唱団は並び、私はピアノ椅子に座って指揮者が構えるばかりになった。

アナウンサー:「次の演奏は○○中学校、指揮は○○先生、
ピアノは中川ジンイチさんです!!」

次の瞬間指揮者がタクトをおろし私は演奏を始めた・・・
真面目に演奏しようとするのだが頭の中では「ジンイチ、ジンイチ、ジンイチ・・・」と雑念の聞こえてはいけない声ばかりが廻っていた。

有名アナウンサーでも読み間違えるのだ・・・
「賢一」を「ジンイチ」と・・・
まさか振り仮名が「ジンイチ」とはなっているはずもないだろう。

海外では私の綴りが「KENICHI」なので、よく「ケニチ」と言われる。
私をよく知っている人のみが「ケンイチ」と発音してくれる。
これはあまり気にならない。

ベルギーに住んでいた時は様々な手紙が来ましたが、日本人が少ないので、多少のスペルミスでも日本人らしいからと、私の所へしっかり手紙が届く。
「KENICHI」を多少間違えて「KENICHE」はよくあった。
「ケニチェ」・・・かわいいです。

「NAKAGAWA」の「K」が「D」になって「NAKADAWA 」
「ナカダワ」さん。これもよくあり平気です。
漢字にした時どうなるのだろう?「中田和」「仲田波」???

「N」が「M」になり「MAKAGAWA」「マカガワ」。
K.NAKAGAWAなのでNがぬけて「KAKAGAWA」「カカガワ」。
良くあった。

変化球で上記の混合型で「MAKADAWA」「マカダワ」もあった。
でも、一回あったのが「K.NAKAGAWA」の「N」が抜けて、「W」と「A」の間になぜか「S」が入ってしまい、何故か「K.KAKAGAWSA」

で手紙が着いたときは凄かった。
「K.カカガウサ」???
どこの人だろう。
謎のポーランド人かアフリカ人あたりだろうか???
でもよく届いた・・・
ベルギーの郵便屋さんはえらいです・・・
届けてくれてありがとうございました・・・

中川賢一(ピアノ)

私の素敵な共演者、コンサートマスター

2013.05.26| 中川賢一

みなさんこんにちは。ピアニストの中川賢一です。
本日から3日間せんくらブログを担当させて頂きます。
よろしくお願い致します。

さて今日は、共演者でいつも凄いと思うコンサートマスター、その中でも私が凄いな・・・と思うお二人の話をしたいと思います。

まず最初は仙台フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターの神谷未穂さんです。
彼女もご主人のエマニュエル・ジラールさんも非常に大切な友人であり、何よりもお二人は私が尊敬する素晴らしい音楽家です。
こう書くと本人に怒られるかもしれませんが、神谷さんはスーパー美人にも関わらず「旦那はエマニュエル、だから私は
エマニュエル夫人、ガッハッハー!」と笑い飛ばす、とんでもなく凄い方です。

さて、2011年3月11日私は東日本大震災を仙台の実家で遭遇しました。

その日は実家にいるのは危険と判断し、避難所で過ごした私は次の日に神谷夫婦に連絡。
中「まさか仙台にいないよね?」
神「いまエマ(旦那)と県庁でニュース見てる。家に食べ物もあるよ、来ない?」
というなかなかポジティヴな返事。
なんと震災二日目なのにバスが動いていた・・・
飛び乗って県庁へ。

しっかりと私の分の菓子パンもゲットしてくれた神谷夫婦とハグ。
生きててよかったね・・・と。
何と青年文化センターで仙台フィルのリハーサル中だったそうな。
シャンデリアが落ちてきたら確かに命はなかったかもしれない。

あまり時間を置かずして、県庁のあるところで大人同士が喧嘩を始めた。

どうやら携帯電話の充電に関してらしい。

A「なんでお前は一人でこんなに長く充電してるんだ!」
B「だって俺が先に始めたんだからかまわないだろう!」
A「なんで一人ばっかりそんな長いんだ?」
B「フル充電したいんだから1時間半かかるんだ!文句言うな!」
A「みんな待っているぞ! 一人だけ長くするな!」
(以下同様な会話エンドレス)

この会話に、火中の栗を拾いに行くように何故か神谷さんが
「あっ、すみません。もしよろしければ私が時間を書いて皆さんで充電するようにしましょうかぁ??」

唐突に猛進。
しかしながら、争っていた二人の男どもは、おとなしく服従。
凄い。凄い!凄い!!

