第3回目

2015.09.30| 藤原真理

またまた個人的な内容ですが、最終回は私の好きな演奏会場についてです。

 

武蔵野市民文化会館小ホール、神奈川県立音楽堂、浜離宮朝日ホールなどを真っ先にあげたいです。

いつものように贅沢の限りを言いますが、各々のホールの特徴のあり方と演奏する曲目をマッチさせることが出来れば至福の一言。

武蔵野はバッハの無伴奏チェロ組曲を演奏する際に不可欠な音の立ち上がりの良さと透明度が最高、席数も文句なしとすべてが最高です。朝日ホールはチェロとピアノの編成にとって最適と思われる席数で客席の幅、奥行のバランスも素晴らしく、音質も明るく響き、音の通りも大変良い。

神奈川県立音楽堂は浜離宮よりさらに広く、奏者にとって体力気力が相当要求される席数と奥行ですが、木がたくさん使われた昔のホールの響きで、音の反射、通り方、音質も大変素直に明るく、ホールを語るときの基本線はここにあるといえでしょう。

先日、神奈川県立音楽堂で「音楽堂建築見学会」という催しがあり、昼前のコーナーで地元近隣の小学校3年の生徒さんがやってきました。

短時間でしたが客席だけでなく舞台の上にあがってもらって床板の振動等、直に体験をしてもらったのですが、ピアノの下にもぐりこんで座ったり、チェロの弓がぶつかりそうな距離まで取り囲み、「ワーッ、ブルブルしているーっ」とか、まことににぎやかで、共演のピアニストともども楽しいひと時を過ごしました。

午後には建築についての講演もなされて、大人の方々にも同じように舞台上を体験していただいたユニークな催しでした。

神奈川県立音楽堂にて撮影

神奈川県立音楽堂にて撮影

 

藤原真理

第2回目

2015.09.29| 藤原真理

私の夏休みはこういうもの:

 

演奏家という職業に関する約束を入れない6週間。

贅沢を言わせていただけるなら2か月間あるのが理想的です。

まず、緊張が解けて蓄積疲労が出てくるのに1週間はかかり、その後の2週間は時計も見ず腹時計で過ごすような自由度で過ごしたい。勿論楽器も触りません。

そういった日々が3週間目に入ると、不思議に何かが足りないという感覚が芽生え始めます。

遅くても4週目にはチェロを取り出し、初めて楽器を触った子供のころのようにゼロから指や耳、体全体と頭を再構築していきます。

このウォーミングアップに最低2週間ほしいのです。

初めて勉強する作品などの譜読みに取りかかるのはこの慣らし練習の半ばからです。

足し算をすると6週間になるでしょう!

ここ数年の私はこういった夏休みの取り方、過ごし方は出来ず残念な限り!夢の又夢に成り果ててしまわないようにもがき出しているところです。

 

藤原真理

第1回目

2015.09.28| 藤原真理

猛暑も過ぎ去り、気がつけば9月の日々がどんどん進んでいきます。

みなさん、お元気でしょうか。良い夏休みをお過ごしになられたでしょうか?

夏のヴァカンスというと私は真っ先にラテン系の人々を思い浮かべてしまいます。

経済的な余裕のありかたは人さまざまだけれど、それには関係なくしっかりと時間を確保してエンジョイするのです。

とくにフランス人はヴァカンスに行くために普段の仕事をしていると言ってよいほど。

30年ほど前のパリの街ではそこかしこの店が一斉に閉めるので、道路を行き来しているのは旅行者がほとんどというぐらい。

スーパーマ―ケットもしっかりと休み、道路を行きかう車の数も減り、じりじりと肌に照りつける太陽さえ気にしなければ、排気ガスの減少した町でのんびり歩きを満喫できます。

それが徐々に変わっていって、飲食店をはじめ、各お店が時差的に休みを取るようになり、ここ数年でそれが定着したようです。

開いているお店があるのは生活に便利ですが、あの静かだった町並も時に恋しくなります。

 

藤原真理

藤原真理(7)

2008.08.23| 藤原真理

エコロジーという文字を目にしない日はない近頃です。皆さんは何を自分に課しておられますか?人間、何も食べないでは生きていけないので、避けては通れない日々の食料のことから振り返ってみると、こんな具合です。

