山下洋輔(7)

2008.10.11| 山下洋輔

いよいよ本番直前です。

今、前日のリハーサルに向かう途中の新幹線の中でこれをMacBookで書いています。PHSの発信機をつけてどこからでも通信もできます。携帯電話も持っていて最近ようやくメールも写メも出来るようになったのですが、こちらは滅多に使いません。

さて「Explorer」の最終楽章ですが、これはまさしく終末を含む内容になりました。そのアイディアを得た瞬間ははっきり覚えていて、それはパリのホテルの部屋で夜中に目が覚めた時です。パリには友人の画家松井守男の個展見学の為に来ていました。「ベルネム・ジュンヌ」というゴッホの個展を最初にやったという名門画廊で、いつものように松井の絵から大きな刺激を受けました。翌日には郊外に住む従兄弟を訪ねました。この従兄弟の四柳与志夫は、生命科学の研究でフランスの研究所に来て日本に帰らず80歳を超えています。長老として尊敬されノーベル賞級の研究をしています。会ってすぐに分子生物学や素粒子や宇宙やビッグバンの話を聞かせてもらいました。ビッグバンの想像上の写真というものがあることも知りました。この時に、昔初めてSF小説に出会った時のどきどきする気持ち、センス・オブ・ワンダーがあらためて強く甦ってくる感覚を覚えたのです。

これがちょうど第3楽章を構想している時期だったのですね。さまざまな刺激が夢の中で再構成されたのでしょうか。夜中に目が覚めた時にはっきりとしたアイディアをつかんでいました。それは自分が宇宙に飛び出し、旅をして、さまざまな生物に出会い、やがて時間をさかのぼってビッグバンに遭遇して消滅する、というものです。そのさまざまな生物を、木管、金管、弦、打楽器というオーケストラの要素に対応させて、夫々としっかり出会って対決しようというアイディアも同時に得ました。

当然、ビッグバンとの遭遇と消滅が大クライマックスになりますが、ではその後はどうなるかという問題が残りました。

ものすごい偶然ですが、ちょうど今、日本人学者の受賞で話題になっているノーベル物理学賞のテーマが「ビッグバンのあとにどうして我々の宇宙は存続しているのか」というものだそうですね。それなんですね!

私も同じテーマで悩んだのです!! そして、ある解答を提示しました。

そのことをお話しする前に第3楽章のストーリーをお伝えしておきます。竹林の中を通り過ぎる風の音のようにピアノとオケが浮遊し、やがてピアノがテーマを提示します。このテーマは「展覧会の絵」のプロムナードのように場面の転換部に必ず出てきます。

やがて4発のロケットブースターの炸裂によって私は宇宙に放り出されます。途方にくれているところに、まず出てくるのが木管楽器による「猫生物」です。このテーマは、前にも触れた私のニューヨーク・トリオ結成20周年記念アルバムのタイトル曲「トリプル・キャット」です。次に弦楽器による無窮動のような「地底生物」に出会います。次が金管楽器で、ここでは素粒子や原子核がはじける光景を目撃します。そして最後に疾走する打楽器生物に出会い、やがて時間をさかのぼってビッグバンに遭遇し消滅します。

さてその後どうなるかですが、ビッグバンによってこの宇宙が始まったというのが定説ですから、次の瞬間には宇宙ができ始めなければならない。どうやってこしらえるのか。ここで、もはや頭の中がミクロマクロ極小極大、粘菌増殖素粒子消滅、猫にミミズにバクテリア、星雲爆発重力崩壊、という脳神経シナプス暴発状態になっていた私は、とんでもないことを考えました。それは今まで作った自分の曲ですべてこの世を満たしてしまおうというものです。あきれた誇大妄想です。「この世は自分が作った」と言いはっている人と同じかもしれません。しかし、どのような想像も創造もできる音楽の世界だからこそこれは許されると信じて突き進みました。