これが、コンサートマスターという者か!!!
有無を言わせない。
結局彼女を中心として数人お手伝いも含め、11時から18時半まで県庁でタコ足に様々な充電器を付け、にわか充電屋さんに。
(そんなのあるのかわかりませんが)ゴザ代わりの段ボール紙に時間を細かく書いては
「Aさん充電終了です!いらっしゃいますか??」
「B社の充電器使用者が帰られるので、他の方B社の充電器お持ちの方しばらく貸していただける方いらっしゃいませんか?」
などどいう事を叫んでいました。
到底彼女のことを、かの仙台フィルのコンサートマスターと思った人はいないだろうと思います。
実際「県庁の方ですか?」と声かけられたりしたので、県庁職員と間違えられたのかもしれません。

あまりの傑作美談なのでアップさせて頂きました。

神谷さんと旦那様のエマとは、地震直後も一緒に他の演奏家の仲間たちと助け合い、最初の慰問演奏もしました。
これからも宜しく!

この時にやはり自分で思ったことは、非常事態でも人のために何かすることをする温かい心を持ちたい、また、逆にコンサートマスターというのは有無を言わせず人がついてくるようなカリスマの様な凄い力を持っている人がなるのだな・・・
と改めて納得しました。

さて、宣伝ですが5月31日19時より第一回仙台国際音楽コンクールヴァイオリン部門第一位であり、フランス国立放送
フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターのスヴェトリン・ルセフさんを交えての室内楽のコンサートがイズミティ21小ホールであります。
http://www.simc.jp/news/activity/concert/130531/index.html
神谷未穂さん、旦那のエマニュエル・ジラールさんも出演いたします。もしよろしければ皆さんお出でくださいませ!

次はそのルセフさんの話。
もう10年以上前になりますが、スヴェトリンさんが第一位になったコンクールの次の年、彼が「仙台の方と一緒に室内楽のコンサートをしたい」という言葉がきっかけとなり、それからほぼ毎年彼と何か共演させて頂いております。

彼と長野のとあるところに演奏に行った時の事。
その日は長野のある駅について(確か下諏訪だったような気がする)帰りの時間を確認するために、彼のマネジャーと一緒に切符を出してざっと確認した。

仮に次の日の11時発だと仮定しよう(記憶が定かではないので)。
それをなんとなく横目で見ていたスヴェトリン、突然
「切符見せて」
というではないか。

彼はもちろん日本語を読むことはできない。
なんとなく不思議な気持ちになっている我々がしぶしぶ切符を彼に見せて、また仕舞おうとすると再度
「切符見せて」
という。

?????
あまりの不思議さに再度切符を確認すると、その切符は次の日ではなくその次の日、つまり二日後の同じ時間11時の切符であった!!!

つまり彼は一瞬にして日本語はわからなくとも、算用数字の連続をちらっと見ただけで、一日間違った電車のチケットだという事に気づいて、それも我々を傷つけないように、我々で間違いを確認させるということをしてくれていたのだ!

我々は、すぐにチケットを駅で変更し(もしホテルや演奏会場に行っていたら駅まで戻る手間、時間がかかる)次の日に、日付違いのチケットを買ってしまったという事に対して恥もかかせず、マネジャーのメンツも保てた、めでたしめでたし・・・
というわけである。

このような超人的なものすごい能力を持っている方だからこそ、あれだけの人数を纏めることが出来るコンサートマスターになれるのですね!