・台所の生ゴミは良く水気をしぼり、なるべく乾燥させる

・無駄な買い物、食べ残しはしないよう努力する

・分別ゴミはこまめに分ける・マイ・バッグは常に持参・・など。

私はマイお箸をバッグに入れて使うようにしていますが、間伐された木などから作られるのがおもだという割り箸は実際にどの程度の分量がそうなのでしょうか?スーパーのレジ袋も、石油から物を作る過程ででてくる不要物に近いものを利用しているので、袋にしないで不要物を処理するとなると余計に環境汚染になりかねないとか。ラジオの「夏休み子供相談」の子供達のように、「何々はどうなっているのですか?」と尋ねたくなります。粛々と続ける作業に、時に果てしなさを感じます。

[写真:富良野の「富田ファーム」、早咲きのラベンダー、7月9日に訪れたときのもの。]

 

藤原真理(6)

2008.08.22| 藤原真理

ホールが響かない時はどうするか。どういう傾向の響き不足かを可能なかぎり把握したら、あとは開き直りでしかありませんが、いくつかの注意点はあります。特に弦楽器は響かない場所では音の持続が大変で、無意識のうちにテンポが速くなりがちです。これを注意すると同時に、過度にゆっくりしたテンポも取らないようにします。音が豊かでないのに遅いと、意味なく弾いているように聞こえるためです。そして、基本が響かないのですから、よけいにピアニッシモの弱音に気を配り、すこしでも変化がつくように気を配ります。

響きが豊富な場合は、出した音の全部が響いてしまうので、ひとつひとつの音の粒が客席まで明解に聞こえるようにテンパを速くしすぎないように、弱い音をさらに弱くしてフォルテとの差を作ります。そしてピアノと一緒の作品では、ピアノのペダルの量を減らして、ワンワンと残響が残りすぎるのを軽減しなくてはなりません。

藤原真理(5)

2008.08.21| 藤原真理

みなさんも自分好みのものを色々お持ちでしょう。たとえば一杯のコーヒーを飲むにしてもどこそこというように、それぞれのものや場所へのこだわりなどです。演奏家としては、やはり、演奏する場所にこだわりたくなります。

ホールも楽器の一部といわれるように、その場所の特質からは逃れられません。適度な響き具合で、出している音が推進力を持って客席にとどき、それが演奏していて体感できる弾きやすいところ。あるいは、自分が出している音の返りが少なくて「のれんに手押し」状態で「労多くして実らず」とか、逆にワンワンと残響があって音が混ざりすぎるとか言うこともあります。当日のリハーサルで、舞台上のより良い演奏の位置探しをしますが、問題が全て解決することはありません。今日の現時点で、ここらあたりが最善であろうというという場所に定めたら、あとは、まな板の鯉です。音を出して、それを持続させることだけにエネルギーを使ってしまわないように気をつけて、演奏するだけです。

演奏会が済むと、チェロを弾くという偏った使い方をした筋肉のバランスを取り戻すために、運動をしたり、ハリやマッサージを受けます。右側だけが異常に固いとか、いつもと違う筋の張りがある、などなど、自分自身の体感でもわかりますが、治療師の先生からも同じ指摘を受けます。超がつく正直さです。

[写真:かもい岳温泉のハンモック。昼寝と読書に最適]

藤原真理(4)

2008.08.20| 藤原真理

古典の神様のようにいわれているバッハは、1720年代の当時でもまだ独奏楽器としてもてはやされるはるか以前であったチェロのために、無伴奏で組曲を書きました。画期的なことでありすぎたのか、作曲されてから100年ほどは作品自体あまり知られずに、どこかに埋もれていたようでもあります。実際は際限がない奥深さをもち、多くの可能性を秘めた曲です。スペインのチェリスト、パブロ・カザルスによって再発見され、チェリストにとっては無視できない、聖書のような存在になっています。

2番の前奏曲はロマンティックですが、4番の組曲は明るい調性で書かれているのに、弦楽器で演奏する身としては、気分は重い。調性のせいかどうか、楽器の発音の際に雑音が出やすいというのが最大理由です。そう思うのは私だけでしょうか。ここ10年ほどかけて、かなり改善はしましたが、解決した訳ではない。それこそ、いつかバッハのお墓に詣でてお礼参りがしたいと思うほどに文句も言いたい。でも、そう思う私にとっても、無数に近くある彼の作品のそこここには、心にしみいる和音と旋律があることも事実です。偉大なんですね。

