締め  

2011.08.24| 高橋正典

本日がせんくらで書かせて頂けるブログの最終日となりました。
色々書かせて頂きましたが、こんな公のブログを書かせて頂き、本当に光栄でした。
正直、公のブログなのにちゃんとした美しい文章でないので少々不安もありましたが...

10月2日来て下さい。
といっても、ありがたい事に売り切れらしいですね。
10月2日に来れなかった方は、是非とも岩沼市の第九、12月18日に来て頂ければと思います。

塩竈に引っ越して1年8ヶ月。いまの自分があるのは、塩竈の方々、仙台の方々のお陰だと信じております。
東京での仕事も増えてきましたが、宮城県民として今後も宮城県に音楽を通してよい影響を与え、社会を活性化できればと思います。
若輩者ですが、どうぞ宜しくお願い致します。

最後になぞなぞです。
スウェーデン出身のソプラノ、ビルギット・ニルソンはその素晴らしい歌唱力のみならず、ユーモアのある歌手としても有名でした。
そんなビルギットにレコーディング中にどっきりを仕掛けたのですが、それはどんなどっきりでしたでしょうか!?
ヒントはワーグナーの神々の黄昏のレコーディンセッションリハーサルで起こりました。
オペラを知っている人はわかるでしょう~。

答えはwww.masanorize.com で。笑)
高橋正典(バリトン)

 

僕の夢  

2011.08.23| 高橋正典

日本に本帰国をする前に、僕は夢を描いてきました。
基本的に16−29歳までの間(途中少し日本に帰ってきましたが)青春時代、自分を形成する時期をアメリカで過ごしたので、アメリカンドリーム、夢は大事にしています。

僕の人生の夢は、オペラ歌手としてロバート・メリルやディミトリ・ホヴォロストフスキーの様な、魅せることが出来る歌手になる事です。

この夢に向けて日々努力をしており、一日たりとも怠った日はないと思います。
塩竈だからとか、仙台だからとか、東京だからとかで、芸術は場所が関係しているとは思いません。
意識次第で、どうにでもなると思います。

ですが、夢は一つだけではありません。
僕はもう一つ仙台塩竈で実現したい夢があります。
それは、コーラスで、一般の人からゴスペルという音楽で自分を解放させてあげて、表現する楽しさや生きる楽しさ、そして目指すはニューヨークやヨーロッパでも通用出来る音楽を作る事です。
言うのは簡単ですが、もの凄くこれは大変な事です。
僕はゴスペルのスペシャリストではありませんが、発声や発音は専門的に細かく指導できます。
日本語の発声から抜け出して、如何に西洋風な発声を身につけさせるか。
というのが大きな課題になっています。

しかも、これを東京ではなく、地方でプロではなく一般人がやるのに価値があると考えております。

2011年10月16日に塩竈市壱番館遊ホールにてこの夢に向けた大きな一歩があり、僕が指導しているコーラスが3つ集まって、ファンキーなコンサートを行います。前半が日本語の曲で、後半が英語の曲、ゴスペルです。
自分の夢がこれでかなったといは全然言えませんが、大きな第一歩となっています。

コーラスでいうと、外人のコーラスを作るという夢や、オペラコーラスを作るという夢がありますが、時間をかけてゆっくりと行いたいと思います。
どうか、僕の夢を優しく見守って頂ければと思います。
高橋正典(バリトン)

塩竈と食文化

2011.08.22| 高橋正典

塩竈に引っ越してきて、一番気に入っているのはお寿司が美味しいことですね。
あと、ラーメンにしても、海産物にしても、イタリアンにしても、フレンチにしても、はたまたカツ丼にしても、とても美味しいお店が多いです。

レストランの数の割合に対して、美味しいレストランの数が多く、グルメな町といっても良いと思います。
震災の影響があったにも関わらず、レストランで働く皆様の頑張る姿勢をみて、自分も頑張ろうとパワーを頂きました。
津波がきて、行きつけにしていたお店が被害を受けたりしましたが、経営者として大変な決断をされたと思います。

塩竈にきたらお寿司以外にも美味しいレストランがあるので、是非どうぞ~。
高橋正典(バリトン)

震災−3  

2011.08.21| 高橋正典

震災は全てネガティブな力だけで終わっただけではないと思います。
ポジティブな力も生みました。

この震災で助けたり、助けられたりし、改めて人の結成力の強さや、人間愛の大事さについて学びました。

東北、日本を代表する宮沢賢治さんはこう、ポラーノの広場という物語で訴えました。
ユートピアは探し求めるものではなく、自分たちの手をつなぎ困難を乗り越えていく心の中にある。
つまりユートピアとは手をつなぎ助け合う精神がある社会である。