さて、取り留めのないブログになりましたが、これからも仙台と素晴らしい仲間を愛し、一人でも幸せに出来るような音楽をしていきたいと思います。

せんくらのコンサートは皆さんがほっこり出来るようなほんわかした楽しい音楽会にしたいと思います・・・
では、皆さん演奏会でお待ちしております!
中川賢一(ピアノ)

中川賢一(7)

2007.07.07| 中川賢一

最後に仙台クラシックフェスティバルの初日に共演させていただくスヴェトリン・ルセヴさんのついてお話をさせていただきたいと思います。

私が共演させていただいた中で、彼は間違いなく最高の音楽家の一人と断言できます。

というよりも、尊敬の念がやまず、むしろ自分みたいなものがこんな素晴らしい人と共演してしまってよいのだろうかと思ってしまうことさえあります。

皆さん知ってのとおり第1回仙台国際音楽コンクール第一位、オーヴェルニュ室内管弦楽団コンサートマスターを経て、現在パリ国立放送フィルハーモニー管弦楽団のソロコンサートマスターです。

優勝した次の年に仙台市のコンクール委員会よりルセヴさんが仙台でコンチェルトを演奏する際、仙台のメンバーと室内楽をしたいというので、依頼されたのが彼と出会うきっかけだったと思います。確か彼の大好きなチャイコフスキーのピアノトリオだったと思いますが、その最初の音を聴いたときからショッキングでした。

それは言葉に言い表せないもので、それからというもの彼のファンとなってしまい、ことあるごとに共演の機会をいろんな方に作っていただいたり、作ったりしました。

彼の凄いところは音楽もさることながら、その人柄です。私の中のマイ格言で「ほどほどに凄い人はすぐ偉ぶったりするが、頂上にいる人は人格も素晴らしい」というのがあるのですが、彼は非常に頭がよいのですが、気さくで常にその切れる頭脳をひけらかさず、また家族を(素敵な娘がいる)非常に大切にし、友人を大切にし、常に好奇心旺盛で、常に日本食にチャレンジし、気分が乗れば内輪(うちわ)のパーティーでも喜んで演奏してくれる。リハーサルは非常に厳しく細かいが、決して人を傷つけない。

こうやって書くとあまりにもできすぎた人のようですが、バランスの取れている人はそれがあまりにも自然で、いわゆるフツーのひとに一見見えるのが不思議です。

あるとき長野に演奏に行って帰りの電車のチケットを私が見たところ、彼が「そのチケットを見たい・・・」というので「?」と思いあまり気にしませんでしたが、何回かいうので見せたら、実は私のだけが出発時間は合っていたのですが、一日ひにちが違っていたということがありました。まず数字以外は日本語、漢字でわかるわけも無く、見たのも一瞬だったのですが、それもさりげなく指摘するところが「ん~~~」とうなってしまいました。

世界のコンサートマスターは普通の観察眼だけではだめで、いつもどの国でもやっていけるエスパーみたいな能力があるような気がします。第一彼はブルガリア人で10代からパリに来て独学でフランス語を学んだそうですが、私の友人のパリジャンは「初めてルセヴに会ったとき外国人とわからなかった」くらいフランス語がぺらぺらだったとのこと。英語は当然ぺらぺらです。

彼は今年から2カ月おきくらいにソウルフィルのコンサートマスターも兼任することになったので超大忙し。でも日本に来やすくなったのでもっと頻繁に来てほしいです。今度はハングルが超うまくなってたりして・・・・

日本でもどこかコンサートマスターで呼んでくれる所はないのでしょうか???

さて、ここまで読んでいただいた方、本当にどうもありがとうございます。少々陰気な話もあり失礼いたしました・・・。まとまって文章を書くことも最近なくなったので、今の時点での思っていることを書かせていただきました。

しかしながら私が一番嬉しく楽しみなのは、皆さんとコンサート会場でお会いして、音を通して会話ができるかもしれないことです。是非皆さんコンサート、それ以外のときでも気軽に声をおかけください!