その場面で最初に現れるのはオーボエ・ソロの曲「A Letter To Lady Rabbit 」です。以下28曲の自作曲が現れて時空を満たしていきます。最後の方には35年以上前に作った初アルバムのタイトル曲「ミナのセカンド・テーマ」がトランペットで高らかに響きます。絶妙のタイミングなのですが、これをここに配置したのは編曲者の挾間美帆です。この箇所の曲の順番や配置や、どうやって響かせるのかは、第1曲目を指示した以外は全て彼女のアイディアにゆだねました。

 

実際この第3楽章は、他にも多くの箇所が彼女のアイディアで作られています。彼女は伴奏音楽にも優れていて、イギリスのDartington International Summer Schoolに参加しているほどですので、先程来述べているストーリーを伝えながら楽譜や音源を届けました。「ビッグバンの写真」の載った本も手に入れて、一緒に眺めました。「この写真のような音が欲しい」という相変わらずの無茶な要求に見事に答えてくれています。せんくらの本番には残念ながら挾間美帆は来られませんが、その素晴らしい音の全てをどうかお聴きとどけください。

ここまで書いて、リハーサルに臨みました。さすがに山下一史マエストロと仙台フィルの呼吸はぴったりで、いつのまにか私のわがままな新曲が旧知のレパートリーのように余裕を持って響くようになっていました。メンバーの方々が思い切って挑戦をして下さる場面もしっかり伝わってきて、本当に気持ちよくやらせていただいています。本番が待ち切れません!

リハが終わって廊下を歩いていたらヴァイオリンの漆原啓子さんに遭遇しました。1986年にこの方の率いる「ハレー・ストリング・カルテット」で自作のピアノ五重奏曲をやっていただきましたが、それが今日に繋がるクラシック・プレイヤーとの共演プロジェクトの第一歩でした。恩人です。明日聴きにきていただけるかもしれないとのこと。あちらの本番は夜に「四季」なので、それを私も客席で聴けるという相互交流が実現しそうです。こんなことが起きるのも「せんくら」ならではですね。

それでは、本日はどうかごゆっくりお楽しみください。明日12日にはソロピアノも2回ありますが、これは大仕事の後のゆったりした気持ちで取り組めるとても嬉しい時間です。

ブログを読んでいただいてありがとうございました。

 

しかし、ブログを読んで興味を持ったが演奏会には行けない、という方もおられるかもしれませんね。

その場合にも実は朗報があります。

 

このピアノ協奏曲第3番「Explorer」初演の演奏がCDになって発売されることになりました。

Avex Classicsから12月24日発売です。

どうぞそちらでもお聴きください。

よろしくお願いいたします。

 

山下洋輔(6)

2008.10.10| 山下洋輔

「Explorer」の第2楽章は、ゆっくりとしたピアノソロから始まります。最初に出てくる特有の和音進行に最後までこだわりますが、これはヴァイオリンの松原勝也さんのリサイタルの為に書いて2004年に初演されたヴァイオリン・ソナタ「Chasin’ The Phase」の第1楽章で使ったアイディアです。ありがちのようで、実はあまりないかもしれない4個の和音からなるサイクルで、Fm→Dbm→Dm→Aという進行が次には半音上のBbmから続きます。結果として、12のキーを4度上がり(5度下がり)で巡りながら4×12=48個の和音が出現するというものになりました。

そしてこの楽章には、かの偉人作曲家の有名なフレーズが2カ所借用されています。12/8拍子のパートで出現するティンパニと、後半のピアノ・カデンツ直前の不思議な和音です。前者は「第九」から、後者は「英雄」からです。前者はそのジャズ的な出現の仕方が、後者はその時代にはあり得ない「未来のジャズ・サウンド」のような和音がとても気になっていたものです。自分の作品に取り込むことによって何とか理解しようとしたのかもしれません。ベートーヴェン好きの方々は、どうかおイカリにならず、ニヤっと笑ってくださるようお願い申し上げます。