被災して、宮沢賢治さんの言っている意味が理解出来た気がしました。
根本的に日本の良さはやはり団結力であり、手と手をつなぎ困難を乗り越えていく、そしていけるのが日本人だと僕は思います。

これからも復興に向けて、日本人の良さを生かし、みんなで手と手をつないでいけばどんな困難も乗り越えられると思います。
髙橋正典(バリトン)

震災−2  

2011.08.20| 高橋正典

僕でさえ愕然としましたが、僕以上に愕然としたのは義父でした。
家は三階建てで、一階に義父が営んでいた接骨院があり、二−三階は二世帯住宅になっています。
家は義父が生涯をかけて建てた家でした。

そこには思い出も、気持ちも蓄積されていました。
ですからそのショックと言えば想像を超えるものでした。

最近聞いた話なのですが、自宅の斜め向かいに内科があり、内科の上から先生が津波の時に様子をみていたそうです。
自宅は道が重なる角にあり、津波は道を通って流れてきたそうです。
そして斜め向かいのかまぼこ屋さんの後ろの建物が津波で流されて、自宅にある看板を直撃したそうです。
もし、看板がなければもしかしたら家の被害はもっと大きかったと思います。不幸中の幸いです。

3月12日、自宅の津波の被害をみて、初めて自分は被災者なんだと感じました。

自宅は暫く使えなかったので、親戚の家に泊まらせて頂いたり、車の中に泊まったりして、最終的には接骨院の別館が下馬にあったので、そちらの方で自宅に戻れるまで3週間近く避難しました。
髙橋正典(バリトン)

はじめまして

2011.08.18| 高橋正典

皆様はじめまして。
私、高橋正典と申します。
生まれは千葉県市川市ですが、色々な場所を経て2009年12月から宮城県塩釜市に住んでいます。

田舎からオペラ歌手がやってくる、をモットーに活動しております。
昨年に引き続き今年もせんくらに出演させて頂ける事になりました。
宮城県民として心から感謝しており、宮城県にも変わった人がいるというのをアピール出来ればと考えております。

今年のせんくらは第九という大役で出させて頂けるのを心からの喜びと感じております。
ソプラノの菅英三子さんとテノールの水口聡さんと初共演になり、プライベートでもお世話になっております、アルトの高山圭子さんとご一緒させて頂けるのを、首を長くしてまっております。
このコンサートは一回きりですが、一回にすべてを集中して頑張りたいと思います。

指揮者は山下一史マエストロ。
マエストロ山下とは仙台オペラ協会のオペラ「鳴砂」でお世話になりました。
とてもヴァイタリティー溢れた情熱的なマエストロ。
そのエネルギーは一体何処から出て来るのか練習の度に考えていました。
仙台フィルハーモニー管弦楽団との共演となり、宮城県の音楽家同士で熱い演奏が出来ればと願っております。

これから数日間ブログを書かせて頂きます。
どうぞ宜しくお願い致します!
高橋正典(バリトン)

震災−1  2011.08.19

震災から五ヶ月と一週間がもう過ぎ去ってしまいました。
僕の中で時間は震災後、時間の感覚が少々鈍ってしまっているみたいです。
あっという間の様な、長かった五ヶ月と一週間となりました。

震災が起こった時は、僕は仙台中央音楽センター504号室にいました。
その週末に予定されていたバッハアカデミーのコンサートに向けて、練習を行っていた最中での被災でした。

大きな事故や災害と言えば、9−11のアメリカで起こった時、僕はアメリカにいました。
ロサンゼルスに当時住んでいたものの、実際に体験したとは言いがたいものでした。

今回の震災は、いままで経験した事がない事が自分におき、現実として受け入れるのに時間がかかりました。

3月11日は停電などで仙台から自宅の塩竈まで戻るのには難しいと考え、レストラン・パリンカに一泊させて頂けるようにお願い致しました。
そして3月12日に塩竈に戻りました。
家族は親戚の家に泊まらせて頂いており、実際の家には帰らず、親戚の家に直接いきました。

利府街道を通って塩竈まで戻りましたが、途中火力発電所が燃えているのをみたり、家が崩壊しているのをみたりして、改めて地震の凄さを感じました。

無事に家族と会えましたが、どうやら津波が自宅まできたらしいとの事でした。
危険を承知で自宅まで歩いていく事を決めました。
道中深いヘドロの中、瓦礫が散らばって道がなくなった道を歩きながら家に向かいました。

家の外装は悪い状態とは言えませんでしたが、自宅の一階が天井下10センチまで津波がきて、窓ガラスは割れ、ヘドロとゴミで一階は覆い尽くされていました。
中には50センチを超える大きなボラも家の中にいました。

そんな状況のなかただ僕は愕然とするしかありませんでした。
髙橋正典(バリトン)

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