どうもありがとうございました。

中川賢一(6)

2007.07.06| 中川賢一

J.S.バッハ作曲
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第二番 ニ短調 BVW1004より シャコンヌ

この曲はおそらくある意味であらゆるクラシック音楽の最高峰のひとつとして数えることを否定する人は少ないのではないでしょうか。はじめのテーマが三十数回様々な形を変えて変幻していく様は、そのテーマのあまりの厳粛性のために、あたかも一人の人間(テーマ)が様々な人生の場面に出会うそのドラマのようだともいえるでしょう。

このヴァイオリン一本のための巨大な建築物に果敢と立ち向かったのが、ヴィルティオーゾ、リストの高弟、フェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)です。

この編曲はおそらくはじめはパイプオルガンが大聖堂に鳴るその響きを意識して書かれたのではないかと私には思われます。そこからピアノ一台で演奏できるように変えたのではないでしょうか?

その荘厳な響きと沢山の色彩はいつも私を魅了いたします。

この曲は自分が何かにぶつかったときにいつも助けてくれた曲です。
また、私事ですが、父が亡くなった直後に練習を始め、母が亡くなったときに毎日追悼で流していた曲です。

さて、音楽について言葉にするのは本当に難しく、すればするほど本来の美しさから遠くなっていく気がします。この辺で曲のお話は終わりにしたいと思います。

中川賢一(5)

2007.07.05| 中川賢一

仙台クラシックフェスティバルの中で私のソロを行う日は、当然といえば当然ですが、私の大好きな曲を演奏させていただきます。

フランスものはブログでも書きましたが、私の憧れです。

ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ・・・は私の今までを通して演奏してきた曲で、大学に入って最初に覚えた曲です。そのときライマー=ギーゼキングのピアノの教本にはまっていて、確か、「譜面を読んだら、どのようなタッチで、どのような表現で弾くか完全に意識できて、暗譜するまで実際のピアノに触ってはいけない」といったものだったと記憶しております。それを真に受けて本当に数日うなりながらピアノに触らず、覚えた曲です。

今ではもちろんさすがに、そのような覚え方は不可能ですが、何も知らないというのはある意味で怖いと思いました。自分の生活で、なにか壁にぶちあたったり、またはとてもいいことがあったときなど様々な節目に、いつも自分のために演奏してきた曲です。

母親のお通夜にも私の演奏の録音を流し、法要でも母の遺影の前で演奏した曲です。他にも様々な意味合いを持った曲です。

ちなみに、この曲のタイトルが思わせぶりですが、実は特にラヴェルの中で実際誰か「亡き王女」が存在していたわけではなく、フランス語で実際音声にした時にとても素敵な響きだったからその題名にしたといわれております。なかなかしゃれた名前の付け方ですね。これが「パヴァーヌ第一番」だったらここまで有名ではなかったかもしれませんね・・・この曲はとてもゆったりした曲なのですが、実際のパヴァーヌはもっと速いというのももともとの意味と違って、なかなか興味深いです。「パヴァーヌ」とは「孔雀の踊り」とも言われていて、そういった意味ではむしろラヴェルが作曲したようなゆったりとした音楽は題名にあっていると思われるのですが・・・昨年ブレイクした「のだめカンタービレ」でもオーケストラバージョンで流れていたそうですね。でだしのメロディーはホルン・・・実は私は中学校の時にホルンを吹いていました・・・何かと奇遇です。

ちなみにこの曲、彼がパリ音楽院在学中の作曲ですが、すでに彼のトレードマークにもなる曲を書いていたとはなかなかですね・・・

ドビュッシーのアラベスク第一番は「アラベスク」というのがそのままの訳だと「アラビア風」とでもなるのでしょうが、アラブから沢山輸入された絨毯が唐草模様で、素敵に線が絡んでいる様子を現しているともいわれておりますが、非常に素敵な曲ですね。「月の光」は説明の必要がないほど有名な曲ですが、何回演奏してもピアノの和音のポジションの配置の仕方に惚れ惚れします。

以上の曲はとても気持ちのいい曲です。時々思うのですが演奏会中に気持ちがよくなったら寝てもよいのではないかと思うことがあります。周りに迷惑さえかけなければ、お金を払って来ていただいているのですから・・・私のこの曲でもし気持ちよくなったら是非目をつぶり、「寝て」みてください・・・いびきだけはかかないように・・・・・