中間部のオーボエが奏でるメロディ以降しばらくは、前出の「Chasin’ The Phase」が援用されていますが、

「ここから英雄の和音につなげてください」という私の無茶な要求に挾間美帆がどう答えたか、

是非、耳をすませてお確かめ下さい。

山下洋輔(5)

2008.10.09| 山下洋輔

「崩壊」を含む導入部が終わると、ピアノがメイン・テーマを提示して曲が進行します。すぐに短いピアノソロ・カデンツがでてきますが、カデンツからの復帰とオケとの合流などはすべて即興の流れの中で行われるので、ここではあらかじめ決めておく音列やリズムの合図と共に、指揮者への目配せ、指揮者からの目光線をキャッチ、などのやり取りが大変重要になってきます。その辺をリハでも入念に確認しました。その後の演奏も私の好みの音形やリズムを反映させた構造のもとに進んでいきます。オケと楽しくやり合うのが原則で、早々にティンパニ・ソロが登場して、ピアノと一瞬斬り結ぶ場面も出てきます。

やがて韓国の伝統音楽のリズムを使った段落へ突入したり、黒鍵だけを偏愛する箇所があったり、pf vs orch のくっきりしたやり取りから、是非ともやりたかった低音部への肘打ち下降なども実現します。その直後に出てくるオケだけのアッチェルランドするブリッジの部分は、邦楽の人に教えてもらった「獅子」に関連する有名なフレーズを援用しました。またどうしても欲しい「フーガ」パートも入れました。これは今年20周年を迎える私のジャズ・グループ「山下洋輔ニューヨーク・トリオ」の最新CD「トリプル・キャッツ」の中に「Driving Fuga」という曲名で収録した曲です。このテーマを見せて「何とかこれをオケとピアノで出来るようにして下さい」と挾間美帆に頼んだわけです。するとたちまちあのような素晴らしい場面が実現しました。他の場面もそうですが、こちらが詳しく音を指示した所もあるにせよ、オケのサウンドはすべて編曲者の手柄です。「共作者」に限りなく近い存在と言った意味がお分かりと思います。

やがて第1楽章は終幕を迎えますが、私のオケの曲なのですから、一度はメンバー全員で「フリー・プレイ」を展開していただくことになります。嫌でもやっていただきます!ここは見もの、聴きものと確信しております。

 

そして一気にエンディング・スマッシュですが、この曲では最後にひと工夫したくなりました。

それが何なのか、是非本番でお確かめ下さい。

山下洋輔(4)

2008.10.08| 山下洋輔

その挾間美帆共々仙台にやって来て、仙台フィルとのリハーサルを6日にやりました。

 

指揮の山下一史さんとは、この5月に兵庫県立芸術文化センターで筒井康隆さんの「フリン伝習録」という、歌、朗読、ジャズ、オーケストラが入り乱れる「メリー・ウイドウ」が原作の出し物を一緒にやっています。その中には、こちらが即興的に作る音楽とオケを合わせる場面が何度もありました。両者の橋渡しのやり方を完全に把握しておられるので、安心してお任せできます。すでに「Explorer」についても、山下一史さんとの打ち合わせは済ませてありました。(写真:山下一史さん*photo:K.Miura)

第1楽章のはじまりは、クラリネットのソロです。これは「ラプソディ・イン・ブルー」の出だしに一瞬似ていますが、すぐにそれとは全然ちがうクラとピアノの競演が始まります。やがてそこにオケが入ってきて、第1回のカタストロフィに向かいます。この「崩壊」への動きは計3回ありますが、この場面に実はこの曲の基本的なコンセプトが凝縮されています。第3楽章のクライマックスは、時間をさかのぼって「ビッグバン」と遭遇するというものなのですが、その圧縮された構造がここにあることをあらためて発見しました。

作曲者のくせに今さらなんだと言われても仕方がないのですが、アイディアを得た時には全体がまだ見えないという状態もあるのですね。そして全体が出来た上であらためて見直すとそういう構造になっていた。それを無意識のうちに求めていたのでしょうか。