若いときは特に血気盛んで決闘をして牢屋にぶち込まれたり、子供が大勢いて生活が大変だからお給金を上げてほしいと切々と領主宛に手紙をしたためたり、自分の作品の複雑な音型にオルガニストが指をもつれさせるのを見聞きしてげらげら笑ったり、という逸話を知ると、彼も同じ人間なんだと納得させられました。

[写真:アメリカ・マンモス・マウンテンに行く道中の風景のひとこま]

藤原真理(3)

2008.08.19| 藤原真理

ラフマニノフと聞いて、皆さんは何を真っ先に思い浮かべられますか?名前を知らなくても、甘美で親しみやすいメロディーはどこかで耳にされた方も多いのでは、と思います。崩壊しかけているロシア帝国からソヴィエト連邦へ移行する激動の時期にラフマニノフは生きました。音楽的な特徴を一言でいえば、チャイコフスキーの流れを引き継ぎ、調性と色彩感覚を重要視した人でもあります。今回仙台で演奏するチェロ・ソナタは、4つの楽章がそれぞれ際立った特徴を持ちながら、ロマンチシズムにあふれています。肩の力を抜いてお聞きいただくのが一番でしょう。

私事ですが、将来のいつか、彼の第二の故郷といわれる南ロシアにあるイワーノフカを訪れてみたいと考えています。

[写真:アメリカのヨセミテ国立公園、巨大セコイアの木]

藤原真理(2)

2008.08.18| 藤原真理

何もしないことが旅の目的であったリノの9日間は、友人の下宿「やまだ荘」到着の初日夜に、すでに怪しくなった。数年前にアメリカ西海岸のスキー旅をした折に同行してくれた在リノの知人が、やまだ荘にフラーと遊びに来て、「あのホテルの食堂のお魚料理は抜群だったねー!」といったのがきっかけだった。失礼ながら、アメリカの食事は、いつどこでも最高というわけにはいかない。お腹が空いていれば、ソコソコのものでも「おいしい、うん、おいしい!」と食べて満足しているが、「これは何?」というほどの吹っ飛んだおいしさは滅多にない。私達のスキー・グループのうち一人だけはお肉を選んだが、あとはランチの分厚いハンバーガーの反動もあってお魚料理を選んだ。2,3種類ある魚のどれもが、唸るばかりの美味、滋味あふれた作品だった。

私は元来、いつ、どこそこで、何を演奏したという事柄はほとんど覚えていないが、味については別だ。絶妙なおいしさを思い出して、友人ともどもしばし無言になった。何といっても夏休みで時間はある。車で5,6時間だし、ブラーッと晩御飯を食べに行ってみようかという友人の言葉につられた。3日後の週末の朝にのんびりと必要道具を車に積み込んだ・私はデッキチェアで寝転んでいたが・。友人は、使うかどうかも分からないバーベキュー道具一式から、もしかしたらまだ残雪で滑ることが出来るかもしれないと、スキー道具一式なども積み込み、私は残雪スキーときいて目が輝いた。運転手伝いとして、何事にも興味津々の留学生の一人も参加、合計3人で出発した。ちなみに、6月下旬でもリノは乾き、暑さは格別、30度は簡単に突破する。クーラーがない車での移動だが、義務が何もないので、何がどうなっても楽しい。道中は、せっかくだからと観光スポットで休憩しつつ、めでたく夜20時にはホテルの食堂に座っていた。場所はマンモス・マウンテンという、スキー場にある宿で、マンモス・マウンテン・インといいます。えっ、味はどうだったって?これ見よがしではない絶妙なおいしさは変わっていなくて、最高のひとときでした。シェフはシェフ・ココスといいます。近くまでお出かけの際は、是非お勧めです。

藤原真理(1)