中川賢一(4)「符号」

2007.07.04| 中川賢一

突然暗い話になって申し分けありませんが、今年一月に私の母が亡くなりました。病気でしたが突然で、5日前に最後に会ったときもとても元気でした。突然呼吸困難になり自力で病院に行ったそうです。私は亡くなる前日(といっても発病の翌日)に駆けつけ一晩看病し、最後まで見取ることができました。

すでに8年前に父が亡くなり、兄弟もいないため、都合2回喪主を行ないました。

いろいろなことがあり、それなりにこたえたことも沢山あったのは事実ですが、ここで、それについての感傷的な話をすることが目的ではありません。

ただその前後にかかわった曲についてお話をさせていただきたいと思います。

母が亡くなる二週間前に私とヴァイオリンとのデュオの演奏会を聴きに来てくれました。これが彼女の聴いた最後の演奏会です。そのときはモーツァルトのK304を演奏しました。この曲はモーツァルトの母親が亡くなったときに作曲した曲といわれております。

亡くなる1週間前に友人が私にある曲の弦楽オーケストラへの編曲を依頼して来ました。曲は”Time to say good bye”でした。元気な母の顔をみた最後の日に、とある人のオリジナルで「さよならのさは桜」という曲のアレンジを完成しました。母が亡くなって最初の公開演奏ではドビュッシーのチェロソナタでした。ドビュッシーが直腸癌の宣告を受けた直後の作品と言われております。8年前に父が亡くなった直後の最初の演奏会も同じ曲でした。

葬祭時の最中に毎日練習しておりました。昨年、年も押し迫るときに、ある友人からミシェル・ルグラン作曲の歌で譜面が無いので聴き取ってコピーしてほしいといわれました。歌の曲で“Dans le même instant”という曲です。後半の詞です。

この瞬間に 地球の果てで 幾人もの兵士が 日の光の下死んでゆき
この瞬間に 他の誰かと入れ替わる それでも私たちは抱き合う
この瞬間に 飛行機は飛び立ち 子供は学校で その音を聞いて夢見る
この瞬間に 老人は息を引き取り こどもはため息をつく 男は20才
この瞬間に 人々は嘆き あるいは歌い 耄碌し 息を引き取る
苦しみあるいは祈る 時間に溺れ 空間に迷う
私たち二人は抱き合う それが生きること

昨年12月、クリスマスに私の唯一のCDが完成し、早速実家に沢山の段ボール箱とともに運ばれてきました。1ヶ月は母も聴く事ができたと思います。ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌやバッハ=ブゾーニ:シャコンヌが入っております。

私が、母危篤の合間に、実家に大事なものを取りに行ったあと、母の乗っていた車で再度病院に向かおうとエンジンをかけたときに「パヴァーヌ」が鳴り出しました。常に聴いていたようでした。ちょうどそのとき彼女は人工呼吸を入れることになり30分前まではしっかり話をしていましたが、私が着いてからは話ができない昏睡状態になっておりました。

現在これらの曲は自分の中ではとても大きな意味を持っております。
以上のことはある意味で予定されていたことではないのですが、世の中には不思議な符号があるなあ・・・と思っております。

中川賢一(3)

2007.07.03| 中川賢一

私は、ベルギーはアントワープというところで勉強していた時期があります。なぜそこに行ったかというと、もちろん素晴らしい先生にめぐり合えた事と、様々な方のご協力があったからこそ・・・と思っておりますが、もっと直接的な理由は食事と風土でした。

旅行ではないので、食事は毎日のことなので口に合わないと過ごすのがつらいと思っていたからです。また気候も、一度住んだらそこから抜け出すことはできないので重要でした。食事については私個人の独断では、ベルギーはヨーロッパの中で最高ではないかと思っております。ここで曲解されないためにも一言付けくわえさせていただきますが、「ベルギー料理」が「ヨーロッパの中で最高」と言っているわけではありません。もちろんムール貝や、ワッフル、チョコなど素晴らしい料理がありますが、それも素晴らしいとして、世界各国の料理が比較的高くない値段で食べることができるのです。