また崩壊に参加するオケの音の中には、第1楽章に出てくるテーマの断片が全てちりばめられています。これは挾間美帆のアイディアと手腕で、全ての音が前兆にも予兆にも回想にも聴こえる、音楽という芸術の不思議さをあらためて描き出してくれたと再認識しました。

今回の仙台フィルとの再演の機会に、この第3番「Explorer」は、私にさまざまな新しい意味と発見をもたらしてくれるようです。

山下洋輔(3)

2008.10.07| 山下洋輔

今回、山下一史さん指揮の仙台フィルハーモニーと共にやらせていただく

自作の「ピアノ協奏曲第3番<Explorer>」について書かせていただいています。

オーケストレーションをやってもらうことになった挾間美帆と、立川ヤマハのスタジオで初ミーティングをしたのが、2007年の5月でした。その年の東京オペラシティの新春公演は、「師匠」と仰ぐセシル・テイラー氏に来てもらって、デュオ・コンサートが実現していました。リハの時はフリーの即興でノンストップ1時間半の演奏が2日間で4回。本番は45分間ノンストップでやりました。2台のピアノで思いっきり好きなことをやり合う究極のフリー・ミュージックだったのですね。その後遺症というかテイラー先生の世界の凄さにあらためて触れて、実は半年間はぼおっとしていたのですが、5月はまだその後遺症のさ中でした。

それで初ミーティングにはそのデュオのDVDを持っていって、見てもらったのです。

「こういう音楽をやることが自分の本分なのだが、これにオーケストラの音はつけられるものだろうか」という問いかけを最初にしたわけです。つまり「こういう目茶目茶な人間ですが、面倒見てもらえるでしょうか」という自爆自己紹介なんですね。DVDを見て音を聴いた挾間美帆は「私ならこの箇所にはこういう音をつけようと思います」と、きちんと自分の意見を述べてくれました。さすが先生たちに一目置かれるだけのことはあって、強烈な存在感を放つと同時に、音楽ヘの理解と創作への意欲がびしびしと伝わってきました。

他にも作業のやり方について原則的なことを確認しました。こちらの立場をよく分かってくれて「音さえ聴ければ大丈夫です」との頼もしい言葉にはとても安心しました。後に実は音だけではなく「言葉」や「映像」でもこちらの意図を伝えて、それを音にしてもらうという、オーケストレーションの役割を超えた、ほとんど「共作者」という立場に挾間美帆はなってくれます。

山下洋輔(2)

2008.10.06| 山下洋輔

今回聴いていただくピアノ協奏曲第3番「Explorer」のことは、去年のこのブログにも書いていました。

「来年はオペラシティが出来て10周年ということで、第3番を作曲初演することになりました。今その制作のまっただ中で毎日がパニックの日々です」と言っています。

 

そうなんですよね。10月はもう最終的な案がまとまっていて、それを編曲者に渡していなければならない時期なんです。つまり私は、オーケストラの編曲は別のスペシャリストに頼むことにしているのです。私も一応国立音大の作曲科卒ですが、不勉強でオーケストレーションはできません。実はこれも「ラプソディ・イン・ブルー」からのヒントで、あのオケの編曲はガーシュイン本人ではなくグローフェがやったというのは周知の事実ですね。そうか、そういう方法があるのだ、と気づいて第1番「Encounter」は実現したのです。しばらく前に今村昌平監督の映画「カンゾー先生」の音楽制作過程で共同作業して知りあっていた作編曲家の栗山和樹さんにお願いすることができたのが最大の幸運でした。

それで第3番も当然栗山さんにお願いしようとしていました。でも相変わらず売れっ子で、国立音大の准教授でもある栗山さんは猛烈に忙しい。下書きをするアシスタントを誰かにやってもらう必要がありました。それで推薦されて現れたのが作曲科3年在学中の挾間美帆だったのです。どの段階までの作業をやって栗山さんにお渡しすればよいのかとある日相談すると、「挾間なら全部自分でやれます。彼女に全部任せて大丈夫です」とのお言葉でした。念の為に他の先生方に聞いても誰もが「挾間美帆」の名前を挙げました。

