和谷泰扶(7)

2007.05.26| 和谷泰扶

7日目 最終回

読者の皆さん一週間のお付き合いありがとうございました。
チケットはもうお買い求めいただきましたか? 6月29日(金)の発売だそうです。良い席は早い目に! カレンダーに赤丸を! 10月に仙台でお会いいたしましょう。では!

これで終わりでしたらあまりにも愛想が無さ過ぎるので、チョコっと愛想を。
私の趣味は色々ありまして、『今』を忘れさせ夢中にさせてくれる意味での趣味は数えようがありません。

代表的なものの一つに「桂 枝雀の落語」があります。話に必ず登場するちょっと『アホ』な人物、情景や時代、空気など手に取るように見えてくるのです。

絶妙な間の取り方、もし彼が音楽を目指していたならばきっと素晴らしい演奏をしたに違いないでしょう。実は学生のころ京都のラジオ局で彼の番組に出たことがあるのです。

芸能人には舞台の上と下やオンとオフエアーでは態度がまったく違う人がいる中で、彼は気取ることなく、むしろ緊張している私をほぐすかのように接してくれました。

『青亀の怖いとろろ』『赤い山』『自転車のりの時間』など口ずさんでしまいます。『すびばせんねぇ』や『夏の炎天下、お日さんがカーッ』の名言もたまに使います。特に好きな演目は『代書屋』『宿替え』『鷺とり』『夏の医者』『親子酒』などなど限りがありません。

またもうひとつの趣味として、シュークリーム作りがあります。ドイツでは『風の袋』と言い、『薄情なやつ』という別の意味もありました。ドイツのシュークリームは生クリームが中に入っていました。でもやはりカスタードでしょう。私の町では買えなかったカスタードクリーム入りのシュークリームをフランス出身の知人一家がお気に入りで、是非食べたいとリクエストされ届けたこともありました。

時間に余裕が無いと何かを忘れたり失敗したり。音楽も同じですね。

それでは素敵な週末をお迎えください。

 

 

和谷泰扶(6)

2007.05.25| 和谷泰扶

6日目 今日は演奏曲目について少々触れておきたいと思います。

ハーモニカのオリジナル曲、スペイン幻想『トレド』の作曲者であるジェームス・ムーディー(1907~1995)はアイルランドのベルファストで生まれ、13歳のときすでにピアニストとして才能を表し、BBCなどで作曲や編曲を手掛けました。私の師であるトミー・ライリーと共にハーモニカ音楽を追求し、オリジナル作品は数十曲にもおよびます。1989年の世界コンクールで私が第1位になったときの審査員の一人で、私の演奏を聴いて彼は自作品の演奏を許可してくださいました。(その当時許可なしに演奏する事は困難な事でした。)

『トレド』はハーモニカの技巧が生かされた秀作で石畳を駆け巡る黒牛、緊迫した闘牛の情景、ボレロのリズムにのって夜更けまで続く情熱的な祭りを感じさせます。オーケストラバージョンもあり2005年に仙台フィルと共演させていただきました。

『シンドラーのリスト』はスピルバーグ監督の映画のテーマ曲で、ジョン・ウィリアムスの作品です。

映画の内容は第二次世界大戦下のポーランドにおけるナチス・ドイツによるユダヤ人迫害にまつわる話です。私がまだドイツ在住のころ、アウシュビッツを訪れたことがあります。

胸が締め付けられる思いでした。ちょうどその時イスラエルからの修学旅行の若者に出くわし、泣き叫んでいたことが思い出されます。アウシュビッツの近くビルケナウはドラマ『白い巨塔』のロケでも使われたユダヤ人収容所で、入り口の引込み線が暗い歴史を物語っていました。

家畜以下の生活、苛酷な労働、そして敷地の奥にはガス室と焼却所・・・。

広い敷地内を歩いていますと、没収させられた金属類が集めてありました。スプーンやナイフ、ドアのノブなど。目を凝らして見ていたら多くの金属類に混ざって『クロマティック・ハーモニカ』の部品が見つかったのです。1940年代、すでに持っていたユダヤ人がいたのです。クロマティック・ハーモニカを吹いていたユダヤ人がいたのです! しかし・・・。

その部品はあたかも私に見つけて貰いたかったように顔を出していました。目に沁みるような青い空、陽がいっぱいに降り注ぐ木立群、深い静寂の中、彼らの喩えようのない悲しみに触れた一瞬でした。

恵まれた時代・環境でハーモニカを演奏できることに感謝しながら演奏します。

 

和谷泰扶(5)

2007.05.24| 和谷泰扶

5日目 『ドイツ』といえば皆さんは何を思い浮かびますか?