「高くてうまいのは当たり前」と私自身は思っておりますが、まずベルギー料理、フレンチ、イタリアンはもとより、ロシア、ギリシャ、トルコ、モロッコ、韓国、中華(広東、北京、四川、香港)、日本(寿司、定食、焼き鳥)、ベトナム、インドネシア、マレーシア、インド、クロアチアほか沢山の国の料理が私の家から歩いて30分以内のところにありました。かなりの店がかなりのクオリティで毎日飽きることがありませんでした。ベルギービールも見逃せません。400とも600ともいわれている種類のビールはほとんど地ビールで、ラガー系から、黒ビール系、果物のフレーバーによるフルーツ系など全く飽きません。ベルギー人はお金が無くとも週に一回は家族で外食をするとも聞いております。貯蓄はあまりないのですが、それでももらったお金は、まず食事に使うのが大好きなようで、皆さんおいしいものを食べるのが大好きなようでした。その人生を謳歌する態度に感動を受け、住んで学ぶことを決意したといっても過言ではありません。

この国は小さいため、税金が非常に高いのですが、その代わり相当の年金が入るために、退職を楽しみにしていて、老後は悠々自適です。いいレストランでお昼を食べているお年寄りも多いですね。失業保険もかなり充実し、医療も心臓バイパスの技術は世界屈指で、頻繁に手術が行われております。

次に気候ですが、ベルギーは基本的に「曇り」か「霧雨」しかありません。本当の快晴はほんの数時間のことが多く、雨も集中豪雨になることは本当にまれです。しかしながらいつも折り畳み傘は無いといけない・・・冬は朝9時半くらいにならないと明るくならず、15時には暗くなってくる(夏は逆ですが・・・)というところも、冬の鬱蒼としたものに対して嫌悪感をそれほど持っていない自分にとってはなかなかいごこちがよいものでした。なぜかそういった暗い空間では家にこもってじっくり音楽のことを考えて練習できるので、留学して自分の演奏を向上させてこようという者にとってはよい環境だったといえると思います。ストレスがたまったらおいしいものを飲んで、食べたらすぐにどこかに飛んで言ってしまう。そんな生活でした。

中川賢一(2)

2007.07.02| 中川賢一

私の中では仙台のイメージは冬です。空はいつでも曇り。こう書くと非常にネガティヴな印象を与えかねませんね。でも人間が一日中スカッとした状態にいることだけがその人にとって本当に幸せなのだろうか、アートを生成することにとって有用なのだろうかとも思うことがあります。私自身、実は幼年時代は、もしかしたら無意識のうちに今も、鬱々としていることが常で、ではその状態が苦しみであると自覚していても、自分にとって本当にいやな状態なのであるかというと「?」です。その鬱々とした状態の中だからこそ、私の思っている「深い」クラシック音楽をむさぼりたいとも思うのと、そのときに私に与えるネガティブをポジティブに変えようとする内的な変化はひとつの「希望」であって「希望」があるからこそ物理的に生きる原動力となるのかなあ、と思っておりました。どうしてもある種の動物や、虫のように食っちゃ寝、食っちゃ寝という生活を苦も無くできればよいのですが、人間はどうしても感情があるために、なかなか行動が規則的に行かない側面もあり、だからこそそのいびつな溝をもしかしたら音楽のようなアートで埋めていって、どうにかこうにか精神的な均衡を保っているのではないかと思う事さえありました。これもいつも鬱々としている仙台の中にいるからこそ味わえる、不均衡さの中での均衡を感じているからこそ思うことなのですが・・・つまり私は仙台に生まれ育ってよかったということです。

どうやら仙台は日本で何番目かに日照率の少ない、また天気を予測しにくい都市らしいです。この曖昧さと予測難の不安定さは嫌いではありません。

北の鬱蒼とした音楽、ラフマニノフ、チャイコフスキー、シベリウス、グリーグ、ブラームスほか、雪、時には吹雪と退屈なまでの雲の天井を想起させる音楽は非常に自分にとっては身近です。そういったにび色の中に沸き立つ長い持続を持った暖かい感情は私にとってかけがえのないものです。