2008.08.17| 藤原真理

このブログが掲載される頃は、みなさんは夏休みの休暇中か、あるいは時差的に休暇を組まれて8月後半か9月を楽しみになさっておられるか、どちらでしょうか。

私自身は今年の夏休みは早めに計画していて、6月の19日から9泊で、ネバダ州のリノに出かけました。スキー友達が経営している下宿荘で「何もしない日々」が目標でした。時計を見るのも最低限だけで、たいてい腹時計にしたがう日々。現地の気候は乾きの夏、ほぼ30度近くあり、日中には30度を超えるのが常で、朝晩は落ち着きます。筋肉の蓄積疲労を取るには、乾いた暑さの場所が最適です。筋肉が自然に緩んできて、疲れが出て、そのままのんびりと好きにしていると、回復してくるのです。庭の一角にあるデッキチェアを猫と取り合いながら、本を読んだり、眠くなればウトウトしたりの過ごし方です。たまにチラッと後半の仕事予定に関することも頭に浮かびますが、判断のつきにくい事柄は追求しないでそのままにして、直感と決断力が自然に戻るのを待ちます。

藤原真理(7)

2007.07.28| 藤原真理

1週間ブログの形で私なりの思い、考え、希望など雑多に書かせていただきました。お目通しくださった皆さんに心から感謝しております。

最後に、演奏会は良くも悪くも現在進行形で、2度と同じことは起こらない時間と場所です。その意味で人の人生と同じです。ブログを読んでくださり、もし興味を持っていただけたなら、クラシックの演奏会なんていったことはないという方々も是非一度足をお運びください。

藤原真理(6)

2007.07.27| 藤原真理

12ヶ月が1枚の紙に刷られた暦をもとに、日割りにした予定準備をこなしていく毎日ですが、ああだこうだといっても予定外の事態も起こるのが人の生活のようです。

学生時代から思い返してみるといろいろあります。不安が原因で練習をしすぎて、本番の日に指が疲れすぎているとか。さあ大変と客観的な視点を十分持ち合わせないで練習してしまうとか。大きな作品規模なのに準備期間を短く設定した、あるいは時間がかけられない日が多かったとか。こんなときは、そのままの事態を受け入れるしかありません。そうしたのは誰でもない自分ですから、清水の舞台から飛び降りるという思い切りしかありません。山登りと違って生命の危険はないのです。死んだ経験はないのでわかりませんが、死んだつもりになればもう怖いものはないでしょう。そして次に同じ失敗は繰り返さないように心に刻みます。

 

藤原真理(5)

2007.07.26| 藤原真理

私の気分転換についてお話しましょう。時間のある時とない時では、何をするかがまったく違ってきます。

時間のある時、それも2泊ぐらい出来そうな折は遠出します。半年に一度ぐらいは決行。前後がハードな場合は1泊にしてでも北海道、四国へ飛ぶほどです。ようするに都会の粉塵やコンクリート、アスファルト・ジャングルから逃れたいためです。たいていは暦を眺めて、このあたりはもしかして{もしかしなくても}自然の緑に染まりにいかないと心がアレルギー状態になるかなあと想像して、割引のキップがある時期と照らし合わせて事前に組んでしまうことが多い。そのかわり、それを馬の鼻先のニンジンとして、より集中して最善を目標に働きます。たぶん、ブーンという回転音を発しているかもしれないぐらいの勢いなので、近くにいる人たちは迷惑ですね、きっと。

時間のないときでも時間は作るようにして、運動のために通うジム行きの前にお店に立ち寄って物を眺めます。チェロの練習とは違う頭の使い方は休まります。本屋、東急ハンズだと、それこそあっという間に時間が過ぎますね。皆さんもご経験がおありでしょう。購入は急がないけれど長期的に推移をみておきたいものとか、出来れば2,3ヶ月以内に欲しいが、現状をまず把握したいとかです。日進月歩の日本の製品は目を見張る速さで変化していくので、たまには決断が遅すぎて製品自体がなくなってしまうこともあります。しかしそれはそれで諦めがつきます。納得のいかない物を生活の中に安易に入れたくないというのが本音です。

このように書いてくると私という人間は常に何か考え、準備しているように思われるかもしれませんが、本来は趣味が昼寝、何もしないでボンヤリが大好き人間です。チェロの演奏をするという現役生活をあと何十年続けられるかという大目標があるので、ジムでの運動、出かける余裕なしの時は自宅での体ほぐしが趣味のようになり、実際に不可欠なものとなりました。冬場は毎月のように通うスキーも定着して長いです。スキーは頭の中が真っ白になるのがいい。滑り出すと余計なことは考えている暇がないというのが良いのかもしれません。すがすがしい空気の中で足裏の皮膚感覚がジンワリと目覚めてきた時は大満足です。学習するスピードは遅いのですが、すぐには出来ないという事態には慣れているので問題ではありません。