サッカー、ソーセージ、ビール、車、ローレライ・・・。

ローレライはライン川のほとりで川幅が狭く、船の事故が多かったことから、乙女の魔力によるものと言い伝えられていました。以前は川岸の岩肌にアルファベット表示の横にカタカナで『ローレライ』と書いてあり愕然としました。
丘の上に登ると乙女どころかごつごつとした女性の銅像がありこれまたガッカリ。コペンハーゲンの『人魚の像』のほうが良かったです。

私の小さな夢の一つは生徒さんとともにライン川下りをし、船上で『ローレライ』を合奏することです。

さて、今日のお話は『車』についてです。

私の住んでいましたトロッシンゲンはバーデン・ヴュルテンベルグ州にあり、ポルシェやベンツの本社があります。

高速道路(アウトバーン)は基本的には速度無制限ですが、都会周辺は混雑するので規制があります。しかし南ドイツ、特にシュトゥットガルトから南、スイスに抜ける方面(A81号線)は交通量も少なく結構スピードが出せるのです。スイスのお金持ちはフェラーリやランボルギーニなどのスポーツカーを 持っていても、スイスの高速道路は規制が厳しく、罰金も高いのでスピードを存分に出せません。それで南ドイツのアウトバーンで飛ばすのです。

私の勤めていました音楽学院の校長先生の誕生日へのプレゼントとして、先生と生徒でフェラーリをレンタルしました。学生の代表が校長先生を乗せて時速285キロを出したそうです。

ちなみに私は時速210キロが最高で、500キロの道のりを3時間半で帰ってきました。先日会った人が「横浜から九州まで約1200キロを8時間で走った」と言っていました。日本チャチャチャです。

さてスピードと比例して事故の危険度も上がります。

ある日アウトバーンで渋滞に巻き込まれました。工事中か事故です。まもなくして後方から救急ヘリコプターがやってきました。しかし降り立つことも無く引き返して行きました。

すると今度は後方から霊柩車が来たのです。私は2度見ました。またある時前方で車が炎上していました。消防車が駆けつけるのですが あまりにも遅いので抜かしてしまいました。皆さんスピードの出しすぎには注意しましょう。出したらカメラと覆面パトカーには注意しましょう。

和谷泰扶(4)

2007.05.23| 和谷泰扶

4日目 食事はもうお済ですか?

以前8月の終わりに仙台を訪れたときのこと、さんまのお刺身をいただき、あまりの美味しさに感激したものです。仙台の方にとっては普通のことだそうですが・・・。

ドイツ時代『お刺身』は夢の食べ物でした。
北は北海に面しており海の幸も豊富ですが、南となれば近い海は地中海です。内陸部ですから海水魚を生で食べる習慣が無く、ほとんど手に入りませんでした。たま~にマグロをお店で見るのですが、既に変色していて生で食べる気にはなりませんでした。ですから一時帰国をしたときは『お寿司』が定番でした。

10月の仙台は海の幸も豊富なのでしょうか? 楽しみです。

さて、今日は私が使用していますハーモニカについて説明しましょう。

ドイツ・ホーナー社製 スライド式クロマティック・ハーモニカ”シルバー・コンチェルト”とよばれ、本体・カバー・スライドボタンが純銀で出来ています。

マウスピースは真鍮に銀メッキがかけられています。音域はフルートとほぼ同じで、3オクターブ(c’~c””)+2音(c#””・d””)出すことができ、横の長さは141ミリで約500グラムの重さです。12の穴があり吹音・吸音がそれぞれに配列され、本体の横にあるスライドボタンを操作することで半音が上がる仕組みで、1つの穴で4つの音(例:C,C#,D,D#)が出せます。

つまり48の音が出せるわけです。(音は出せますが、同じ音だったり、異名同音だったりします。)

呼吸で発音するリードは真鍮を中心にした合金で、長さは音程に比例して低音が長く、19ミリから7ミリの長さしかありません。 調律はやすりで削ります。

2センチ足らずのリードからどのような音が醸し出るのか楽しみにしていてくださいね。

和谷泰扶(3)