 

実は挾間は国立音大のビッグバンドジャズのグループ「ニュータイド・ジャズ・オーケストラ」に1年の時に入って来ていて、その方面では面識があったのですが、「本業」の作曲でも誰もが認める逸材だったわけです。国立音高出身ですが、その卒業作品のオーケストラ曲「Rhapsody of Endeavor」を後に聴いてぶっ飛びました。高校3年生でこんな曲が書ける。皆が言う意味がはっきり分かりました。それで、第3番のオーケストレーションを全部お願いしたいと伝えて、第1回の打ち合わせの日時を決めました。これがその年、07年のゴールデンウィークの直後だったと思います。

山下洋輔

山下洋輔(1)

2008.10.05| 山下洋輔

せんくらファンの皆様、お久しぶりです。

去年はじめて呼んでいただいて、とても楽しい時間を過ごしました。

「ラプソディ・イン・ブルー」を飯森範親さんの指揮で山形交響楽団でやっていただきました。翌日のソロピアノ・コンサートには、オーボエの茂木大輔さんがN響公演の後にちょうど通りかかったなどと言って飛び入りしてくれました。両公演ともに聴き手の方々のとても深い理解をいただいたという印象で、地よい後味を感じておりました。

今年もまた呼んでいただいて嬉しいです。しかも、今回は私自身が作曲したピアノ協奏曲第3番「Explorer」をやらせていただけるということで、この幸運にはまさに「欣喜雀躍神社仏閣(筒井康隆作)」であります。

去年のブログで、20年前から始めた「ラプソディ・イン・ブルー」をやる快感がクセになって、自分の曲でこれ出来たらどんなにいいだろうという野望を抱いて、とうとうピアノ協奏曲第1番「Encounter」を作ってしまったという事を書きました。これが佐渡裕さんのご紹介で、イタリアのトリノで2日間の公演があったこともお知らせしましたが、その後、この演奏がCDになってAvexから発売されたのは望外の幸運でした。

第3番「Explorer」は、今年2008年の1月に佐渡裕指揮・東京フィルハーモニーで初演しました。その後、テレビ番組の「題名のない音楽会」で第3楽章が紹介されるなどこれも幸運な道筋をたどっています。

次回からはこの曲の成立事情や内容などご紹介していきたいと思っております。

今年も「せんくら」でお会いできるのを楽しみにしております。

山下洋輔

2007年09月29日

2007.09.29| 山下洋輔

ピアノ協奏曲第一番「エンカウンター」はその後、栗山和樹さん編曲の木管アンサンブルに、原朋直(tp)、川嶋哲郎(ts)というジャズ・ソリストを迎えて演奏され、さらにピアノ協奏曲第二番「ラプソディ・イン・F」もできました。これは指揮の茂木大輔さんが途中でソリストに変身して吹きまくるという場面があります。そんなこんなの経過の末、さらに来年は東京オペラシティ開館10周年ということで、第三番を作曲初演することになりました。今その制作のまっただ中で毎日がパニックの日々です。

思わず自作曲の話ばかりになりましたが、すべては「ラプソディ・イン・ブルー」から始まったことは前に述べました。その「ラプソディ」の準備は進んでいます。といいますか、実は今年は「ラプソディ」の当たり年で、6月以来、神奈川フィル・金聖響、瀬戸フィル・山田和樹、大阪シンフォニカー・大山平一郎(3回)とやって、この「せんくら」が今年の打ち止めなんですね。交響楽団との共演は音楽生活の中で最も嬉しく楽しいことの一つですが、やはりジャズ・コンサートの演奏とは違う緊張感があります。いやあ、実際大変なんですよ。でもこの「せんくら」の日は千秋楽なので、きっと身も心も解放された姿をお目にかけることが出来ると思います。是非ご一緒にその時間を楽しみましょう。またその翌日にはソロピアノを2回ご披露しますが、これはもう何の制約もない世界です。果たして何が発見できて自分がどこまで行けるのか、今からどきどきしています。

