この世は物語だし、音楽でもある

2016.08.14| 森下 唯

こんにちは。今日は「物語る音楽たち」とあわせて、「物語」について。
物語ってなんだろう、と考え始めるとややこしい。物語性というのは本や映画やゲームやその他、何にでも現れる。どこから現れるんだろうか?

言葉の中から、という答えを思いつくけれど、実はそうでもなさそうです。なにしろ音楽にだって現れる。

 

小学生だった頃に道端で見たポスターのことがなぜだか妙に記憶に残っています。

確かピアノの先生のところに向かう道すがら、赤信号で自転車のブレーキをかけたときでした。停止位置のすぐ横に貼ってあったのポスターに、私は何気なく目を留めました。それは交通安全運動のポスターでした。横倒しになったママチャリと、その籠から飛び出た野菜や牛乳なんかがアスファルトに散乱する様が写った写真に、「悲しみを増やさないために」みたいな標語が書かれているというもの。

転がっていた野菜は、カレーの材料だったような気がします。それを見た瞬間、やたら泣けてきたんですね。いろいろと想像してしまって。「今日の晩ごはん何がいい?」「カレー!!」みたいな会話から、喜ぶ顔を思い描きつつ野菜を選ぶ姿、鼻歌まじりに自転車をこぐ帰り道、――そして事故のしらせを受けた家族の衝撃まで、ありありと浮かんできました。

な、なんて悲しいんだ! その当時の私が、そんな自分のちょろさを自覚できていたかどうか……ともあれ自分にとっての物語がいかに自動的なものかを思い知る機会になったのでした。

 

瞬間を切り取ったにすぎない写真一枚をもとにして頭の中に物語が立ち上がってしまうというのは、人間の脳を優秀というべきかポンコツというべきか、業のようなものを感じさせる出来事です。何かと何かのあいだについつい関係性を見出してしまう人間の性質から、勝手に生まれてくるものが物語なんでしょうね。何かと何かが似ているとか、何かのせいで何かが起こったとか、そんなふうに周りの環境を分析して理解し、生き延びるために発達した人間の能力の産物だか副産物。

だとすると、もう人として生きていること自体があらゆるものに物語を見出す行為なので、そこからは逃れられないのかもしれません。

 

音楽の場合、こっちに出ていたひとつの主題があっちにも顔を出した、とか、帰ってきたときはこう変化してた、とか、音楽をまとめている構造そのものが、簡単に物語として見出されてしまうんですね。

音楽を物語的に扱うのは音楽としては不純では、とか思ってみたりはするんですが、どちらにせよ逃れられないなら物語性も音楽の持つ姿のひとつと捉えて楽しんでしまおう、というのが自分のスタンスです。

すべての源泉は人間の想像力。想像力バンザイ!

 

そうそう、いま映画『シン・ゴジラ』が話題ですが(めちゃくちゃ面白いよ)、こちらの総監督である庵野秀明さんの監督としての初期のマスターピースが『トップをねらえ!(GUNBUSTER)』というアニメです。芸大の大先輩でもある田中公平さんの音楽も最高で、プログラムにある『ガンバスター幻想曲』はこの劇伴をもとに再構成し、クラシック的な強度を持った作品を目指したものです。

 

4_star

ガンバスターは星々の世界のお話

 

 

『トップをねらえ!』、バリバリのSFなので万人向けではないのかもしれませんが、みなぎる想像力と熱は『シン・ゴジラ』に勝るとも劣らないものなので、気になった方はぜひご覧になって、涙と叫び声を迸らせながらせんくらの拙公演に足を運んでいただけたら嬉しいなあと思います。

ではではまた、公演でお目にかかりましょう!

 

 

 

 

森下唯(ピアノ)

クラシックはかなり特殊かも

2016.08.13| 森下 唯

3公演のうちひとつは、岡田鉄平さんとのデュオ。

 

岡田さんと森下には共通点がありまして、ふたりともスタジオレコーディングの仕事を多くやってきているんですね。スタジオ仕事の多くは、できたての楽譜をほぼ初見で演奏することになります。そして音源が完成してしまえば、その楽譜はもう二度と誰にも演奏されないことがほとんど。

かたやクラシックは何ヶ月、何年といった期間で準備をするのが当たり前で、いろいろな演奏家によって繰り返し取り上げられるのですから、ずいぶん違う世界です。

 

でも考えてみたら、たとえばバッハは毎週の礼拝用にどんどんカンタータを書いて、人々は毎回これきりと思いつつそのできたてを歌ったのだし、モーツァルトだってシューベルトだって仲間たちとほやほやの譜面で合奏していたわけです。同じ曲を長いあいだ練習しないと演し物にならない現在の「クラシック」の方がよほど特別な存在、ということかも。そうやって、ひとつの曲、いちどの演奏に人生のすべてが表れてるような瞬間が生まれ得るのが、クラシックのいちばんの醍醐味ではあるまいか、と私は思っています。

対してスタジオ仕事の醍醐味は、というと、たくさんの人に自分の弾いた音を聴いてもらえるところでしょうか。それも知らず知らずのうちに。記憶に残るあのワンシーンのバックで流れている音楽は、実は自分の演奏だぞ、なんてのは密かな楽しみになります。

ふふふ、誰も気づいてないだろうけどその感動の何%かは私の演奏の影響かもしれんのだぞ、なんてね。

 

3_studio

ピアノブースから見るスタジオ風景

 

 

映像作品の付随音楽はたいてい、1曲いっきょくはとても短く作られます。でも再構成・編曲などをしたら十分「クラシック」的なアプローチを受け止める強度を持つような素敵な作品もたくさんあると感じます。

一度きりの録音で忘れられてしまうのはもったいない!