2007.05.22| 和谷泰扶

3日目。さてさて、今日は『ハーモニカ発祥地・トロッシンゲン』と言われる由来についてお話しましょう。

ハーモニカは一枚のリードを息で振動させながら音を出しますが、クラリネットのように口の中に入れるのではなく、管の先に取り付けられています。

このような原理は今から3500年前の中国「殷」の時代にさかのぼり、雅楽の笙に似た形でした。時代とともに形を変えながら、ロシア経由でヨーロッパにパイプオルガンの一部として入ってきました。高い音が出し難い事から、音を出すきっかけとしてリードが用いられました。

そこからヒントを得て生まれたのが足踏みオルガンです。

話をハーモニカに戻します。ハーモニカを発明したのはドイツ人のブッシュマンであるという説がありますが、他説もありはっきりはしていません。

また、1821年のドイツの書物にハーモニカらしい楽器に関する記事がありますが、それによるとウィーン近郊で発明されたと書かれており、「ムントエオリーネ」と呼ばれていたようです。いずれにせよ当時は楽器というより玩具的なものでした。

では、それがどうしてトロッシンゲンと関わり合うのでしょうか?

その当時のトロッシンゲンでは農閑期には時計作りが行われていました。皆さんも良くご存知の鳩時計です。時計を作ってはヨーロッパ各地へ売り歩くのです。行商の旅先でハーモニカらしき玩具を子供の土産に買い求めましたが、程なく壊れてしまいます。

しかし、そこは時計職人。腕を生かして修理をしていくうちに、改良を重ねて実に良い物を作り出していったのでした。その職人はトロッシンゲンに住むクリスチャン・メスナーという人でした。その後、多くの時計職人が競うようにハーモニカを造り、トロッシンゲンの町から世界中に広まりました。

日本へは19世紀末に「カテドキ笛」という名称で入ってきました。

では、また明日。

和谷泰扶(2)

2007.05.21| 和谷泰扶

2日目。昨日はゆっくりおやすみになりましたか?
今日は昨日の続きでドイツ留学からです。

私の住んでいた街トロッシンゲンは南西ドイツの『黒い森』の東の外れに位置し、人口は約15,000人ほどのかわいい街でしたが、国立音楽セミナーハウス、州立音楽大学、市立音楽学院、ジュニア音楽学校があり『音楽の町』と呼ばれていました。

市立音楽学院には80名ほどの学生がおりアコーディオンが中心ですが、ハーモニカを授業に取り入れた学校で私は招待留学生としてスタートしました。

ドイツでの日常生活ですが、自分で比較のしようもなく、これがドイツの文化と思えばそれはそれで納得したものです。その代表的なのが下宿部屋に風呂どころかシャワーすらなかった。ドイツの本を読むと「体に石鹸を塗り、濡れたタオルで3~4回こすればきれいになる」と書いてあったので当初はそのようにしていたのですが、今から考えれば変ですよね!

そのうちプールのシャワーでシャンプーを使えることを知り、よく通ったものです。風呂付の部屋に住むのが夢でした。私の訪れた年は大変寒く、マイナス30度まで下がりました。当時ドイツ語がほとんどわからず、ヘルムート・ヘロルド先生や学校の皆さん、街の皆さんには感謝です。

明日は『ハーモニカ発祥地・トロッシンゲン』についてお話しましょう。

和谷泰扶(1)

2007.05.20| 和谷泰扶

『仙クラ』ファンの皆さま、今年もブログの季節到来です。
トップは私、クロマティック・ハーモニカ奏者の和谷泰扶(わたにやすお)です。これからの1週間、お付き合いのほど よろしくお願いいたします。

まずは自己紹介:京都生まれ 実家は創業200余年の和ろうそく店『わた悟』の二男としてこの世に現る。幼少のころは『神童』と巷では言われていたそうですが、私の記憶にはございません。

ハーモニカとの出会いは兄がハーモニカ下手だったことから習いだしたのがきっかけです。私の小学生のころは音楽の授業でハーモニカがありました。(驚いている方は若い方、うなずいた方はそこそこお年の方です。私はそこそこです。)

別に他の音楽家の方のように子供のころから練習漬けの毎日ではなく、普通にごく普通に育ちました。大学3年生のときに異変が起こります。その兆候は以前からちょくちょくあったのですが、ハーモニカ連盟主催のヨーロッパ旅行で『ラリー・アドラーとトミー・ライリー』の二人の巨匠に出会ったのです。その2年後にはドイツ留学の長い旅に出たのです。

今、文章を書いていてあらためて人との出会いの尊さを感じます。私がハーモニカ奏者として今日演奏できるのも色々なところやタイミングで出会うべくして人と出会い、その道がつながっているのです。

10月仙台では皆さんとどのような出会いができるのか今から楽しみです。

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