自分の住んでいる町でも、好天気の早朝だと様相はいっぺんします。静かで空気はおいしい。生き返ります。したいことはたくさんあるので、人生、忙しくしている暇はないですね。

藤原真理(4)

2007.07.25| 藤原真理

演奏会の前日から当日はどのような注意をしているかというと、さほど特別なことはありません。前日にお稽古を疲れ果てるまでしなければならないようだと、翌日の出来具合も思いやられます。普通に準備が出来ていれば、最低限必要な練習を落ち着いてして、あとは気分転換に努めます。運動に行くことが多いですね。

演奏会当日は郵便作業や掃除、片付け、不用品の選別などはもちろん、メールの返事も急ぎのもの意外はしません。電話は普段も取ることは少ないのですが留守電に頼ります。演奏に使う腕や指の筋肉、細かい筋の具合が、要するに疲れる。違う使い方のあとでは切り替えが容易でなく、精神的にも集中度が散漫になりやすいためです。寝不足、食べすぎ、笑いすぎ、話しすぎも避けたい事柄です。

会場でのリハーサル時間はいろいろです。初めての場所だと少し余裕をみて演奏会開始の3時間前ぐらいには入ります。何度か演奏経験があるホールだといくらか短め。同じ曲目で演奏旅行をしている時は、初めての場所でも短めにしていきます。その場の響きに耳が慣れて、曲の細部の手直しとかもして、ピアノも実際に演奏するピアニストが鳴らして、楽器自体が目覚めるだけの時間があれば十分になってきます。

一つ忘れていた大事なことがあります。どんなに短くても、リハーサルのあと楽屋で背中を休めるのに水平になります。組み立て椅子を並べただけでも、あるいは机の上にでも横になって目を瞑ります。2、30分あると一瞬ですがふっと眠ることができて、頭がすっきり!時間があると60分昼寝することもありますが、それ以上は避けます。休んだあとは軽いストレッチをして、身支度を整えて、指慣らしをごく短時間して、「いざ」本番です。

藤原真理(3)

2007.07.24| 藤原真理

演奏をする場所も楽器の一部です。音楽専用に建てられたもの、そうでないもの、あるいは又、部屋の1室であったり、ロビーであったりと、近頃は大小にかかわらず、さまざまな場所で生演奏が行われるようになってきているようです。嬉しいことですね。

音響、音の響き具合はどうか。良い面、悪い面と、やはりさまざまな有り様です。我儘勝手、独断で言わせていただくと、ほとんどすべての好条件がそろっているというのは稀です。何の作品が、どのような編成で演奏されるかによって、聞こえ方が違ってもくるのです。ピアノのソロなら良いけれど、弦楽器は少し残響が足りなめで乾いた演奏に聞こえるとか。弦楽合奏はよいけれど、オーケストラの規模になると音がワンワンするとか。残響があるのはよいが、客席の場所によって不明瞭になりすぎるとか。

私はチェロなので、残響が少なくて音が予想している時間残らない場所は苦手といえます。響かないと分かっている場所に出かける時は腹をくくっていきますし、自主公演はそのようなところでは行いません。理由は明白。音の持続に力と神経を大半使ってしまうようでは、表現の工夫どころではなくなるからです。といって聞こえるからよい、響けばよいというわけでもない。お風呂場的な響き方は困りますね。何をどう調節しても明瞭に音楽の動きが伝わらないためです。また、さらに、演奏者から客席に音が通っていって、その返りが舞台にいる私たちにある程度返ってこないと、手ごたえを実感しにくいために余計な消耗をします。客席では十分、音量も音質も楽しめるといわれても、奏者のほうは頭を切り替えないといけません。のれんに腕押しという感じになるのです。

初めて伺う場所では期待と不安いりまじり、「さあて、どうかな」と腕まくりしながらリハーサルにのぞみます。

 

藤原真理(2)