最近は劇伴音楽の演奏会などが増えていますけど、基本的には繰り返し聴くので耳に残りやすい「ゲーム音楽」に限定の感もあり。それも当然ながらゲーム自体の人気が高くないといけないし……。

 

でも、生の演奏会が受け入れられるようになったというのはとても素敵なことだと思うのです。クラシックの楽しみ方って、ひとつの音楽をいろいろな演奏・解釈で聴く中で、その違いに味わいを見つけることでもある。サントラの原曲そのものだけじゃなくて、その編曲・生演奏を楽しむのは、同じく音楽自体の味わいを新たに見つけることにつながりますからね。

本当に素敵な音楽は、いつか作品全体とはある程度切り離されて、クラシック的に繰り返し聴かれるものになるかもしれません!

そうなったとき、「サントラ原曲の演奏もなかなか良いね」と言われるくらいの演奏ができるように頑張ろうと思います。

 

 

森下唯(ピアノ)

「埋もれた作曲家」はどれぐらいいるのか?

2016.08.12| 森下 唯

はじめまして、せんくら初参加となります森下です。

 

ありがたいことに(ちょっと大変でもありますが!)3公演に出演させていただけるということで、ちょうどブログの担当も3本、それぞれ演奏会内容にからめて書いてみることにします。

 

まずはアルカン・プログラムの話から。アルカンってのは誰だ、とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。この人はですね、歴史に埋もれかけていたロマン派時代の大作曲家! です。

 

数少ないアルカン写真のひとつ

数少ないアルカン写真のひとつ

 

クラシックって、よく知られた定番作曲家の曲ばかりが演奏されているイメージが強いですよね。でも実は、いまではすっかり忘れられた作曲家というのがものすごく大勢いるんです。大勢というのはどのくらいかというと……

たとえばIMSLP(著作権が切れた楽譜のスキャンをPDFで公開している大プロジェクトです)を見てみると、登録されている作曲家の人数は14319人(2016年8月現在)! ロマン派のカテゴリーだけでも9155人! 楽譜がちゃんと出版されているような人だけでもこんなに存在するんですね。スキャンされていない、どこかの古本屋で朽ちかけているような楽譜だってまだまだあるはずなので、これだって全体の何割にあたる数字なのかはわかりません。

 

いわゆる有名なクラシック作曲家がいかに特別な、一握りの存在なのか痛感させられます。こんな人数の中から選ばれて残るのって、ほとんど運みたいなもんなのでは? とすら思えてくる。ということは、知られていないだけで、名曲として有名になり得たような素敵な作品が大量に残っているかも!?

――どちらかというと、現代においても世間のメインストリームで大流行するような作品よりちょっとマイナーなものに魅力を感じてしまうことが多い自分としては、そんな“珍しい宝石探し”にはついつい興味を惹かれてしまいます。

 

しかし! 悲しいかな、勇んで「忘れられた」作品の森に踏み入ってみると大いにため息をつくことになります。やっぱり、知名度の高い作曲家たちというのは、決して運だけで歴史に選ばれたわけじゃないんだなぁ、と……。あんまり好きじゃないなあ、と思っていたようなあの作曲家のあの曲なんかも、こうしてみるとすごい曲だったんだ、と実感したり。

演奏家だって、生涯で演奏できる曲は限られるのだから、より感銘を受けた作品を扱いたいと思ってしまうのは当然のこと。ほとんど反論の余地なく偉大な作曲家が何人もいるんでは、演奏されるのが「いつもの面子」の曲ばかりになってしまうのもある程度は仕方ないようにも思えてくるのです。

そんな中で、アルカンはかなり特別な存在です。その作品の質は、同じ時代の「大作曲家」たちに引けをとらない。誰かの亜流でもないし、かといって決してゲテモノでもない。何より、おもしろい。そんなこんなで彼の音楽を通してすっかり彼と意気投合した気分になった私は、この人の曲を弾き続けていかねば、と決意したのです。

 

(CDまでつくってしまいました)

 

作品を通して勝手に意気投合した気分になる、っていうのはとても大事なことだと私は思ってまして、「この人の作品は自分がいちばんわかってるんだ!」みたいな気持ち(勝手な思い込み)をたくさんの人がそれぞれに抱いている、というのが世の偉大な作品の姿のような気がするんですね。

なので、私のアルカン演奏を聴いていただいて、「森下は彼の何もわかってない」でもなんでもいいので、アルカンと意気投合してくれる人が増えてくれたら嬉しいなあと思ってます。

 

もちろんできれば「森下はアルカンのことわかってるなあ」と思ってもらえた方が嬉しいし……実際のところ、アルカンの作品のことは私がいちばんわかってるんですけどね!(←勝手な思い込み)

 

 

森下唯(ピアノ)

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