それに対して以前はフランスの音楽は憧れでした。あの軽く色彩感に溢れた世界は自分とは全く正反対のものに思えました。私の知っているパリはそれに反して、華やかな街中とは対照に、天気はなかなか曇りが多かったと記憶しております。そのやはり「グレー」の世界の中に、時々垣間見せる鮮やかな光を見出そうとしたフランス音楽が自分の中でもふつふつと身近に思えるようになってきました。私の中でのドビュッシーやラヴェルは、単に響きが美しい、綺麗というだけではなく、もやもやした人間の感情を、名人芸的なプリズムによる美化で、黒いものも、グレーのも、白いものも色彩を帯び、与えられて甘味を感じさせられます。それが、いくばくか皮肉めいたユーモアが感じられるというのも、人間の多少否定的な回路を通した快感も、どちらも単に「感じる」ということであるために、自分の体内にある自然な感情の生理に対して嘘はついていないと思うと、実はストレートに快感を得ていると思うと、これももしかしたら仙台という土地で自然と培われた感情なのかなあと思うときもあります。

中川賢一(1)

2007.07.01| 中川賢一

みなさんこんにちは!ピアニストの中川賢一です。私は仙台に生まれ育ちました。大学時代は東京で、外国にも留学しましたが、いつのときでも自分の心のふるさとは仙台にありました。今回は3日間仙台クラシックフェスティバルに参加できて、仙台人としては本当に光栄です。

仙台に生まれてよかったことは本当に沢山ありますが、まずは食べ物と自然です。といっても私が育った子供のときと現在ではかなり違っていることも申し上げなくてはなりません。

「北国」・・・といっても今となっては大雪を見ることもなかなかなくなってきました。いま仙台を雪国と思っている方は少ないかもしれませんね。私は仙台の冬が大好きでした。

以前は冬になるとかなりの量の雪が積もり、長靴なしでは外を歩くことはできない状態で、頻繁にそりすべりをするために小さかったときも重いそりを抱えて坂のある林に通っておりました。当然手はかじかむのと、頬は真っ赤になって言葉も話せないほど体が硬直してしまうのにもかかわらずそりすべりをしていました。林の中の坂をすべると思わずスピードあまって、さらに奥の草むらの中まで突っ込んでしまい、一緒にいた友達が私のことを見つけることができないこともありました。今だったらこんな危険な遊びはさせてもらえないのかもしれませんね。そりすべりを終えて夕方暗くなって変えるときの心細さといったらなかなかのものでした。今のように電燈も沢山無いために100メートルごとの木の電柱にぶら下がるさびしい電球を頼りにとぼとぼ歩いていたと思います。おそらく小学校低学年からそのようなことをしていたと思います。今は「不審者」などとかで子供が一人出歩くというのは危険視されますが、私はそういった意味では危険だったかもしれませんが、みんなそうしておりました。その帰りがけ、親に怒られる19時くらいには、すでにそれほどの人影も無く、しんしんと降る雪の「音」を聞くことができ、また夕暮れのなぜか青白い全く足跡のない平面の雪の絨毯を見ているとミステリアスで、子供ながらに狂気のこもった空間は、怖いのにもかかわらず魅力的でした。ドビュッシーの前奏曲で「雪の上の足跡」という私の大好きな曲がありますが、このシュールな世界はすでに私の中では幼少のうちに、もしかして見ることのできるものだったのかもしれません。

今はすべてがある意味で豊かで満ち溢れています。しかも、いつでも明るい。冬の夜でさえ、煌々と電燈がともり常に車がはしっている状態は私の中では「暗くなった昼」です。すべてが眠り、死んでいる・・・常に自然に昼の「生」と夜の「死」という、もしかしたらあまりにも短絡的かもしれないが、生物の諸行を感じる空間を幼少時に味わうことができたのはとても幸せだったといってよいかもしれません。

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