2007.07.23| 藤原真理

最初の一音でほぼ全てが決まってしまうといっても過言ではない演奏ですが、では、そんなに神経を集中して演奏する曲、その選びかたはどうなのか。

まず第一に音楽的に共感をもてない作品はだめなようです。パラパラと楽譜を見て、よさそうかなと思ったものを入手する。音符をひとつづつ読み、指使いを探していく「譜読み」の段階に進みます。演奏効果がいまいちかなと思われる作品があったとして、音符が自分の指や腕、頭に入ってきて興味が増していくことはありますが、必ずそうなるともいえません。

正直に告白すると、私の運動能力があきらかに適していなくて無理という作品も無数にあるでしょう。最低一年間、他の仕事を入れないで時間を作って練習したいなと思う作品も多々ある。一応演奏できるようになるかならないかは勿論、作品の長さにもよりけりです。オーケストラとの協奏曲で初めてのものだと、最低一年前から開始が必要です。数分の小品で曲想が初めから的確に捉えられていれば数日でも可能です。短い曲でも技巧的に手がこんでいて、それが音楽的に自然に聞こえなければ演奏する意味がないものだとやはり半年、一年の時間が必要なのです。そしてそのあとは、実際の演奏回数がものを言います。練習して、演奏会にかけて、寝かせて、取り出しての繰り返しで音楽が熟してきます。まれに、自分で改善できたと思っていて、実際は悪くなっている場合も起こるので、決して油断はできません。といって弱気でいつづけるのも良い結果をうみません。むずかしいですね。でも、簡単にいかないから逆に、常に熱意を持って取り組めるのかもしれません。

ひと昔前の言葉で言えば、人生の折り返し地点を過ぎた私です。改善された面があるとはいえ学習するが遅いので、長生きしなくてはとても帳尻が合いません。

 

藤原真理(1)

2007.07.22| 藤原真理

(C)Atsuya Iwashita

みなさんはどのような時に音がほしい、音楽が聞きたいと思われるのでしょうか。人はまったくの無音の世界では長く耐えられない、大げさに言えば生きていけないといわれていますが、このような極限状況はなかなか想像もつきにくい生活を普段の私たちはしています。

アスファルトやコンクリート・ジャングルに取り囲まれた都会を離れ、自然の営みの音が聞こえる場所、さらにもっと遠い地の果てにいったとしても自然の音はあるはずです。たとえば、あたり一面氷の世界で張り詰めた大気はどうなのか。砂漠で照りつける太陽は音にはならないのか。残念ながら私自身は砂漠でも氷の世界でも極限に近い体験はまだありません。

20年以上前になりますが、シャホフスカヤというロシアのチェリストに何回かレッスンを受けました。その折りの彼女の言葉で、思い出すたびに強烈な一撃を感じるものがあります。「何も音が聞こえない静寂を知らずして、どうして音を作れるの?生み出せるの?」

物心つくかつかないかの頃の日々は別として、私自身はチェロから安易に音を出したことはほぼありません。無心に弾きだしてそのまま音楽がうまく流れていく、音符が目に入れば自然に指が動くというタイプではないからだとも思いますが、彼女の言葉は痛烈なものでした。

今でもその意味するところ全てを理解して把握したわけではありませんが、年々重みを感じます。聞いてくださる方々を前にして楽器を構えて最初の音を出す・・実際には私の中で音楽はもう始まっているのですがそれはさておき・・最初の一音でおよそのことがわかり、続く部分を左右もする、それが音楽の音です。

演奏家という職業を選んだ私ですが、自分自身がどんなときに音楽を聞きたいかというと、あまり頻繁に聞きたいと思いません。普段練習がすむと音はもうたくさんです。休み中でも身体から「音楽っ気」がとことん抜けない限り、楽しみのために聞こうという気にはならない。でも、こういう場合もあります。自分でしなくてはならないけれど煩雑で疲れさせられる本業に関する雑用で{こういうのは雑用とはいわないのかもしれませんが}ストレスがたまったりすると、気分を変えるために気にいっている奏者のCDをかけたりします。どういう曲を聞くかは、さほど問題ではなく、音が発せられた瞬間から表現の強さと魅力がある演奏者のものを欲してしまいます。そんな音を耳にするとたちまち癒され満たされて、また頑張るぞという気になる。不思議ですね。

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