日本の音楽の歴史に素晴らしい伝統を作りつつある「せんくら」に参加できる幸せをあらためて噛みしめております。
山下洋輔(ピアノ)

 

2007年09月28日

2007.09.28| 山下洋輔

栗山さんとの共同作業は即ち、ガーシュインとグロッフェだったんですね。ガーシュインが作ったピアノ譜でグロッフェがオーケストラのアレンジをしたというような話を聞いていて、それが大きなヒントになっていたのは間違いないです。ここにも「ラプソディ・イン・ブルー」の影響があるんですね。すべては「ラプソディ・イン・ブルー」から始まっているのかと今さらながら驚いています。栗山さんに、ピアノ譜に書いてあるものを見てもらい、あるいはオーケストラのパートについてアイディアがあれば出来るだけ詳しく伝えました。

夢中になってやりたいことを全部たたき込んだんですが、出来てみると四楽章あった。普通、協奏曲というのは三楽章だったんだと気づいてももう遅いんですね。

やがて2000年の正月が近づいてきて、指揮の佐渡裕さんとスコアを見ながら打ち合わせをしました。佐渡さんとは何度か「ラプソディ」をやっていて気心が知れています。パリのサル・プレイエルという伝統ある会場でラムルー交響楽団と出会わせていただいたこともあります。ところがその佐渡さんが実は体調を崩されていた。リハの直前になって代役の登場という事態になりました。これが金聖響さんだったんですね。協奏曲第一番「エンカウンター 」はなんともドラマチックな誕生をする運命にあったようです。聖響さんと初対面で驚いたのは、お顔が私の息子にそっくりだったことで、リハ、本番を通じて時々凄い顔でこちらを睨みながら指揮をされましたが、なるほど息子に叱られながら仕事をするのはこういうものかと経験させていただきました。

その初演はおかげさまで大成功で、その後、この曲は同年4月に大阪国際音楽祭で京都市交響楽団を佐渡裕さんが指揮してリベンジをしてくださり、2002年には札幌交響楽団で小松一彦さん、同じ年に洗足学園大学オーケストラを秋山和慶さんが振ってくださって東南アジア・ツアー、さらに2004年には佐渡さんのご紹介と指揮でイタリア・トリノでRAI国立放送交響楽団で二日間演奏されました。この時は第一部ヤマシタで第二部はチャイコフスキーの五番だったので、思わずコンマスの譜面台に並んで乗っていた両方の楽譜を写真に撮ってきたほどです。そして、2005年には因縁の東京オペラシティで佐渡さんがNHK交響楽団を指揮してこの曲を演奏し、初演の急病リタイアのリベンジが完全に果たされたのでした。

 

山下洋輔(ピアノ)

2007年09月27日

2007.09.27| 山下洋輔

それからの一年余りの間、どうやって曲を作ったのか。確かカンヅメ合宿は5回以上はやったと思いますね。早春の伊豆高原ではキーボードをコンピュータにつないで第一楽章全部をイメージして即興で弾いていくということをやりました。しかし、機械に採譜された楽譜はとても人間の読めるようなものではなく、これを正常の楽譜に直していくのはこんがらがった遺伝子の鎖をほぐしていくような作業でした。しかし、その中に自分のやりたい事が全部詰まっていると信じて、解きほぐしていきました。夏の岩原、秋の山中湖畔、都内のホテルと時間をとっては集中しました。またツアー先の弟子屈では、空いている時間に使わせてもらったホールのピアノで、ある場面のオーボエのメロディをつかんだことをはっきり覚えています。

このコンチェルトを作るについては栗山さんと大原則を二つ確認しました。

一つは、通常の二管編成で通常のリハ時間で出来るものという制約です。勿論、委嘱作品を書く作曲家ですから、ワガママは言えると思うんです。「ワシの作品には寺の鐘が百個必要だから必ず揃えるように」なんてね。でもそういう作品の演奏の機会は一回だけかもしれない。ジャズコンボでも面白い刺激的な事は出来る、ビッグバンドなら大編成だ、という感覚の我々から見れば、通常の二管編成のオケは音の宝庫です。面白いことが出来ないわけはない。その編成なら再演が可能だし、また再演出来なければ意味がないと考えました。

二つ目は、譜面はしっかりオーケストラの流儀で書いて演奏者の方々に余計な負担をかけないというものです。コードを書いてアドリブと指示しておけば15分演奏するジャズマンだと思うのはとんでもない失礼なことです。異分野の交流はまず相手の最大の得意技を出してもらうようなルールを作る必要があります。この点について栗山さんは、ファンダメンタリストと言ってよいほどの思想家で「弾けないような書き方をすればホロビッツでも弾けないんです」という言い方で、ぼくを完全に納得させてくれました。

さてさて、この共同作業の結末や如何に。

 

山下洋輔(ピアノ)

2007年09月26日

2007.09.26| 山下洋輔

自分のコンチェルトを書くなんて大言壮語したのには実は理由があるんです。1998年公開の今村昌平監督の映画「カンゾー先生」の音楽をやったのですが、この時に共同作業をしてくれたのが、当時すでに気鋭の映画音楽作曲家で編曲家だった栗山和樹さんでした。小編成ながら弦のアンサンブルを使いジャズバンドも使って作った音楽は、毎日映画音楽コンクールで最優秀賞になったり、日本アカデミー賞の優秀賞をもらったりしました。この時に栗山さんにオーケストラのことを含めて色々なことを教わりました。その年の内に「ラプソディ」公演のアンコールピースとして「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ミー」をオーケストレーションしてもらい、デビッド・カンゼル指揮のシンシナティ・ポップスでやったりしています。つまり、オペラシティから2000年の話が来たその頃は、作曲や編曲やオーケストラについて自然に猛勉強をしていて何か手応えも感じていた時期だったんですね。「カンゾー先生」の興奮の余波があり、それからこれも絶対関係あると思いますが、その年、我が愛する「横浜ベイスターズ」が25年ぶりに優勝するという大事件があって、もうこれは脳天炸裂「何でも出来る妄想」のガイキチになってしまったのも当然だと思われます。

それから一年余の後、果たして曲はできたのでしょうか。以下次回。
山下洋輔(ピアノ)

2007年09月25日

2007.09.25| 山下洋輔

「ラプソディ・イン・ブルー」をやるようになって世界が広がりました。交響楽団というものはとても奥が深い世界ですね。N響の首席オーボエ奏者で指揮もやるエッセイストで研究家の茂木大輔さん(こういう肩書きになっちゃうけど本当だから仕方がない)とは古い知り合いで、交響楽団の素晴らしさを彼が本に書く前からよく聞かされていたのですが、本当にそれを実感しました。

ちなみに茂木さんは若い時から我々のやるフリージャズの追っかけをやってくれていて、ドイツ留学の最初の演奏がベルリン大学でのジャズ講座への飛び入り演奏でピアノでフリージャズをやったそうですが、こういうジャズへのシンパシーを持つ楽団員の方も数多くいるという発見も嬉しいものでした。

色々なオケと指揮者で何度もやるたびに気持ちが良くて、とうとう野望が膨らむんですね。こういう音楽を自分自身の曲でやったらどんなに気持ちがいいだろうって。そういう時期に東京オペラシティからニューイヤーの特別プログラムで何かやらないかっていう話があったんです。あそこの大ホールはタケミツメモリアルと命名されていて、武満さんがジャズが大好きだったところから、新年特別興行としてジャズマンを呼ぶのもよいだろうっていうことだったんですね。ところがあの場所が東京フィルハーモニー交響楽団の本拠地でもあると知ってこちらの野望が炸裂しちゃった。「東京フィルを貸していただけたら、ピアノコンチェルトを書いて初演します」思わず大ボラ吹いたんですが、これが「面白い」ってんで受けられちゃった。2000年の初演を目指しての1998年頃の話です。これが今につながる苦難と喜びの始まりとなりました。続きは次回で。
山下洋輔(ピアノ)

2007年09月24日

2007.09.24| 山下洋輔

「せんくら」では「ラプソディ・イン・ブルー」を山形交響楽団、指揮・飯森範親さんでやらせていただきます。この曲を最初にやったのは一九八六年のことですからもう二十年になるんですね。大阪フィルが声をかけてくれて岐阜でやったんですが、何しろこっちは譜面を見るのが嫌でジャズ・ミュージシャンになった人間ですから、スコア通りの音を弾くのは大変なんです。でも三個所あるカデンツァを全部自分のアドリブにするというアイディアを手がかりに引き受けました。その初演の時は打ち合わせをしていた石丸寛さんが急病になって当日に松尾葉子さんがおいでになりました。いきなりという感じでやっちゃったんですが、あとで松尾先生が「即興ばかりなのでオケと合わせるのが大変だった」というユーモラスなエッセイを書かれているのを見て、やっぱり、と思った次第です。確信犯でアバレましたから、もうこれっきりでこういう機会はないだろうと思っていたんですが、この初演が話題になったせいか、その後色々なオケから声がかかるようになったのは望外でした。「変な奴がいるから一度呼んでみよう」という洒落気のある方がオケの世界にもいらっしゃるんですね。

というわけで僭越ながら「ヤマシタ版ラプソディ」というようなものができあがっています。どうかお楽しみください。指揮の飯森先生とは、神津善行さんのプロジェクトで一度お会いしました。シンフォニーと邦楽と阿波踊りとジャズ・ミュージシャンを見事に仕切られたのを見ていますので、なんの心配もしておりません。再会を楽しみにしております。
山下洋輔(ピアノ)

2007年09月23日

2007.09.23| 山下洋輔

「せんくら」に出るのだからお前もブログを書けと言われて、ありがたくやらせていただく山下洋輔です。ブログというのは、日記や身辺雑記と同じで、面白いと思うことや最近巻き込まれて困ったことやびっくりしたことや嬉しくて飛び上がったことやもう我慢できないテメエころす!というようなことを書くんですよね。でも、そういうの、おれ月刊誌で引き受けていて、毎回出しちゃってるんだよなあ。「猫返し神社創設話」や「追突され事件」や「豚の丸焼きパーティ」なんて面白いけどまた書くのも気がひけるって感じで。

なるべくダブらないようにと思うと、やはり仙台の思い出かなあ。ずいぶん早いうちからジャズグループで行っているんですよ。その時代ごとに必ず強力なジャズ好き集団がいて「あいつら一度呼んでやろうか」っていうわけですね。サンバ好きの溜まり場だった「サラ」というライブハウスにもよく行ったなあ。サンバが日本でこんなに普及する前だから凄い先見の明だったんですね。

そういうライブ一派とは別に伝統的なジャズ喫茶というのもあって、 マル・ウォルドロンの名前からとった「マル」が国分町にありましたね。石油ストーブと珈琲の匂いという昔ながらの雰囲気で格好いいママがいました。きっとこういうのお好きだろうと思って、ある時、作家の村松友視さんをお連れしたことがあるんですけど、村松さんカウンターに座ったらぴたりと決まっちゃって、まさに昔出ていったままのマスターが今帰って来たっていう風情なんですよね。それでレコードのリクエストが「紅茶のオリが浮かんでくるようなジャズってありますか」だもんね。するとすかさずママが「はい」と言ってジャッキー・マクリーンの「ニュー・ソイル」をかけたのには驚いた。どっちもどっちっていうか、これってまさに村松友視の小説の一場面ですよね。いやあ、まいったまいった。

って勝手に感心しているお前はクラシックのフェスティバルに出るんだろう、何をやるんだ、というご質問はごもっともなので、次回からはその辺の事情もお知らせしたいと思っております。

山下洋輔(ピアノ)

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